scene:84 ウェルデア市の攻防 2
衛兵の犠牲に因って、今日一日は戦争蟻の脅威からウェルデア市を守り抜けた。だが、状況は余り変化してはおらず、街は相変わらず多くの戦争蟻に取り囲まれている。
それに今日戦った衛兵の多くが武器を失い、戦力は低下していた。
ダルバルとラシュレ衛兵隊長は、村長の屋敷の一室を借り話をしていた。粗末な土壁と木を使った年代物の建造物だが、村の中では一番マシな建物だった。
「阿呆子爵め、今度は脱出を支援してくれだと。領民を見捨てて自分だけ逃げ出す気なのか。そこまで見下げ果てた奴だったとは」
ダルバルは子爵と連絡を取り激怒した。今日の戦いの様子を聞いた子爵が、危機感を募らせウェルデア市の放棄を考え始めたようなのだ。
「子爵は我々が敗れたと判断したのでしょう」
ラシュレ衛兵隊長が苦虫を噛み潰したような顔で応える。
「クッ……こんな戦いをせねばならなかったのは、準備が整う前に奴が戦いを始めるように要請したからではないか。当初の予定通りにハンターたちが到着して、戦備が整ってから作戦を開始すれば蟻共を駆逐出来たはずだ」
ダルバルは今日の戦いを敗北だとは思っていなかった。序盤で敵の数を減らした後、戦争蟻の大群を誘引しウェルデア市から遠ざける事が狙いだったからだ。配下の衛兵たちは犠牲を出しながらも立派に目的を果たした。
その戦いを見て『敗北』だと判断されるのは我慢ならなかった。
「それで子爵は、何と言って来たのです?」
ラシュレ衛兵隊長が子爵からの手紙の内容を問うと。
「自ら王都に救援を乞う為に脱出したいと言っておる。日の出と共に東門の戦争蟻を排除して欲しいそうだ」
「奴め、我らを召使だとでも思っているのか。ダルバル様、断固拒否しましょう」
ダルバルは深刻な顔で考えてから決断した。
「いや、子爵は脱出させる。奴がウェルデア市に居ない方が戦い易い。それに街の中に衛兵を送り込みたい」
「奴が居ない方がいいと言うのは判りますが、何故、街の中へ?」
「衛兵の多くが武器を失ったのは承知しておるな。……野営地の村では補充出来ぬ。そこで考えてみた。ウェルデア市なら武器の補充が可能だ。その為に衛兵を中に入れ、内側から守らせようと思う」
ラシュレ衛兵隊長は戦力を二分するのは反対である。しかし、このままでは戦力にならない衛兵が残る。
「迷宮都市から武器を運んで来れないのですか?」
「時間が掛かる。ハンターギルドの者たちも到着が遅れ明日になりそうだ。食糧や医療品、その他の輸送に手間取っているらしい」
ダルバルと衛兵たちはぎりぎりの食料だけを持って遠征したが、野営地の村は小さく現地で食料品などを集めるのは問題が有った。
冬小麦は収穫直前で、他の作物は秋にならないと収穫出来ない。この時期は村の食料もカツカツで衛兵に分けるだけの余裕が無いのだ。
「あの槍はどうなんです? もうすべて完成しているのでしょ」
ラシュレが言う槍とは、ミコトたちが製作しているものだ。
「明日の朝には到着する。アルフォス支部長から連絡が来た」
ハンターギルドに所属する魔物使いが白頭大鴉を使って連絡を寄越したようだ。
「子爵は他の領民を脱出させる気は無いのでしょうか?」
人数が多くなると戦争蟻の囲いを突破するのも困難になる。子爵は、それが判っていて自分たちだけ抜け出そうとしている訳ではなく、ただ単に自分や家族の安全を優先しているだけらしい。
「あの子爵にそんな情を期待するのは無駄だ。シュマルディンの事も有るし、子爵には責任を取って貰おう」
ダルバルは子爵を見限り、冷徹に処分を決めた。
その後、二人は明日の作戦について打ち合わせを行い、それが夜遅くまで続いた。
