scene:93 オリガとの約束
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今回から「第5章 異世界のオリガ編」です。
JTGの支部ビルに到着すると、俺はエレベータで五階に向かった。そこに東條管理官の部屋が有るのだ。ドアをノックし、入れと言う管理官の渋い声で中に入った。
窓を背にして東條管理官がデスクに座り書類を捲っている。窓から入る太陽光が管理官の頭頂部を光らせている。……眩しい。朝から管理官の顔は見たくなかったな。
「ミコト、座れ」
東條管理官がデスクの前にあるソファーを指差した。俺は指示に従いソファーに座ると次の言葉を待った。
「韓国のオークの件、詳細報告は読んだか?」
俺は頷き、テレビで見た映像を思い出した。それは帝王猿と軍人が戦っている映像で、韓国軍の精鋭をゴミのように放り投げる帝王猿の姿が映し出されていた。
久しぶりに見た帝王猿の姿に懐かしい思いと恐怖が湧き起こった。……あんな化け物とリアルワールドで戦いたくないな。ありゃ絶対、自衛隊の領分だよ。
「ええ、JTGの報告書とテレビの映像は見ました」
東條管理官はテレビの映像という言葉に顔を顰めた。あの映像を見た人々の多くがJTGに日本の転移門は大丈夫なのかと問い合わせており、JTGでも対応に困っているからだ。
「オーク帝国へ偵察部隊を送り込むという依頼に、お前も協力する事になった」
「エッ、私の参加は自衛隊に拒否されたと聞いていますが」
東條管理官が大きな溜息を吐き頭を振る。
「自衛隊の奴らは、異世界というものを理解しておらんのだ。お前を参加させたかった訳ではないが、年齢だけで拒否されるのは頭に来る」
「私はホッとしていたんですけど」
「頭に来る奴らだが、自衛隊もオークの言葉が判るメンバーは必要だと感じている」
その言葉でピンと来た。俺が異世界で集めた言語知識の詰まった知識の宝珠が欲しいのだ。
「知識の宝珠ですか。偵察部隊は何人居るんです。全員分なんて無いですよ」
「オークの言葉が詰まった知識の宝珠は何個有る?」
俺の手元には一二〇個ほどの知識の宝珠が有るが、その半分程を確認しオークの言葉であるジゴル語とミトア語が詰まっていたのは三個だけだった。
「三個ですね」
「だったら自衛隊の隊員三人を引き受けて貰うぞ。オークの言葉を教え樹海で鍛えてくれ。ついでに魔法の一つ二つ使えるようにしてくれると完璧だ」
……相変わらず勝手な言い草だな。魔法を習得するには相当な魔粒子を吸収しないと駄目なんだぞ……俺は心の中で愚痴を零す。
「偵察部隊の予定はどうなっているんです?」
「次のミッシングタイムで異世界に行き、一〇日間鍛えて帰還させろ」
俺は聞き慣れない言葉を聞いてオヤッという顔をした。それに東條管理官が気付き。
「二つの月が重なる時間を『ミッシングタイム』と呼ぶ事になった」
「けど、今の依頼はどうするんです?」
「あの二人の医師は順調に魔法薬の開発と研究を勧めているようじゃないか。平行して依頼を受けても問題無いだろ。人手は三人も居るんだ」
俺は上位の魔法薬を作る為には希少な素材が必要で集めるのは大変なのだと説明した。実際、上級の治癒系魔法薬と中級の万能薬を製造する予定なので、その素材集めには苦労すると考えていた。
「ミコト、私を甘く見るなよ。お前の実力からすれば、三人の面倒を見るくらい簡単なはずだ」
「クッ……判りました」
俺は依頼を承知し席を立とうとした。
「ミコト、これは独り言だ……JTGと政府が揉めている。韓国のオーク事件で転移門の管理に不安を持つ政治家が増え、案内人の活動を制限するような動きがある。私が、誰かを異世界に連れて行きたいのなら早めに連れて行くだろうな」
東條管理官の言葉にピンと来た。
「管理官、新たな依頼が有るのですが、引き受けて貰えますか」
「言ってみろ」
俺はオリガを異世界に二ヶ月ほど滞在させる依頼を出した。これで溜め込んでいた貯金のほとんどを失う事になる。後悔はしないが、準備不足なのが心配になる。
本当なら上級の再生薬が作れるようになってからオリガを異世界に連れて行きたかった。
管理官の部屋を出て、近くの喫茶店でサンドイッチとコーヒーを頼んで遅い朝食を食べながら考える。
