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【4】 吸血鬼狩り

「ここ、だよな……」


 女吸血鬼と遭遇した翌日。灯也は菓子折り片手に街外れの廃工場を訪れていた。

 元々は個人経営の自動車整備工場か何かだったのだろう。整備用の区画をトタン屋根は錆びて穴が開き、その下の機材が野ざらしになっていた。


 記憶が確かであるならば、此処がカレンという少女から渡された手紙に記されていた場所のはずだ。

 一週間以上経っておきながら今更足を運んだのは、両親の死の真相を追うと決心した、というわけでは無い。


 昨日、命を救われておきながら礼も告げずに逃げ出した非礼を詫びる為だ。

 カレンという少女が救けてくれなければ、灯也は間違いなく死んでいただろう。


 叔父の家に逃げ帰ってからも、散々夢だ幻だと自身に言い聞かせようとしたものの、全ては無駄に終わった。


 首の噛み傷。全身の擦り傷と打撲。そして明け方にようやく眠りに入れた直後、夢の中で追体験してしまった双丘の心地良さ。

 痛みと羞恥で一頻り苦しんだお蔭で、両親の死から居座り続ける隈がまた濃くなった。


 灯也自身、死に目に会ったのにも関わらず、両手が味わった感触の方が忘れがたいのは正直呆れていた。

 カレンという少女がここにいるかは分からないが、他にあてもない。いれば出合い頭に殴られるぐらいの覚悟はして来た。


 敷地に踏み入り、作業スペース横切って事務所と思われるプレハブ小屋に向かった。

 インターネットホンや呼び鈴の類は見られない。


 深呼吸を挟んでノックの手を横引きの扉に伸ばした時だった。

 扉がスライドし、中から白髪の少女──カレンが現れた。


「あ、先輩」


 買い物にでも行こうとしていたのか。その手には財布とエコバッグが握られている。簡素なTシャツとジーンズ、足元はサンダルというラフな服装は彼女によく合っている。

 身長差があるために至近距離でも僅かながら灯也の視線は下に向いている。


 故にどれだけ自制心を奮い立たせようとも、襟元の更に深い部分に視線が吸い寄せられてしまうのは、果たして男として間違っているだろうか?


