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【7】 異形

 吸血鬼とは何であるか。

 家族の仇を追うとはどういうことか。

 未だ灯也は理解出来ていなかった。


「なんだ、これ……」


 立ち尽くすその先は地獄の名が相応しいか。

 祭り会場は昼間のように明るく、赤かった。


 あちこちで火の手が上がり、出店や櫓が轟々と燃え盛っている。頭上に張り巡らされた提灯の吊り紐にも火が蛇のように這い、提灯がぼたぼたと火の玉になって落ちていく。


 熱線で肌が痛い。

 吸い込む空気で肺が焼け付きそうだ。

 遠目に炎に巻かれる人影が見え、一瞬煙に遮られた後にはもう誰もいなかった。


 実際には聞えなかったはずの「タスケテ」という断末魔が耳朶に張り付く。

 その声が死んだはずの家族と重なる。


「──っ、誰か、逃げ遅れた人はいますか!?」


 弾かれたように炎の海に飛び込んだ。

 走りながら買ったばかりの飲料水を頭から被り、煙を吸い込まないように注意しながら、生存者を探す。


 火の回りが異様に早い。境内は決して広くはないが、火の手は既に会場をほぼ飲み込んでいる。数か所から同時に出火したにしてもこの延焼速度はありえない。


 人間を閉じ込める檻のようだと、悪夢のような想像を必死に振り払う。

 逃げ惑う人の姿が、悲鳴が不自然なまでに少ないことに気付いていながら。


 何かに躓いて転びかけた。

 それが崩れた屋台に下敷きになった人だと気付いて、灯也は駆け寄った。

 見覚えがあるその顔が、りんごアメ屋の親父だと気付いていっそう血の気が引いた。


「大丈夫ですか!? いま助けますからっ!」


 返事は無い。

 構わず手を取って引き摺り出そうとして、気付いた。

 異様に軽い。


「──……っ、う……!」


 喉元にせり上がって来る熱いものを堪えきれずにぶちまけた。


 引っ張り出した男は胸から下が見当たらなかった。

 断面から零れる赤い液体が炎の揺らぎを照り返しで、一層鮮やかに見える。


 事切れる間際で時間を止めた死に顔は、安らかなものとはほど遠い。

 茫洋とした意識で灯也は崩れた屋台の中に、下半身らしきものが燃えているものを見てしまった。


 当然ながら男の死因は焼死ではない。

 りんごアメ屋の親父は何か凄まじい力で胸の辺りをごっそりと奪われて、二つになってしまったのだろう。


 犠牲者は彼だけではない。

 文字通りの火中にいながら鋭敏になった灯也の嗅覚が捉えるのは、更なる血の出所。


 よく見れば人間だったものがあちこちに転がって、境内を一層赤く汚していた。

 この大火事はつまり獲物を逃がさない檻であり、残飯処理の焼却場ということか。


 誰が何のために、という疑念は湧かない。


 吸血鬼だ。

 一昨日、路地裏で出くわしたあの吸血鬼。カレンが追ってきたアイシャという金髪の女がこの惨劇の元凶だ。


 これが吸血鬼。

 血を求める。ただその一点の欲求がここまでの地獄を生む、生きた天災。


 胃がよじ切れそうだ。誤魔化すこともできない恐怖に歯がガチガチと鳴り出す。

 身を隠せという、カレンの指示の意味を今更ながら痛感する。

 両親の仇を追うとか、吸血鬼と向き合う覚悟とかの話ではない。


 もっとシンプルな理屈で、摂理だ。

 弱肉強食。

 理不尽であろうと、何の力も持たない弱者が踏み込んでいい領域ではない。


「あ、き、君! そこの君!」


 切羽詰まった声に振り返ると、浴衣姿の若い女が走ってきた。

 生存者だ。


「よかった……まだ生きてる人がいた。助かった! お願い救けて!」


 安堵の表情。

 色彩豊かな浴衣は血で汚れて、履いてきた下駄は脱げて裸足になっているが、女性に目立った怪我は見られない。


「安全な場所に、早く、お願い! 逃げ遅れた人は、皆アレに、化物に──あがッ……!?」


 ビクリと、女の身体が不自然に硬直する。

 線香花火のように小さな血飛沫がその首筋から飛び散った。


「なっ……」


 肌が泡立つような恐怖がそこにはあった。

 女の熱を味わうその情事はまさしく吸血鬼そのもの。

 しかしその異形は人の形すら留めていない。


 無理矢理表現するならばムカデ人間といったところか。

 異様に伸びた胴体から飛び出す無数の肋骨と、全身を覆うてらてらとした体毛。

 僅かに人間の面影を残す面貌は、異様に発達した骨で半分潰れており、残った隻眼は白目まで真紅に染まっている。


「い、や……」


 血に濡れるその口腔は体液を啜るには不適切な構造だ。

 人間のものでは無く、肉食昆虫に見られるそれ。

 獲物の肉を捉え、切断し、咀嚼する大顎。


「やだ……死にたく、死にたくない」


 ずぶりと、女の柔肌に食い込んだムカデ人間の大顎が首に沈み込む。


「やめ────」


 制止は届かない。


 勢いよく閉じられた大顎。

 一拍遅れて間欠泉のように噴き出した血が、頭から降り注ぐ。


 ムカデ人間は血を浴びるだけに飽き足らず、首から胸、対角の下腹部にかけて女を裁断していく。

