scene:94 自衛官とゴブリン
薫の研究所へ行った翌日、俺と宇田川紅音はJTGの支部ビルへ行き報告書を提出した。
「宇田川君、報告書によると料理研究をしている合間に訓練をしているように読み取れるんだが、大丈夫なのか?」
俺は正直な人間は好きだが、あんまり融通の効かない性格なのはどうかなと思う。報告書は書き方一つで相手に与える印象が変わって来る。見習いであるアカネさんの訓練は俺に任されているので、東條管理官の突き刺さるような視線が痛い。
「もちろん、大丈夫です。ミコトさんのチームに入れたので、ミトア語は既に習得していますし、サバイバル訓練も十分に行っています」
異世界で鍛えられたアカネさんはかなり逞しくなったようだ。既に魔導寺院で『魔力袋の神紋』と『魔力変現の神紋』を得ており、薫から使える応用魔法を学んでいた。
『魔力変現の神紋』を元にする魔法は基本魔法の<変現域>と魔導寺院で公開している<発火><湧水><明かり><拭き布><矢>があり、俺と薫が開発した<炎杖><缶爆><閃光弾><冷光><洗浄>を合わせるとその数は二桁に達する。
これだけの応用魔法をアカネは使えるようになったのだ。使える応用魔法の数はアカネの自信に繋がった。
「それならいいんだが……ミコト、しっかり鍛えて早く一人前にしろ。我が支部の案内人の数が増えないと私の責任になるのだからな」
「頑張りますけど、何処まで鍛えればいいんです?」
「依頼人を連れて迷宮と樹海を案内出来るくらいには鍛えなければ使いものにならんだろう」
東條管理官に言われ困ってしまった。
「迷宮と樹海ですか……俺だって自信ないのに」
実際に行った事のない者は、迷宮と樹海の恐ろしさが判らないのだ。十数年もハンターをやっている者が命を落とすのが迷宮と樹海なのだから。
「宇田川くんの事は任せるとして、大学病院からの依頼で変更が有る」
「何でしょう?」
「異世界で治療を行う三人の患者の中で、一人を次のミッシングタイムで異世界に連れて行って欲しい」
「エッ、それって明日じゃないですか」
またまた東條管理官の無茶な命令だった。
俺たちが帰還した直後、小瀬たちがテレビに出演し異世界での体験(?)と再生した指を喧伝した結果、異世界での受け入れ態勢が整わないうちに患者の一人であるピアニストが異世界で再生処置を受けたいと言い出した。
その患者は若くして天才の名を勝ち取った有名なピアニストで、交通事故で左手の薬指と小指を失くした人だった。病院は事故で切り取られた指が繋げられないか努力したらしいが無理だったようだ。
東條管理官はまだ仮の宿泊施設しかなく快適な生活を保証出来ないと言ったそうだが、一刻でも早く指を再生しリハビリを始めたいと言うのだ。
翌日、依頼者の意志を最終確認した俺たちはピアニストを異世界に連れて行く決定をした。
その夜、アカネさんが一人目の患者と一緒に異世界に転移した。
オリガの異世界転移に必要な手続きと自衛隊との打ち合わせが終わっていない俺は日本に残り、アカネさんとピアニスト児島恭司は先行し異世界に行った。向こうでは伊丹さんが待機しているはずなので問題無いだろう。
日本に残った俺は自衛隊から派遣される三人と顔合わせをすると連絡があり、支部ビルで待っていた。どうせマッチョな兄貴たちが来るのだろうと溜息を吐いて窓の外を見ていると、自衛隊の業務車がビルの下にある駐車場に停るのが見えた。
車から出て来た三人を見てオヤッと思う。二人が女性自衛官で一人が痩せ型の若い男だったからだ。
暫く待っていると三人が俺の居る三階に上がって来た。俺は三人をソファセットが無ければ取調室に見える殺風景な部屋に案内した。
お互いに自己紹介をし、俺は依頼人を観察した。目付きの鋭い背の高いモデル体型の女性自衛官は倉木いずみ、可愛い感じの小柄な女性自衛官は森末美由紀、割とイケメンで軽い感じの筧将吾。
何となく自衛官というイメージからは外れているような者たちだ。
「君は優秀な案内人と聞いているが、ランキングではどれくらいの位置にいるのです?」
倉木三等陸尉が質問した。俺が若いので心配になったのだろう。
