scene:81 蟻退治の武器
第五階層の住人は歩兵蟻である。ルーク級下位の魔物であるので剛雷槌槍を試す相手としては申し分ない。蟻の巣を巨大化したような迷路を進み始めると前方に魔物の気配を感じた。
「最初は、俺が試してみる。成功したらディンにもやって貰うから歩兵蟻の動きを注意して観察してくれ」
「判った」
前方に居たのは一匹の歩兵蟻で、こちらに気付いて二本の触覚を振りながら近付いて来る。久しぶりに見る魔物の蟻は嫌になるほどデカい。黒光りする外殻は硬そうで普通の武器では貫けないというのも納得だ。
歩兵蟻の武器は強力な大顎とゴツゴツとした突起のある足である。強力な足で獲物を捉え大顎で止めを刺すと言うのが蟻の戦い方で、相対した時には意外に身軽な動きに注意しなければならない。
剛雷槌槍の魔導核に触れ魔力を充填する。『雷発の槌』はある程度強打しないと発動しないように設計されている。敵の手足が触れただけで発動したのでは、敵にダメージを与えられないと考え、狙い澄ました一撃が決まった時だけ発動する仕様に決めたのだ。
歩兵蟻が軽快な動きで近付き前足で俺の足を掴まえ引き摺り倒そうとする。黒い鉄棒のような足を避けながら狙い澄ました一撃を蟻の脳天に振り下ろす。剛雷槌槍の槌が当たった瞬間、バチッと鋭い音がして青白い火花が飛び散る。
ゴブリンのように一撃で死ぬような事は無かったがヨロヨロとして地面にへたり込んでしまう。絶好のチャンスに赤い光を放つ槍の穂先を眼と眼の間に突き入れる。
源紋の魔法効果により貫通力を増した槍の穂先は硬い外殻を突き破り蟻の脳を破壊する。
「実験成功だ」
「凄い、僕にも試させて」
仕留めた歩兵蟻からは魔晶管だけ剥ぎ取り、次の獲物を探す。すぐに別の歩兵蟻と遭遇した。ディンに剛雷槌槍を渡し試して貰う事にする。
ディンは初めて戦うルーク級魔物を前にして緊張しているようだ。剛雷槌槍の魔導核に魔力を充填せずに槍を構える。
「魔力の充填を忘れるな」
俺が声を上げると慌てたように魔導核に触れる。その隙に歩兵蟻が迫って大顎をギチギチと鳴らし威嚇。その音に驚いたディンは闇雲に剛雷槌槍を振り下ろす。狙いも付けずに振り下ろした剛雷槌槍は迷宮の地面を叩き、青白い火花を散らす。
歩兵蟻は火花に驚いたようで一旦距離を取る。……『雷発』の源紋が発動する条件を改良する必要が有るかもしれないな。地面を叩いても発動するんじゃ、実戦では拙い。
「もう一度、魔力を充填して」
幾分青い顔をしたディンが頷き魔力を充填した。離れていた歩兵蟻がディンの横から回り込もうとするところを、剛雷槌槍が追い掛けるように振られ蟻の横面に槌が衝突した。
「オオッ!」
蟻の眼の下辺りで火花が散ったのを見たディンが思わず大声を上げる。歩兵蟻の身体は地面に横たわり動かなくなったが、触覚だけはピクピクと痙攣しているので死んではいない。
「早く止めを刺すんだ」
剛雷槌槍の穂先が赤い光を放ち源紋の魔法効果が現れている。その効果が一〇秒ほどしか続かないのを知っている俺はディンを急かした。
ディンが歩兵蟻に止めを刺す。絶命した歩兵蟻から魔粒子が放出され、それが俺とディンの身体に吸収される。この魔粒子吸収によりディンの魔力袋の神紋レベルが上がったようだ。
上がったと言っても神紋レベル2だ。今までゴブリン退治が精々だったので仕方がない。
それ以降、数匹の歩兵蟻を倒し実験を終了した。『雷発の槌』は歩兵蟻の頭に命中すれば十数秒ほど麻痺させる効果があるが、頭以外の胴体などに命中すると動きが遅くなりヨロヨロとはするが数秒で回復するようだ。
