ロンダニーニの黒犬
犬、
犬がいた
黒い犬だ
夜も深まった時刻、かすかに鼓膜を振るわせた鳴き声に目を開けたロンダニーニは、それまでいた目映い庭園とはほど遠い暗室に放り出された。部屋には、外界とつながる扉や窓がなかった。また、ロンダニーニのいる部屋と隣り合う部屋を隔てる壁も存在しなかった。まだ、夢に浸っている目蓋だけが夢の光景を残像のように映して淡く光っていた。瞬きをする度、その光は弱くなったが、意識は少しずつ明瞭になっていた。
せめぎ合う二律の均衡
息を止め、目を閉じることで
片時も願うことはしない
日没・遠鳴り・露草の光輝
あとに残る暗闇に
なにも願うことはしない
その最後の輝きを完全な覚醒で見送ってから、小さく開いたくちびるから短く息を吸う。前歯の隙間を通り過ぎた空気は舌の上に僅かな酸味を引きずり、肺の底へと落ちていく。その代わりとして底から這い上がってきたのは鳴き声、犬の、黒い犬の鳴き声だった。
遠吠えが加速する
響き合い、導き合う
ぼくたちはまだ
音のない夕立に
耳をすましている
犬の鳴き声で呼吸をするロンダニーニは、庭園で読んでいた本の続きが気になった。どのような物語がそこにあったのか、登場人物や事件は最早覚えていなかったが、そこで展開されていた背反する二対のものが混じり合ったその先を知らなければならないと思った。
自問にやつれた爪
色褪せた体毛
身体の各所に触れていき、その動かし方を確かめてから暗闇を進み出す。頼りになるものは何もなく、あるとすれば自身の感覚と記憶だけ、つまり自分だけだった。
それだけでどこへ向かえるだろうか?
それだけでなければ、どこにもたどり着けないだろう?
苦しまぎれ、月に見せかけた嘘の反芻、自家撞着、行き当たった本棚のなかに並ぶ書物の背表紙を指先でなぞる。取り出した一冊のなかは暗闇、それを通読した眼球に迸った熱が、ロンダニーニに火を放つ。
草花にまみれた庭園の片隅
横たわる己が灰になるまで
明るい日々だけを唱えよう
乾燥する気道から零れ出る
単調な吐息
そこに乗る無意味な音は
固まることを知らず
漂った日々に送る
ただひとつの死んでしまえ
その一言がとても
苦しくて、
苦しかったから
自ら喉を掻き切った
一応、詠唱もすべて書いておきます。
「自壊せよ
ロンダニーニの黒犬
一読し・焼き払い・自ら喉を掻き切るがいい」
作中では、朽木ルキアが使っていましたね。