scene:77 案内人見習いと刺客
雷黒猿の素材は金貨七十枚ほどになった。特に高級な防具となる毛皮が高額で換金されたようだ。
ハンターギルドを出て趙悠館へ帰る道すがら、付けて来る連中の気配に気付いていた。
「どうする。あの連中を趙悠館まで連れて行くの?」
「奴ら俺について調べたようだから、趙悠館の場所も知っているだろう。だけど、このまま連れて行くのも嫌だな……捕まえて、誰の差し金か確認しよう」
人通りが少なくなった細い道に入った所で、付けて来る連中を待ち伏せする事にした。
商売をしている建物が途切れ、中層階級の民家が多くなる。もう少しで曲がり角という所で二人同時に走りだし角を曲がる。釣られて追って来た連中が走りだした。
角を曲がった地点で急停止し連中を待つ。
四人の男たちが俺と薫の前に走り込んで来た。
「お前たち、何故付けて来る?」
魔法使いの杖らしい物を持つ痩せた長身の男、戦斧を肩に担ぐ髭面の熊男、吊り目の狐顔の剣士、最後はネズミのようにすばしっこそうな小男である。
「別に……俺たちは用が有って先を急いでいただけだ」
魔導師らしい男が苦しい言い訳をするが、その眼は獲物を捉えた獣のように二人を睨み付けていた。
「それは失礼、勘違いしたようです」
下手ないい訳だと思った。だが、偶然同じ道を急いでいただけだと言い張る連中に反論するだけの証拠もなかった。
「ふん、行くぞ」
四人の男たちは急いでミコトたちから離れて行く。
「カガム兄貴、何故、仕掛けなかったんだ。こっちは四人だ、始末出来ただろ」
脇道に入りミコトたちの姿が見えなくなると、狐顔の剣士が魔導師カガムに問い掛けた。
「奴は、バジリスクを倒した男だぞ。若造だからと言って油断出来ん」
「あんなのがバジリスクを……間違いじゃねえのか?」
小男が口を挟む。髭面の熊男も同意すように頷く。
「ギルドで奴らが換金していた物を見ただろ。奴らは雷黒猿を仕留めている。手練れなのは間違いねえ」
この四人はウェルデア市の闇社会で凄腕の荒事師として名を馳せている。普段は闇社会の顔役が経営する賭博場で用心棒をしているが、依頼が持ち込まれるとそれぞれの武器を手に血腥い事件を起こす連中である。
ギルドでのランクは薫と同じ三段目と高くはない。だが、人を殺めた数は二桁を数え闇社会に詳しい者たちからは畏れられる存在である。
特に魔導師カガムは、『紅炎爆火の神紋』の遣い手で独自の応用魔法を使うと知られている。
「それに……ここは人目が有る。仕留めるなら街の外だ」
都市の治安部隊である警邏隊に通報されたら面倒な事態になる。ウェルデア市なら顔の効く役人が居るので、ちょっとした無茶はまかり通ったが、ここは迷宮都市である。
カガムの顔に薄ら笑いが浮かび上がる。
「兄貴、何か悪い事を考えてるな」
◆◆◇――◆◆◇――◆◆◇
宇田川紅音は迷宮都市に来てから、この異世界を知ろうと懸命に努力していた。
まずは、ミトア語の習得である。リアルワールドでも学習していたのだが、さすがに流暢に喋れる程ではなかった。
「宇田川さん、ミトア語の事なら心配ないよ。『知識の宝珠』を使って貰うから」
ミコトにそう言われて、『知識の宝珠』とは何かを尋ねた。
迷宮の産物で強制的に知識を記憶させる魔道具だと言われても、信じられるものではなかった。だが、試してみると本物だと判る。
少しの間、発音に苦しんだが現地の人々と話すうちに普通に喋れるようになった。
「魔法の道具なのね、リアルワールドの科学を超えている」
「宇田川さん、ハンターギルドに登録に行こう」
