32 怪奇の始まり
ここは、どこにでもある小学校。特に何の変哲もない。
ただ、そこには一匹の妖がずっといた。その妖は、校舎と茂みの間、ぽっかりと不自然に空いた3畳ほどの空間にずっといる。
言葉は片言。己の姿を思いだせず、そのためか黒いスライムのような存在として、そこにいた。ずっと動けずそこにいた。
妖は見つめる。
目など外見から見ればないように見えるが、その妖は見ることができた。己の目の前にある小さな飴玉。
トウコという妖が与えたエサ。とても大きな力を秘めるその飴玉を、己に取り込むかどうかを妖は迷っていた。
トウコと出会ったのはつい最近で、付き合いも短いものだが、ちょっと彼女を手伝っただけで、彼女は毎日のようにエサを与えてくれた。それはどれもおいしく、妖の心が満たされると同時に、力も満ちるのを感じた。
力が満ちきった時、妖はここから動けることを知っている。だから、妖はずっとエサを求めて、己の飛ぶものを引っ張り込む力を使って、エサを確保していた。
この飴玉を食べれば、妖はここから動けるという確信があった。でもそれでいいのだろうか?
ここにいれば、トウコがまた来てくれる。そして、またエサを与えて、話をしてくれる。その生活は、心地がいい。ここから動けないことを嫌と思わないほどには。
しかし、動けるようになれば、己からトウコに会いに行ける。いつも一緒にいられる。もう、離さないでずっとそばにいてやろう。そうだ、それがいい。
妖の心は決まった。
トウコから与えられたエサの飴玉を、妖は取り込んだ。
友達とキャッチボールをしていたレオは、ありえないものを見てその場で固まった。レオの方へと投げられていたボールは、レオの手ではなく地面に落ちて転がっていく。
「何やってんだよ!レオっ!」
友達が叫ぶが、レオの視線は一点を見つめて動かないままだ。
「・・・あれは?」
トウコが以前泣いていた茂みから、黒くて丸い塊が出てきた。水まんじゅうのようなてらてらと光るそれは、校舎の中へと独特の動きをして入っていく。
「どうかしたか?」
「なんか、校舎に入って行った・・・」
「はぁ?」
あきれた声を出し、友達は校舎を見るが、もうすでに黒い塊はいない。なので、レオの言葉を信じられず、眉をひそめた。
次の日、トウコの机がなくなった。死者に対するひどい仕打ちだとか、先生は言っていたが、誰も犯人として名乗り出ることはなかった。
それが始まりとは、誰も気づかずに、怪奇は始まった。
「ねぇ、あの子が昨日から家に帰っていないって話、聞いた?」
「聞いた聞いた。ヒコウにはしちゃったんだよね~」
「え~まさか。」
「それより私は、あいつの呪いだと思うな。」
「あいつ?」
「トウコ・・・お金持ちおじょー様のトウコのこと。あの子さ、トウコからいろいろせびってたじゃん?キラキラペンとか、可愛い消しゴム・・・あとは、ランドセルについていたキーホルダー・・・」
「あぁ、そういえばそうだねー。それで呪われちゃったの?」
「さぁ?それとも、あの机をどこかにやった犯人があの子で、それに怒ったトウコの呪い・・・とか?」
「どっちにしろ、トウコの呪いじゃない~」
「嫌ね~死んでまで人に迷惑をかけて。」
「本当本当。」
笑い合う女子たち。彼女たちは別にトウコの呪いだなんて思っていないが、そういう話の方が面白いので、あの子がいなくなったのはトウコのせいと結論付けた。
「あーそういえば、私もトウコから消しゴムもらったんだよねー。」
「えぇ!?捨てなよ、すぐに!」
「てか、なんでそんなものもらったわけ?」
「いや、消しゴム忘れて借りたら、あげるって言われて・・・庶民の触れた者なんておじょー様はいらないのかもね。」
「うわー、嫌な奴。もう捨てようよ。持っていても気持ち悪いだろうしさ。」
「そうだねー、帰ったら捨てるわ。」
この選択が彼女たちを救ったことは、誰も知らない事実だった。
学校にあったトウコの物は、気づかないうちに一つとして残っていなかった。壁に貼ってあったトウコが描いた風景画、花壇に咲いていたトウコが育てた可愛らしい花もなくなっていた。トウコからクラスメイトがもらった物もすべて。
最初はトウコの呪いと冗談で言っていたが、今はほとんどの者がそれを信用し、恐れていた。帰らぬあの子と同じようになってしまうのではないか?
そう、みんな恐れた。たった一人を除いて。




