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「べ、別にあんたなんか好きじゃないんだからねっ!」

 突発企画内の短編話もいよいよこれが最後です。四方山さまリクエストありがとうございました! そしてまたも恐らく二話構成。いやーおさまりませんね、アッハッハ。かなり楽しかったです。シリアスのまま終わらせようと思っていましたが無理でした。次回はまた開店休業。リクエストに戻りますー。

 好きって言葉の効力は、どれだけのものなんだろうか。いやまあ、安心材料にはなるのかもしれないけれど。かといって、それをぽんぽん言える人をどれだけ信用したものだろうか。誰にでも言っているわけではない。軽々しく口にしているわけではない。そう嘯く人に、いつも曖昧に微笑む私は、きっと歪んでいるだろう。


「好きだよ」

「うん」

「愛してるよ」

「うん」

 平常運転の恋人にいつものようにジャパニーズスマイルで応えつつ、目の前にあるたまご焼きを口の中へ放り込む。甘い味がいっぱいに広がって、私は気付かれないようにとわずかばかり眉を顰めた。

「どうかした?」

「え? ううん、今日も美味しいなって」

「よかった」

 さっきよりはましな笑顔で伝えると、簡単に恋人は笑い返した。うらやましい、とたくさんの人に言われる私の立場は、外から見ればそうなのだろうなあ、と私も思う。現実は……思い込めば、きっと幸せなのだろうな。

 黙々と作ってくれたお弁当の中身を減らして、ごちそうさまでしたと手を合わせた。

()()

 目の前に並んで座っている恋人――もとい、(かず)()は、私の顔を覗き込む。空になったお弁当箱をひょいっとどかして、私に微笑んでいる。その意味を知って、私は無表情なまま目を閉じた。

 触れる生温かい感触がしばらくしてから離れると、上総はいつものように聞かせてくれと懇願する。私はやっぱり無表情なまま、彼の横顔に顔を近付けた。

「――かずちゃん、好きだよ」

 耳元で囁いてやると、まるで何かを噛み締めているように瞳を閉じる上総がいる。相変わらずだなあ、と思いながらも、私はため息を吐いた。

「違う世界にでも行けたらいいのに」

 ぽつん、と落とし込んだ言葉。それは、木々が揺れる裏庭の静けさの中ではいやに大きく響いた。隣から感じる鬱々とした空気を感じて、私は素早く立ち上がった。

「私、用事あった」

「――由未」

 低い険のある声色に、しかし私は反応を示してなんてやるものかと踏ん張る。怯えたって、喜ばれるだけだ。彼を脅威になんて感じていない、足元を転がる小石のように、誰かが捨てた塵のように、ただただ無関心でいるように演じる事くらいしか、私に出来る抵抗はない。けれどもそれさえ、彼には都合がいいだけなのかもしれなかった。彼に逆上せる女を演じる方が、よほど有意義なのかもしれない。

 私がただ彼の顔を見つめる。彼は瞳を眇めて、微笑んだ。

「言ったはずだよ。僕はどこへも行けない身体にしてしまってもいいんだと」

「わかってるよ」

「ならどうしてそんな言葉を口にするの」

「別にそういう気分の時って誰でもあるでしょ。ちょっと疲れが溜まってただけ。上総の隣に今も居るし、私なりにあんたを好きだってわかってるでしょ?」

 ――異世界への扉が開いたら、きっと私は飛び込むだろうけれど。

「……もちろん、わかっている。けれど誤解されるような発言は慎むべきだ。由未こそわかっているはずだよ。僕が君に抱く感情は、もう正常ではないって事くらい」

「だって……違う世界なんてそもそも存在しないでしょ。案外、馬鹿だね。恋は盲目ってやつ?」

 くす、と小さく笑って、上総の頬をてのひらで撫でさする。上総はさも苦しいというような表情で、私の手にすり寄るかのように自らの手を重ねて頬をさらに押し付けた。

 ――なんて可愛く、残酷な人。

 少し強引に頬から手をどけて、それじゃあ、と小さく分かれの挨拶を口にしてから、私は裏庭をあとにする。きっとここで分かれても、何人かは私を尾行するのだろう。最初の内は素人らしく気配を感じる事も多かったけれど、最近は手慣れたもので、ほとんどその存在を忘れてしまう。それを恐ろしいと感じていながらも、考えると息が詰まるので、存在しないものだと思い込むほうが賢明だった。

