scene:87 戦力増強
久しぶりに迷宮へ潜る薫は、自分の持つ攻撃魔法に不安を覚えていた。『風刃乱舞の神紋』は魔力消費量も少なく素早い攻撃が可能な魔法が揃っているので気に入っているが、硬い外殻を持つ魔物を相手にする場合、威力不足だと戦争蟻との戦いで痛感した。
『風刃乱舞の神紋』を改造し呪文無しで使える基本魔法を<風刃><豪風刃><三連風刃>の三つに増やした。その中で戦争蟻に効果が有るのは<豪風刃>だけであり、それも関節を狙わないと仕留められなかった。
薫は『魔導眼の神紋』を授かった事で神紋記憶域の空きがどれくらい有るか感じられるようになっていた。現在、四つの神紋を持っているが、神紋記憶域の空き容量は七割以上残っているように感じれる。
エヴァソン遺跡で発見した『神威光翼の神紋』を手に入れるつもりなので、その分の容量を加味しても他の神紋を三つか四つは授かれるだろう。薫が望んだ通り比類なき魔法使いになれそうだ。
本心を言えば『神威光翼の神紋』を手に入れたいのだが、今の薫は授かるだけの条件を満たしていなかった。『神威光翼の神紋』の神紋付与陣を修復し、その神紋の扉が反応するかを試してみた。結果は悔しい思いをしただけだった。
趙悠館建設予定地の一角に作られた東屋で、俺と薫の二人でハーブティーを飲んでいる。柱六本と簡素な屋根だけの建物だが、日影と海の方角から吹いてくる風が気持ちよく、暑い夏には過ごし良い場所だ。薫が真剣な顔で、魔法攻撃力を強化する為に必要な神紋について考えていた。
「戦力の増強はしたいけど、中々良いアイデアが浮かばないのよね」
迷宮攻略で戦力不足となる不安を口にする。俺は薫に視線を向け。
「第二階梯神紋の凍牙氷陣か雷火槍刃にしたらいいんじゃないか」
属性魔法が使えるようになる神紋の中で第二階梯に属する神紋は、紅炎爆火・土属投槍・凍牙氷陣・雷火槍刃・風刃乱舞が迷宮都市の魔導寺院に存在する。その中の風刃乱舞を薫は所持しているので、他の神紋を提案した。
「風刃乱舞よりは威力が有りそうだけど、正面から一発で仕留めるだけの破壊力が無いのよ」
「第三階梯神紋の天雷嵐渦や崩岩神威なら十分な破壊力は有るけど、迷宮内で使うような魔法じゃないからな」
ミコトが上げた二つの神紋で使えるようになる魔法は広域攻撃魔法であり、狭い迷宮内で使えるようなものではなかった。
「アッ……改造したらいいんじゃない。天雷嵐渦は難しそうだけど、崩岩神威なら何とかなりそう」
加護神紋の改造と聞いて、俺は羨ましそうに薫を見た。
「何、どうかした?」
「どうやったら加護神紋を改造なんか出来るんだ。教えてくれよ」
頼むと薫がちょっと考えるような仕草をして。
「仕方ないわね。ミコトだけに特別に教えてあげる。その代わりに……」
「分かってるよ。リアルワールドで活性化した魔粒子の件だろ。『魔力変現の神紋』を使って俺の体内にある魔粒子を体外に放出すれば、夕陽の光エネルギーを使って魔粒子を活性化させられる」
リアルワールドで活性化した魔粒子を吸収した時、筋肉中に新たな魔導細胞が生まれるのを感じた。異世界で身に付けた魔導細胞とは違うリアルワールド専用のものだ。そして、授かった神紋が活動を始めるのを感じた。
「それを吸収すれば、私も日本で魔法が使えるようになるのね」
「ああ、ちょっとした魔法なら使えるようになる」
リアルワールド専用の魔導細胞は細胞内に溜め込める魔粒子の量が多いようだ。その代わり吸収した魔粒子の量と比較して発生数が少ないように感じる。その影響なのか使える魔力量が極端に少ない。
試した結果、使えたのは基本魔法である<魔力感知><変現域>の二つだけ、<変現域>は大量の魔粒子を使うので、不活性化している魔粒子は使えないかと思ったが、予想外な事に問題なく使えた。
「それじゃあ、魔導寺院へ行きましょ」
薫と共に魔導寺院へ行き、薫は『崩岩神威の神紋』を手に入れた。『神威光翼の神紋』は授かる条件を満たせなかったが、『崩岩神威の神紋』については条件を満たせているのを知っていた。
魔導寺院で支払った金額は金貨九二枚、日本政府が設定した為替レートだと金貨一枚三〇万円なので二七六〇万円、一流の魔導師でなければ手に入れられない神紋だ。
