4 アノカミの施し
パチッと火の音が鳴り、トウコはそちらに目を向けた。囲炉裏・・・存在そのものは知っていたが、考えてみれば初めて見る代物だった。囲炉裏の火は思った以上に暑く、あまり近づけない。ときどき火傷してしまいそうな熱気が来るのだ。
「なかなかいいだろう?ストーブやエアコンより暖かいし風情がある。」
トウコはアノカミの方を見た。青の髪は肩にかかる程度の長さで、アヤカシよりすっきりしている。ただ、赤い瞳はアヤカシそっくりで、上位者の風格が感じられた。今はデレ顔なので台無しだが。
トウコは、アノカミと囲炉裏を挟んで座っている。この小屋に今はアヤカシがいない。これはアノカミの希望だった。トウコと2人でいたいという彼の。
「ま、君のためでもあるんだよ。アヤカシには話していないようだからね。」
アノカミはお湯が沸いたのを確認して二人分のお茶を用意した。熱いから気を付けてと、トウコの近くにお茶を置く。
「君は、自分の目を取り戻す気でいるのだろう?」
アノカミの言葉にトウコは素直に頷いた。
「はぁ、天使・・・じゃなかった。君のやること、知りたいことは理解した。色々むずかしく考えているようだけど、アヤカシのように「取引」なんてしなくても教えてあげるよ。ま、アヤカシも取引なんてしなくても僕を紹介しただろうけどね。」
「でも、それはなんだか納得がいかないの。取引でなかったら「施し」でしょ?アヤカシにはしてもらいたくない。」
「僕はいいのに?」
「・・・なぜかはわからないけど。」
アノカミは、にっと笑った。この顔はましだなとトウコが思うと、ちょっと悲しそうな顔になったけど。
「心、よんだの?アノカミはそういう妖なの?」
「僕の性質上必要な能力だからね。心を読むこともできる妖なんだ。それで、目を取り戻す話だけど・・・まずはコトメについて、あれは人の心を読めない。ただ、奪った目の持ち主の記憶を持っている場合があるから注意が必要だね。」
「・・・私の考えが読まれるってこと?」
「その可能性があるって話し。コトメに近づくなら十分注意をすることだね。下手な演技をすれば怪しまれるかもしれない。」
「・・・どこまで私を知っているかを、調べる必要がある。」
「そうだね。僕からのアドバイスとして、2つ目の目的がばれていると感じたら、もう目のことは諦めた方がいいと思うよ。」
「それはできない。心をよんだのならわかっているはず。」
アノカミは悲しげに微笑んだ。
トウコは、決意に満ちた目をして、自宅の門の前に来ていた。
手には一つの酒瓶。これはアノカミからもらったもの。どうやら、妖にとってうまい酒らしい。トウコにはよくわからないが。
すっと、大きく息を吸った。
そして、いつもの無表情をやめ、不安そうな顔をする。更には少し背を丸くし、姿勢を悪くしてから、門をくぐった。
「あの・・・」
自分自身とそっくりなコトメに声をかける。辺りに他の者はいない。それもそうで、コトメはトウコの部屋にいたからだ。
「・・・」
コトメは少し迷ったようだが、応じることにしたらしい。トウコの方へと体を向ける。
まずは、話をすることに成功だと、心の中で笑った。
「急に話しかけるなんて、何を企んでいるのかしら?」
自分の顔と声で、コトメが話すはもう見なれた。
「あの、お願いがあって・・・その。」
気弱そうな顔、声、口調を心がけて話すトウコに、コトメは待ったをかけた。
「そういうのいいから。あなた、そんな話方しないでしょ?表情だってデフォルトが無表情だし・・・どうせ、隙を作りたいだけでしょ?そんなの私には通じないわ。」
それは残念と、トウコは無表情になり背筋もいつも通り伸ばした。
「目は返さないわ。だって、奪われる方が悪いんですもの。それに、感謝して欲しいくらい。あなたの死をなかったことにしたんですもの。両親の悲しむ姿なんて、見たくないでしょ?」
そう言うとコトメは意地悪く笑った。オホホと笑いそうな感じで。いや、実際にそう笑っていた。
「残念・・・でも、あきらめる。」
「賢明ですわ。それに、別にあなたは返して欲しいわけではないでしょう?この目も、家、両親、部屋やそこのぬいぐるみ・・・友達だって、あなたは別に執着していませんものね。」
「わかるの?」
「えぇ。あなたの目を食べたので大抵のことは。不思議な子ですね。何の執着もなく、欲しいものもない。あなたのことを知った時、私が食べたのは本当に人の子かと疑いましたわ。」
コトメは、面白そうにトウコを見た。
「それで、なぜ私に声を?まさか、目をあきらめることを宣言するためではないのでしょう?」
その問いにトウコは頷き、抱えていた酒瓶を前に出した。
「物々交換・・・この酒と、パンケーキを交換して欲しい。」
「酒?・・・ってこれ!私大好きなのよ~」
嬉しそうにするコトメは、酒瓶に手を伸ばすが手を止めて疑わし気にトウコを見た。
「でも、なぜパンケーキ?あなたは、欲しいという感情なんてないでしょ?」
「前に来た、白い髪の妖はわかる?」
「ん・・・あぁ。母親とパンケーキを作っていたときにいたわね。あの時は2人で会話するものだからうるさかったわ。」
「その妖が食べたいと言ったの。」
「ふーん。それで?」
「あの妖と取引がしたくて、パンケーキをその取引に使いたいの。」
「・・・」
コトメは、怪しげにトウコを見た。少し疑っているが、ちらちらと酒瓶を気にする様子を見れば、すぐに頷くだろうとトウコは分析した。
「わかったわ。正直ちょっと引っかかるけど、そのお酒は欲しいし。」
「よかった。」
「ただし、一口だけ、一口だけよ?あなたが毒見をしなさい。」
「え・・・あの、私未成年なんだけど。」
ちょっとだけ無表情が崩れ戸惑うトウコ。しかし、コトメはひかなかった。
「いいじゃない、もう死んでいるのだし。それに、本当は一口だってあげたくないのに、飲ませてあげると言っているの!感謝なさい!」
「・・・わかった。そこまで言うのなら、ありがたく。」
「ふん。」
トウコは、自分で持ってきたコップに一口分だけお酒を注いだ。顔を近づけると濃いアルコールの匂いがして顔をしかめる。
そして、一気に飲もうとしたところで・・・
「待ちなさい。もういいわ。そのコップ貸して。」
トウコはほっと息をついた。こうなることは予想していたが、あんなものを本当に飲むことになったらと思うと、コトメに感謝したいぐらいだ。
「一口分だってもったいないわ。本当に飲もうとしたのだから大丈夫でしょう。あ、もういいわよ。出て行って。」
そう言われてトウコはおとなしく立ち上がり出て行こうとして、思い出す。
「パンケーキ。」
「わかっているわ。でも今はないの。今度母親に作ろうって言うから、それまでは我慢して頂戴。」
それを聞いて、本当は聞き流しているだけだったが、トウコは納得したように頷き、部屋を後にした。そして、ひとり廊下でにっと笑う。
あの酒に毒なんて入っていない。毒なんて必要ない。
「本当に・・・馬鹿。・・・あんなものに、私は奪われたのか。」
瞳の奥に赤い炎を灯すように、トウコは感情を高ぶらせていた。