「先輩? どうかしたか?」

「……────はっ!」


 無論、この場合は大間違いである。

 獣性を理性で脇に蹴り飛ばし、灯也は深々と頭を下げた。


「その……昨日は助けてくれてありがとう。そしてごめん! お礼も言わずに逃げるような真似をしてしまって……」

「ああ、そんな事か。誰だってあんな目に遭えば無理もない。私の方こそ乱暴な助け方になってしまって本当にすまない。怪我は無かったか?」

「い、いや大丈夫。掠り傷ばっかだし、打撲も何か所かあるけど、一晩寝たら痛みも引いたから。あ、これ気持ちばかりの御礼です」

「おおっ、栗饅頭か。ちょうど朝食を買いに行こうとしていた所なんだ。有難くいただこう」


 灯也が菓子折りを渡すと、カレンはスンと鼻を鳴らしただけで中身を当てた。包装紙の上から匂いだけで当てたというのか。

 いやそれより、栗饅頭は果たして朝食に成り得るのだろうか。


「おい餓鬼ども、眩しいだろうが。出るか入るかして早くドア閉めろ。あとカレン。飯が手に入ったなら茶淹れろ」


 奥の方から粗野な言葉遣いの男の声。

 灯也は緊張していて気付かなかったが、プレハブ小屋は窓が段ボールで塞がれ、中はかなり暗い。

 入口から直ぐにある狭い応接スペース、その横手の事務机に足を投げ出してパイプ椅子に座る男が一人。暗がりでその容姿はよく見えない。


「あ、ごめん博士。でも甘いもの苦手じゃなかったか?」

「飢えて死ぬよりマシだ。人間死にかければ泥水だって平気で啜る。その代わり俺の茶は飛び切り濃いめに淹れろ」

「昨日安売りしてたインスタントコーヒーしかないぞ」

「あんな泥水飲めるか」


 泥水だって啜るのではなかったのか。

 カレンは慣れているのか適当に相槌だけ返し、応接スペースで早速菓子折りの包装を剥し始めた。


「入ってくれ先輩。何の持て成しも出来ないけど、きっと有意義な時間が送れるはずだ」

「あ、うん……」


 やや気後れしながらも、灯也は促されるままに中へ入った。

 後ろ手に扉を締めれば、光源は僅かに外から漏れてくる光のみ。昨日のこともあるので暗闇には抵抗があるが、灯也は拳を固めて堪える。


「久々にお腹に溜まるご飯だ。これは眼でもじっくり味わわないと勿体ない。確かここら辺に非常用のロウソクが残されていたはず……あった」


 窓を開ければいいのでは? というツッコミは憚られた。

 カレンは夜目が利くのか、この暗がりでも不自由なく動けているようだ。ならば他人の生活に口出しするような真似は控えるべきだろう。彼女たちに不自由がないのなら、それでいい。


 いいのだが、饅頭が真面なご飯とは……一体どういう生活をしているのか。

 灯也が要らない邪推をしていると、小さな炎が点された。


「────……」


 オレンジ色の光がカレンを浮き彫りにする。

 微かに揺れる炎が作り出す陰影と彼女の白髪が相まってか、思わず灯也は魅入ってしまった。子供のように饅頭に顔を綻ばせているが、ロウソクのおかげか一匙の大人びた雰囲気が咥えられたよう。


 カレンはもう一つのロウソクを付けると、取り分けた饅頭と一緒に奥の男へと運んだ。


「……っ」


 ロウソクの火によって、暗がりから薄笑みを浮かべる白貌の仮面が露わになった。

 男は舞踏会用の仮面を付けていた。衣服が真っ黒なために、一瞬仮面だけが浮かんでいると錯覚してしまった。袖を通す服も司祭が身に着けるキャソックであり、胸元に光る十字架も含めて何かの冗談に思えてならない。


