ある魔王と勇者の場合
「 ……! 」
一瞬記憶が飛んでいた。
死ぬ間際に見るという走馬灯だろうか。
過去の記憶、いや、前世の記憶を見ていた。前世? うん、多分前世。作家として苦悩している40半ば、おっさんの記憶だ。
私の現世からして、前世が作家だったというのは割とすんなり受け入れることができるものだった。
きっと妄想に妄想を重ね、妄想しすぎた結果、妄想の世界に妄想ではなく本当に引き込まれたのだろう。
ただ、な。
ただひとつ。
ひとつだけ文句があるとすれば、敗北役の「魔王」ではなく、勝利役の「勇者」として生まれたかった。
青い血が今も溢れている致命傷の腹を抑えながら、私「魔王」は、色彩を失った目の「勇者」を見上げるのだった。
「……私の……負け……だ……」
肺にも穴が空いており、呼吸と共にヒューヒューと音が鳴る。
そんな中、精一杯の敗北宣言に「勇者」は無言でこちらを見下ろしているだけだった。
「……なあ……最後にひとつ……聞きたいことが……ある」
もうこちらの仲間は全滅。もう命は長くないと判断した私は今まで一度も使ったことのない「一生のお願い」なるものを使った。
すると勇者の顔はピクリと動き、相変わらず無言だが、質問に答える姿勢を見せた。
「……なぜ……私を……殺……す?」
率直な疑問だった。
私は、魔王として生まれ、魔王として生きてきただけ、まさにそれだけだった。
おとぎ話に出てくるような世界征服も、人殺しも、侵略も、野心を燃やすことも、何一つしなかったただの名ばかり魔王だ。
悪いことは何一つした覚えがない。
となると、私が生まれる前に問題はあったと考えられる。
生前の罪。
心優しい私の父、故・大魔王が実は大量虐殺行為をした悪魔だったのか?その腹いせか?
もしくは芋すら育たないここ、魔界に居座り続けていたことか? 実は潤沢な鉱山資源に恵まれているとか。聞いたことは一度もないが。
はたまた前世の記憶の最後に出てきて厳しい感想を送ってきた人気女性作家を、私は勢い余って殺してしまい、その転生者が目の前の勇者なのか?妄想に妄想を重ねて妄想で挟んだような妄想でしかないが。
勇者が魔界進出してきた頃から、ずっと考えてきたが、心当たりは毛頭なく、結局、根拠もろくにない予想をずらりと並べていた。
まあ所詮予想の域を超えない予想だらけで予想の数だけ私をムンムンとさせていたのだが。
せめて死ぬ前に、死ぬ理由ぐらい知っておきたい。くだらないくらいちっぽけな願いだった。
「……は?」
そんなちっぽけな願いすら見下してきた勇者だった。
「何ほざいてんの?」
「……だ……から……私は……なぜ」
「あぁ、聞こえてるよ。しっかり。お前みたいな怪物じゃないからな」
剣先を向け、未だなお見下してくる勇者。
確かに私は人間と違う顔つきをしている。羊のような角が生え、三連徹夜したような黒いクマがいつも目の下にあり、肌の色も紫色で、身長だって人間には不可能な三メートルもある。まあ、今は地に這いずりたった百七十センチちょっとの勇者を見上げているわけだが。
「わたしが……醜い……から……か?」
「んなこと誰も言ってねーよバーカ」
……バカ、か。
まあそう言われても仕方がない。
人間と魔物では魔物の方が知性が平均的に低いことも周知の事実だった。魔界一の博学と言われた魔王も所詮は魔物の一人である。
そして何より、私の知らない「私が死ななければならない理由」を勇者は知っているのだから。
「なあ、お前。そのちっぽけな脳で考えてみろよ。そうだな……例えば、勇者と魔王がいたとする。勇者は正義の象徴、魔王は悪の象徴。それぐらいお前にも分かるだろう?」
それはわからないでもない。
この世界の大半を占める人類史はそう綴られている。でも
「ん?まだわかんねーのか?バカだなあ。それが理由だよ」
出血多量につき、脳に十分な血が回っていない。理解していると思っていたが想像以上に勇者の言葉は難解なようだった。
「仕方ない、この絶対的正義の俺様がお前にも分かるように説明してやるよ」
勇者はもう魔王が立ち上がる気力も体力もないことを見極めたのか、剣を下ろし背中まで見せて語り出す。
「お前と俺が出会って戦ったとする、世界が求めるのはどっちの勝利だ?当然勇者だろ? 勇者は正義のヒーロー様なんだから。だから俺はお前を殺した。殺しにきた。わかったか?」
理解できていないのではない。理解し得ないのだという可能性が浮かんできた。それはなぜか?勇者が狂っているからか?はたまた
「俺は勇者、正義の塊。お前は魔王、悪の塊。絶対に交えることのない存在だからお前にはわからないかもしれないがな。そもそも、俺は正しいと結論が先に決まっている。だから理由なんて求めるお前の方がおかしいんだよ」
全てを言われ、理解し得ない言葉を、私は私の愚かさを理由にし、全てを飲み込むことにした。
そうすれば、私の死に理由が生まれる……から。
「わた……し…………は……」
「お前は悪。俺は正義。わかったか。これが全てだよ」
「うまれて……こなければ……よかった……」
全てを理解した後、最後の言葉を締めくくり、笑顔で血飛沫の中にいた。
もちろん正義の剣によって。