ガラスの森に走る矢の先
木漏れ日に夕焼けの色が混ざり始めた。
「今日はもう終いにするか」
狩人の少女レピは、深い森の大枝に立ち眼下の薄闇を見下ろしていた。背中には仕留めた獲物を脚で束ねて担ぐ。腰には矢の数本残る箙を帯びる。
「風が出てきたな」
獲物は羽兎と呼ばれる、灰色の兎に似た動物だ。背中に生えた羽は小さいが、風の魔法を起こして素早く高く飛び回る。ここアルテ大森林の奥にだけいる生き物である。
羽兎を捕らえるのは熟練の技だ。木の枝を伝って縦横に走るレピは、まだ15歳ながらも村のエース級なのである。この動物からは、1匹で家族5人が一食充分に食べられる程度の肉が取れる。肉は自家用だが、毛皮は靴の材料として城に納品できた。
「5羽仕留めたし、羽兎もそろそろ巣穴に帰るしね」
「そうしなよ」
耳元で風が囁く。森の精霊はレピと仲良しだ。
「明日も花蜜飴を持ってくるよ」
「五つな」
「そうだね、5羽も獲らせてくれたからね」
花蜜飴は、レピの村で子供が楽しむ透明な飴である。アルテの森に咲く花に、白く小さな銀盃花というものがある。この花から明け方に集めた蜜を、満月の夜に煮詰めた飴が花蜜飴だ。鍋はシルバーカップの葉を束ねたもので洗い、薪にはシルバーカップが根元に生えている木の枯れ枝を使う。
この飴を持っていると精霊たちと話が出来るのだ。多くの精霊はこの飴が好きだ。だが、精霊は気まぐれなので必ず応えてくれるわけではない。森の精霊はレピが好きだったので、飴をあげる前から友達だった。
「約束だぜ」
「うん、明日もよろしく」
「おう」
レピの暗い茶色の髪はザックリと耳の下で切られ、短い前髪が意志の強そうな太い眉を丸見えにしている。鋭く光る切れ長の目は、夜空を映す藍色だった。夕闇の葉影で、レピの眉がピクリと上がる。
「ん?こんな時間になんだろう」
広葉樹がひしめく暗い森の中を、蠢く袋が担がれてゆく。獲物袋にしては動きが激しい。そのうえ、一団は森の奥へと向かっているのだ。
「ここより先に集落があるなんて聞いたことがないぞ」
「無いな。大木と暗闇の洞窟があるだけだ」
精霊の言葉に、レピは訊ねる。
「暗闇の洞窟?」
「最奥が闇の底に繋がっている、大洞窟があるんだよ」
「知らなかった」
「知らなくていい」
「ふうん」
「お前、今、興味持ったろ?」
精霊が嗜める。
「危ないから絶対行くなよ!」
「でもさあ、あの袋、ちょっと変だよ?」
「話を逸らすな」
「闇の宗教が生贄を運んでるのかも」
「闇の宗教ってなんだ」
「いや、わかんないけど」
「分かんないのか」
「わかんない」
レピは話を切り上げると、音もなく怪しい一団を追う。
「やめとけって」
森の精霊が止めるのも聞かず、しなやかに枝を縫って走る。眼下では急ぐでもなく止まるでもなく、淡々と袋が運ばれてゆく。
「あれが闇の洞窟?」
「そうだ」
木々と丈の高い草の隙間から、仄暗い洞窟の入り口が見える。一団は袋を担いだまま、ゆっくりと中へ。
「何するつもりかな」
「あっ、やめておけ」
レピは風の魔法を放つ。洞窟内と怪しい一団の様子を調べるのだ。
「バレて殺されたって知らないからな」
森の精霊は不貞腐れている。
「じゃあな、俺は止めたぞ」
「はいはい、また明日ね」
「花蜜飴五つ忘れんなよ」
「生きてたらね」
「早く逃げなよ」
「やばくなれば逃げるって」
「ふん、気をつけろよ」
「じゃあね」
風がレピの短髪をくしゃくしゃにして吹き過ぎた。森の精霊はどこかに去ったようである。レピは乱れた髪を気にするでもなく、大枝にしゃがんで洞窟を見ていた。
風が洞窟内の会話を運んでくる。落ち着いた男性の声が穏やかに語りかけていた。
「武力で抑える時代は終わりますよ」
「あなたなら、文武二道の賢君になれます」
「民の心を掴めます」
「むむーっ」
答える声は、くぐもっている。言葉になっていない。
(なんだ?口を塞がれてるのか?)