「真ん中くらいですかね。これでも急成長中なんですよ」
俺が答えると、聞いた筧一等陸曹がガッカリしたような顔をする。そして、呟くような小声で。
「俺は伊達って言う案内人のチームへ行きたかったな」
しっかり聞こえた。伊達というと豪剣士と呼ばれるランキング上位の案内人の事だろう。
「あそこのチームには一等陸尉以上の精鋭が派遣されたわ。懲罰人事で降格されるような男じゃ無理よ」
倉木三等陸尉が鋭い視線を筧に向ける。……つまり、精鋭チームから漏れた自衛官が俺の所に来た訳だ。何となく自衛隊の俺に対する評価から、そうじゃないかと思っていたがショックだ。
「ふん、一般人とちょっと揉めたぐらいで厳し過ぎるんだよ」
後で知ったが、筧という青年はナンパした女性の兄貴と揉めたのが自衛隊の幹部に知られ降格させられたらしい。
気を取り直した俺は尋ねた。
「訓練期間は一〇日だと聞いているんですが、そんな短期間じゃ大差ないと思うんです。伊達さんの所は、どのような訓練を用意しているんでしょう?」
他の自衛隊員と差が付くようなら拙いので、スペシャルコースとか用意しなければならないのかと一瞬思った。
「聞いた話では魔粒子を吸収出来るようにしてくれて、魔法が使えるまで訓練するようよ」
東條管理官から聞いた話と合致するので、スペシャルコースは必要ないようだ。
「それくらいは、こちらでも考えています」
俺の答えを聞いて、三人は幾分安心したようだ。それに魔法と聞いて森末陸曹長が興味を持ったようで、初めて声を上げた。
「しょぼい魔法とかじゃ駄目です。実戦に使える魔法でないと」
小動物に似た感じの容貌に似付かわしい可愛い声だった。薫と同じアニメの魔法少女を見て育った世代なのだろうか。
「皆さんの任務がどのようなものかは承知しています。オークにも効果のある魔法を考えています」
取り敢えず依頼人の不安を打ち消し、異世界での予定と迷宮都市と樹海について説明した。最後に筧一等陸曹から、何か必要な物は有るかと尋ねられた時は苦笑した。
「ご承知の通り、異世界には下着しか持ち込めません」
「武器はどうなるのだ?」
「向こうの世界の武器を用意しています」
「槍とか剣なんだろ。俺は銃が得意なんだがな」
「異世界に銃は存在しません。火縄銃くらいなら作れるかもしれませんが、魔物の体は頑強で小物しか倒せないでしょう」
この後、担当の者から異世界でのルールや危険行為について説明を受け三人は帰った。
次のミッシングタイムが来た時、俺とオリガ、三人の自衛官は樹海の中に有る転移門に居た。今回使ったのは最初にゲートマスターとなった転移門の洞窟だった。
転移門の光が消え辺りが真っ暗になる前に<明かり>の呪文を唱えた。頭上に炎の玉が出現し、オレンジ色の光が洞窟の中を照らす。<明かり>はその場所に固定される魔法である。<冷光>と違って明りを動かせないので使い道が限定される。
俺は周りを見回し小さな子供が地面に倒れているのを見付け抱き上げた。オリガは転移した衝撃で気を失ったようだ。
自衛官たちが呻きながら起き上がる頃になって、外から伊丹さんが入って来た。
「ミコト殿、大丈夫でござるか」
「問題ない。それより依頼人の世話を頼む」
伊丹さんが自衛官たちの間を回り着替えなどを配る。流石に鍛えられている自衛官たちは回復が早いようだ。服を着た森末陸曹長が<明かり>で作り出された炎の玉を見詰めていた。
「ミコトさん、それは魔法ですか?」
「そうだよ、簡単な応用魔法の一つだ」
「私も使えるようになりますか」
小型犬のポメラニアンに雰囲気が似ている森末陸曹長は、犬好きなら一発で参ってしまうようなつぶらな瞳で俺を見詰めながら尋ねた。
「適性次第かな。人によって相性のいい神紋が異なるので、必ず使えるようになるとは断言できないんだ」
「相性か……」
森末陸曹長が黙ると倉木三等陸尉が鋭い視線を俺に向け、武器は無いか尋ねる。俺は洞窟に作った隠し部屋に案内した。片腕にオリガを抱いたまま岩に見せかけた板を退かし久しぶりに隠し部屋に入る。
