ある教室の場合
キンーコーンカーンコーン
「起立っ! 礼!」
ザッ、ツ、ザッ
三年A組のクラスメート三十八人全員がきっちり斜め45度腰を折り、聞こえるはずのない一・二・三の合図で一斉に顔を上げた。
「着席!」
ザッ、ザッ、ザッ
当然のように椅子の足が同時にしかも全く同じ音を奏で、生徒の視線も頭の位置も姿勢も全て揃ったまま授業が進んで行く。
一糸乱れぬ恐ろしいまでの統一。
残念ながらここは自衛隊学校ではない。加えてこれは集団行動の演技練習でもない。ただの日本一偏差値の高い高校、特進クラスで広がる当たり前の授業風景だ。
なぜこんな芸術的一コマが日常の一コマになることが可能なのか。
彼らが偏差値最高で優秀だからか?沢山練習を積んだからか?徹底的に指導されたからか?
違う。
真っ向から否定し得る本当の理由は至ってシンプルかつ大胆。
「クラスの皆が成績トップの皇一と全く同じ行動をとっているから」だ。
なぜそんなことをするのか?
そんなこと、もはや聞くことが愚行であろう。
今までの試験や模試を模範解答以上に完璧な回答で総ナメ。得意とする弓道はもちろんのこと陸上競技、サッカー、野球、テニスなど大会に出てしまった日には優勝間違いなし。課題を提出した日には、感動の涙もしくは新定理発見について取材オファーで職員室に嵐をもたらす。容姿端麗は当然のことながら性格も最高で、男女、生物無機物問わず愛される。
これら全てをたった一人に詰め込んだのがこの皇一という男である。
この男を真似しないとしたら一体誰を真似すれば良いのか。
全員一致の答えは
「皇以外はありえない」
当然、生半可な真似ではダメだと全員が知っている。よって皆が行なっていたのは真似ではなく完全コピーであった。
動きや姿勢から始まり、息遣い、瞳孔の大きさ、心臓の鼓動速度まで。全て同じにする。
ちなみに、顔を整形し同じ顔になろうとしたものもいたが、流石に国内ではできないことだったため、結局やっているのは、クラスで二、三人ほどだけで、一応クラスメートは見分けはついていた。
見た目だけだったらそれは単なる高性能な真似である。口調などを似せるのも当然として、次に手が出たのは行動様式。
朝何を食べるのか、何回咀嚼して飲み込むか、食事時間は何時から何分間か。何回排便に、何時何分に行くか。一人で調べるとなると骨の折れる作業だが、生憎一人ではない。三十人を超える仲間がいる。調べてしまえばそれに従って行動するのみ。何も難しくなどなかった。
それだけではやはりまだ足りず、家の形、親の性格、家庭環境を調整していった。幸運にも皇一は親は両方いる家庭であったため、多くの人にとって難しい調整ではなかった。
そうやって完成したこの教室。クラスの誰かが誤って皇と行動がずれてしまった時を除き、テストのクラス平均は満点。全ての生徒は部活で全国行きが決定していた。
まさに文武両道完全無欠の生徒集団。
「完璧な教室」と言うにこれほどふさわしい場所はなかった。
そんなある日の事。
その日は午後から土砂降りの雨だった。
天気予報をちゃんと見ている完璧な皇は傘を忘れるなどするわけがなく、雨の日のセオリー通り傘をさして帰るところだった。
その時、
ビュゥウゥうううウゥゥウーゥゥ
まるでタイミングを見計らったかのように突如として現れた突風。
傘がひっくり返るだけならよかったが、その後バキバキッと金属系の破壊音が大雨の中に混じる。
未来予知までは流石にできない皇は傘を大破してしまった。
どうしよう。
雨宿りも選択肢の一つとしてあった。
しかし雨は止むどころか強まっており、日が沈んでも止む気配はない。
少し迷った結果、急いで走って帰ることにした。
皇はそれでよかったがその他大勢はどうするか。傘の骨がまだ生きている彼らは、健康な傘をボキボキに折ることから始める。あるものは叩きつけて、あるものは振り回して、あるものは何かに挟んで。
無事壊れた傘を見て笑顔を浮かべ、音もかき消されるような大雨の中に走っていった。
その後の道中、皇は不幸にも足を滑らせ転倒した。非常に珍しいことではあるが、まあ十年に一度が同時にやってきただけである。服が排水溝と土の匂いで満たされたことも、ちょっと擦り傷を負ったことも無視しつつ、なんとか家にたどり着いた。
クラスメート残り三十七人もそれに続けて、何もないところで無理矢理転倒し、服に雨と土を塗りたくり、満足そうに「ただいま」と家の中に消えていった。
さて、翌日のこと。
皇はこれもまた珍しく熱を出した。三十九度近い高熱だった。昨日雨水や泥だらけで帰宅したのが身に響いたのだろう。
今日の当番がいち早くこの情報をクラスメートに拡散し、朝から皆必死に風邪をこしらえた。
結局その日は三十八人欠席による、誰も得しない学級閉鎖となった。
皇は後悔した。
自分のせいで皆学校に行けなかった。もしも無理してでも学校に行けば皆は学校に行っていただろうに。自分が風邪をひいたせいで学級閉鎖になってしまった。そもそも昨日雨の中帰る決断をしなければよかった。誰かの傘の中に入れてもらう選択肢もあったろうに。自分がいるせいで皆を風邪にしてしまった。そうだ、自分がいなければ皆は普通に帰れたのだ。自分さえいなければ。自分が悪かった。自分がいけない。自分が存在するのがいけない。自分が悪い。自分の責任。自分が全部全部悪かった。自分が悪かった。本当にごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……
皇は第二の病に侵された。
その後のことは言うまでもない。
学級崩壊はおろか、学校崩壊が起こり、たちまちそれは全国へ広がった。
間も無くしてこの世界からガッコウが消えた話はここではあえて書かないでおく。
あと皇一の部屋に輪っか付きで垂らされた縄と一人の死体があった話も秘密だ。