scene:80 戦争蟻の襲撃
アカネたちを助け出す数日前、迷宮都市を旅立った伊丹と美鈴は順調にウェルデア市へ近付いていた。天気は快晴で暑い日が続いている。
小瀬と東埜が行方不明となったアスケック村を通過し、ウェルデア市に近いクエル村に辿り着いた時、美鈴が熱を出し倒れてしまった。
樹海でのサバイバルと犬人族の隠れ里での不慣れな生活が美鈴の身体の中に疲労を蓄積させていたのかもしれない。そして、止めとなったのは教え子の失踪だろう。
村で唯一つの小さな宿屋に宿泊した伊丹と美鈴は、主人に頼んで寝床の用意をして貰う。伊丹は美鈴を寝台に寝かし、主人に果物を用意してくれるように頼んだ。
「美鈴殿、二、三日この村でゆっくりいたそう」
伊丹が美鈴の体調を考えて申し出る。
「でも一刻も早く二人を探しださないと」
「いや、ここで無理をして体調が元に戻らねば探索を諦めるような事態になるかもしれん。我慢してでも休むのが得策でござる」
美鈴の顔が歪み、目尻から涙が溢れ出そうとしていた。教え子を連れ戻さなければという義務感が心労となり、少し情緒不安定となっている。
「すみません」
伊丹が困ったような顔をする。人生のほとんどを武術家として生きて来た伊丹は女性との接し方に不慣れなのだ。薫とは良好な関係を結んでいるが、薫が子供であるのと弟子と師匠という関係だからである。
「謝る必要はござらん。不慣れな異世界で体調を崩すのはよくある事。それに小瀬と東埜はきっとウェルデア市で発見出来るでござろう」
「でも、もっと遠くへ行ったかも」
「この異世界が危険な場所だというのは彼らも存じているだろう。少しでも知っている街で生活しようとするはずでござる……まあ、薫会長ほどの行動力が有れば絶対見付からないように見知らぬ土地へ行く可能性も有るのだが」
……会長? 薫さんは生徒会長なのかしら。美鈴は一瞬どうでもよい事を考えてから。
「でも中学生の薫さんが、そこまで行動力が有るなら二人だって」
「薫会長やミコト殿は特別で、そこらの大人では真似できない行動力と判断力を備えておるのです。でなければ案内人など不可能でござる」
美鈴の体調が戻るまで二日その宿で休養した。
休養後、ココス街道を南西へと進み、もう少しでウェルデア市が見えて来ると思われる地点で異変に気付いた。前方から何者かが戦っている気配がして来たのだ。武器を繰り出す気迫の篭もった叫び、悲鳴などが聞こえる。
「魔物が出たんでしょうか?」
美鈴が不安げな声を出す。
「様子を覗いて確認した方が良さそうでござる」
二人は慎重に気配のする方へ進み、魔物と護衛のハンターらしい者たちが戦っている光景を目にした。
襲っている魔物は、黒光りする外殻を纏った馬鹿でかい蟻だった。戦争蟻と呼ばれる種族で体格や能力により幾つかの種類に分類される魔物だ。
体長が二メートルほどの戦争蟻は『歩兵蟻』、三メートルほどの戦争蟻は『軍曹蟻』と呼ばれる。そして、現在ハンターと戦っているのは、多数の歩兵蟻と二匹の軍曹蟻だった。
その魔物たちの中心には二頭立ての大きな馬車が有り、それを守るように懸命に戦っている者たちが居た。馬車の中から商人らしい男が身を乗り出し助けを呼んでいる。
生きて戦っているハンターの人数は三人だけ、倒れている人数は四人。残った三人が魔物を馬車に近づけまいと必至で剣や槍を振るっているが、絶望的な戦いだった。
「助けてあげられないの?」
美鈴が怯えながらも彼らを救えないか尋ねる。伊丹は美鈴の安全を第一に考えており、戦いに参加するのは良い選択ではないと判断する。だが、目の前で戦っている人々を見殺しにするのは武士としての信条に反する。
「美鈴殿、あの木に登ってジッとしていられるか?」
伊丹が指差した木はかなりの大木で五メートル上に大きな枝が張り出している。そこで待機させられるならある程度の安全を確保可能だ。
「どうやって登るんです?」
「ロープをあの枝に渡して輪っかを作り、そこに足を引っ掛けたら拙者が引っ張り上げよう」
「判りました」
伊丹は大きな枝に美鈴を引っ張り上げてから、戦いの場に赴いた。
「助太刀する!」
