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二話

 姉サクラは時々、転生前の話をしてくれた。


『乙女ゲーム以外にも聖女が出てくる話はたくさんあったの。でもどれも聖女を正しく扱わなかったり、聖女自身がその力に驕ったりでみんなが幸せに暮らせる話は少なかったのよね……』


 そう話す姉は少し寂しそうだった。彼女は聖女が登場する物語が好きだったようだ。ただ一般的な傾向として「ざまぁ」という因果応報――聖女を虐げた者が不幸になる話が多かったらしい。


『でもね、ミュゲ。私はあなたやパパ、ママが生きるこの世界が大好き。だから私が聖女になったら、絶対にみんな幸せになれる“大団円エンド”を目指すからね!』


 姉の笑顔はキラキラと輝いていた。あの笑顔が嘘だとしたら、私はこの世のすべてを疑うだろう。


「そうか……」


 私の話を聞き終えたシオンが呻くように呟いた。机の上のノートをそっと撫でると、凍りつくような視線で私を突き刺す。


「君が姉上を慕う気持ちはよくわかった。しかし私は王子に仕えていた身。君は私が聖女サクラを恨んでいて、君を逆恨みで殺そうとやってきたとは思わなかったのか?」


 やはり……。

 私はいつか姉に恨みを抱く者が現れると怯えていた。


(パパもママも最期まで怯えていた。私だっていつお姉ちゃんのことで責められるかずっと不安だった……)


 けれどいざ死を覚悟した時に思い出すのは、あの姉の笑顔。


「……私を殺したいならどうぞ。私ひとりいなくなったところで、悲しむ人はもういませんから」


 私の言葉にシオンの眉がぴくりと動く。

 

「姉はこの世界を愛していました。私は姉が自らこの世界を滅ぼすような真似をしたとは思えません。嘘をついて姉を偽聖女と呼ぶくらいなら、殺されたほうがましです」


 そう言うと私はシオンの金の瞳をジッと見つめた。みすぼらしい私の姿が彼の瞳に映っていることだろう。


「君は……」

 

 シオンはポツリと呟くと、ふ、と表情を緩めた。

 

「話してくれてありがとう。そして試すような真似をして申し訳なかった。もし君が姉上に否定的な態度だったら、これは墓場まで持っていくつもりだったんだ」

「え……?」

「立たせたままですまない。どうぞ掛けてくれ」

 

 先ほどと打って変わって柔らかな態度のシオンに勧められるまま、戸惑いつつも私は椅子に腰をおろした。同じように腰をおろしたシオンは、ノートを私の前に差し出しながら話し始めた。

 

「私も君と同じだ。リンド様も聖女サクラも罪に問われるような人物ではなかったと思っている」

「――っ!」


 まさか他にも姉を信じてくれている人がいたとは……。驚きに何も言えずにいると、シオンはこらえていたものを吐き出すように一気に語り出した。

 

「私はその日の全てをリンド様の隣で見ていた。あの結界の崩壊――あれは明らかに異常だった。まるで世界が作り変わってしまったかのように、それまで働いていたはずの聖女の力が突然作用しなくなったんだ」


 シオンの表情は今まさにその時が訪れたかのような絶望に染まっていた。


「リンド様も聖女サクラも必死で手立てを考え、行動した。二人とも何度も逃げるように言われたのに、決して離れようとしなかったんだ。しかし何も打つ手がないまま、魔物の侵攻が始まってしまった……。私たちは二人を守らなければならなかったのに、逆に『早く国を離れろ』と――」


 そこまで話すとシオンは顔を両手で覆って黙ってしまった。彼の抱えてきた無力感や罪悪感が苦しいほど伝わってくる。


(やっぱりお姉ちゃんは聖女の役割を果たそうと頑張っていた。なのに、なぜ――)


 苦しかっただろう。痛かっただろう。悔しかっただろう。

 愛した世界を守ろうと奮闘していた姉の姿を思い、私の目から思わず涙がこぼれ落ちた。


 しばしの沈黙。まるでお互いの大切な人に祈りを捧げるような時間だった。

 初めて家族以外と共有できた悲しみにどこか満たされたような思いを感じ始めた頃、おもむろにシオンがノートを開きながら話し始めた。

 

「……話が前後するが、君の姉上がこれを残していた。見たこともない文字で書かれていて読めないのだが、きっと日記だろうと予想している。もしかしたら聖女の力が失われたことに関して何か手がかりがあるのではと――」