翌日日が昇る前に、待っていた残り二十五本の剛雷槌槍を積んだ馬車が到着した。途中で第二次救援部隊を追い抜き、危険な夜道を走った馬も人間も疲れきった様子で姿を見せる。
その中にはミコトの姿があった。剛雷槌槍三十本を作り上げた後に輸送馬車に飛び乗ったのだ。睡眠時間を削って生産活動を行い疲労困憊している俺は、馬車の中で爆睡した。起きた時にはクエル村近くまで到達しており、馬車の護衛をしているハンターによく眠れるものだと笑われた。
眠った事で精神的な疲労は取れたが、窮屈な馬車の中での眠りでは肉体的な疲労は残った。バキバキ言う身体を無理やり動かし馬車から降りると伊丹さんたちを探す。
すぐに見つかった。伊丹・薫・ディンの三人は村の出入口近くで出陣の合図を待っていた。
「伊丹さん、状況はどうなっているんです?」
「アレッ……ミコト。来たんだ」
俺を見付けた薫が声を上げる。伊丹も気付き頷いて状況を説明する。状況的には一進一退というところなので救援部隊の雰囲気は芳しくない。
特にディンが俯き元気がないようだ。
「十八名死亡か。住民の命を護る為とは言え辛いな」
その言葉を聞いたディンが肩を落とす。
「死んだ衛兵たちの中には顔を知っている者も居たんだ」
「生き残った我らがすべき事は、死んだ者たちが犬死だったと言われないようにするだけでござる」
「どういう意味?」
今回の作戦行動は太守であるディンが決断したものだと言う事になっている。迷宮都市の衛兵を動員する作戦だから当然なのだが、実際は太守補佐であるダルバルが決意したものだ。
それでも命令書にサインをしたのはディンである。犠牲者が出た責任は自分にも有ると感じてしまうのは仕方ないことだろう。
俺は伊丹さんが言いたい事が何となく判った。
「戦争蟻を駆逐して、元の安全なウェルデア市を取り戻すんだ。そうしたら死んだ衛兵たちも勇士として歴史に刻まれる。……でも、無茶は駄目だ。味方の犠牲は最小で、目的を完遂する方法を考えるんだ」
「だけど、僕にはそんな能力は無い。味方を勝利に導く戦術を考える頭も無いし、どれが一番いいのか判断する知識もない」
三番目の王子であるシュマルディンは、王家からは余り期待されない子供だった。後援者であるゴゼバル伯爵家が何の官職も得ていない無派閥の貴族だったのも影響している。
王も後継者は第一王子か第二王子だと考えていたので、教育に熱心ではなくダルバルに任せた。その結果、のびのびと育ったが、王子としては知識も見識も足りない王子となった。
「これから勉強すればいい。効率的に学べば、数年で兄さんたちにも追い付くさ」
ディンが首を捻っている。
「効率的に学ぶと言うのが判らないよ。後で詳しく教えて」
俺は余り考えずに承知した。それが王家の争いに深く関わる原因になるとも知らずに。
追加された剛雷槌槍を元に雷槍隊の再編成が終わり、戦いの準備が整った。ダルバルの号令で村を出発した我々は、昨日と同じ日が登る頃にウェルデア市の東門に到着した。
武器を失った衛兵六十二名は、雷槍隊の背後で突入の準備をしていた。戦闘開始の合図は、子爵が東門を開くのを合図にすると決められている。俺たちは戦争蟻の散在する草叢を見詰めながら静かに合図を待っていた。
程なくして東門の扉が上がり始めていた。門の扉は上下に動く重厚なもので滑車とロープ、巻き上げ機を使って開閉する構造になっていた。
その扉が全開する音は、戦争蟻も気付き黒い岩のようだったものが動き始めていた。まず始めに雷槍隊が突撃する。
三十名の雷槍隊が剛雷槌槍を掲げて歩兵蟻の足元に走り込んだ。雷槍隊の一人であるポレスコは、槍の魔導核に魔力を流し込み『雷発の槌』を歩兵蟻の頭に叩き込む。歩兵蟻が雷撃の衝撃で麻痺を起こし地面に蹲る。そこに魔力により貫通力を増した槍の穂先が蟻の身体を貫く。昨日、剣で戦っていたポレスコは余りに容易く歩兵蟻の外殻を貫いてしまう剛雷槌槍に興奮する。