俺なら胴体に『雷発の槌』を当てても確実に仕留められるが、ディンの成功率は八割ほどだろう。
試しにディンが自分のホーングレイブで歩兵蟻を攻撃してみた。残念な事に関節部分への攻撃はダメージを与えたが、真正面からの攻撃は撥ね返された。
ディンは最後に倒した歩兵蟻から傷んでいない胴体部分の外殻を剥ぎ取り、記念に持って帰る事にした。
「ディン、今回の迷宮探索は内緒だぞ。……でないと、お前のお祖父さんから叱られる」
◆◆◇――◆◆◇――◆◆◇
伊丹たちがウェルデア市直前で引き返した翌日、早馬を乗り継いで来た伝令が迷宮都市に駆け込んで来た。
「太守……太守様を呼んでくれ、一大事なんだ」
迷宮都市の門の前で馬から降りた伝令は息も絶え絶えの様子で門番に訴えた。ただ事でない様子に門番は太守館へ知らせを走らせる。
太守館から数人の衛兵が来て伝令を連れて戻っていった。
「何だと!」
ヒンヴァス政務官が大声を上げた。クエル村の伝令が運んで来た知らせはウェルデア市が数百匹の戦争蟻に襲撃されているというものだった。
「確かな情報なんだろうな?」
ダルバルが確かめると伝令が戦争蟻に襲われたという商人とそれを助けたハンターの証言を伝えた。
「ハンターのイタミと言う方が確かめた話なんですが、石壁の周りをぐるりと取り囲むように群がっている戦争蟻を見たそうです」
「ハンターのイタミだと……バジリスクを倒したハンターではないか。だとすると信憑性が高いな」
ヒンヴァス政務官は深刻な顔をしてダルバルの方へ視線を向け問う。
「どういたしますか。ダルバル様」
「まずは偵察班を送る。衛兵から数人選んでくれ」
「承知しました」
「それから、ハンターギルドのアルフォス支部長を呼んでくれ」
太守館がにわかに騒がしくなった。偵察班が送り出され、アルフォス支部長が到着すると館の奥に在る会議室で対策会議が始まった。
出席者はヒンヴァス政務官・モクノス商務官など数人の行政官とラシュレ衛兵隊長、それにたった今到着したアルフォス支部長とダルバルである。本来なら太守である王子も出席しなければならないのだが、外出していると言う。
ダルバルは王子を探し出すように命じ会議を始めた。
「ウェルデア市が動員可能な兵力はどれほどです?」
ヒンヴァス政務官の質問にラシュレ衛兵隊長が応える。
「あそこは警邏兵も合わせて二〇〇人ほどの兵士が居ます。他にもハンターが居ますが、使えるのは五〇人が精々でしょう」
「二五〇か、少ないな」
普通の兵士の実力は、ポーン級上位の魔物を倒せるかどうかと言ったところである。確実に歩兵蟻を倒すには三人の兵士が必要だろう。戦い方にも依るだろうが少なくとも戦争蟻と同数の兵力が無ければ対抗不可能である。
「戦争蟻は何故ウェルデア市を襲っているのでしょう?」
モクノス商務官が疑問を口にする。
「分かりません。ですが、過去にパルサ帝国の辺境都市でも同様の襲撃が有りました」
ヒンヴァス政務官が静かな口調で応える。
「その時の原因は判っているのでしょうか?」
「呪術らしい。辺境都市の貴族を呪った呪術師の仕業だと聞いた事が有ります」
皆は信じられないという顔をする。魔法がある世界なのに呪いは迷信だと考えられているのだ。
「それより、その辺境都市はどうなった?」
ラシュレ衛兵隊長は原因より結果が気になるようだ。
「蟻の攻撃を十四日間防いだが、十五日目に守っていた兵士が力尽き辺境都市は廃墟と化したと歴史書に記載されていました」
「十四日間も魔物が包囲していたなど異常だ。信じられん」
ダルバルは自慢の髭を撫でながら呟く。