因みに魔導師と呼ばれる条件は、魔導師ギルドに所属する上級術者か、新しい魔法を開発した者に送られる称号で、薫は新しい魔法を開発した事で魔導師と名乗る資格を得た。
しかし、魔法攻撃を得意とするハンターが魔導師と名乗る場合も多いようだ。こういう者たちは魔導使いと名乗るのが正しいのだが、魔導師と名乗った方が箔が付くと考えているようだ。
薫は新しい神紋を授かった影響が抜けると、早速、加護神紋の改造を行った。『崩岩神威の神紋』の基本魔法である<崩岩砲爆>は、直径三メートルの溶岩を五〇〇〇メートル上空に召喚し敵の上に叩き付ける魔法である。
敵の頭上に隕石を落とすような魔法であり、その威力はバジリスクを一発で仕留めるだけの威力を持つ。
この<崩岩砲爆>を改造し、<炎弾>と同じように水平に飛ぶように手直ししたものをもう一つの基本魔法として追加する。もちろん、<崩岩砲爆>ほど大きくはなく、弾丸・ゴルフボール・ソフトボールの三つのサイズから選択可能にした。
ゲームや小説に出て来る定番のファイヤーボールに似ているが、その威力はまったく異なる。ファイヤーボールは標的に命中すると表面で爆散する。爆発の衝撃と高温の炎でダメージを与えるのだが、薫が追加した魔法はライフル弾のように回転しながら飛翔し敵の表皮を貫通してから内部で爆発する。
薫が実験したいと言い出したので、ハンターギルドの訓練場に案内した。訓練場はハンターギルドの建物から歩いて五分ほど離れた場所にあり、広さは二ヘクタールほどで楕円形をしている。魔法の試し打ちに使う場所は、訓練場の北側に有り、高さ六メートル・厚さ三メートルの土壁が三方を囲み、正面の土壁には鉄板の的が五メートル置きに八個ほど取り付けられている。
「さて、新しい玩具を見せて貰おうか」
俺が気楽な調子で薫を促すと、薫が自信満々の様子で視線を的の向ける。
今日は迷宮に潜る準備だけをする予定なので、俺も薫も軽装である。俺は紺に染められたズボンに作務衣に似たシャツ、薫は短めの白いズボンにベトナムの民族衣装であるアオザイに似た黄色の服を着ている。
どちらも訓練をするような服ではなかったので、訓練場では目立っていた。
「おい、あいつら何しに来たんだ。いちゃつきたいなら他でやって欲しいぜ」
剣の訓練中らしい一団が俺たちを見てぶつぶつと言っている。
「あれって、バジリスクを仕留めた奴じゃないのか?」
俺も顔を知られる存在になったようだ。嬉しいような気もするが、一方、煩わしいとも思う。
薫は真ん中ほどに有る標的から二〇メートルほど離れて立つ。
「始めるよ」
薫が右手の指を拳銃のような形にして、標的を狙って精神を集中する。
「ハッ!」
気合の篭った声が響き、薫の指先一〇センチほど前方に小さな溶岩弾が召喚され猛スピードで標的に向かって飛翔する。その速度は拳銃弾の半分ほども有るかもしれない。
狙いが少し逸れ標的の横二〇センチほどの所に溶岩弾が命中する。その瞬間、土壁に弾が減り込み爆ぜた。バンと大きな爆発音と共に大量の土が周囲に飛び散り、土壁に直径三〇センチほどの穴が出現した。
「ゲッ、一番小さなサイズの溶岩弾で、あの威力なのか……でも、こういう応用魔法なら、既に開発されていても良さそうな気がするけど」
薫がドヤ顔で首を振る。
「魔導師ギルドの研究者は加護神紋を改造する方法を知らないから、付加神紋術式だけで新しい魔法を開発しようとしているの。でも、それだと魔力消費量を調整するような魔法の開発は難しいのよ」
「そうなんだ……だとすると加護神紋の改造というのは難しいんだろうな。習得出来るか自信が無くなって来た」
「躯豪術と『魔力変現の神紋』を応用する方法だから、ミコトなら大丈夫よ」
薫が太鼓判を押すので信じようと思う。
「それじゃあ、次はゴルフボールサイズの溶岩弾を試射するよ」
「慎重に狙ってくれ」
薫が先程と同じような姿勢で標的に指を向け、弾丸より数倍大きな溶岩弾を発射した。スピードは幾分遅くなったようだが、それでもアッという間に着弾し爆発した。
ダイナマイトが爆発したような恐ろしく大きな轟音がして、炎と爆煙が立ち昇る。二〇メートル離れていた俺たちの所にも爆風が押し寄せ、薫の長い髪をかき乱す。爆風が収まった後に確認すると。