レピは風を更に注意深く操り、中にいる人々の動きを探る。
(あっ、縛られて猿轡をかまされている人がいる)
取り囲む5人の男は、狩人風の服装だが物腰が柔らかい。その仕草は、毛皮を納める時にアルテ城でたまに見かける貴族のようだ。縛られた人は縄を緩めようともがいている。
「何やつ」
誘拐犯の1人が魔法に感づく。
(まずい。思ったより鋭いな)
「見て参る」
「頼む」
勘の良い男が洞窟の外に出てきた。
(見殺しには出来ない)
レピは覚悟を決めた。
(助けを呼ぶ前に、捕虜は抵抗して殺されるかも)
外に出た男は、暗闇に目を凝らしている。レピは遠くの藪に向かって矢を放つ。矢はひゅうっと風を切り、草葉を分けて走る。
「飛び鼠か?」
飛び鼠は、羽は無いが空を飛ぶ小さな茶色の野鼠だ。臆病なので、風の魔法で行先の安全を確かめてから移動する。男はすっかり騙されて、洞窟の中に戻ってゆく。
(さて、どうするかな)
誘拐犯の背中を見送り、レピは思案する。
(文武二道ってことは、捕虜さん戦えるよね)
レピが作戦を立てている間にも、洞窟内の声は続く。
「我々は全力で応援いたします」
「ロシナンテ商会は資金援助を惜しみませんよ」
「パンサ家の法知識を駆使してサポートいたします」
「カンタレラ家は珍しい薬をご用意できますよ」
「トマス王子派の半分は、我がネッビア家配下の諜報員です」
「ジョルジオ王子派の剛鉄騎士団には、私どもカンデラ家の光彩魔法団が対処できます」
「貴方様の強力な火の魔法は、何より王にふさわしきもの」
囚われ人は否定を表し首を横に振っている。
(権力争いかぁ)
レピは面倒臭そうに顔を顰める。
(だけど、魔法と刃物を向けながらの交渉だしな)
言葉は穏やかで、縛られた人を全面支持しているように聞こえる。しかし、その絵面は完全に脅迫だ。
(話の様子だと、縛られてんのは第三王子のヴィットリオ様だろうな)
レピは王子たちの姿を見たことがない。だが、この国に3人の王子が居るのは知っている。第一子で順当に行けば次期王の騎士王子ジョルジオ、自ら軍を率いては周辺諸国へと遠征を繰り返す凶暴な第二子が、狂刃王子トマス。
この2人のせいで、アルテ森林王国は現在周囲の国から大不況を買っている。戦乱の世は落ち着いて、今や世界は連盟の時代なのである。アルテの王族は時代遅れだ。森林の蛮国と揶揄されている。
誘拐犯たちは、気弱なヴィットリオ王子を玉座に押し上げれば、外交政策で国の悪評を消せると踏んだのだろう。
(気持ちは解るが、やり方が蛮族そのものだな)
レピは呆れてしまう。噂によれば、第三王子ヴィットリオは腰抜けだ。顔立ちも気弱そうだと言う。
(でも)
風が捉えたヴィットリオの風貌は、決して弱々しいものではなかった。
(じかに見るか)
森の狩人であるレピにとっては、森林が周辺諸国に侵略され狩猟権を奪われたら死活問題である。いま王位継承争いに参戦を強要されている人の顔くらい、見ておこうと思った。弱虫とされる王子が、意志の強そうな表情を浮かべているのが気になったのだ。
(私たちの生活を守るためにも)
気持ちが固まると、レピは気配を消して洞窟に近づく。一団は、案外入り口の近くに集まっていた。
(奥が闇の底に繋がってるって知ってるのかも)
そんな所は、本来入り口付近ですら入りたくないのだが。
ヴィットリオは、アルテ森林王国で三番目に生まれた王子様である。柔らかく波打つ紫銀の髪は、細面を優しげに縁取っている。細く弧を描く銀の眉は、カールした銀色のまつ毛に守られた灰蒼の垂れ目を穏やかに飾る。スッキリとした鼻筋は、静かな表情の中に揺るがぬ信念を予感させた。
上背があるこの少年は、肩から腕、それを支える背中にかけてしっかりとした筋肉がついていた。だが、兄2人が誇る武人の身体とはまるで違う。大きな手の指は丸みを帯びて太く、力強い指先が手袋の上からでもよく目立つ。