「あ、これ……」

「読めるのか?!」


 シオンの開いたノートには、過去に姉に見せてもらった異世界の文字が懐かしい筆跡で残っていた。


「少しなら読めます。姉と遊ぶ中で、時々使っていたので」


 私は苦笑いで答えた。当時、姉に遊んでもらうために必死で覚えたことを思い出す。


(まさかこんなところで思い出すことになるなんて……)


 ノートに綴られた複雑な形の文字。楽しそうに文字を綴る姉の姿を思い出しながら、私は一つ一つ読み解き始めた。



『○月△日 今日はリンド様と婚約者のシスル様と三人でお茶会。シスル様は可愛らしく、ほのぼのした方で憧れる。リンド様とお似合い。シスルは設定にはないキャラだけど、この調子ならきっと上手くいく』


『●月◇日 シスル様から転生前の世界の事を聞かれる。興味深く聞いてくれて嬉しいけれど、急にどうしたのだろう。』


『◇月●日 結界は大丈夫そう。でもリンド様とシスル様がちょっとしたことで喧嘩になる。疲れた。誰ともフラグを立てないで大団円エンドを目指しているのに、大丈夫かな。』


『〇日 なんかおかしい。シスル様が何かするたびに、リンド様とのフラグが立つ気がする。シスルはゲームに登場しないはずだよね。私が覚えていないだけ?』


『絶対におかしい。ストーリーからどんどん離れている気がする。どうして?』


『シスルが姿を消したらしい。みんな必死に探している。もう結婚式の準備も整っていたのにと、リンドは落ち込んでいる。』


『結界は無事完成したけど、これはリンドルート? もしそうじゃなかったらバッドエンド。もう私に選択肢は残されていない。シスルはどこにいったの?』


『ちがう。これはリンドルートでもない。まるで違う話に変わっちゃったみたい。』


『リンドの婚約者の好感度を上げる条件が満たせなかった。もう無理かも。でも頑張らないと。』


『ごめん、みんな。パパ、ママ、ミュゲ、リンド……。私、絶対にうまくいくと思っていたのに。みんな、だいすきだよ。ごめんね。わたしのせい』


『これはわたしのせかいじゃない』


『シスル あなたもそうだったんだね』



「『これは べつの せいじょのはなし』……」


 私は殴り書きされた最後の一文を読み終え、ゆっくりと顔を上げた。部屋の中には既に朝日が差し込んでいる。


 整った字体で書かれた日記は、終盤に近付くにつれどんどん荒れ、最後は日付もなく大きく殴り書きにされていた。


「そうか……」


 ジッと私が読み上げるのを聞いていたシオンは、考え込むように最後のページをしばらく見つめ続けている。彼の髪と同じ青みがかった薄紫の瞳が何度も揺れる様子を、私は何も言わずに見つめていた。



「この日記を読んでもらえてよかった。おかげで背中を押してもらえた気がするよ」


 次にシオンが顔を上げた時、彼の顔に浮かんでいたのはどこかふっきれたような清々しい表情だった。


「私はシスルを探しに行くつもりだ」

「シスル、って……」


 姉の日記に書かれていたリンド王子の婚約者だった失踪した女性の名。だが、私たち国民の間では王子と姉に追い出された“真の聖女”とされている人物だ。


「この日記に書いてあることは事実だ。シスルは何も言わず突然国を去った。決してリンド様や聖女サクラが追い出したわけではない」

「そんな……」

「きっと彼女は何かを知っている。私は真実を知りたいんだ」


 姉の日記には、姉自身も戸惑っていた様子がはっきりと記されていた。


(『シスル あなたもそうだったんだね』の意味するものが、シスルも“転生者”であることを示しているとしたら……。そして『これは べつの せいじょのはなし』の意味って――)


 シオンは椅子から立ち上がると窓を開けた。朝の爽やかな風が部屋に吹き込んでくる。


「私はすぐにでも発とうと思う。君ももう自由だ。好きに生きると良い」

「あの――!」


 思わず声を張り上げた私にシオンはわずかに目を丸くした。それほど私は焦っていたのだ。


「私も連れて行ってもらえませんか?」


 私も真実を知りたい。

 姉に何が起こったのか。

 なぜ国の幸せを願っていたはずの姉があんな死に方をしなければならなかったのかを――。

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