 はっきりと言ってしまえば、上総は異常だ。私を愛しているなどと言うけれど、そうではない。妥協の結果なのだ。まあ、本当に好いた相手の幸せは願えているわけだから、そこら辺は正常かもしれないが、私でバランスを取るのは本当に勘弁してほしかった。自分ひとりだったら……逃亡も謀ろうとは思わなくもないのだけれど。

「由未ー!」

(とき)()

()()ちゃ()()と一緒だったの?」

「――ん」

 私が小さく頷くと、そっか、と時子は微笑んだ。可愛い私の妹。といっても、年子だからどちらが上でどちらが下っていうのはあまりないんだけどね。ひとつって差としては小さいよなあ。双子とあんまり感覚変わらないんじゃないだろうか。わからないけれど。一応、私が高校二年生で時子が一年生だ。

「あんたこそ、どうせ愛しの(まさ)()くんと一緒だったんでしょー?」

「なっ! そうやって姉ぶって急にからかうのやめてよね!」

「はいはい」

 けらけらと笑って私が頭を撫でてやると、ますますへそを曲げてしまった。昔から、時子は感受性豊かで素直な性格だ。そういう真っ直ぐさが、いつもちょーっと性格に難ありな人々を惹き付けるんだよね。雅哉っていうのは上総と同じく昔からなんだかんだ一緒に居る幼馴染みなのだけれど。雅哉と時子は、昔からぴったりと寄り添い合って、将来はきっと恋人になるのだろうと誰もが思っていたから、まあなるべくしてなった感じだ。

「相変わらず、かずちゃんがお弁当作ってるの?」

「ああ――まあね」

 お昼を終えたというのに何も持っていない私が気になったのだろう。そんな私に、どうして? と時子は首を傾げる。

「昔から、料理得意じゃない。お弁当だって順番とかにして作ってあげればいいのに」

「まあ、あいつは私が料理好きなの知らないからね。急に完膚なきまでに美味しいもの作ったら変じゃないの。かといって手抜きなんて食材に対する冒涜だしね」

「だからさ、なんで隠すの?」

「あんただって料理作るんだし、私が作る必要、なかったじゃん?」

「私のは割と義務感が強かったから、由未みたいに趣味で楽しんでって域じゃなかったけど」

「いいのよそんなのはどっちだって」

 微笑む私に、何か納得がいかないようで、時子は眉を顰めて黙り込んだ。

 我が家の両親は、仕事人間だ。ただ、そういう人にありがちな子どもを大切にしないってのではなくて。本人たちもなんとかもっと仕事を他の人に振りたいみたいだけど、結局は仕事自体も好きだしというジレンマを抱えていたようだった。小さい頃はなんとか時間を作ってくれていたけれど、小学校も高学年になればなかなか家に適切な時間に帰る事はかなわなくなり、私と時子は、ふたりで家事を分担しようと決めた。最初は両親とも反対した。少ない稼ぎではないから、家政婦さんなりを雇おうと。しかし私と時子は、それをコミュニケーションの一環だと訴えた。他人が介在するのではなく、私たちなりの家族を模索しようと。外からの風がなくとも、まだ私たちは再構築出来る。だからこそ、そう提案したのだ。両親はそんな私たちに感動して、任せてくれた。

 ――さすがに当時はもっと拙い語彙で伝えましたけれどもね。

 まあただ、蓋を開けてみれば私たちの特性は真っ二つに分かれた。主に世話好きな私は、家事が性に合った。しかし時子は、あまり楽しくは出来ずに、仕事だと感じる部分が強かったようだ。それでも、毎日の料理だけは苦痛ではなかったようで、それならば料理は時子の分担にして、洗濯や細々した掃除は私が請け負った。まあ、掃除はほぼ分担みたいな所があったんだけどね。

 高校生になった今もそれは変わらず、けれど料理が趣味とまで言えるほど好きになった私は、週末は気晴らしに好きなものを作った。大体がその日の昼ごはんになったり、おやつになる。そんな日常なので、私が実は家事の中で料理も得意だという事は、家族しか知らなかったりする。

 親が留守がちな我が家に頻繁に遊びに来ていた雅哉と上総は、時子の料理を美味しいと褒めた。その傍らで掃除に勤しむ私を、偉いと褒めた。料理が作れて、常に場を明るくする笑顔の時子。世話好きで、いつもうるさくしかめっ面な私。私と時子には、そういう役割分担がある。だから、何となくそこを飛び越えたくなかった。