中に有る照明魔道具を点けると槍や剣などの武器と服・背負い袋・手拭い・サラシ・毛布・帆布などの入った箱が闇の中から浮かび上がった。
倉木三等陸尉が鋼鉄製の剣を、筧一等陸曹が短槍を選び。最後に森末陸曹長が竜爪鉈を選んだのを見て俺は苦笑した。その武器を選ぶ奴が居るとは思っていなかったからだ。
「ミコトお兄ちゃん?」
オリガが目を覚ました。用意してあった服を着せ魔物の革で作った靴を履かせる。
「服や靴のサイズはちゃんと合っているかい?」
「うん、大丈夫みたい……ここは異世界なの?」
「そうだよ」
俺はオリガの小さな手を握って伊丹さんの所へ戻った。伊丹さんは洞窟の入口に薪を集めて焚き火を起こしていた。夜明けまでは少し時間が有るのでオリガは休ませる事にした。
隠し部屋から帆布を取り出し帆布を地面に敷き、オリガを座らせた。
隠し部屋から戻って来た自衛官たちが焚き火の傍に座り自分の選んだ武器を確かめる。伊丹さんが森末陸曹長が持っている竜爪鉈を見て驚いたような顔をして。
「森末殿は、竜爪鉈を選ばれたのでござるか?」
三人は伊丹さんの武士言葉に怪訝な表情をするが、事前に説明してあるのですぐに表情を戻し。
「竜爪鉈? この鉈は特別なの」
「ミコト殿の予備の武器でござる」
森末陸曹長が俺に確かめる。
「エッ、これを選んじゃいけなかった」
「いや、失くさなようにしてくれたら使ってもいいよ。……でも、その竜爪鉈に慣れると本番で苦労するかもしれないよ」
「どういう意味ですか?」
「そいつはワイバーンの爪を加工して作った特別製で威力が有るんだ。本番のオーク偵察には持っていけないから普通の武器に変えた時に違和感を持つかもと思ったんだ」
「そんなに威力のある武器なんですか」
森末陸曹長は驚いていたが、少しだけ竜爪鉈の威力を確かめたいというので使わせる事にした。
そうしているうちに夜が明け、樹海の樹々の間から太陽が顔を覗かせる。
「今日の予定はゴブリンの住み着いているエリアを通り抜けココス街道へ出ます」
態々ゴブリンの住み着いているエリアを通るのは、自衛官たちが魔物に慣れる為と魔物が死ぬ時に放出する魔粒子を浴びて貰う為だ。
「あの小さい奴か。もしかしてうじゃうじゃ出て来るのか」
筧一等陸曹が面倒臭そうに言う。……ゴブリンをなめているな。まあ、魔物の中では最も弱い部類に入る奴だと知られているからな。でも、力だけなら大人に匹敵するし殺意を込めて襲って来るあいつらは、初心者には難敵なんだけど。
俺は自分が使うつもりだった竜爪鉈を森末陸曹長に取られたので隠し部屋から短槍を持ち出した。オリガは伊丹さんに用意して貰った背負子に乗せる。木製の骨組みにベルトで荷物を固定するように作られたものだ。背負子にオリガを乗せベルトで固定する。
「大丈夫か、ベルトがきつくない?」
「うん、平気だよ」
「子供を背負って大丈夫なのか?」
倉木三等陸尉が可愛いオリガを見て心配になったようだ。
「この辺りは樹海の浅いエリアだから、心配ないですよ」
伊丹さんが隠し部屋の扉を元に戻し、洞窟の入口を丸太や草を使って隠してくれたのを俺は確認して出発の号令を発した。
俺たちは洞窟から東に向かいゴブリンのエリアに踏み込んだ。
定期的に<魔力感知>を使い索敵しながら進んでいるとゴブリンらしい三つの魔力を感知する。俺は伊丹さんだけに見えるよう三本の指を立て合図を送る。伊丹さんが頷いた。
自衛官たちに知らせないのは、突然魔物と遭遇した時にどういう反応を示すか見るためである。
突然、ゴブリン三匹が木の陰から現れた時、自衛官たちは動きを止めた。パニックを起こした訳ではなく、初めて魔物に遭遇し驚いたのだ。
三匹とも武器は棍棒であった。俺が声を上げる。
「敵ですよ。戦って下さい」
倉木三等陸尉がハッとして、気持ちを切り替え命令を出す。彼女が一番階級が上なので指揮するようだ。
「筧は右、森末は左を」
そう指示を出すと真ん中のゴブリンに向かっていく。
三人は精鋭チームには選ばれなかったが、流石に偵察部隊に選別された自衛官らしく優れた武術を習得していた。倉木三等陸尉は甲源一刀流を学んだ父親から教えを受けた剣術家で剣道の段持ちでもあった。