この武器が金貨六十枚だと聞いた時、太守は騙されていると思った。ミスリル合金製の魔導武器で最も安い紅炎剣でも新品なら金貨百六十枚はすると知っていたからだ。もちろん、紅炎剣より安い魔導武器も存在する。中古品や魔物の素材を使ったものだ。だが、それらは数を揃える事が難しい。ルーク級の魔物を倒す事が出来る魔導武器を作るには一ランク上のナイト級以上の魔物の素材が必要だと聞いているので、安くなるとは言え、金貨一〇〇枚以上は必要となるだろう。
ハンターなら一つだけ魔導武器が有れば十分だが兵士は違う。同じ性能の武器を数多く揃え隊列を組み戦いを挑まねばならない。魔導武器を装備した部隊など奇跡に近いのだ。
ポレスコは五回魔導核に魔力を込め、三匹の歩兵蟻を仕留めた。二回は仕留め損なったのだが、新しい武器に慣れていない状態では、これでも最善の結果だろう。ポレスコは後方で待機していた衛兵と交代し後方に下がると全体を見渡した。
東門の周囲に居た歩兵蟻は、ほとんど駆逐され安全な脱出路が作り出されていた。そこを街から出て来た大型の馬車三台が通る。また、その馬車を守るように五〇名ほどの子爵の部下も武装して出て来た。
「領主のくせに領民を見捨てやがって」
ポレスコの口から吐き捨てるような呟きが溢れる。
「今だ、中に入るぞ!」
ラシュレ衛兵隊長の大声が響き、約六〇名ほどの衛兵を率いたラシュレ衛兵隊長が街の中に走り込んでゆく。
ここまでは順調だった。しかし、北門や南門近くに居た戦争蟻が集まり始めていた。
一方、俺たちは東門に居た軍曹蟻を狙って戦いに身を投じた。東門の前には、軍曹蟻が四匹居た。その大蟻は三メートルほどの巨体を意外に速い速度で移動させ、一番近くの敵……俺たち……に襲い掛かった。
邪爪鉈を持つ俺は、躯豪舞の練習で鍛え上げた躯豪術の連続使用を試す事にする。躯豪術の呼吸法により丹田に魔力を溜め込む。溜め込んだ魔力は下腹中心に縁日の水風船のような球体を形成する。
以前は完全な球体になるようにイメージしていたが、鍛錬を続ける中で一定の流れが有る方が使い易いと気付いた。試行錯誤した中で球体の中に一筆書きの五芒星のような流れを作り出すと魔力の制御が安定すると判った。五芒星の五つの角が両足・両手・頭に相対し、その角から身体の各部に魔力が流れるようにする事で躯豪術のレベルが一段上がった。
これまでの躯豪術を初級だとすると、五芒星の流れを形成する躯豪術は中級に相当するだろう。しかも五芒星躯豪術は魔力の消費量も少なくなるようで、五分ほど躯豪術を使い続けても魔力切れとならなくなった。
だが、この躯豪術も未完成だと言える。五芒星躯豪術に進化してより多くの魔力が魔導細胞で強化された筋肉に流れ込むようになり、発揮される膂力は半端なものではなく、身体運用が著しく難しくなった。
単に躯豪術を駆使して走るだけでも、身体が浮き上がり有り余る筋力が空回りするようになる。
俺は慎重に地面を踏みしめ軍曹蟻の近くまで飛び込む。四メートルほどを一歩で飛び越え邪爪鉈を軍曹蟻の前足に振り下ろす。邪爪鉈の刃が黒光りする太い足をスパッと切断する。
そのダメージに軍曹蟻が大顎をギチギチと鳴らし怒りを表す。近くで聞くと背筋がゾクッとする音である。軍曹蟻が俺の腰に大顎を伸ばして来たので、一旦飛び退る。
冷静な目で軍曹蟻の様子を観察し切り取った足の側に大きな隙を見付け、そこに踏み込むと大蟻の首関節に邪爪鉈を打ち込む。傷口から体液が吹き出し軍曹蟻が倒れた。
「まずは一匹、次は……」