 それに――。

「理由が欲しいんだよね、少しでも多く」

「え?」

「――なんでもない」

 苦笑しながら、私と時子の昼休みは終わりを告げた。


「ゆーみ、帰ろう」

「いっつも思うけど、あんたちゃんとHR受けてるんでしょうね」

 担任がまだ退出していないというのに、どうしてこいつは今ここにいるのだ。いくらなんでも早すぎる。じっとりと睨み付けると、私のクラスに顔を出した上総が肩を竦める。

「相変わらず、由未は口うるさい」

「嫌だと思うならそのだらしない所を直せ」

「全然。むしろもっと言って?」

 はあ。

 特大のため息を吐いて、私は席を立つ。ざわざわと背中から不穏な空気を感じるのも、もう慣れた。嫌がらせはいつも上総とその取り巻きが処理してしまうから発生しないし、直接文句を言おうものなら上総の取り巻きで監視役の人間がすぐさま彼に報告するから、その人間は無事ではすまない。だから、私に不満があっても直接何かを言える人間はいない。私にしてみたら、この役目をかわってくれるならば喜んで差し出すのに、といったところなのだが。最近は苦しいが勝っていて、疲れてきた。けれど――。

「今日は、由未の好きなクレープ屋に寄ろう。疲れたら甘いものでしょ?」

 この顔を見ると、どうにも思考が溶ける。ああ、私だって――じゅうぶん異常な人間だ。

「でも洗濯物取り込まなきゃ」

 誤魔化すように視線を外して廊下を進む。目を合わせてしまったら、うっかり本音を零してしまいそうだから、こういう時はいつも苦労する。結局、いやいや付き合っているなんていうのも嘘なんだと痛感する。無駄な抵抗は止めて、もう馬鹿になってしまえたらどんなにいいだろうか。

「わかってる。持ち帰りにしよ? みんなの分も買ってさ」

 ああ、ほらね。そうなんだよね。

 大好きだもんね、あそこのクレープ――時子が。

「そうだね、きっと時子は喜ぶだろうし、そうしようか」

 少し棘を含ませて私は平坦な口調を心がけながら靴を履き替える。上総は満足そうな声を出しているから、きっと笑っているのだろう。

 ――好きな人に何か出来る自分を実感して。


「先にリビング行って。クレープ一緒に食べてて」

「由未は?」

「洗濯物取り込んでくる。雲が怪しい」

「わかった」

 帰宅して、玄関の靴をちらりと見れば二組。予想通り、雅哉もここにいるようだ。本当ならば少しでもふたりきりにさせてあげたい気持ちもなくはないけれど、逆に危ないのかもしれないから、こっちのが良かったのかな。頷いた上総を視界から外して階段を上ろうと手摺りに手をかける。

「由未」

「え? ――!?」

 ぐい、と腕を引かれ、驚きに振り向けば、ふいうちのように唇が触れた。私が対応できないのをいい事に、いつもよりかなりいやらしいそれを仕掛けてきた。

「っ、ちょっと!」

 肩で息をしながら私が顔を赤くして怒鳴ろうとすると、シッ、なんて常識人みたいな顔をして上総は自身の唇にひとさし指を添える。

「そんな真っ赤な顔してたら、今何が起こったかばれちゃうよ。洗濯物を取り込んで、クールダウンしておいで」

「あ、あ、あんたね、誰のせいだと」

「あーもう、超可愛い。いっつもそんな反応だとやりがいあるのになあ」

 何だその言い方は。馬鹿馬鹿しくなって、私は冷静さを取り戻していく。ふう、と短く息を吐いて、なんとかいつもの無表情に戻った。改めて階段を上ろうと背を向けつつ、小さく呟いた。

「ったく……つまんないなら普段からキスなんてしなきゃいいのに……!?」

 乱暴に肩を掴まれて、今度は短い時間だったけれど再度、柔らかいものが当たる。

「誰がそんな事言った? いつもしたいからしてるに決まってるだろ」

「…………そりゃどうも」

 低い声で囁かれて、私は今度こそいつもの反応でやり過ごした。反対に胸は先ほどよりもうるさくてやかましくて、耳鳴りすらしてくるような気がする。決して悟られないようにと細心の注意を払いながら、じっと上総を見つめる。