ハンターに声を掛けた。だが、防戦に必死の彼らには返事を返す余裕もないようだ。伊丹は豪竜刀ではなく予備の武器として持って来た邪爪鉈を抜いた。
蟻の外殻は硬く刀より刃の厚い鉈の方が蟻退治には向いていると判断した。駆け寄りざま歩兵蟻の首関節に邪爪鉈を叩き込む。首の半分が断ち切られ歩兵蟻は藻掻きながら倒れる。
その後流れる水のように歩兵蟻の間を移動しながら邪爪鉈を振るう。的確に急所を切り裂く鉈の刃は赤い光を帯びるようになった。躯豪術を駆使して魔力を流し込み邪爪鉈の中に潜む『断裂斬』の源紋を覚醒させ、その力を借りて歩兵蟻の外殻を断ち割る。
赤い光を帯びた邪爪鉈は関節を狙う必要はなくなり、硬い頭であろうとカチ割ってしまう。
ものの数分で全ての歩兵蟻を倒した伊丹は、ハンターや馬車を確認する。ほとんどの魔物が伊丹一人に倒されたので呆然とした感じで伊丹を見詰めている。
馬車からも商人らしい男が顔を出し、こちらを見ていた。
残っているのは二匹の軍曹蟻である。前に軍曹蟻を相手した時はミコトと二人で共闘したが今回は一人だ。助けたハンターたちはすでに戦う気力を失くし腑抜けた顔になっている。
伊丹が軍曹蟻を睨み付け邪爪鉈を構えた時、風向きが変わりウェルデア市の方角から乾いた空気が吹き込んで来た。それを切っ掛けとして軍曹蟻がそわそわとし始め、ついにはウェルデア市の方角へ去って行った。
伊丹は美鈴の所に戻り枝から下ろすと馬車へ近寄る。軍曹蟻の姿も見えなくなり気が抜けたのだろうハンター三人は亡くなった同僚の傍で暗い表情をして立ち尽くしている。
「命拾いしました。ありがとうございます」
馬車に乗っていた商人が感謝の言葉を告げる。旅商人らしい男から事情を聞くとウェルデア市へ入ろうとした時に戦争蟻の集団が街を襲いここまで逃げて来たそうだ。
「ウェルデア市を襲った蟻共は、あれで全てだったのでござるか?」
商人が思い切り首を振り否定する。
「とんでもない。あれはほんの一部で、ほとんどの戦争蟻はウェルデア市を攻撃しています」
「何っ!」
伊丹は近くに在る大木の天辺近くまで攀じ登りウェルデア市を確認する。
「信じられん、数百匹の戦争蟻が街壁を取り囲んでいる!」
街の境界線である高さ七メートルほどの石壁の周囲を真っ黒な蟻の集団が占領していた。都市の出入口は堅く閉ざされ、石壁を登ろうとする戦争蟻たちを衛兵らしい兵士が上から撃退している。
これは明らかに非常事態だった。伊丹は素早く地上に降り美鈴の下に戻ると樹上で見た光景を説明した。
「そんな……あの中に二人が居るのに」
美鈴が肩を落とし途方に暮れたように嘆く。伊丹としてはなんとかしてやりたいが、この状況では諦めて貰うしかない。
「一旦、前の村に戻るしかないでござる」
「でも、二人はどうするのです?」
「戦争蟻を撃退してからでないと街に入ることすら無理でござる。撃退は個人でどうにかなる状況ではござらん、あれは軍隊が必要になると思う」
伊丹と美鈴は助けた商人とハンターに同行して村に引き返す事にした。村に到着すると商人と一緒に村長の所へ行き状況を説明した。
村長は驚き早馬を用意させた。迷宮都市に緊急の救難要請を出す為だ。
伊丹は状況を知らせる手紙を書き、迷宮都市に居るミコトへ渡すように村長に頼んだ。村長に呼び出された村の男が迷宮都市に向けて出発する。
馬を乗り継げば明日には迷宮都市へ到着するだろう。
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小瀬と東埜がエンバタシュト子爵一族に囚われたのは判った。だが、相手は貴族であるので、俺が打てる手は限られていた。ダルバルに子爵一族へ二人を開放するように交渉してくれと頼むしか無かった。
子爵一族が雇った者たちが王子を襲った事実を奴らに突き付け、それを交渉のネタとして子爵一族をこちらの駒として取り込むくらい、ダルバルはするだろう。
俺自身がウェルデア市に乗り込み二人を救い出すような無謀な事はするなとダルバルから釘を差された。俺が行なったのは、この経緯を手紙に書き伊丹さん宛に送る事だけだった。
俺と薫は何も出来ず、ダルバルの交渉待ちとなる。