「ヒュドラは無理だろうな。別な方法でオリガに光を与えられないか……」
幾つかの神紋が脳裏に浮かんだ。決めるには情報が足りないと考え、薫と相談してみる事にした。スマホで相談したいとメールを書き送信する。
三〇分後に返信が来て、薫の学校の近くで待ち合わせる約束をした。約束の時間は学校が終わった後になるので、児童養護施設の香月師範にオリガの異世界行きの許可を貰いに行った。
オリガの親代わりとも言える香月師範はオリガの異世界行きは許可してくれたが、自分は行けないと知って残念がった。
「ミコト、私もオリガに世界を見せてあげたい。だが、危険な目に遭わせたくもないのだ。大丈夫なんだろうな?」
「任せて下さい。オリガは絶対に守ります」
俺は香月師範がオリガを自分の子供のように可愛がっているのを知っているので、安心して貰えるようにオリガの安全を約束した。
俺が児童養護施設に到着したのがお昼過ぎだったので、幼いオリガはお昼寝の時間だった。日当たりの良い部屋で毛布に包まってオリガは寝ていた。透き通るような肌と幼児特有の丸みの有る可愛い顔は見ているだけで守ってやりたくなる。
「天使だ、天使が現世に降りて来ている」
俺が呟くと、香月師範もうんうんと頷いた。
「オリガ、お前に世界を見せてやるからな」
寝顔に向かって約束した俺は、薫と会う為に外へ出た。
薫の通う学校は、平凡な少年少女が通学する中学校だった。商店街から少し外れた場所に位置し、学校前の通りはそれほど通行人は多くない。
校舎の屋上には横断幕が吊るされていて、そこには『祝空手部、全国大会準優勝』という言葉が書かれていた。スポーツが盛んな学校のようで授業が終わると部活動の少年少女が校庭に飛び出し練習を始めた。
帰る準備をしていた薫は、クラスメイトの神埼に声を掛けられた。
「三条さん、今日は僕の誕生日なんだ。クラスメイトの何人かがお祝いしてくれるって言ってるんだ。良かったら君も来てくれないか?」
神崎は空手部の主力選手でイケメン、成績も良いという優良物件だった。しかも総合病院の院長の息子で、女子の人気も高い。クラスメイトの女子の半分と何人かの男子は、彼に好意を寄せているらしい。現に神埼の後ろに数名の女子が集まっていた。
だが、薫の眼中に彼は居なかった。
「御免なさい。今日は先約が有るの」
薫が誘いを断ると神崎の後ろに居た女子が口を挟んだ。
「三条さん、デートなの。それじゃあ仕方ないわね」
神崎が驚いたように声を上げた。
「ほんとなのかい。三条さんに彼氏が居るとは思ってなかったよ」
失礼な言葉だった。でも、そう思われるのは薫にも原因が有った。中学に入学して早々、美少女である薫にアタックする男子が大勢現れた。その尽くをふり拒絶した薫は、『鉄壁華人』と言う有り難くないあだ名を頂いた。クラスメイトの間に男嫌いなんだと噂が広まったほどであった。
「失礼ですね。彼氏くらい居ます」
薫が神崎の言葉に反発し言い返すと、クラス中から驚きの声が上がった。
「ありえない」「洪水注意報を出せ」「天変地異が来るぞ」
本当に失礼な奴らである。
「まあまあ、落ち着いて。人間誰しも見栄というものが有るよ」
薫の前に出て来た委員長の森村カエデが皆を沈める。―――更に失礼な奴が出て来た。薫は拳をギシッと音が鳴るほど握り締めた。
カエデは背が高く雰囲気が高校生くらいに見えるので、周りから頼られるタイプの少女だった。
「五月蝿いわね。今日は本当に彼と約束が有るんだから」
野次馬根性丸出しのカエデが、薄笑いを浮かべ。
「よし、確かめに行きましょう」
「冗談じゃないわ。付いて来ないでよ」
薫は手早くノートと筆入れを鞄に詰め込み教室を出た。
校門を出てすぐの本屋でミコトは待っていた。
「遅くなってごめん」
「いや、いいんだけど。後ろの人たちは誰?」
薫の後ろに、神崎とカエデを始めとする数人の中学生がぞろぞろと付いて来ていた。
「冴えないわね」「普通じゃない」「体付きはガッシリしてるよ」
そいつらが好き勝手に言い始めた。俺は微妙に不機嫌になる。
「気にしないで行きましょ」
俺は薫に引っ張られて商店街の方へと向かった。
「納得出来ないな。僕を振って、あんな冴えない男と付き合うなんて」
神崎が呟いた。それを聞いたカエデは面白そうに笑い、付けて行くのを提案した。