「ウェルデア市はどれくらい持ち堪えられるでしょう?」
モクノス商務官がまたも疑問を口にするが、それに答えられる者は居なかった。
「それより、救援部隊として派遣出来る人数はどれほどになる?」
ダルバルの質問にラシュレ衛兵隊長は二百人ほどだと答える。同様の質問をアルフォス支部長に向ける。
「歩兵蟻を狩れるほどの技量を持つハンターは千人を越えております。ですが、時期が悪い。それらの手練れの多くが樹海の中に在るサルベ湖へ青真珠の採取に行っています」
青真珠はサルベ湖に棲息する湖蜃貝から採取される淡い青色をした真珠である。普段は深い水域に棲息する湖蜃貝が産卵期の今の時期だけ浅瀬に移動するのを狙って、装飾品を扱う商人たちが大量の青真珠採取依頼を出す。
その依頼を引き受けるのがベテランのハンターたちなのだ。
迷宮都市からサルベ湖までは片道三日、普通はキャンプを張って数日掛けて湖蜃貝を採り、また三日掛けて戻って来る。
ダルバルは言い訳めいたアルフォス支部長の状況説明を聞いて不機嫌になっていた。
「なんて事だ。だが、全く居ないという訳ではなのだろう。どれほど集められる?」
「動員出来るのは精々二百人ほどでしょう」
「合わせると約四百人か。これなら蟻共を退けられる」
ダルバルがホッとしたように声を出す。だが、アルフォス支部長はその数字を聞いても憂いを拭えないようで顔色が冴えない。
「どうした、アルフォス支部長。何か懸念事項でも有るのか?」
「遠征ともなれば、食糧やテントなども必要です。衛兵の皆さんは大丈夫なんですか?」
ダルバルは頷き、目線をヒンヴァス政務官に向ける。
「糧秣の確保を頼む。テントなどは市内から掻き集めろ」
「それならば問題は兵士の方々の武器だけですな」
アルフォス支部長の言葉に、ラシュレ衛兵隊長は怪訝な顔をする。
「私の部下たちは、それほど粗末な武器を装備してはおらんぞ」
「いえ、兵士の一般的な武器は鋼鉄製の剣か槍。それも対人用のものだと聞いています」
ハンターも低ランクの者たちは兵士の装備と同等か、それより劣る武器を装備しているが、樹海の奥や迷宮に挑戦するようになると頑丈で威力の有る武器を求めるようになる。
「アルフォス殿は魔導武器でも揃えろと言っているのか?」
「用意出来るものなら、それが一番でしょうが……ヒンヴァス政務官が渋い顔で睨んでおりますから無理でしょう」
「当たり前です。魔導剣一本は最低でも金貨百二十枚、戦力とするには少なくとも三十人分は必要でしょう。合計で金貨三六〇〇枚。そんな予算はない」
迷宮都市の財政状況を考えると今回の騒動に支出可能な予算は金貨三〇〇〇枚ほど、武器だけで予算を超えてしまう訳にはいかない。
ドアがノックされ衛兵の声が聞こえた。
「シュマルディン殿下がお帰りになりました」
ドアが開き神妙な顔をした王子が入って来た。帰って来たところをそのまま連れて来られたらしく革鎧とホーングレイブを装備し、手には狩りで手に入れたものが入っている革袋を持っている。
「シュマルディン……この非常事態に何処に行っておった」
ダルバルの怒気がディンの全身に突き刺さる。
「そんな……朝は何事もなかったではないか」
ダルバルが説教を始めそうになったので、ヒンヴァス政務官が止め概要を王子に説明する。
「今は、兵士たちの武装について話していたところです」
「ああ、アルフォス支部長の心配は判るぞ。歩兵蟻を倒すなら最低でも僕の持つホーングレイブ並みの武器が必要だからね」
自慢そうにホーングレイブを見せる王子に、ダルバルが苦い顔をする。