 満足のいくものだったのか、血肉を嚥下する度にムカデ人間は恍惚に身を震わせる。

 咀嚼の度に零れる血塊で血溜まりがその範囲を広げていく。


 腹が満たされたのか。

 それとももう一匹の餌に興味が移ったのか。

 粗雑に二分した女を捨てて、ムカデ人間は単眼を灯也に向ける。


 獣のような唸り声。かちゃかちゃと音を立てる肋骨。


「──っ、」


 喉が引き攣る。今度はナイフに手を伸ばすことさえ出来ない。

 何しろ数秒後の未来をまざまざと見せつけられたのだから。

 逃げる時間などありはしない。戦うことなど論外。


 ムカデ人間が灯也に覆い被さって来る。

 異様に発達した肋骨で灯也を抱き留め、捉える。


 まだ女の熱を孕んだ醜悪な顎が頸部に触れる。

 両親と同じように、食い物にされて加賀灯也はその人生を終える。

 何の意味もなく、あっさりと。


 皮膚が破られる感覚。

 恐怖と痛みで視界が馬鹿みたいに揺れながら、心臓の音は恐ろしいほどの静謐。


 あるいはもう、身体は生きることをとっくに放棄したのか。

 それならそれで結構。

 首の索状痕がその証。



 ──何しろ加賀灯也の身体は一度死んでいるのだから。



「GYA────!?」


 突然、灯也は突き飛ばされた。


 背中と尻をしこたま地面に打ち付けた痛みに呻きながら、呼吸を忘れていた身体が酸素を求めて喘いだ。

 荒い呼吸に返って苦しみながらも、灯也はまだ首が繋がっていることを不思議に思う。


 首を撫でると掌がべったりと濡れている。傷口こそ大きいが皮膚自体は浅く裂けているだけのようだった。頸動脈もまだ無事。


 何が起きたのか。


 ムカデ人間を見ると、どういうわけか口に入った血液を吐き出そうともがいていた。

 何度もえずき、鋭利な歯で指が切れることも構わず口の中を掻き出す。それどころか強力な酸を浴びたように口周りの組織がグズグズに爛れ、薄く白煙まで発生していた。


 凶悪な光を放っていた大顎は半分以上が溶け落ち、ヒューヒューと音を鳴らす焼けた喉奥が覗いている。


 どう考えても灯也の血が原因なのは明らか。


「わけ、わかんねぇ……」


 加賀灯也はごく一般的な人間だ。少なくとも当人はそう疑っていないし、家族や周囲の人間からの評価も似たようなもののはず。


 ムカデ人間とは違い、つい今しがた血で濡らした手は無事だ。


 なら血液が強酸性なのではなく、吸血鬼対策の定番アイテムである聖水と同じ効果が偶然にも備わっていたのか。


 そんな馬鹿な話があるわけがない。


「まあ……どうでもいいか」


 自身でも初めて耳にするような、ざらついた声。

 灯也の血液がこの上ない毒となるならば、利用しない手は無い。


 ベルトからナイフを引き抜くと、その刀身にべったりと血を塗り付けた。

 血でナイフを滑り落とさないよう、あらん限りの握力で保持し、切先を向ける。


 か細い殺気に気付いたか、ムカデ人間が一歩後退る。小動物がそうするように全身の体毛を逆立たせ、無数の肋骨がガシャガシャと音を立て威嚇。


 灯也の血が付着していた面貌の半分を覆っていた骨の仮面も、崩れ出した。

 その下に隠れていたのは彼本来の容貌。


 見て欲しくはなかっただろう。

 しかし恐怖で希釈されても僅かに残った殺気は灯也の中からそれで消え去った。


 地面を蹴った。

 三メートルと無い距離は一秒とかからず埋まったが、その一秒は何倍の体感時間となって両者の間で流れる。


 交わる両者の視線は穏やかなもの。

 ムカデ人間──灯也は名も知らない彼は確かに人を殺めたが、望んだものでは決してなかったはずだ。

 ならばこれは慈悲の一撃。


 決して眼を逸らさず。

 痛いほど強く握ったナイフを突きだす。


 素人丸出し。

 しかし赤い軌跡を引くナイフは吸い込まれるようにムカデ人間の心臓目掛けて奔り──一撃をもって命を断った。


 刀身から伝わった最後の躍動に、灯也は唇を思いっきり噛んで耐えた。


「あ…………と、ぅ…………」

「──っ、」


 小さな呟きを拾いきることは出来なかった。

 身体に圧しかかって来る亡骸は異様に冷たく、貫いた胸から零れる血は驚くほど少ない。

 逡巡した後、ナイフを引き抜いた亡骸を灯也は炎の傍で横たえる。



 ──吸血鬼は魔術的素質だ。

 ──ある日突然、人から血を啜る化物に変異するんだ。



 カレンの言葉が今更ながら重く灯也に圧し掛かる。


 人の血を啜らざる得ないのが吸血鬼ならば、その結果の殺人に罪はあるのか。

 両親の仇を目の当たりにした時、今のように個人の感情と切り離して許してしまうのか。


 憎悪を原動力にここまで来たわけでは無いが、灯也はいまそれが怖くて堪らなかった。


「くそ……!」


 毒づいて、首の傷のハンカチと破いたシャツで圧迫止血する。

 けれど痛みを発するのむしろ、首を吊った時の索状痕の方。


 止血を終え灯也は誤魔化すように走った。

 吸血鬼の元へ。


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