「駄目よ。神崎君の誕生日なんだから楽しまなくちゃ」
神崎のファンらしい女の子が駄目出しをする。
「そうよ。まずはゲームセンターに行こうよ」
神崎は数人の女の子に引き摺られるように街中に消えていった。
二人になった俺たちは、薫が経営する会社の研究所に向かった。郊外に有る自動車部品工場だった建物を買い取って改装し研究所にしたものだった。
この研究所で働く九割は暗号化を中心にセキュリティーシステムを研究していたが、残り一割は魔法の研究を始めていた。魔法関連の研究員は五名だけだが優秀な人材を薫が投入していた。
現在、研究しているのは魔粒子の結晶化である。魔粒子はリアルワールドにも存在しているのが確認されている。リアルワールドで魔導眼が使えるようになった俺は、各地のパワースポットを訪ね歩き、魔粒子が噴き出している地点を探しだした。
琵琶湖や熊野三山、鞍馬山を回り魔粒子の痕跡を探し、たった一箇所、魔粒子が水と一緒に地面から湧き出しているのを発見した。他の者が見れば唯の湧き水だと思うだろうが、その水には微量の魔粒子が含まれていた。
とは言え、その魔粒子は不活性なもので地上には何の影響も与えず、また地中へ吸い込まれていた。
薫と相談し、魔粒子の泉が有る土地を所有者から買い取った。人里離れた山の中だったので、土地の値段は安かった。魔粒子の泉から汲み上げた水は透明なタンクに貯められ、夕陽の光を浴びせた。
活性化した魔粒子同士は引き付け合う性質が有るので、それを利用した魔粒子集積装置で魔粒子濃度の高い高密度魔粒子溶液を手に入れた。魔粒子集積装置は、俺の体内に溜め込んであった活性魔粒子を練り込んだ銀で作製されている。
その高密度魔粒子溶液が研究所に運ばれ、基盤の上に結晶化が可能か研究している。
「荒瀬主任、研究は進んでいる?」
薫が魔粒子研究室のリーダーである中年男性に声を掛けた。黒縁の眼鏡を掛けた丸顔の男で、優秀な物理化学の研究者である。
「磁界と温度、水圧が鍵となるようです。更に基盤についてですが、白金の基盤が有力候補ですね」
基盤に魔粒子が結晶化すれば、そこに簡単な補助神紋図を刻めるようになる。魔晶玉に刻むような永続的に効果を持つものは駄目だが、一回限りの魔粒子を消費して魔法効果を発揮するタイプのものなら可能だろう。
「成功したら、世界がひっくり返るわね」
薫が期待に胸を膨らませ、明るい笑顔で俺に言う。
「どんな魔法効果の神紋図を考えているんだ?」
武器になるような神紋図だと規制させるだろうし、医療関係だと認可されるのに時間が掛るだろう。
「最終的には医療関係ね。それが一番需要が多いと思うのよ」
確かに指を再生するような魔法薬がリアルワールドで作り出せたら、魔法医学と言う新しい分野が生まれる。だが、そこまで強力な魔法効果を発揮するものは魔粒子だけでは完成しない。
ただ、生物の持つ治癒能力を強化するようなものなら可能かもしれない。
「医療関係なら、アメリカとかに研究所を移した方が良くないか。日本だと認可とかに時間が掛る」
俺が意見を言うと薫も同意した。
「そうだけど、急ぐ必要は無いと考えているわ。だって、ミコトが見付けた魔粒子の泉、魔粒子の噴出量が少ない。もっと大量に採取出来るポイントが発見されないと商業的には難しいと考えているのよ」
「そうか、カオルも魔導眼が使えるようになったんだから、自分で探してくれ」
「そうね。仕方ないわ」
俺は薫にオリガの事を相談した。
「上級の再生薬が無理なら、加護神紋を利用するしか無いわね。幾つか応用魔法を用意しましょうか」
「ありがとう……そうだ、初級属性神紋の応用魔法で使えそうなものがないか神紋術式解析システムのライブラリを見せてくれないか。今度面倒を見る自衛隊員に教えてやるんだ」
「もちろんいいよ。神紋術式解析システムに入力してあるデータの半分は、ミコトが集めたものなんだもの」
俺は研究所の中を見物させてもらい、薫と一緒に研究所を後にした。
薫と一緒に食事をしようと商店街に戻って駅前のレストランに行く途中、騒ぎが聞こえて来た。ゲームセンターの前に人集りが出来ていた。不審に思った俺たちが覗いてみると、神崎と連れの女の子たちが人相の悪い男たちと揉めていた。