 男は言葉を失う灯也を無遠慮に観察し、視線を一度饅頭に移してから、灯也に視線を戻した。


「おい小僧」

「は、はいっ」

「麗しのカレンの乳を堪能した詫びにしちゃ安い土産だ」


 灯也は噴き出した。ここが外で、飲み物を口に含んでいたら小さな虹が拝めただろう。

 カレンもまた胸を抱きしめるように抑えて、色白の肌を真赤にしていた。


「博士っ! 私は別に気にしてないと言っただろ!」

「悪いと思ってるなら寿司買って来い、特上寿司。特別にチェーン店で許してやるから、ほれダッシュだ、ダッシュ」

「博士ッ! これを食べろ、今すぐに!」

「あ、やめろ! 仮面の隙間から饅頭を捻じ込むんじゃない! 鼻に! 鼻にあんこがぁ!」


 男のなさけない悲鳴が上がるが、カレンは容赦しない。

 灯也をパシらせる体のよい理由の為に、己の恥辱を出汁にされたのだ。全面的に男が悪い。あんこで鼻が塞がれるのも自業自得。


 灯也は灯也で掌に極上の感触が蘇り、熱を帯びる顔を伏せるしか出来ない。部屋が暗いのは不幸中の幸いというべきか。カレンと真面に顔を合わせられる自信が彼には無い。


「おい、おい小僧! 突っ立ってないで救けやがれっ。誰が山奥でくだばってるお前を病院に運んだと思ってやがる、この恩知らず!」


 はっ、と顔を上げた。

 カレンも手を止め、男に向けられる視線が苦々しいものになる。


「じゃあ貴方が俺の発見者……? なら俺が首を吊った理由も知っているんですか?」

「推測でしかないが、まあまず間違いないだろうな」

「ならどうして警察に名乗り出なかったんですか? いや、そもそも貴方たちは一体何者なんですか?」

「お前が知りたいのはそんなことか? ここに来た目的は礼と謝罪だけだと?」


 カレンを下がらせ、男は机から脚を下ろすと、組んだ手の上に顎を乗せる。


 男の問い返しは、無自覚だった灯也の心内を的確に突いていた。

 自殺の動機に見当がつく。そう言われながら、灯也は自身でも驚くほどに動揺が少ない。気にならないと言えば嘘になるが、どこかピントがずれているような感覚。


 自殺自体はさして重要なことではない。

 最優先事項を再確認し、灯也は改めて問うた。


「両親の仇を……誰が犯人か、知っているんですか?」

「ああ、知っているとも。だからお前に手紙を書いてやったんだ」


 期待していた答え。

 しかし灯也に訪れたのは歓喜ではなく、強い困惑と、憤りだった。


 襲い掛かるように男に詰め寄り、両手で机を叩いた。


「誰なんですか!? いや、それよりも知っているなら何故警察に情報提供しないんですか!? 俺の両親だけじゃなくて、もう街では何人も殺されているんですよ!?」


 法律上、一般市民に警察への通報義務というのはない。

 心当たりがあるだけならば、犯人蔵匿または隠匿の罪に問われることもまたない。

 従って男は何ら責任を問われることもないのだが、納得には程遠い。


「落ち着いてくれ先輩。なにも人殺しを黙認している訳じゃないんだ」

「ならどうして通報しないんです!? これじゃ共犯しているようなものだ」


 横から宥めるカレンの手を払って、灯也は叫んだ。

 彼の反応は極当然のもの。多くの人間は殺人をニュースの向う側、他人事と思っている事だろう。自分が殺される可能性を思い至っても、それは変わらないだろう。


 しかしひとたび現実を知ってしまえば、無視し続けられるわけがない。

 ましてや犯人を知っているとなれば尚更。


「──吸血鬼」


 そんな灯也の義憤心も、男が放った一言で勢いを失った。


 首筋の痛みを呼び水に、恐怖が蘇る。

 血溜まりを作る死体と、その中で悠然と笑みを浮かべた女の顔。


 あれが都合のいい夢だと、自分を誤魔化すつもりは無かったが、いざ他人の口から告げられてしまえば、どれだけ眼を背けていたのか嫌でも自覚した。


「もう遭遇したなら分かるだろ? あれは化物でしかもファンタジーの存在だ。警察に教えたところで普通なら悪戯と一蹴されるか、吸血鬼って情報だけ伏せて伝えても警察程度じゃ返り討ち。奴らは銃程度じゃ死なんからな」