 けれどもそんな私が気に入らないのか、傍目には何とも感じていない私の様子にまるで傷ついているかのように苦しそうな顔をする。……錯覚するから、やめてほしい。

 別に、自分を偽らなくたっていいのに。むしろ素直に白状してくれれば、私は安心して傍に居られるのに。

「じゃあ、さっさとクレープ持って行ってね。生クリーム痛んじゃうかもしれないから」

 リビングを指さして、私はさっさと階段を上がっていく。さすがにもう止められなかった。

 部屋に着いて、ティーシャツとハーフパンツに着替える。汗をかいて着替えるのがわかっているから、気の抜けた部屋着だ。今さら気取るような仲ではないから、そういう事は楽でいい。人並みに、デートなんてものもしてみたくない事はないけど、休日すら縛られるのも最近だと疲れて限界がおとずれるかもしれないから、今の距離感がちょうどいいのかもしれない。

「あーやっぱり暑い……」

 洗濯物を取り込むと、もうすっかり乾いていた。今日は夏なのに湿気もそこまで酷くはなくて、気持ちよくぱりっとしている。畳んでそれぞれに分類し、私の分はそのまま置いて、両親の部屋と時子の部屋にそれぞれ畳んだものを置いてくる。作業が終わって洗面所に向かい、軽く顔を洗って制汗スプレーを一応はして、洗面所を出た。

「いらっしゃい」

「お疲れさま。暑かったんじゃない?」

 リビングへ入ると冷房の効いた部屋が心地良くて、思わず息を吐いた。訪問のあいさつを軽くした私に、労いの言葉を雅哉がかけてくれて、私は大丈夫だと微笑んだ。いつもまずそういう声かけをしてくれるのは雅哉なんだよね。

「由未」

「ありがとう」

「本当に大丈夫? 冷えピタいる?」

 冷蔵庫で冷やされたスポーツドリンクを渡してくれたのは上総だ。いつも、私が欲しいものを言葉よりも早く用意してくれるのは彼だった。だから、上総に引かれてしまったのは自然だったのかもしれない。

 心配性の時子は、いつも洗濯物を取り込んだあとに私の世話を焼こうとする。自分の体調がいいか悪いかくらいは把握できるので、大丈夫だよ、と改めて言ってやる。やっとそれが落ち着くと、今度はかいがいしく私のために飲み物を用意してくれる。

「コーヒー? 紅茶? ココア?」

「んー、コーヒーかな」

 ここできちんと自分の希望を言わないと、時子は怒るから、素直に伝える。コーヒーと紅茶とココアっていう選択肢は、ここにいるみんなの好みがバラバラだからだ。私は、気分によって紅茶が美味しかったりコーヒーが美味しかったりと様々だけれど、一貫して時子は紅茶が好き。雅哉と上総もどちらかというと紅茶派なので、いつもついついそう言ってしまって、いつだったか疲れた時に紅茶を飲んだあと、どうしても欲しくてこっそりとコーヒーをいれると時子が嘆いた。時子にとって、みんなの口に入るものを用意するのは彼女の役割だと思っているようだった。私もそういう所があるから、きちんと頼ろうと考えを改めた。

「じゃあ、俺もコーヒーもらおっかなあ」

「あれ? 雅哉って苦手じゃなかった?」

 ソファに座っていた雅哉に首を傾げると、雅哉は微笑んで首を振った。

「いやそんな事ないよ。俺はけっこうどっちもいける。最近はむしろコーヒー派になりつつあるかも」

「へえ、そうなんだ」

「そうそう。最近は私にコーヒーねだる事多いんだよ。ねえ?」

「ははーん、それで前より上手になったわけか」

 対面式のキッチンで微笑む時子に、にやにやと笑いながら言ってやると、時子が由未! と声を高くする。

「相変わらず由未は時子をからかうの好きだねえ」

 私がキッチンカウンターにくっつくように備え付けられているダイニングテーブルに腰を下ろして、上総は同じくキッチンで何かの作業をしている。平日はよく四人で晩ごはんを食べるから、ふたりはそこそこ帰るのが遅い。場合によっては親公認で泊まる事もある。それぞれの親は、ただふたりきりになるよりははめを外さないだろうと私たちを信頼しているのかなんなのかよくわからない事を言っていた。

 きっと今の上総は、明日の私と上総の分のお弁当の仕込をしているのだろう。だから距離が近いのもわかるのだが、そんな上総がなぐさめるように時子の頭を撫でて、私はずきんと胸が痛んだ。思わずといった風にちらりと雅哉を見ると、少し面白くないオーラを出していて、案外彼も余裕がないんだな、と笑ってしまう。