迷宮都市に戻ったディンはダルバルから拷問に近い説教を受けたそうだ。しかし、不思議な事に趙悠館を訪れるのは許可され堂々と訪れるようになった。但し護衛の衛兵が三人ほど付くようだ。
アカネとコルセラは怖い思いはしたが、それがトラウマになるような事はなく前と同じようにギルドの依頼を熟している。
薫は頭を切り替え、リカヤたちと一緒にエヴァソン遺跡へ行き神紋付与陣を復活させる作業を始めている。まずは『魔力袋の神紋』を復活させたいと言っていた。
俺は医師二人の様子を見ながら必要な素材を用意する仕事を行なっている。二人の医師は下級の治癒系魔法薬なら失敗無しに作製出来るようになったので、今は中級の治癒系魔法薬を研究している。
中級の治癒系魔法薬はレシピが判明しており、下級でも使われるポポン草と月花桃仁草の球根、そしてルーク級以上の魔物から剥ぎ取った魔晶管内容液が必要となる。
月花桃仁草の球根はギルドから購入する必要があるが、ポポン草とルーク級以上の魔晶管内容液は自前で用意するつもりだ。特に魔晶管はルーク級ともなると最低でも銀貨十数枚が相場なのでギルドから購入すると予算がきつい。ポポン草は趙悠館に住む子供たちでも集められるので問題ない。
ミコト本人がルーク級の魔物を狩りの行けば済む事だが、定期的にリアルワールドに戻る事を考慮するとどうしても時間が足りない。
魔晶管内容液が傷まないように保存する方法が有れば、大量に魔物を狩って保存して置くという方法も取れるのだが、保存方法は確立されていない。
そこでリカヤたちレベルのハンターがルーク級魔物を狩れるようになれば解決すると考え、その為の武器の開発を始めた。ルーク級は防御力が高く並みの武器では倒せないからだ。
現在、リカヤたちの武器は強化武器である『剛突の槍』、ルーク級下位の歩兵蟻でも貫ける威力を持つ武器である。それならばルーク級を狩る為の武器など開発する必要はないと思うかもしれないが、三段目ランクになったばかりのリカヤたちの技量では『剛突の槍』を使いこなすまでに至っていなかった。
確かに躯豪術や『魔力発移の神紋』を使って『剛突の槍』に魔力を込め歩兵蟻を全力で突けば仕留められるだろう。しかし、それは確実に倒せるという事を意味してはないない。
ルーク級魔物の攻撃を躱しながら接近し『剛突の槍』に魔力を込め最適な角度で槍を突き出す。これが如何に難しいかは伊丹さんも俺も知っている。
俺や伊丹さんが確実にルーク級魔物を仕留められるのは、武器に加えて技や技能のプラスアルファがあるからだ。俺の場合は躯豪術に最も熟練しているので敵の攻撃を躱しながらでも魔力を制御出来るし、伊丹さんは鍛え上げた技で敵を翻弄し余裕を持って敵を仕留めている。
リカヤたちには熟練した魔力制御も鍛え上げた技もない。魔力を込めた『剛突の槍』の攻撃は一か八かの賭けになってしまう。それでは危険過ぎてルーク級の魔晶管採取など任せられない。
もちろん、リカヤたちだけにルーク級の魔晶管採取を任せようと考えているのではない。迷宮に入れるようになった迷宮初心者に武器を貸し与える代わりにルーク級の魔晶管を……と考えているだ。
その為には躯豪術や『魔力発移の神紋』がなくとも使える武器で無くてはならない。
先日、常世の森で雷黒猿の雷角を手に入れ武器のアイデアが閃いた。雷角は『雷発』という魔力を雷力に変える源紋を秘めており、大鬼蜘蛛用の武器にならないかと考えていたのだが、まずは対ルーク級魔物の武器に応用する。
早速、武器防具工房のカリス親方に相談し試作品を作って貰った。アイデアを相談して一日後、カリス親方は試作品となる三つのパーツを作ってくれた。
四等級のミスリル合金で作られた『剛突の槍』と『雷発の槌』、そして魔導核が埋め込まれた丈夫な長柄である。魔導核と言うのは魔晶玉に魔道具職人が補助神紋を刻み込んだもので、刻まれた補助神紋の種類により様々な魔法効果を発揮する。
魔導核は魔道具の心臓部となるもので普通なら高価なものなのだが、長柄に埋め込まれている魔導核は最も安い魔晶玉に魔力の吸収・蓄積・放出の三機能だけを組み込み、金貨三枚程度の費用で収めた廉価版だった。