「何を自慢気に言っておる。歩兵蟻の一匹でも倒した事が有るとでも言うのか」
祖父の言葉にムッとしたディンは、革袋に入れて有った本日の戦利品をテーブルの上に広げた。
「どうだ、僕とミコトで七匹の歩兵蟻を仕留めたんだぞ」
言ってしまった直後、ミコトから口止めされていたのを思い出す。
ダルバルはミコトを呼べと従士に命じた。ディンは心の中で……ミコト、ごめんなさい。
眉間に青筋を立てたダンバルから、今日の出来事を全部喋らされたディンはしょげた様子で椅子に座っている。
だが、会議は続き武器の問題をアルフォス支部長が説明する。
「歩兵蟻の外殻は硬く通常の剣などで戦えばすぐに武器が駄目になるかもしれません」
「それは使うハンターの技量が劣っているのではないのか」
アルフォス支部長とラシュレ衛兵隊長の間で議論が白熱化し、実際どういう武器を使っているか調べようという事になった。
アルフォス支部長はギルドから数人のハンターを呼び寄せ、装備している武器を確かめさせた。ハンター歴一〇年のベテランの男が持つ剣は通常の剣より厚く重いものだった。
「較べてみて貰おう。衛兵の剣は彼らの持つ剣の半分の厚さしか無い」
◆◆◇――◆◆◇――◆◆◇
俺が太守館に連れて来られたのは、広い中庭で衛兵とハンターの剣の違いを検証している時だった。
「ミコト、済まん。迷宮の事、ポロッと言っちゃった」
俺は溜息を吐いて。
「そんな事だろうと思っていましたよ」
剛雷槌槍についてカリス親方に相談しようと工房へ向かう途中に見付かり、ここに連行された俺は口論しているアルフォス支部長とラシュレ衛兵隊長の二人を指差しどうしたのかディンに訊く。
「衛兵が装備している剣で歩兵蟻が倒せるかどうか議論しているんだ」
議論している二人の横に衛兵の剣とハンターの剣が置いて有った。俺は衛兵の剣を見て、衛兵の使う剣はこんな奴なんだと感心していると、ダルバル爺さんに見付かった。
「ミコト、勝手に孫を連れ回すな。これでも王子なのだぞ」
……ディン、祖父さんから「これでも」とか言われているぞ。
俺はダルバル爺さんとちょっとばかし話をするようになって、中々懐の広い真っ当な人物であると知り、心の中で『ダルバル爺さん』と呼ぶようになっていた。
「ですが、殿下が迷宮に連れて行けと駄々を捏ねるんですよ。平民の私としましては否とも言えず」
ダルバル爺さんがチッと舌打ちをして。
「貴様が、そんな殊勝な人間なら孫の傍になど置かん。……それより、バジリスクを倒したほどのハンターとしての意見を聞きたい。衛兵の剣で歩兵蟻が倒せると思うか?」
「衛兵の方の技量を知らないので断言できませんが、一人では難しいでしょう。例え倒しても武器はボロボロになると思いますよ」
「だが、シュマルディンは一人で倒したと聞いたぞ。貴様から秘蔵の武器を貸して貰ったとは言え、そんな危ない事をやらせたのか?」
ディンは『剛雷槌槍』の事を詳しくは喋らず、秘蔵の武器と説明したらしい。下手に嘘を言えばダルバル爺さんを敵に回すかもしれない。
「従士の方に俺が預けた武器を持って来るように命じて下さい」
ダルバルが承知すると従士が剛雷槌槍と邪爪鉈を持って来た。
「これが、カリス親方と俺たちで新しく開発した剛雷槌槍です」
槍と槌が組み合わされた異型の武器を見せた。
「ハルバードに似ているな。三段目ランクになったばかりの殿下が、これで歩兵蟻を仕留めたのか……ん……魔晶玉ではないか、まさか魔導武器なのか!」
アルフォス支部長が最後に大声を上げたので、ダルバルを始めとする皆が剛雷槌槍を食い入るように見始めた。