「オッ!」「アッ!」
二人の口から同時に驚きの声が漏れた。土壁に成人の背丈ほども有る大穴が空いていた。
「今の音は何だ?」「何事だ?」
訓練場に居た他のハンターが爆音を聞き付け集まって来た。騒ぎが大きくなる前に退散しなければ。
「試し打ちは終わりだ。続きは迷宮でやろう」
逃げ出すように訓練場を後にした俺たちは、趙悠館まで戻った。
「伊丹さんの姿が見えないけど、何処に行ったんだ?」
俺が入口付近で周囲を見回しながら尋ねると。
「師匠なら、アカネさんとディンを連れて狩りに行ったわ。今回は間に合わないけど次に迷宮に潜る時には連れて行って欲しいと頼まれたのよ」
アカネさんは迷宮に有る珍しい香辛料や調味料を手に入れたいらしい。特に手に入れたがっているのが『嘘泣きトレント』から採取される実から精製する砂糖だ。
この砂糖はリアルワールドの砂糖に一番近い甘味料で、デザート作りには必須らしい。
「ただ今、戻ったでござる」
伊丹たちがクレイジーボアを仕留めて帰って来た。全長三メートルもある大猪で、その突進力で岩を粉砕するほどの力を持っている。
牙や魔晶管と肉の半分はギルドで精算し、残った肉を持って帰って来た。肉は燻製にして酒の肴にすると伊丹さんが言っていたが、一〇〇キロ以上ある肉のほとんどは趙悠館に住んでいる猫人族に分けるのだろう。
その代わりとして燻製肉を作る手伝いをさせるのだが、大猪の肉を囲む猫人族たちの顔は笑顔になっている。この趙悠館に移り住んでから、こういう事が度々あり楽しみにするようになっている。
「凄いにゃー」「師匠、俺も狩りに連れてってよ」
子供たちが伊丹さんの周りに集まり、嬉しそうに飛び跳ねている。
「アカネ、ハンバーグ作ってぇー」
JTGでは異世界の文化破壊を危惧して、リアルワールドの料理や衣服、生活雑貨などを作り、異世界に広める事を禁止していた。だが、ミコトなどの第一次転移者が広めてしまったものは対象外となっている。
現在案内人となっている者たちにより、マヨネーズやラー油などの調味料やハンバーグ、天麩羅などの料理が異世界の一部で広まっており、文化面の侵犯は黙認される事が多くなっている。
料理の得意なアカネは、日本で覚えたいくつかの料理をここで披露していた。その中で子供たちに人気が高いのがハンバーグで、この辺は日本の子供と同じらしい。
「それじゃあ、真希、玲香。手伝って頂戴」
食堂で手伝いをしている真希と玲香が近づいて来ると、二人に肉の塊を渡した。
「ちょっと重いわよ」
エプロン姿で文句を言う玲香に、相変わらずだなと薫が笑いを浮かべる。
その夜は大猪のハンバーグで元気を付け、明日に備えて早めに寝た。
翌朝、日の出頃に起きた俺たちは、迷宮ギルドへ向かった。手続きを済ませ、許可札を貰うと勇者の迷宮へ向かう乗合馬車に乗り込んだ。
俺たちはバジリスク製の革鎧・脛当て・籠手を装備し、武器と背負い袋、水筒など万全の準備をして迷宮に臨んだ。背負い袋の中には防寒着や魔法薬、携帯食なども入っている。
迷宮の前には朝早くだと言うのに荷物運びの子供たちが屯していた。初めて挑戦する階層へ向かうので、荷物運びは雇わなかった。
第六階層への直通階段を選んで下りる。階段を下りた先は、魔物が跋扈する森林だった。初めにコボルトの集団と遭遇する。俺の邪爪鉈、伊丹さんの豪竜刀で迎え撃ったが、手応えが無さ過ぎて物足りないくらいだった。剥ぎ取りもせずに階段へと向かう。
途中、ゴブリンや鎧豚を蹴散らしホブゴブリンが巣食っている場所へと出た。俺たちに気付いたホブゴブリンたちが走り寄って来た。ショートソードを持つホブゴブリンが二匹、槍を持つ奴が三匹、そして杖を持つホブゴブリンメイジが一匹。
ゴブリンよりは人間に近いが、緑色の醜悪な面相は嫌悪を覚える。ホブゴブリンメイジはボロい貫頭衣を身に付けていたが、その腰の部分が破けており、身動きすると見苦しい一物が見え隠れする。
「これはセクハラよ。訴えてやる」
大声を出す薫に苦笑いしながら、俺と伊丹さんは敵に突撃する。
