45 それは災害
それは、唐突に起きた。
だれも予測できず、なぜ起きたのかさえ分からなかった。
「早く!高いところへ!ビルでも何でもいい!走れ!」
よく通る声で的確に指示を飛ばす男のおかげで、人々はそれぞれの向かう場所を鮮明に思い浮かべることができ、そこへと走っていく。
水に浸かって、走りにくい足を必死に動かして。
「見て!あの山!」
一人の女性が叫び、それにつられて数名が山の方へと視線を動かした。
山には、まばゆい光が一つ。合図を送るように点滅する光を見たものは叫ぶ。
「山だ!山に迎え!」
「あの山だ!きっとあそこに避難するべきなんだ!」
「あそこに救助隊がいるはずだ!俺たちに合図を送っているんだっ!」
人々は向かった。
祟りだなんだと恐れ、一切近づかなかった山へと。
数時間前。
トウコは、商店街の真ん中で、アノカミに抱きかかえられていた。
「やっとだね。」
「うん。この日が来るのをずっと僕は待っていた。見てみなよ、トウコ。不安そうな人間たちの顔。いつか自分も山の神に祟られるかもしれないって、怯えているんだ。」
「・・・馬鹿だね。怖いなら、山に手を出すのをやめればいいのに。」
「みんな止めたがっているのに、誰かさんが続けているのさ。」
「父さん・・・これが終わったら、いや始まったらどさくさに紛れて殺されてしまうかもね。」
「そうだね。」
アノカミは懐から一つの玉を取り出した。半透明の青い玉は、トウコの両手に収まる大きさだ。
「そろそろ始めよう。話なんて、これからいつでもできるよ。」
「そうだね。」
悲しそうな顔をして笑うトウコに気づかず、アノカミはトウコをおろして、トウコの手にその玉を持たせた。
「そこに力を込めれば、後は勝手にその玉がやってくれる。」
「・・・」
「怖い?負の信仰を使うのは、僕は怖いよ。僕は弱いから、狂ってしまうだろうから。でも、もし君が狂っても大丈夫。ずっと僕が一緒にいるから。」
トウコは玉を両手で持ち、目をつぶって答えた。
「私は狂わない。だって、どうでもいいから。人間なんて、何の価値もない。」
「そう。」
トウコの心が読めないアノカミに、今のトウコの考えはわからなかった。でも、前はトウコの心を読んでいたので、彼女が強がっていることは予想できた。
頭をなでて、大丈夫と言い聞かせると、トウコは目を開けてぎこちなく笑い、再び目を閉じた。
「始めるね。」
「うん。」
それを合図に、トウコの耳にアノカミの言葉は聞こえなくなった。代わりに聞こえてくるのは、人間たちの叫び声。
神様
神様
俺は
私は
僕は
悪くない
悪いのは
・・・
耳をふさぎたくなる叫び。自分の行動に責任を取れず、他者に押し付ける醜い心の叫び。
助けて
死にたくない
祟られて当然のことをして、祟らないで欲しいという身勝手な叫び。
あいつのせいだ。俺たちの不幸は、トウコのせいだ。
不意に聞こえるクラスメイト達の声。悪意まで伝わってくる。
「なんで?」
私は、いつだって困っている者たちを助けた。欲しいものを与えてあげた。自分が我慢をしてまで、それを行い続けた。
なぜ恨み言を言われなければならないのか?
なんで、いじめられなきゃいけなかったの?
どうして、嫌われたの?
本当は・・・いじめられたくなかった。嫌われたくなんてなかった。
少しは期待していた。自分の行いが報われて、レオのことがあっても仲良くできるのではないかと。
「報われなかった。」
「意味なんてなかった。」
「私がしたことに、意味なんてなかった。」
「苦しんで、傷ついて・・・それを見ないふりをしてまで、義務を全うしたのに。」
特別な私は、嫌だ。
普通のみんなは、羨ましい。
普通になりたかった。
でも、私は普通になれない。だから、みんなが・・・
「憎かった。いや、憎い。」
与えられるみんなが憎い。自由なみんなが憎い。欲しいと言えるみんなが憎い。助けてと言えるみんなが憎い。憎い。憎い。憎い。生きているみんなが憎い。
「自由に生きられなかった私なんて、死んでも同じことだし、どうでもよかった。でも、自由に生きて、与えられているみんなが、なんで生きられるの?自由に生きれなくって、与えなければならなかった私が、なんで死なないといけないの?」
「死んだことは後悔してない。でも、死ぬのはみんなの方だと思う。」
「みんなが死んで、私が生きれば、私は自由になれる。もう与えなくたっていい。」
「なんで私が譲って、みんなが譲らないの?」
自分自身の言っていることが、自分の思っていることが、わからないけど口が動く。
ぶつぶつと呟く口は、私の意志では止まらない。
「うるさい。うるさいなぁ。」
「死にたくない?私は死んでいるのに?」
「私のせい?それは気分がいいね。」
そう言いながら、私は手を握りしめて震えていた。これは強い怒りによるものだと思う。
玉に力を籠めるたびに聞こえる声は、きっと私を狂わせる。
自信はあった。悪口や心無い声に耐えた私に、負の信仰の声なんて、なんとも思わないだろうと。なんでもないように装えると。
でも、だめそうだ。
もう、私は大切なものがどうでもよくなって、今はすべての人間たちを憎み、苦しめたいと思っている。思い始めている。
強い力が欲しい。
最初は、自分のものを奪われないために。
次に、自分のものを守るために。
最後に・・・人間を・・・
ゆっくりと目を開けるトウコ。
最初から何も写さなかった色の抜けたような左目と、底の見えない黒い右目が露になった。その目は望んでいた。
「みんな、死んでしまえばいい。私のように。」