女の子に囲まれ騒いでいる神崎を見て、四人の男たちが絡んで来たらしい。絡んだ男たちは半グレとか呼ばれる集団の一員で、格闘技の経験者も混じっていた。
「あれって、カオルのクラスメイトじゃないか。どうする助けようか?」
薫はちょっと考えた。神崎が空手部だったのを思い出したのだ。出来るなら関わり合いたくは無かった。神崎が時々見せる粘っこい視線に嫌悪を感じていたからだ。
「少し様子を見ましょう」
絡んでいる連中の一人で蛇のような眼をした男が、委員長のカエデに嫌らしい視線を向け。
「彼女、うちの出会い系サイトでアルバイトしないか。いい稼ぎになるんだぜ」
カエデが怯え神崎に助けを求めるように視線を送る。神崎がカエデを庇うように身を乗り出し。
「や、止めろ、僕の友人に手を出すな」
空手部の主力選手だとは言え、中学生と大人の体格にははっきりとした違いが有る。それを感じ取った神崎は普段とは違いおどおどした感じになっていた。
「ガキが……お前みたいなチャラチャラした奴には虫酸が走るんだよ」
蛇眼男が神崎の襟元を掴もうとした。神崎が反射的に、その手を払い正拳突きを放った。男の胸に拳が当たり、蛇眼男が二歩後退る。だが、ダメージは余り無いようで怒った男が怒声を発し神崎の髪の毛を掴んで引き摺り回す。神崎がよろけて倒れると、蛇眼男の仲間が神崎に蹴りを入れた。
「キャー」
神崎の取り巻きである女の子から悲鳴が上がった。それを聞いて俺は動いた。
「そこまでにしろ!」
もう一度蹴ろうとした男の襟を引っ張り止めた。
「何しやがる。ぶっ殺すぞ」
俺は四人の男に取り囲まれた。
その間に薫が神崎を助け起こし、クラスメイトと一緒に後方に移動した。
「三条さん、あなたの彼氏、大丈夫なの?」
いつの間にか復活したカエデが薫に尋ねる。
「彼はプロだから大丈夫よ」
その時、戦いが始まった。神崎を蹴った男が殴り掛かって来くる。奴の右手が顔に向かって伸びて来るのが、やけに遅く感じられギリギリで躱しながらクロスカウンターを奴の顎に叩き込む。
クタッっと腰が砕けるように奴が倒れた。
「ウワッ、一発で倒しちゃった」
薫の隣で見ていたカエデが驚きの声を上げた。足元では神崎が呻きながらもミコトの姿を凝視している。
仲間が倒されるのを見た蛇眼男が、仲間の男二人に俺を叩きのめせと命じた。一人は拳を顔の前に構えるボクサー特有の姿勢になり、ステップするように近付いて来た。
ボクサー男が素早いジャブを繰り出す。俺は上半身を振って拳を躱し奴の足にローキックをお見舞いする。その蹴りには相手を空中に跳ね上げるほどの威力が有った。相手の体が臍を中心にクルリと回転する途中で拳を奴の頭目掛けて振り下ろす。ボクサー男は白目を剥いて地面に激突した。
もう一人のガタイのいい男がタックルしてくる。避けると同時に奴の足を払った。地面を転がる男の体は街路樹に激突し動かなくなる。
「凄いわね。映画の格闘シーンを見ているみたい。三条さん、彼はプロだって言ったけど、格闘家って意味なの?」
「ミコトは古武術を習っているけど格闘家じゃない。まあ、仕事で戦う機会が多いというだけよ」
カエデは首を傾げ、仕事って何だろと考えた。
蛇眼男は唖然としていた。仲間三人がアッという間に倒されたのだから無理もない。気を取り直した蛇眼男はキョロキョロと視線を巡らし薫に目を付けた。
人質にでもしようと考えたのか。薫目掛けて駆け寄り、薫の首に手を伸ばす。
俺はそれを見て吐き捨てるように言う。
「馬鹿な奴」
薫が奴の腕を取り引っ張ってバランスを崩し相手が倒れないように踏ん張った瞬間、相手の斜め後ろに回り込んだ薫の腕が相手の首を巻き込んだ。合気道の入り身投げに近い技だが、投げる角度が違う。受け身が取り難いような角度で投げ、相手の腰をアスファルトに叩き付けた。
「ちょっと、ナイト失格よ」
「いや、カオルなら大丈夫かなと思って」
俺は薫に謝り、レストランに向かって歩き始める。そこにカエデが慌てたように呼び掛ける。
「待って、この後始末はどうするのよ」
「すぐに警察が来るだろうから、その前に逃げた方がいいよ」
薫はそう言うと俺の腕を取り現場を逃げ出した。
2015/10/13 分かり難い表現を修正
2016/12/27 誤字脱字修正