「……何かな、由未」

「いやいや。お姉さんがなぐさめてあげようかなって」

「たかだか数ヶ月だろ!」

 まだにやにや笑いにおさめていたけれど、むきになる男によってついには噴出してしまい、私は雅哉が座るソファへと腰かけると、上総が時子へしたように、私が彼の頭を撫でてやる。いかにも嫌そうで、私はそれにも面白くなってしまう。

「数ヶ月でも私がいちばん年長だからねー。よしよし、大丈夫、寝ても覚めても時子はあんたの事で頭がいっぱいだよ?」

「…………別にそれくらいわかってるって」

 ふてくされたようでいて、少し成長して大人になった男が苦笑いする。それに、うん、と頷いて、私はぐしゃぐしゃにしてしまった雅哉の髪を整えてやった。

 私と雅哉は、同じ学年なのだけれど私のが三ヶ月誕生日が早く、私がいちばん四人の中では歳が上なのだ。ちなみに上総と時子なんて上総が三月生まれで、時子が四月生まれなものだから、差は一ヶ月もない。それなのに三人が同じ学年で自分だけが違うという事実は、時子にずいぶんと孤独感を植え付けたようで、私たちは末っ子をこれでもかと可愛がったものだ。

「はい、コーヒー!」

 どん、とソファとセットになっている硝子のテーブルにマグカップが置かれて、さらにはやや乱暴にクレープがぺしん、と隣に添えられた。おいおい、形崩れるって。

 見ると、今度は時子がふくれっ面だ。なんだこいつら忙しいな、私含めてだけど!

 私はにやりと笑って、時子に体当たりのように身体をぶつけると、髪をぐしゃぐしゃにしてやった。時子が半泣きになるくらいいじり倒してやると、私がぐいっと時子を引っ張って、雅哉の隣に座らせる。

「ほら、髪の毛直してもらいな。お姉ちゃんはあっち行ってるからね」

 コーヒーありがとね、と伝えてマグカップを持ち、そそくさとダイニングテーブルに戻る。やっぱりあのふたりはセットになっている姿を見るのがいちばん和む。雅哉が笑いながらていねいな仕草で時子の髪を直している姿を見ると、口の中が甘くなってブラックコーヒーが全然苦くないような気すらした。

「…………ねえ」

「!? うわっ」

 ふたりを眺めながらコーヒーを啜っていたものだから、目の前に顔があるのに気が付かなかった。いつの間にか作業を終わらせたのだろう。上総が隣に音もなく座っているからびっくりした。

「いつまで、そうなの?」

「え?」

「もうそろそろ、限界だよ俺……もう本当に、手足を折っちゃだめ?」

「え? いやあの、え? あんた今、俺っつった?」

 据わった瞳で、とんでもなく低い声。普段のきれてる上総も見慣れたはずだったけれど、いまだかつてない程に何かに追い詰められている。一体、どういう事なんだろう。しかも『俺』って。

「雅哉と勘違いされたら嫌だったから、ずっと僕って使ってただけ」

「ん? ああ……そういやふたりって他人なのにちょっと声似てるもんね」

 声だけだとどっちだかわからないと言われる私と時子ほどじゃないけど……ってああ、嫌な事思い出しちゃった。なんなんだよ、もう。

 眉間に皺を寄せていると、いつの間に掴まれていた腕が、みしり、と軋んだ。……すげー痛い! 何事!?

「ちょっと」

「何、身代わりにしているってばれたのがまずいと思ってるの? 今さらだよ」

「!?」

「あはは、その顔。どうして知ってるんだって顔だね。そんなの、とっくの昔に知ってたよ。でも、雅哉と俺はそれほどじゃない。それに由未は内心優しいから、それだけじゃちょっと弱いと思って、さらに付け足したりもしたけど」

 とっくの昔? さらに付け足した?

 いやいやいやいや、待てよ。なんかさっきからズレっていうか、おかしくないか? 何か、今の言い方だとまるで、私が。

「もう限界だ」

「え、ちょ」

「ちょっとふたりでコンビニ行ってくるね。ふたりは存分にいちゃついてていいよ」

 にっこりと微笑んでからかいの言葉を雅哉と時子に投げかけた上総は、ふたりに何言ってるんだ! と怒鳴られながらも、わざとらしく笑ってリビングをあとにした。

 え、ちょっと待って。これはやばくない? どこに向かってんだ、これ。

 ぐいぐいと引っ張られながらも、ここで抵抗したところで多分担いででも連れて行かれるんだろうなとはわかっていた。何よりも、恐らく私たちには話し合いが必要なはずだ。どう考えたって、上総は物凄い勘違いをしているし、しかしそうだったとして、利害関係が一致するだけのはずだ。どうして彼が怒っているかがわからない。

