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『ご来賓の皆様方並びに迷宮都市自治区の諸君』
ひび割れた拡声器から街中に響く朗々とした男性の声。迷宮都市自治区代表による都市発足記念行事のスピーチはこうして始められた。
『我々は、30年前のこの地で文字通り地獄の蓋が開いたのを目の当たりにした』
代表のスピーチは威厳をもって続きどこか乱雑な、しかし確かな活気をもって発展を続ける都市全域に街の各所に設置された拡声器から響き渡る。
その街は石や木で出来た建物が所狭しとひしめき合い、その間を曲がりくねった細い石造りの道が血管のように走るどこか中近世的な街並だった。かと思えば街の外壁はとても高く、そして強固なものであり、至る所に鉄道の線路が走り、街の所々に荷降ろし用のクレーンや昇降機械が散在しているというちぐはぐな、それでいて乱雑ながらも調和が取れているというある種の奇跡的な様相であった。
『しかし!我々は果敢に地獄へ立ち向かい、多大なる犠牲を払いつつも勝利した!』
街の中央に開いた巨大な縦穴、その内壁や周囲に無数のクレーンや昇降機が取り付けられたそれは、よほど深いのか底を伺い知ることはできない。かつてヘルズゲートと呼ばれたその穴は、今や迷宮の入り口として多くの探索者で賑わっていた。
『ヘルズゲートから無限に這い出る地獄の徒共を薙ぎ払い、奴らを再び暗い穴底へ叩き落としたのだ!』
巨大な穴を中心として円形状に乱雑に発展した街。巨大な地下迷宮の直上にあることから、その街は迷宮都市アウリッツと呼ばれていた。
『地獄のような戦争は終わった。しかし!未だ戦いは終わってはいない!』
そしてその迷宮のごく浅い階層。人気のない通路に一人の男が半死半生の状態で質の悪い剣を右手に杖にしながら足を引きずり歩いていた。
『魔物が湧く原因も解明されていなければ、何故今魔物が湧く頻度が小康状態にまで落ち着いているのかも分からない。迷宮の全貌も未だ分かっていない。各国の復興も未だ道半ばである』
男は浅い呼吸を荒く繰り返しながら、全身傷だらけで頭や肩から血を流し、左腕はあらぬ方向に曲がっている。元々粗末だった防具もひどく損壊しており、廃棄もやむを得ないだろう。
『我々は、かつて我々に絶望を、そして現在の繁栄をもたらした迷宮に対して、あまりにも無知だ。そしてそれは未来永劫そうなのだろうか』
それは、式典を行っている地上の華やかさとはあまりにもかけ離れた光景。探索者の底辺の、そのまた底辺にすらなれなかった、異邦人の現実だった。
『否!その為に探索者諸君が!そして探索者ギルドがある!』
魔力を扱えず、レベルも上がらず、そんな男にギルドは取り合おうとしなかった。落伍者が怠けているのだろうと、ふるいにかけた砂粒を気にかけないようにどうせすぐ死ぬだろうと捨て置いたのだ。
「……何がギルドだよ」
苛立ちとやり場のない怒りが男の口から漏れる。
『探索者諸君!そしてギルドの諸君!君達は勇敢なる戦士だ!』
そして探索者達もまた、ギルドが冷遇する男と関わろうとはしなかった。性質の悪い者達は体よく利用しようとすらした。
「……何が探索者だよ」
『かつての絶望を繰り返さぬ為、より大きな繁栄を手にする為、そして各国の復興の為!』
避けられ、利用され、裏切られ、捨て駒にされ、見捨てられて、これが末路だった。
「……何が繁栄だよ」
『迷宮都市は!躍進を続けなければならない!諸君らの奮闘に期待する!』
「……何が復興だ!何が迷宮だ!何処なんだよここはあああああ!!」
堪えきれずに叫ぶ。男は別に探索者になどなりたいわけではなかった。訳も分からないまま放り出され、生きる為の日銭を稼ぐ為の選択肢がそれほど多くもなく、最もマシな手段がこれしか無かっただけである。
されど男は足を止めず、帰還のために足を引きずり続ける。体はボロボロながらもその目は死んでいなかった。
「……生きてやる」
血を失いすぎた顔色は青を通り越して既に白くなり。流れる血で片方が塞がれた目も焦点があっておらず、きっとどこを見ることもできていない。それでも、
「……生きて、に、本に……」
とうとう力尽きたのか、男はその場で崩れ落ちた。
何のことはない。毎年数多くいる野垂れ死んだ駆け出し探索者の内の一人である。探索者は命懸けである以上、こういった人間が一定数居るのは必然であり、おかしいことは何もない。この男が何者であり、そして何処から来たのかなど、死んでしまえばなんの意味も無いのだ。ここでこの話は終わり。哀れ男はここで死に、何もなさず何者かも語らず、男は帰ることもできない。
「へぇ、日本人なんだ君」
――――その筈だった。
白衣に身を包んだ金髪の女はポケットに手を突っ込んだまま興味深い生き物を見つけたような目で男を見つめる。そのまま観察を続けること数秒、男の傍にしゃがみこんでこう言った。
「ねぇ、私と手を組まない?」