7 作り笑い
「なんだあれは。」
アヤカシは、白い箱状の建物――学校の窓を覗き込んでいた。建物の中には、30名ほどの子供たちが、おしゃべりしたり、ボールを投げあっていたり、中には静かに一人で本を読んでいる者もいた。思い思いに過ごす子供たちには目もくれず、アヤカシの視線は、クラスメイトに囲まれて笑うトウコの姿に釘付けだった。
トウコがなぜ人に姿を見せられるのか、なぜ人間のように振舞っているのかという疑問は、トウコが笑っているという事実に吹き飛ばされた。
「あんな、花が咲くような笑顔・・・俺は見たことがない。」
アヤカシが見たトウコの笑顔は、ちょっと口角を上げた程度で、それも一度だけ。なぜ、と思うと同時に当然だと納得する。トウコが妖になったのはごく最近なため、同じ妖に気を許せるはずがなく、人間の中にいる方が自分の居場所と感じ・・・笑えるのか?
一緒にくっついてきたアノカミは、アヤカシの情けない様子にため息をつく。なぜこの男はこんなにも鈍いのだと。なぜ、トウコが作り笑いをしていることに気づかないのかと、頭を抱えた。
「もう、行こう。」
情けないアヤカシの声と言葉に、アノカミはプツンと何かが切れた。同時に吹き飛ばされたアヤカシは、グランドの端の方まで吹っ飛び、フェンスにぶち当たって地面に倒れる。
「あのさ、よく見なよ、天使の顔を。」
「・・・笑っていた。」
いつもなら、こんなことをして何のつもりかと、きゃんきゃんわめくだろうアヤカシは、ただ立ち上がってアノカミの質問に答えるだけだった。
「いくらなんでも素直すぎだよ。一体お前いくつ?今までどんな生活してきたのか・・・森に引きこもってばかりだから、そうなるんだ。」
「お前、何を怒っているのだ?」
「わかれよ。あのな、あれが笑っているのか?よく見ろ。目が笑っていないし、心の声はクラスメイト全員見下している!」
アノカミの言葉に驚き、トウコを見たアヤカシは、確かに何かを感じた。心の声は聞こえないが、なんだかトウコは面倒そうにしているように見えた。
「確かに。なんだか、楽しそうではないようだ。なら、なぜあいつは笑っているのだ?」
「それが、人間だろ。君ね、元人間のくせして、どうしてそういうことが分からないかな?ま、大昔のことだから忘れたっていうのなら何も言わないけどね。」
「忘れる?そんなことはできない。」
アヤカシの瞳にわずかながら憎悪の感情が浮かんだ。そうだ、彼は人間が嫌いだった。でも、ならなぜ、彼はトウコに近づいたのか?
気になったアノカミは、聞こうとしてやめた。どうしてなんて、ただの好奇心で聞きたいだけだ。必要のない情報だ。アノカミは、ただ2人を応援するだけだ。
「アノカミ、俺はトウコに無理をして欲しくない。それは、俺の勝手だろうか?」
「勝手だね。でも、賛成する。天使は、もうあの場所にいる必要はない。天使は、天使の思うとおりに生きていいはずだ。義務としてあそこにいる必要は全くない。」
「義務?トウコは、義務であそこにいるのか?」
「天使の心の声は、そう言っていた。ここにいることが義務づけられていると。おそらく、人間時代の時のことだろうけど。・・・っ!?」
「どうした?」
驚くアノカミの視線をたどったアヤカシは、トウコがこちらを見ていることに気づいた。その顔は、なぜか泣きそうだった。
何か、第六感というべきものなのか。見られていると感じたトウコは、さりげなく立ち上がり、外を見た。
グランドに立つ、長く白い髪の男と少し長めの青い髪の男。すぐにあの2人だとわかり、情けない気持ちになった。
「見られた?」
クラスメイトに愛想笑いを浮かべるところを、アノカミには見られたくなかったのだ。愛想笑いを浮かべるのは、自分が弱いから。周りをすべて敵に回したら、トウコに勝ち目はなく、あっけなくこの学校で恥をかかされることになるのだ。
トウコは、アヤカシに憧れていた。それは、格が違うから。人間の自分には手の届かない存在、でも妖になったトウコには、もしかしたら手が届くかもしれない。いずれ対等になるかもしれないアヤカシには、ライバル意識のようなものもあり、無様なところを見られたくなかった。
アノカミについては、格が違いすぎて、逆に甘えられる存在なので気にしないが、アヤカシは違う。
感情が動く。
自分が、とてつもなく情けない顔をしている自覚があったが、いつもの無表情に戻せずにいた。必死で戻そうとしていると、アノカミがこちらを見て、次にアヤカシがこちらを見た。
すぐにでも顔を背けたい。しかし、教室の方に顔を向ければクラスメイトにこの顔を見られてしまう。トウコのプライドは、それを許せずアヤカシの方に顔を見せ続けることになってしまった。
アヤカシがどんな顔をしてこちらを見ているのか気になったが、怖くて見れずにアノカミを見た。しかし、アノカミのデレ顔を見て、空を見ることにした。
パリーンと、突然教室の窓ガラスが割れ、トウコはそちらを向き固まった。
アヤカシが教室の中にいた。辺りは騒然とする。おそらくアヤカシを見て騒いでるわけでなく、窓ガラスが割れたことに対してだろう。
トウコは声を出しそうになるのを、必死に抑えた。アヤカシに声をかけてはいけない。周りからすれば一人で話しているように見えるからだ。
「トウコ。辛いのか?」
アヤカシが発した言葉は、声色も優しく心配しているようだった。
大丈夫だと答えたかったが、声は出せない。首を振って否定するのも違う気がする。迷うトウコの前に、アノカミも現れ、アヤカシに大丈夫と伝えた。
おそらく、トウコの心の声を読んだのだろう。感謝をすると、アノカミは笑って、こちらに手を振った。
ここではトウコが話せないことをアノカミがアヤカシに説明すると、後でまた会おうと言って、2人は窓から飛び降りて消えて行った。
その後、先生たちが集まって、ガラスの破片を片づけたり、生徒に事情を聞いたりちょっと忙しかった。
破片が残っていたら危ないと、トウコたちのクラスは、別の空き教室で授業を受けることになり、いつもと違う椅子の高さや机のへこみに悩ませるトウコだった。