「……吸血鬼……じゃああの女の人は本当に……」

「ああ、正真正銘のモンスターだな。あの女の異能に少なからず触れたなら理屈じゃなく本能で分かるだろ?」


 肯定の言葉に、知らず後退る。

 到底受け入れがたい話ではあるが、嘘だと叫ぶにはやはり首の痛みは克明だった。


「じゃあ俺の両親を殺したのも、街で殺された人も吸血鬼の犠牲者だって言うんですかっ?」

「そういうことだ」

「だったら尚更、なんでそんな危険なことを黙っているんですかっ!? これじゃ犠牲者が増える一方だ!」

「注意喚起すれば死人は出なかったと? 違うな。こういうのは災害や事故と同じだ。出くわした奴の運が悪かっただけだ。昨日のお前みたいにな」

「……っ、だからって……!」


 尚も食い下がる灯也に、男は面倒臭そうに嘆息する。

 その態度が気に入らず、胸倉に伸ばした手が男に触れる瞬間──灯也の腕が捻じれた。


 より正確に言うならば、間接を逆方向に極められた状態だ。本当に骨ごと捻じれているわけでは無いが、激痛であることに変わりはない。

 あまりの痛みに立っていることさえままならず、灯也は机に倒れる。その弾みで書類や弁当の空き容器が散乱。倒れたペットボトルの中身が机に零れる。


「博士っ、やり過ぎだ!」

「口で説明するよりずっと分かりやすいだろ。これも経験済らしいじゃないか」


 カレンが制止するも、男は聞く耳を持たない。

 その間も灯也の腕はギチギチと嫌な音を立てて、あらぬ方向へ折れようとしている。


 やはりここに足を運ぶべきでは無かったのか。

 軽率な自分を恨みながら、男を睨んだ灯也は、更なる困惑に襲われた。


「なっ……!?」


 男は先ほどと変わらぬまま、組んだ手の上に顎を乗せたまま。いま灯也を痛めつけているのは仮面の男ではない。

 では一体誰が。


 カレンではない。彼女は灯也の真後ろに立っているが少し離れている。

 眼の端に涙を浮かべて首を巡らせると、信じ難い光景が飛び込んで来た。


「な、なんだこれッ……!?」


 影だ。

 男の背後。ロウソクの火が生み出す影から3D映像のように真黒な手が飛び出し、灯也の腕を極めていた。


 ひたすらに困惑した。あまりも現実離れした光景。惨殺死体の方がまだ受け入れられる。


 しかし直ぐに見覚えがあることに気付く。

 昨日の路地裏。あの女吸血鬼だ。

 逃げようとした灯也は突如背後に現れた壁に退路を断たれた。


「躁影魔術。吸血鬼お得意の魔術だ。俺のは見様見真似で出力もお粗末なもんだが、人間の腕ぐらいなら小枝みたいに折れる」

「あがっ……!?」


 腕を掴む影の力が増す。

 影は当然だが厚みなんて紙ほどもない、二次元のような手なのにその力は怪力そのもの。嘘でも誇張でもなく、このままでは灯也の腕はあっさりと折れる。それこそ小枝のように。


「博士ッ!」


 そこで痺れを切らしたカレンが動いた。

 横薙ぎに振るった拳が段ボールで塞いだ窓を叩き割った。


 途端、差し込んで来た陽の光で男の影は霧散し、灯也は拘束を解かれる。

 すかさずカレンは灯也を抱えて距離を部屋の端まで下がり、男を糾弾。


「やり方が荒過ぎる。本気で先輩の腕を折るつもりだっただろっ!」

「その方が強引だが話はスマートだろ。それにどさくさに紛れてスケベな真似する輩にはちょうどいい躾だ」


 ゾッとした。

 つまり男は本気で腕を折るつもりだったのだ。後半は何の反論も出来ないだけに恨み言さえ出てこない。


「小僧、勘違いしているようだが、俺は別に正義の味方じゃない。善良な市民でもない。吸血鬼を狩るただの賞金稼ぎだ」

「賞金稼ぎ……?」

「そうだ。必然的にお前の両親の仇を横取りすることになるからな。相手が吸血鬼だけに捕えても法に基づく裁きが下されることもない。だから最低限の礼儀として、お前に知らせてやっただけのこと」


 ──両親の死の真相を追うなら、ここを訊ねろ。


 吸血鬼に続いて、超常現象を引き起こすその狩人まで現れた。


 確かに、これは普通じゃない。

 同時に理解した。

 加賀灯也はこの異常事態に踏み込んでいることを。恐らくは自殺を図った時から。


「俺に知らせて……どうするつもりだったんですっ? 吸血鬼狩りを手伝えと?」


 痛みを堪えながら、仮面で素顔を隠す男を睨む。


 仮面の奥から驚く気配。次いで笑い声が漏れ、それは次第に大きくなる。

 狭い室内に反響する哄笑。何がそんなに可笑しいのか、腹まで抱えて身体を震わせる。


「はあ……こんなに笑ったのは久々だ。それだけ痛い目に合って手伝うときたか。肝が据わっているのか、それともただの馬鹿か」


 一頻り笑った男はズレた仮面を直しながら、答えた。


「俺がお前に求めることは特段無い。さっきも言った通り、手紙を出したのは仇を横取りするせめてもの詫びだ。吸血鬼を追うなら止めはしないが、個人的には全部忘れて家に帰ることをお薦めする」


 そんなこと出来る筈がない。

 灯也の内心を見透かしたように、男は引き出しから何かを取り出すと、足元に投げて寄越した。


 拾い上げて、ズシリと重い感触に息を呑んだ。

 革製の鞘に納められた大振りのナイフ。


「餞別だ。警察に見付かるようなヘマも、それを使うようなことも避けることだ」


 一眠りすると言って、男は灯也が来た時と同じように机に足を投げ出して、直ぐに寝息を立て始めた。

 これ以上、此処にいる意味はもうない。


「先輩、外に出よう。私がもう少し詳しい話をするから」

「……分かった」


 カレンに促され、灯也は部屋を出た。


 ナイフは持っていくか迷ったが、後ろ腰のベルトに挟んでシャツで隠す。

 男は殺人鬼は吸血鬼だと言ったが、この凶器の方がよっぽど殺人鬼らしいじゃないか。


 まだ整理が付かない頭で、そんな皮肉に小さく笑い灯也はカレンと共にその場を後にした。


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