袋の中でもがいたからか、手袋は片方脱げていた。みっしりと筋肉のついた手指には、あちこち火傷の跡がある。
(火の魔法を失敗したのかな)
洞窟に飛び込んだレピは、一息に縄を切り猿轡を外す。ヴィットリオ王子は一瞬、驚きに目を見張る。だがすぐにしっかりと立ち上がり、毅然として言葉を発した。
「僕の魔法は、人を傷つける為にあるんじゃないよ」
深く優しく、それでいて神秘的な月夜の森のような声だった。レピは、ヴィットリオの灰蒼の瞳に燃える情熱の炎に焼かれる心地がした。彼の情熱はどこに向かっているのだろうか。レピはそれが知りたかった。
「貴様、見ない顔だが、ヴィットリオ様の護衛か」
誘拐犯どもが剣呑な雰囲気を醸し出す。
「この人は関係ない」
巻き込むまいと庇う王子に、レピはニヤリと笑って宣言する。
「私の技は人を助ける為にあるのさ」
ヴィットリオの心臓がドキンと跳ねた。
「王子様、走れますか」
「うん」
レピの小声に、王子は短く答えて前へと駆け出す。思い切りもタイミングも完璧だ。
(何が弱虫の腰抜け王子だよ)
走りながら、レピは王子の精悍な顔に見惚れる。ヴィットリオはどちらかと言うと中性的な美形なのだが、内側から滲み出す漢気で存在感を増している。
(これは王座に担ぎ出したくもなるね)
だが、本人は嫌なようだ。
走りながら放つレピの矢が、追手の足を鈍らせる。商人は体力がなくあっという間に取り残される。法律家は太腿に矢が刺さり脱落した。残りの矢は地面や木の幹に突き刺さり、僅かな足留の役割を果たす。
「チッ、矢が終わった」
レピは舌打ちをすると、王子に話しかける。
「風に乗りますよ」
「うん」
諜報員は身軽に矢を躱し、薬品使いが投げるナイフは木の葉を掠って煙を上げた。猛毒が塗られていたのだろう。茂みに憩う小虫がぼとぼとと落ちる。光の魔法が闇夜を照らし、レピとヴィットリオの姿を露わにした。
「上です」
「わかった」
レピは自身と王子の脚に風を巻き付け、森の大木を駆け上がる。王子も遅れずついてくる。武人の走りではないが、危なげなく風に乗って走る。かなり慣れた雰囲気だ。
「火だけでなく風も使えるのですか?」
「風は使えないけど友達にいるよ」
「精霊ですね」
レピの声音には感嘆が混じる。王子は表情を僅かに緩めた。高くも低くもない中性的な声で肯定を告げると、ほんの一瞬、微風のように笑った。レピの胸には新緑の風が吹き抜ける。2人の視線が刹那交わり、辺りの音が掻き消えた。
「どこへ?」
すぐに表情を引き締めて、ヴィットリオはレピに問う。
「私の村へ」
「ご迷惑じゃない?」
「大丈夫」
短い問答の後、再び口を閉じて枝の上を渡ってゆく。最早、毒使いも光の魔法も届かない。諜報員も追いつけない。
「降ります」
「うん」
レピは木から飛び降りて、小川を飛び越え、斜面を走る。森から山へと続く道を行けば、レピたちの狩人村があった。
「レピ?誰だい?」
見るからに高級な服を着たヴィットリオを見て、村人達が騒めいた。
「私はトリィと申します。森で迷っていた所を、この方に助けていただきました。すぐに立ち去ります、少しだけ休ませてください」
王子は村人たちに丁寧な挨拶をする。
「遅いよ。朝まで休んでお行きなさい」
「それがいい、夜の森は危ないですよ」
村人たちは多少怪しみながらも、ひと夜の宿りを申し出る。立派な身なりのヴィットリオを見て、散歩中に迷った貴族だろうと思ったのだ。
「そうですよ、泊まってください」
レピがよそゆきの言葉を使うので、村人たちは笑う。
「なんだい、レピ、ちゃんとした言葉も使えんのか」
「何さ、お城に毛皮を下ろすの誰だと思ってんの」
風の魔法と森の精霊が手助けしてくれるので、レピは山の上にあるアルテ城まで軽々と荷物を運べるのだ。だから、毛皮の納品はレピの仕事なのである。