薫の後ろから近付いて来る軍曹蟻が居た。素早く駆け寄った俺はすれ違いざま、軍曹蟻の足二本を切り飛ばす。その時、邪爪鉈が赤い光を放っていた。
足を斬られた事で動きがおかしくなった大蟻の背後から近寄り、その背中に飛び乗った。ポーンと背中を跳ね空中に躍り上がった俺は、奴の頭に赤く輝く邪爪鉈を振り下ろす。
確かな手応えを感じた瞬間、軍曹蟻の頭が二つに両断された。
伊丹さんと薫を見ると軍曹蟻を相手に有利に戦いを進めている。俺は周囲の歩兵蟻を狩り始めた。
子爵を乗せた馬車とそれに続く二台の馬車が東門から離れ、安全な場所まで来た。それを確認したダルバルは戦っている衛兵と俺たちに退却を指示した。
ダルバルは馬車を止め、エンバタシュト子爵に馬車を降りるように指示した。
「貴様……子爵の儂に向かって馬車を降りろだと。何者だ?」
馬車の窓から不機嫌そうな顔が突き出され、辺りを睥睨する。
「迷宮都市太守補佐のダルバルだ。聞きたい事が有る」
子爵は慌てて馬車を降りる。ダルバルがゴゼバル伯爵家の人間で、第三王子の祖父だと知っているのだ。
「これは失礼しました。それで聞きたい事とは?」
遠くから子爵の姿を見た俺は、トドが人間の服を着て二本足で歩いているのかと錯覚した。オーバーな感想だがツルリとした頭にピンと横に伸ばした髭、そして丸々と太った体型は、北の海に棲息する海獣にそっくりだった。
興味を持って子爵の馬車に近付いた。聞き耳を立てると子爵とダルバルの話が聞こえて来た。
「エンバタシュト子爵、王都への救援要請は不要だと思われるが、それでも王都へ行くのか?」
子爵は不機嫌な顔になり。
「何故、不要だと仰るのですか?」
「もうすぐ、迷宮都市からの第二次救援部隊が到着する。そうすれば、蟻共を駆逐出来るだろう」
子爵は嫌な笑いを浮かべ。
「信じられませんな。あなた方は二度戦い敗退した」
「あれは作戦だ。こちらの戦う準備が整うまで時間を稼いでいただけ。連絡で知らせたように準備に時間が掛かるのだ」
「そんな事は知らん。我が子爵家は第一王子派、モルガート王子に助けを求めるのは当然の事。邪魔せんで貰いたい」
ダルバルが馬車から顔を出している子爵一族と重そうな荷物を積んでいる三台目の馬車を確認する。
「救援だと言ってるが、一族全部を引き連れて逃げ出したんじゃないのか。救援要請に王都へ向かうのなら、何故、財貨を積んだ馬車まで必要なんだ。戦争蟻は財貨なんぞに興味はないぞ」
「五月蝿い、儂の邪魔をするな」
逆ギレした子爵が、制止するダルバルを振り切り馬車に乗り込んだ。
「待て……貴様、ミコトと言うハンターを殺す為に迷宮都市に刺客を送っただろ。そいつらが何をしたか、知っておるのか。シュマルディン王子を人質にとって、ミコトを誘い出したのだぞ」
子爵が顔色を変えた。
「知らん、そんな奴らは知らんぞ……出せ、早く馬車を出すんだ!」
子爵は逃げるように去って行った。ダルバルは制止の命令を出そうとしたが、後方から負傷した衛兵の呻き声が聞こえ、子爵への制裁は後でする事に決めた。去って行く馬車を睨み付けるように見てから、負傷者の確認の為に衛兵たちの下に戻った。
王都へ向かう街道の脇に有る茂みに、その馬車を監視する眼が有った。第二王子派のエルバ子爵の配下ニジェスの同僚だったオボノと言う傭兵である。
「三台目の馬車には相当なお宝が積まれているようだな。エルバ様の命令通りだと、あの子爵の命運もここまでか。運のない奴」
その後、エンバタシュト子爵の一族が王都へ到着する事はなかった。王都へ救援要請へ向かう途中、野盗に襲われ皆殺しとなったと噂されたが、真相はエルバ子爵たち以外知る者は居ない。
2015/8/12 誤字修正 誤字のご指摘により修正 感謝します。