迷宮都市に到着して数日後、ミコトがハンターギルドへの登録を勧める。ミトア語を修得するのを待っていたようだ。
「分かりました……所でミコトさん、こちらでは苗字で呼ばず、下の名前で呼ぶのが普通なの?」
「ん? ……ああ、貴族でないとやファミリーネームを持っていないからだよ」
「郷に入っては郷に従えと言う事ね。だったら私もアカネと呼んで下さい」
「いいですけど……そうなると苗字を呼んでいるのが伊丹さんだけになっちゃうな」
「伊丹さんも下の名前で呼んだら」
ミコトは少し考えていたようだが首を振る。
「伊丹さんは、イタミで名前が広まっているから、このままでいいや」
その日は今年最高に暑い日となり、午後を過ぎるとぐんぐんと気温が上がり、道を歩く人々もうんざりしているようだ。
アカネは膝下まである紺のキュロットスカートと白い半袖シャツを着て外へ出た。ハンターらしくない格好だが、登録だけだからいつもの格好で良いとミコトに言われたのだ。
ハンターであっても迷宮都市の外に出ない日には、鎧などの防具は着けないようだ。ミコトも作業着のような丈夫なズボンに半袖の作務衣に似たシャツを着ている。護身用に鞘に入った邪爪鉈を背中に背負っているが、剣や槍を持つ人も居るので、あまり目立たない。
ハンターギルドへの登録は、見習い登録だったので短時間で終わった。
次は武器屋と防具屋へ連れて行かれ、防具と武器を選ぶように言われる。
「言っとくけど、購入費はアカネさんの借金になるから、稼いで返してね」
「念の為に聞くけど、経費とかで何とかならないの?」
「ダメダメ、迷宮都市で働いて返して貰わないと。案内人はある意味独立採算制だから、異世界で稼ぐ方法も必要なんだ」
それを聞いたアカネは、溜め息しか出なかった。
防具は黒大蜥蜴の革鎧と脛当てを選び、武器は短槍を選んだ。日本で学んだ杖術を応用出来るのではと思ったのだ。合計で銀貨六枚ほどになり、完済するには時間が掛かりそうだと思う。
だが、アカネの予想とは異なり、この借金は一ヶ月ほどで完済する。アカネの作り出した食材が高値で売れたからだ。
この数日で、アカネにも友人と呼べる者ができた。猫人族のコルセラである。趙悠館の隣人の娘であるコルセラはリカヤたちの知り合いであり、時々趙悠館を訪れるのでアカネとも顔見知りとなり友人として話すようになったのだ。
本当はリカヤたちにハンターとしての技術を教えて欲しくて訪れているのだが、リカヤたちも忙しく相手を出来ない。そこで比較的時間の有るアカネと仲良くなり一緒にギルドの依頼を受ける約束をした。
本来ならミコトか伊丹が教育するべきなのだが、伊丹がウェルデア市へ旅立ったので人手不足となっている。
ミコトたちの代わりにコルセラと言う訳ではないのだが、クラウザ初等学院でハンターの技術を学ぶコルセラは、初心者であるアカネが一緒に行動しながら学ぶには最適な相棒だとミコトは考えた。
リカヤたちがサポート役を務めた新緑期演習の後、コルセラは学院の実習として何度かギルド依頼をこなしている。もちろん薬草の採取や跳兎狩りなどの簡単なものだけである。
迷宮都市の南に広がる雑木林の地理にも詳しくなり、出没する魔物の対処も可能になっていた。
アカネが朝食を終え、食堂の後片付けを手伝っているとコルセラがやって来た。
「アカネ、今日は跳兎狩り行こうよ」
コルセラは十二歳、倍以上歳の離れたコンビだが、なかなか良いコンビである。慎重派で努力家でもあるアカネと行動力が有るコルセラは、絶妙なコンビネーションで魔物を狩る。
「朝から、ここに来るなんて珍しいね」