ヴィットリオは、軽口を叩いて笑うレピを眩しそうに見た。視線に気づいたレピがはにかむ。村人たちの笑いが止んだ。
「おお?」
「これは」
「いや、しかし」
狩人と貴族では釣り合わない。悲しい結末を危惧して友人や家族の顔に影が差す。
「ご心配なく。私の生まれは王子ですけど、ガラス職人になりましたので、貴族ですらありません」
「え、ちょっと、言っちゃうんですか。そもそも、もう王子様辞めちゃったって、どういうことですか」
レピはあけすけな王子に驚く。
「うん。職人になるからって言ったら、王様がいいよって許してくれたんだ。それと、トリィはヴィットリオの愛称だよ。最初から何も隠してない」
「えぇー」
レピが呆然とする顔を、ヴィットリオが愛しそうに眺める。
「この村にあいつらは来られないんでしょ?」
「ええ、まあ、森の精霊が隠してくれてるから、悪い奴は来ませんよ」
つまり、村に入れる時点で害意のない平和な人だと証明されているのだ。
「僕、王子に戻らないし、工房もこの近くだし、しょっちゅう会えるよ」
ヴィットリオ王子は、森に残してきた第三王子派の面々など歯牙にも掛けずに、自由な振る舞いを始めた。
「そんな、一度振り切られただけで、諦めるでしょうか」
「諦めないとは思うけどね、秘策があるのさ」
「あの、私、余計なお世話しちゃったのでしょうか」
ヴィットリオには火と風の力がある。縛られてはいたが、隙を見て逃げることが出来たのかも知れない。余計な手出しでことを複雑化したのなら申し訳ない、とレピは思った。
「そんなことないよ。ねえレピ、明日いいもの見せてあげる」
「何でしょう」
「僕が造ってるものだよ。まだ途中なんだけどね」
「てことはガラス」
「そう。ガラス」
レピは改めてヴィットリオを眺める。
「そんなに見られたら恥ずかしいよ」
ヴィットリオはレピの瞳を覗き込む。恥ずかしい人の行動ではない。レピは話題を変える。
「職人にしては、いい服ですよね」
ヴィットリオは、むしろ王子様然とした服装である。
「納品だったんだよね」
「まさか、罠」
「レピが見た通りだよ」
「あの連中が待ち構えていたんですね?」
「うん」
「なんでやすやす運ばれちゃったんですか」
「どうするつもりなのかな、と思って」
「護衛の人はどうしたんです?裏切られた?」
「そんなのいないよ」
「ええー」
レピはまた驚く。
「僕、もうガラス職人だよ?ただの職人に護衛なんかいないよぅ」
「あぁ」
レピも居並ぶ村人も、なんとなく脱力する。
「申し訳ないんだけど、何か食べるものくださらない?」
ヴィットリオはあっけらかんと夕飯を要求する。
「乱暴に運ばれたからお腹空いちゃってさ」
「え、まあ、いいけど」
レピはヴィットリオを案内して、羽兎の香草焼きをご馳走した。きのこと木苺のソースが、歯応えのある淡白な肉に甘酸っぱい香りを添えている。
「うわぁ、このソース、羽兎に合うねえ」
「王子様、お酒は」
「ただのトリィだよ、それとお酒はもう飲めるよ」
ヴィットリオは今年16になり、酒が飲める大人として認められたばかり。見た目も少年から青年へと変わりつつある時期だった。
「そうですかい、じゃあ銀貨草の蒸留酒なんてどうです」
「えっ、幻の」
「うちのレピは森の精霊と仲良しですからね」
銀貨草は、森の精霊にしか見つけられない魔法の草だ。これを三日月の夜に汲んだ沢の水に浸けて発酵させ、更に蒸留する。出来た銘酒は透明だが、三日月の光を浴びると銀蒼に輝く。花のような香りを立てる、すっきりと爽やかな辛口の酒である。
ヴィットリオの垂れ目が嬉しそうに細くなる。
「トリィ可愛い」
「レピの方が可愛い」
思わず口にしたレピの気持ちを、ヴィットリオはすかさず捕まえる。
「本当に、どこが腰抜け弱虫王子なの」
