2 妖な私
目の前にあるのは、ごつごつとした表面の茶色い木の肌だった。少し湿り気を帯びていて、それを不快に感じながらも、離すことはできなかった。
手を離せば真っ逆さま。
トウコは、木登りをしていた。別に好きで登っているわけではない。体を動かすことより、本を読むことの方がトウコは好きだ。木登りなんて初めてする。しないといけないから。
風に飛ばされ、木の枝に引っかかったハンカチを取るためだ。
ぬるり。ところどころ緑のコケが生えていて、さらに不快感が募る。
一息、ため息をつき、さらに上に登ろうと手を伸ばした。
青い空。突然景色が変わった。
「あっ・・・」
気づいた時にはもう遅かった。ぞくぞくと、悪寒が走って、ただ落下していることだけが分かった。耳はびゅうびゅうと風を切る音だけが聞こえて、口は半開きのまま。
全身にものすごい衝撃を受け、いつの間にか何も感じなくなった。
さわさわ。葉と葉が優しくぶつかり合う音。トウコは、うっすらと目を開けた。
「起きたな。」
真上から声が聞こえ、顔を上げれば、アヤカシがこちらを見ていた。トウコは、アヤカシの膝に頭を載せているようだ。
「突然倒れたから驚いた。どうすればいいのかわからなかったから、膝枕というものをしたが・・・これでよかったか?」
アヤカシの質問にトウコは少し考え、とりあえず起き上り辺りを見回した。下は草が生えていて青臭そうだし、虫とかもいるだろう。アヤカシを見てみれば、もう日が暮れてあたりが暗くなっていてよく見えないが、こぎれいな格好をしていた。黒い服なので、汚れていてもわかりにくいが、目立った汚れはない。これで、汚い恰好をしていれば、地面で寝た方がましだが、アヤカシの恰好ならば、膝枕をしてくれたことはありがたい。
トウコは頷いた。そして、礼を言う。
アヤカシは、トウコの様子を見た後話しかけた。
「お前、これからどうする?」
「・・・私は・・・何?」
少し首を傾げたアヤカシは、トウコの聞きたいことを理解し、さらに首を傾げた。
「何といわれてもな。人間ではない何かだ。」
「幽霊?」
「そうかもしれない。少し待て。」
アヤカシは、トウコをまっすぐに見つめて、目を細めた。
「お前は・・・妖のような気がする。なんの妖かは、まだわからない。俺はこういうのを見るのが得意ではないんだ。これくらいしかわからん。」
「そう。」
トウコは少し考えるように遠くを見た。
おそらく死んだ自分。それに成り代わるようにして家にいた、自分そっくりの少女。トウコはすっと目を細めた。
「あの・・・私にそっくりな人は?」
「あれか。さっきも言ったが、あれはコトメという妖だ。」
「コトメ・・・それはあいつの名前?」
「いや、妖の種類だ。一反木綿とか、ぬりかべみたいな。あいつ自身のことは知らんが、コトメという妖は、死んだ人間の目を食べてその人間に成り代わる妖だ。」
死んだ人間、つまりトウコに成り代わった妖。その事実にトウコは不快感をあらわにした。
「お前、人形みたいな人の子だと思っていたが、感情があるのだな。」
「私は、人間・・・だったもの。」
「そうだな。」
トウコは、自分が家族を取り戻すためにはどうすればいいのかを考えた。だが、わからないことばかりで、すぐに考えることをやめ、アヤカシに聞いた。
「私は、どうすれば家族を取り戻せる?」
「・・・あきらめた方がいい。」
「やだ。」
アヤカシの言葉を聞き即答する。
そんなトウコに憐れみの目をアヤカシは向けた。
「お前はまだ力の弱い妖だ。あの妖に勝てると思うのか?第一、その姿は家族の目に映らない。」
「私・・・見えないの?」
驚くトウコに当然だというアヤカシ。
「あぁ。妖を見れるのは一部の人間だけだ。おそらく、お前の母親の方は見えないな。父親の方は見ていないから知らんが。
「・・・そうなの。」
トウコはそっけなく返事をすると、立ち上がった。
「どこへ行く?」
「家に帰る。」
「もう、お前の帰る場所ではない。」
「なら、どこに帰ればいい?」
「帰る必要はない。行きたい場所に行けばいい。だが、明るくなってからにしろ。お前はまだ、夜に慣れていないだろ?危ないぞ。」
トウコは辺りを見回した。妖になったからといって、夜目になったわけでないようで、辺りは良く見えない。月明かりだけを頼りに先に進むことは難しそうだった。
「急ぐ必要はない。お前はもう妖だ。寿命があるわけではないし、何かを強制されるわけでもないのだからな。」
そう言うと妖は、トウコの手に何かの実を置いた。みかんくらいのサイズで、色は薄い赤。みずみずしくおいしそうな見た目だ。
「遠慮せず食え。ま、食べなくたって死にはしないが。生きていないのだからな。」
しゃくっ。とアヤカシは音をたてて実を食べた。
黙ってそれを見ていたトウコは、同じように音をたてて実を食べた。
「・・・おいしい。」
それを聞いたアヤカシがトウコを見て、目を丸くした。
「お前、笑うのか。」
「・・・うん。」
肯定したトウコは小さく続けた。
「だって、人間だったから。」
月明かりの下、2人おいしそうにその実を食べていた。