46 あの山へ
トウコが力を注いだ玉は、トウコの手を離れて地面に転がっていた。
人間たちには、その地点から水があふれ出しているように見え、人間たちは走って、正義感の強い者は叫んで、危機を知らせた。
その様子を笑って見つめるトウコは、アノカミの目からしたら狂っていたかもしれないが、彼は何も言わない。ただ、トウコが人間を殺そうとすれば、止めるだろう。
「もう少しかぁ。それまで我慢できるかな。」
「トウコ、それならもう少し玉に力を込めて。そうすればもっと、早く終わる。」
「わかった。」
トウコはしゃがみ込んで玉に手を置く。
そして、自分の中にある力を玉に注ぎ込む。
徐々に失われていく力と、聞こえてくる叫びに焦りを覚えるが、大丈夫だと言い聞かせて、力を一気に注いだ。
死にたくない
俺は悪くない
悪いのは
悪いのは
俺たちだ
ごめん
「え?」
唐突に聞こえた声。それは、身勝手な叫びではなく、後悔の念のこもった、祈り?
守ってあげられなかった。
よく知った声が、トウコの心を熱くする。
「レオ?」
守ろうとしているつもりで、トウコちゃんを苦しめた。ごめん。
「そんなことない。私は・・・気づかないうちに、助けられていた。」
ごめんね。
悪かった。
すまん。
複数人の謝罪の声が一気に聞こえ始めた。どれも知った声で、クラスメイトのものだった。
「なんで・・・いまさら。そう、いまさら、謝ったって・・・」
レオの時とは変わって、別の熱さが蘇る。怒り。裏切られたという怒りが、トウコの心を占めて、握ったこぶしが震える。
しかし、その怒りは長く続かない。
ありがとう。
「あっ・・・」
そんな一言で。そう思ったトウコだが、心は正直で先ほど感じていた熱さは冷めて、暖かいものが心を占め、目に涙が溜まる。
助けてくれて、ありがとう。
自分の心を無視して、人を助けて、人に物を与えていた。それは、本当に嫌だったし、ストレスのたまる行為であったが、一つだけ。
一つだけ、お礼を言われるのは悪い気分ではなかった。
助けて。
その身勝手な叫びは、トウコをイラつかせるものだ。
でも、同時にそれはトウコを満たしていた。
必要とされることは、面倒だが嬉しくもある。
「仕方がないな。」
憎くてどうしようもないと思っていた人間。用事が済めば、殺してしまおうとまで思っていたが、今は違う。
トウコの心から、強い憎しみが弱くなる。無くなりはしないけど、弱くなった憎しみでは、人間たちを殺してしまおうなどとは思わなかった。
立ち上がったトウコは、アノカミを見上げて無表情で言った。
「行こう。そして、終わらせよう。」
「・・・狂わなかったんだね。狂ってしまった君と生活するのもいいと思ったけど、やっぱり君は君のままがいいね、トウコ。」
「そう。良かったね。」
「うん。」
アノカミはトウコを抱き上げて歩き出した。
向かうのは、あの山。
大勢の人が山に集まった。この山にかつてこれほどまでに、人が集まったことがあるのだろうか?
「すごい人だな。」
ぼそりと呟いたレオは、辺りを見回してトウコの姿を探す。
「とりあえず、俺を出せ。」
「あぁ、そうだった。」
アヤカシの要望に応え、レオは巾着から白い石の姿をしたアヤカシを取り出した。
「確かにすごい数の人間だ。これほどの数を集めてどうするつもりなのか?」
「・・・あの水は、アノカミの力なのか?」
「違う。あれは、あの力はトウコのものだ。水を操ることができるアヤカシなのかもしれないな。しかし、これほどの力を使って大丈夫なのか?」
「トウコちゃんが、町を水の中に沈めたのか?なぜだ?」
「それはわからん。」
そっけなく答えるアヤカシにため息をつき、レオは近くの木にもたれかかった。
「じじぃが役に立たねー。」
「おい。」
「だって、知らないことばっかりじゃねーか。いったい何年生きているんだ?アノカミとの付き合いも長いくせして、何一つわかっていないし。」
「そうだな。」
「思えば、必要とされたいと思っているくせに、あいつのことを必要としていなかった。俺は、必要としてくれる存在が欲しかっただけなのかもしれない。」
「いや、何の話だよ?」
「すまん。こっちの話だ。」
アヤカシは少し後悔をしていた。
ずっと一緒にいたアノカミについて、知ろうとしなかったこと。興味を持たなかったことを。