「人殺しが嫌だからじゃないの」
ヴィットリオは平気な顔で武力国家の悪口を言う。下手をすれば謀反だ。しかもこの元王子は、いつでも王位を簒奪できるだけの強大な魔法を持っている。それを利用されそうになっているというのに、簡単に国家批判を口にする。安全な村だとはいえ、全く肝が据わっている。
「だいたい、ジョルジオ兄上は言葉が足りないんだよ」
「え?」
まだ呑んでもいないのに、何やら愚痴が始まった。
「騎士たるもの、とかアルテの栄光、とか演説するから、単純すぎるトマス兄上が馬鹿みたいに張り切っちゃう」
「ん?」
何やら雲行きが怪しい。
「別に兄上達も、戦争なんか好きじゃないんだ」
「そうなの?」
「ジョルジオ兄上は、建国伝説が大好きだから、風の精霊に加護を受けた歴戦の勇士が山城を立てた話を、何かというと始めるんだ」
「はあ」
「トマス兄上は、ジョルジオ兄上が大好きだから、戦に出かけて勝利を捧げれば喜ぶと思ってるだけなんだ」
「ふへぇぇ?」
「ふへぇだって?レピ可愛い」
「えっ」
武力支配の真相暴露は、突然の甘い空気で打ち切られた。
「さ、どうぞ。銀貨草の蒸留酒ですよ」
家族の前でデレデレさせないように、レピの父親は娘が連れてきた若い男の注意を反らせる。
翌朝、ヴィットリオはレピを工房に案内した。作業場の傍に、ガラスで出来た山林がある。
「これ、もしかして」
「うん、アルテ森林王国全景だよ」
ヴィットリオは、ガラスでアルテ大森林とアルテ城のジオラマを製作中なのだった。兄王子の立太子記念に贈る予定だという。
「アルテのガラスは、外国でも有名なんだよ」
「そうなの?」
「うん。国内では普通の食器だから、国民は知らないかもしれないね。芸術に興味がない兄上たちも、たぶん知らないけどね」
「王子様がたも知らないの?」
ヴィットリオは頷く。
「外国にはコレクターもいて、特産品と言ってもいい。戦争なんかしたらお客さん居なくなっちゃうよ」
「こんな細かいガラスは見たことないよ?」
「高級品は、お皿の縁にちょっと動物や植物を飾るんだ」
その高級品が、コレクターの蒐集意欲を掻き立てるらしい。
「ひとつとして同じものはないし、職人一人一人の好みと技が光るのさ」
ヴィットリオは自慢そうである。
「凄いのね」
「うん。アルテのガラスは凄いんだ」
「その飾りだけを集めたのね?」
「うん。飾りの部分の技法だけでアルテ森林王国の景色を造ったんだよ」
「森が途中みたいだけど」
「そうなんだ。立太子の式典には間に合わないかも」
ヴィットリオは、少し残念そうに眉根を寄せる。
「間に合わなければ戴冠式、それでもダメなら第一子誕生祝いにすればいいけどね」
「気長ね」
「急いで品質を下げるのは嫌だから」
細工に手は抜かず、期日は緩く設定しているようだ。
「ジョルジオ兄上の立太子式典に間に合わなくても、国賓の皆さんには小さなガラス細工をお土産にするつもりだよ」
「王様にはもう相談した?」
「うん。父上は僕たちに甘いんだよね」
だから、トマス王子も野放しなのだ。
「母上は僕の計画を応援してくれてるから、ガラス細工をプレゼントして、外国にもお友達をどんどん作ってるよ」
王妃様はやり手らしい。蛮国の謗りももう暫くすれば消えてゆくことだろう。現国王の責任問題はどうするのか解らないが。
「父上が退位してトマス兄上が無駄な遠征をやめれば、10年くらいでなんとかなるんじゃないかな」
ヴィットリオはどこか他人事である。平和の画策ではなくて、ガラス細工のジオラマを作りたいだけではないのか。うまく出来そうだから、諸外国にも自慢したいだけなのでは。
「話が大きすぎてよく解らないな」
「それでいいと思うよ」
なんとなく誤魔化されたような不満がレピの顔に出る。
「知らないでいい事ってあるんだよ?」
「まあ、本当に平和になるならいいけど」