 もしかして。

 いやいやいや、まだだ。まだ待て。期待しちゃいけない。さんざん期待して、今まで何度も心をぺしゃんこにされたのだ。今度こそ私は壊れてしまうかもしれない。私という自我をしっかりと保つ為にも、ここは慎重にいかねばならない。

 にしても――おかしい。てっきり上総ん家かと思ったけど、どうやらそうじゃないぞ。私の家と同じ住宅街だから、そっち方面に進むと思ったら駅の方に向かってる。どういう事なんだ。

 私が疑問に思いながらもずんずんと上総は進んで行く。やがて辿り着いた場所は、駅前にあるとあるマンションの一室だった。オートロックを解除し、部屋の鍵を開き、入って行く上総に無言で驚いていると、鍵をきちんと施錠した所で上総がやっと口を開いた。

「家の両親も仕事人間だって知ってるでしょ? 帰りが朝方になる日はここでシャワーだけ浴びてまた出勤したり、仮眠を取ったりしてるんだ。お金もほっとくと溜まるばっかりだしいつか上総が一人暮らしでもしたらいいって合鍵をくれたんだよ」

「えええええ……!? だったらせめてもっと安いアパートでよくない!?」

 オートロックだし駅前だし。何より部屋がすんごい広いんだけど。物がないからってのもあるだろうけど、なんでこんなにたくさん部屋数あんの?

「どうせなら買っちゃおうって言ってたから、あまり妥協したくなかったんじゃない? 暮らし自体はけっこう質素にしてるから親がお金持ちってあんまぱっとしなかったけど、こういう時は頭おかしいって思うよね」

「……頭おかしいって思う時点でしっかり庶民だよね」

 ぽつんとベッドしかない部屋でふたりとも立ったままそんな会話をしている。何だかおかしくなってくすくすと笑っていると、上総が目を丸くした。

「…………久しぶりだ」

「え?」

「俺の前で、由未が笑うの。最近、無表情ばっかりだから、辛かった」

「まあ、笑いたい心境でもなかったし」

「……っ」

 どうしてここに連れて来たのか、それを思い出したのだろう。上総からどす黒いオーラが放出されると、私の身体を押し倒そうとしてか、私の肩に手を添えるとぐっと力を入れた。私はそれに慌てる。

「ストップストップ! あのさ、多分、いや、どう考えても上総は誤解してるでしょ!?」

「何が? わかってるよ、全部。俺と嫌々付き合ってるって事も」

「だーかーら! あんた、私が雅哉の事を好きで、あんたの声が雅哉に似てるから付き合ってるって思ってるでしょ!?」

「…………それだけじゃない。俺が、時子と雅哉の仲を壊すかもしれないからそれを恐れてるんでしょ? 時子の事を俺が好きで、由未を身代わりにしてるって思ってるから、俺が暴走しないように渋々付き合ってくれてるんでしょ?」

「!? あんた……やっぱり」

「知ってたよ。由未がそう思ってるの知ってて、利用してたんだから」

 苦しそうな顔をして呟く上総の顔が、どうも腑に落ちない。やっぱりそうなの……?

「どうしてそんな事したの」

「……っ、まだわからないの? 好きだからだよ、由未が! 時子の事は、妹のように大切だとは思っているけど、それ以上の感情なんてない。いつだって、俺が女として好きだって思うのは、由未だけだ!」

 ああ――やっぱり。

 嘘でしょ。私たち。馬鹿みたい。馬鹿すぎて、笑える。

「じゃあ……たまご焼きが甘いのも、クレープを買ってくるのも、全部わざと?」

「そうだよ。本当はしょっぱいのが好きなの知ってるし、クレープも嫌いじゃないけど本当は学校の近くなら和菓子屋の方がお気に入りなのも知ってる。かずちゃんって呼ばせるのだって、勘違いさせる為ももちろんあったけど、由未にそう呼ばれたら痺れるくらい嬉しいってだけだ」

「…………あのさ、上総」

「何」

 いかにも不機嫌な顔で、不機嫌な声音を上げるけれど。わかっているのだろうか。

 おまえなんぞより私のがよほど不機嫌どころか不快だという事を。

「一発――いや、顔面の中心を十発くらい殴ってもいい?」

 満面の笑みでそう言ってやった私は、何も悪くないと思う。



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