ゴブリンが棍棒を振り下ろすのを見て、倉木三等陸尉は剣で受け流す。それは小さな頃から鍛え上げられた反射的な反応だった。小さな外見から想像した以上に力の篭った一撃だったので、ヒヤリとする。ゴブリンは興奮しガムシャラに棍棒を振り回す。二撃目、三撃目の棍棒を受け流すうちに、冷静に考えられるようになった。
緑の皮膚と醜悪な顔、額に小さな角が有るのに気付く。ほとんど裸で腰に汚い布を巻いているだけだった。激しく動くと布が跳ね上がり、見たくなかったものが見えた。
「セクハラゴブリンめ、殺す」
倉木三等陸尉は初めて殺意を覚え、ゴブリンの攻撃を躱すと走り抜けるようにして敵の胴を撫で切った。
俺は薫と同じような反応をする彼女を見て、異世界に慣れるのは意外に早いかもしれないと感じる。
筧一等陸曹は高度な銃剣術を習得しているが、ここには銃がないので短槍で戦っていた。棍棒の攻撃を槍の柄で払おうとして、ゴブリンの意外な力に押し込まれてしまった。体勢を崩した所にもう一撃が左肩に命中する。
「クッ、痛えよ。こいつ」
攻撃が命中したゴブリンに隙が生まれ、筧一等陸曹が回し蹴りを放った。足の甲がゴブリンの頭を蹴り飛ばす。倒れたゴブリンに駆け寄った筧一等陸曹が止めの突きを入れた。
森末陸曹長は沖縄空手を習っており、短杖術も習得していた。彼女が竜爪鉈を選んだのも短杖の形状に最も近かったからだ。
ゴブリンの攻撃を躱し大きく振り被った竜爪鉈をゴブリン目掛けて振り下ろす。ゴブリンとはいえ大ぶりの攻撃は躱せる。避けられて体勢を崩した所にゴブリンの体当たりが襲った。
「キャア」
可愛い悲鳴を上げ地面に倒れた森末陸曹長だったが、一回転して素早く起き上がる。
それまで黙ってみていた俺はアドバイスする。
「竜爪鉈は威力が有るんだ。大振りするな」
「はい」
森末陸曹長は慎重に構え、棍棒の一撃を素早いステップで躱し竜爪鉈をゴブリンの肩に振り下ろす。先程の大振りとは違い腰の動きを上手く使った鋭い一撃であった。ワイバーンの爪はゴブリンの肉体に食い込み切り裂いた。
「アッ」
竜爪鉈を振るった森末陸曹長が、その威力に驚きの声を上げた。ワイバーンの爪はゴブリンの肋骨も断ち切っていたからだ。
死んだゴブリンの体から魔粒子が放出され、俺と伊丹さんの体に吸収される。しかし、一部は倉木三等陸尉たちやオリガの体にも吸い込まれ微量だが蓄積した。魔粒子を蓄積する魔導細胞を持たないオリガたちだったが、脳や内臓に飛び込んだ魔粒子は細胞が更新されるタイミングでないと排出されないので体内に蓄積される事になる。
「伊丹さん、筧一等陸曹の治療を」
「承知した」
ゴブリンに打たれた肩を痛そうにしている筧一等陸曹の所へ伊丹さんが行き治療を始めた。赤く腫れ上がっている肩に手を当てた伊丹さんが<治癒>の呪文を唱える。
その手の中に淡い光が生まれ、その光を浴びた筧一等陸曹の肩から腫れが引く。リアルワールドでは有り得ない光景に自衛官たちが驚きの声を上げた。
「これこそ魔法ね」
リアルワールドの人間が一番感銘を受けるのは治癒関係の魔法らしい。
目の見えないオリガが不安を覚えたようで、何が起こったのか訊いて来た。
「ミコトお兄ちゃん、何があったの?」
「ああ、魔物が三匹襲って来たのを自衛隊の人が退治してくれたんだよ」
「自衛隊って……怪獣と戦っている人たち」
「ちょっと違うね。日本を守ってくれる人たちだけど、怪獣とは戦わないんだ」
「だったら、何と戦うの?」
ちょっと困った。
「これからは魔物と戦うようになるのかな」
「ふ~ん」
俺たちは樹海を横断し、その日の夕方ココス街道に到着した。途中、十数匹のゴブリン、五匹の長爪狼、スライムなどと遭遇し、そのすべてを自衛官三人で退けた。
「初日からハード過ぎるわよ」
「自分たちを殺す気か」
「絶対、イジメです」
それぞれが泣き言を言いながらも、ココス街道沿いの村まで歩き通した。宿屋に泊まった三人は夕食も食べずに寝てしまった。
そんなに厳しかったかなと少し反省した俺は、明日の予定にちょっと長めの休憩を入れようと考えた。