薫がメイジと対峙するが、チラチラと見えるものが気になって集中出来ない。最初の魔法はホブゴブリンメイジが放った。突然、地面から岩の槍が飛び出し薫を串刺ししようとする。
薫は横に身を投げだして避けた。地面で一回転して起き上がると<風刃>を放つ。その一撃は地面から迫り上がった土壁に因って防がれた。
「セクハラメイジのくせに……」
もう一度<風刃>を放つとメイジが必死で避ける。風の刃がホブゴブリンメイジの尻を掠めて貫頭衣を切り裂いた。緑色の汚い尻が顔を出し、薫を挑発する。
「ぐぬぬっ……この変態野郎」
女の子が発してはいけないような声が溢れる。足元で地面が微かに震えるのを感じて飛び退る。予想通り、岩の槍が地面から飛び出した。
薫は<三連風刃>を発動する。三枚の風の刃がホブゴブリンメイジを襲い、敵の体を切り裂いた。今度は土壁で防ぐ余裕は無かったらしい。
薫が周りを見回すと、他のホブゴブリンも地面に倒れていた。
「メイジの魔晶管だけは回収いたそうか」
伊丹さんが提案するが、倒した薫は触りたくないらしい。仕方なく、俺が解体し魔晶管を剥ぎ取る。期待通り、魔晶玉が入っていた。
俺たちは第七階層への階段を下り、岩山の連なる荒野に出た。岩山により迷路のようになっている谷底を進む。足元は砂利と小岩が転がっており歩き難い。サボテンのような植物がちらほらと見えるが、ほとんどは乾ききった地面である。
ギルドで集めた情報によれば、第八階層への階段は中央付近に有るらしいので、その方向へと進む。
「左前方から、スケルトン三体が来るぞ」
俺が<魔力感知>で知った情報を伝えるとホッとした雰囲気が生まれる。ここの敵でスケルトンはマシな方だからだ。食屍鬼はその身体から放たれる臭いが強烈なので嫌われ、レイスは倒すのが面倒なので嫌われている。
俺たちは速攻でスケルトンを倒し進む。
「ウッ……この臭い」
全員が顔を顰める。右から強烈な悪臭が漂って来ている。
「ミコト、お願い」
薫が俺を前に押しやる。
「俺だって臭いのは嫌なんだけど……防臭マスクを用意すればよかった」
鼻を摘んで、<旋風鞭>を発動し目一杯伸ばして遠距離から食屍鬼の頭を抉る。初めて第七階層に挑戦した時は、必死だったので臭いを気にする余裕は無かった。だが、今回は目に染みるような臭いが強敵となる。
そして、レイスが現れた。前回の時は、こいつに苦しめられたのだが、今回は伊丹さんの『聖光滅邪の神紋』が有る。この神紋の基本魔法は<聖光付与>で、魔力伝導率の高い金属製品に破邪の聖光を付与する効果が有る。もちろん、それには有効時間が有り、三分ほどで効果が切れる。
伊丹さんは豪竜刀に、俺と薫は予備の武器として持って来たミスリル合金製のショートソードに<聖光付与>を掛ける。それぞれの武器が淡い銀色の光を帯びているのを確認してから、レイスと対峙する。
レイスはゆらゆらと揺れる発光体で形は様々である。光の玉として浮遊している場合が多いが、何となく人の形に似ているものも居る。通常武器ではレイスへダメージを与えられない。前回は何度切り付けてもレイスの身体を素通りして倒せなかった。魔法なら多少効果が有ったが、止めを刺せるほどではなかった。
ゆらゆらと近付いて来るレイスを、聖光付与したショートソードで斬り付ける。水の塊を斬り付けたような手応えがあり、レイスが真っ二つに切り裂かれ光を失い消えた。
後には何も残らなかった。普通の魔物なら最低でも魔晶管くらいは剥ぎ取れるのを考えると、何も残さないレイスがハンターから嫌われるのは当然かもしれない。
「前回あれだけ苦労したのは何だったんだろうと思うほど、あっさりと仕留められたな」
「やっぱり、アンデッドには聖属性の魔法ね。『聖光滅邪の神紋』は正解よ」
薫の言葉に、伊丹さんが笑顔を見せる。
問題なくレイスを駆逐すると俺たちは前に進む。
立ち塞がるアンデッドたちを切り伏せ、迷宮の中央付近へと到達した。岩山の麓に洞窟が有り、そこを探すと第八階層への階段を見付けた。
「ここから未知の迷宮になる。気を引き締めていこう」
俺が声を上げ、先頭に立ち下へ歩き出した。階段を下り周りを見渡すと、迷宮には似つかわしくない風景が広がっていた。
2016/6/9 誤字修正
2017/10/26 修正