基礎となる三機能だけを組み込んだ魔導核と言えど最も安い魔晶玉に収めるほどコンパクトにするのは難事業で、それを可能にしたのは薫が開発した神紋術式解析システムが有ればこそだ。
薫が描いた魔力制御補助神紋図を元に魔導核を作成した魔道具職人は、その図の模写を懇願した。
「カリス親方、この緻密に描かれた補助神紋図は何なんだ。魔道具ギルドで調べてえから写させてくれよ」
「駄目だ。こいつは魔導師のお客さんが苦労して設計した新しいものだ」
親方がはっきりと断った。特許制度のない異世界では当然だ。
模写などせずとも実際に作った魔道具職人なら、組み込んだ補助神紋を理解し、ある程度は記憶するだろうと思うかもしれないが、それは無理なのだ。補助神紋図を魔晶玉に刻む作業は写経に似ている。ひたすら補助神紋図に書かれている内容を魔晶玉に写すだけの単純作業なのだ。構成する神意文字と神印紋の意味を理解している訳ではない魔道具職人はほとんど中身を理解しないまま作業する。
出来上がったパーツはカリス親方の手で組み立てられ魔導武器『剛雷槌槍』として完成した。
この魔導武器の使い方は、まず長柄に埋め込まれた魔導核に触る事で魔力を充填する。これにより二回の魔法効果を発揮する分の魔力が魔導核に蓄積される。そして、槌の部分で魔物を叩くと雷力が発生し一時的に魔物を麻痺させ、次に槍の刀身部分に魔力を流し込む。これにより『剛突』の源紋が励起した状態になる。
そして、源紋が励起した事により貫通力を増した槍で魔物を仕留める。
新しい武器が完成すると使ってみたくなるものだ。俺は武器の実験の為に勇者の迷宮へ行くとカリス親方に告げた。
「ミコト、迷宮に行くなら僕も連れて行って」
いつの間に来たのか、ディンがカリス親方の後ろに居た。周りを見ると護衛の姿がない。護衛を撒いて太守館を抜けだしたらしい。
「ディン、あんな事が有ったばかりだろ。しばらくはおとなしくしていたらどうだ」
「あれはミコトを狙っていたのであろう。僕は巻き込まれただけで危険なのはミコトだ」
「ムッ、確かに。だが、今日迷宮に行くのは俺一人、いざという時に守れないかもしれない」
「僕も三段目ランクになったんだ。自分の身は自分で守る……ミコトが駄目なら一人で行くだけだ」
駄々をこねる王子様には勝てなかった。
俺とディンは勇者の迷宮へ行き、第一階層からスタートする。第一階層の魔物はゴブリンである。迷路のような通路に辿り着くとディンがキョロキョロと周りを見回す。初めての迷宮に戸惑っているようだ。
第一階層の地図は頭に入っているので、迷わず通路を進み一匹のゴブリンに遭遇した。
「最初はこいつで試してみよう」
俺は剛雷槌槍を構え魔導核に触れ、その指先から魔力が吸われるのを感じる。
棍棒を持つゴブリンが襲い掛かって来た。俺は剛雷槌槍を真上から振り下ろし槌の部分でゴブリンの頭を殴る。『雷発の槌』がゴブリンの頭に減り込みバチッという音を響かせると同時に青白い火花を散らす。
ゴブリンがクタッと倒れた。一撃で死んだようだ。
止めを刺そうとした剛雷槌槍の刀身が無駄に赤い光を放つ。
「駄目だ。ゴブリン程度じゃ実験にならない」
急いで第一階層を通過し第二階層へ下りた。ここでスケルトン相手に使ってみる事にした。使うのは躯豪術や『魔力発移の神紋』を習得していないディンで、彼が問題なく使えれば誰でも使える事が証明される。
ディンはスケルトンと相対すると魔導核に魔力を充填し『雷発の槌』を思いっ切り振り下ろした。普段ホーングレイブを使っているディンにとって手慣れた攻撃だ。
『雷発の槌』はスケルトンの頭蓋骨にぶち当たり青白い火花を放つ。結果はゴブリンと同じで『雷発の槌』だけで勝負は決まってしまった。
「凄い威力だ。でも、やっぱり第五階層へ行って試すしかないよ」
「そうだな。第五階層まで急いで行こう」
スケルトンやコボルトは剛雷槌槍を試すまでもなく瞬殺し、第四階層の朱毒蛙・大水蛇はディンが<缶爆>を使って駆逐した。
やっと第五階層へ下りる階段まで辿り着き、その階段を下りた。
2015/7/15 修正 痛み⇒伊丹 ご指摘に感謝します