「なるよ」
レピはなお疑わしそうにアルテ森林王国全景を眺める。
「そろそろ狩りに行かなきゃ」
「ごめん、引き留めちゃって」
ヴィットリオは慌てる。嫌われないかと不安そうにレピの様子を伺った。レピはその視線に思わず吹き出す。
「ふふっトリィ、また工房に遊びに来てもいい?」
「いいよ、ちょっと熱いけどね」
それから2人は、何度も村と工房を行き来した。出会った日の言葉通り、2人はしょっちゅう会ったのだ。アルテ森林王国全景は着々と木の数を増やす。ある日工房を訪ねたレピに、ヴィットリオが小さな木の形をしたガラスのイヤリングを見せた。
「これ、どうかな」
「可愛いね。狩人には邪魔だけど」
「厳しいなぁ。でもいいんだ。女性コレクター向けだし」
「うん、それならいいんじゃない?」
「ありがとう」
王妃様の依頼で、ヴィットリオはガラス細工のアクセサリーを開発し始めたらしい。女性たちの工芸品外交は、夫たちにじわじわと影響を与え始める。アルテ国王も、多少は王妃やその友人の非難と向き合うようになったようだ。トマスの勘違い遠征は、案外早く収まるかも知れない。
レピはアクセサリーに興味がなかった。レピに見せたのは、単に好きな子に褒めて欲しかっただけである。レピもそれを察したので、とりあえず褒める。心は全く籠っていない。それでもヴィットリオには嬉しかった。ヴィットリオは、レピの好きな微風のような笑顔を見せる。
「あのね、わたし」
ヴィットリオの心に美しく煌めき広がるガラスの森に、レピの真心が矢となって真っ直ぐに走る。その森の奥、レピの矢が狙う先には、ガラスをも溶かす情熱が燃えている。
だが、激しい炎は誰を傷つけることもなく、風が楽しく遊ぶガラスの草木を造るのだ。
ヴィットリオはそっとレピの肩を包む。レピは驚いて言葉を切った。
「僕に言わせて?」
垂れ目を更に下げながら、トリィは愛の矢を待ち受ける。燃える心に刺さったならば、溶かして花にしてしまおう。虫も殺さぬ静かな笑顔のその底で、ガラスの森を愛でる王子は情熱の火種を掻き立てる。レピの恋心を燃え上がらせて溶かし固めて閉じ込める算段をしていた。
「君が好きだよ。ずっと一緒に居たいんだ」
レピは胸がいっぱいになり、わけがわからなくなってしまった。何故だか涙がとめどなく溢れてくる。ヴィットリオは火傷だらけの親指の腹を可愛いレピの目尻に這わせる。
「レピ」
ヴィットリオの声が、葉擦れの音に乗って甘く落ちてきた。レピは涙で曇った藍色の瞳で、愛しい元王子の灰蒼を見上げる。気づいた時には間近に迫り、レピは思わず瞼を下げた。狩人娘の荒れた唇に、炎を友とする人の熱い口付けが落ちてくる。
アルテの森の精霊と、城山の風の精霊が、手を取り合って踊り始める。木々や花々は歌い出し、小鳥と蝶がお喋りをする。きのこの陰には小人達、小川のほとりに妖精が集う。
伝説がまだ思い出語りだったころ、後の世に精霊王と謳われる職人王子は、一つの国を戦乱から救った。言葉足らずな長男と、兄の望みを誤解した次男の暴走を鎮めたのである。和平使節が各国に持参したトリィ王子のガラス細工は、精霊の息吹に満ちていた。
表に出ることを好まない職人王子のその隣には、彼を励まし支える不世出の女弓遣いがいつも雄々しく寄り添っていた。
今に伝わる民謡は語る。
アルテの森から続く山の中腹に、かつて狩人の集落があった。その村には森の精霊に愛されたクレピータという少女が住んでいた。風を友とし炎を従える、ガラスの森の精霊王ヴィットリオが彼女の伴侶だ。2人は割れないガラスの宮殿に住んでいた。
もしもアルテの森の梢を笑い声が駆け抜けるのを聞いたなら、それは精霊が2人の思い出を語り合っているのだということだ。
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