「今日から夏休みだよ。休み中は朝から狩りに行こうよ」
不意に少年の声が二人の会話を中断させた。
「僕も参加させてくれ」
食堂の入り口から顔を覗かせたのは、第三王子シュマルディンだった。革鎧を着けホーングレイブを担いでいる。太守館を抜け出し遊びに来たらしい。
「ディン君、また屋敷を抜け出してきたの?」
アカネがディンに会うのは二度目だが、貴族の息子だと思っている。ディンがミコトたちに口止めしたからだ。
「爺様たちが会議ばっかりしておるので退屈なのだ」
「偉い貴族様が会議……何か有ったの?」
コルセラが尋ねた。最近街の雰囲気がざわついているのを彼女も感じていた。
「何でも毎年迷宮都市に運ばれるはずの海産物と塩がモントハルから届かぬらしい」
コルセラは母親から関連する話を聞いていた。
「塩と海産物……だから、塩が値上がりしてるのね。母さんが困ったと言ってた」
「そう言えば、魚の干物とか市場で売り切れていました」
アカネは昨日買い物に行った時に干物が買えなかったのを思い出す。
「塩くらい迷宮都市でも作ればいいのに」
コルセラがポロリと零した言葉を聞き、ディンはヒンヴァス政務官から教えられた情報を披露する。
「確かに迷宮都市は海から近い。だが、近くの海岸線はほぼ崖。塩田を作れる土地が無いのだ」
ディンがちょっと得意気に近辺の地形を語り出す。
アカネは迷宮都市近くの海岸線には行った事がなかったので、そんな地形だとは知らなかった。ふとエヴァソン遺跡の前面に広がる砂浜が心に浮かんだ。……あそこに塩田が作れないだろうか。テレビで昔ながらの製塩方法で塩を作っている人物を紹介していたのを思い出す。
アカネの記憶にある製塩方法は揚げ浜式製塩と呼ばれるものだった。海水が漏れないように粘土で固めた田圃に砂を敷き詰め、そこに海水を撒き風と太陽熱で水分を蒸発させる。塩を含んだ砂を集めて海水で洗い塩分濃度の濃い塩水を作って、その塩水を釜で炊いて結晶化させ塩にする。
……塩を作っているのはモントハルだけじゃないと思うけど、遠隔地から運んでくるなら運搬費とかで高くなるのは確実ね。エヴァソン遺跡で塩が作れたら儲かるんじゃないかな。ミコトさんに相談しよう。
塩田の有る地方は海岸線沿いにいくつか在った。だが、それらの地方の塩田は規模が小さく、魔物の出る海でも航行出来るような大型船を運行していないので陸路の運搬になり、モントハルの塩より三倍近い高値になる。
迷宮都市の近辺で安価な塩が製造可能なら、大儲け出来そうである。
……でも、塩って生きていくのに必要な物だから、専売制になってたりするのよね。ちゃんと調べないと駄目かもしれない。
日本でも塩の専売制を行なっていた歴史があり、こちらの国が何か制限を課していても不思議はない。
ディンに聞いてみるとよく知らないと言う。
「帰ったら訊いてみるよ」
雑談をしている間に食堂の片付けが終わり、三人は連れ立って雑木林へ狩りに行く事になった。アカネは防具を着け、ナイフや紐、サラシ、治癒系魔法薬などを入れた背負い袋を担ぎ、最後に短槍を持って出発する。
南門から出て南東の方角に進む。この方向にはカシやナラの木に似た樹木が密集しており、青々とした葉っぱを天を隠すように茂らせている。周りの樹木から発散するフィトンチッドと呼ばれる成分は気分を落ち着かせる効果が有るようだ。
この時期の雑木林は、狐や狼、熊などの魔物でない獣も多く、それらを狩って食糧にしているハンターもいる。
通常の獣と魔物は魔晶管の有無で判別される。但し外見から判別するのは難しいものも居て、普通の獣だと思って狩ろうとしたら手痛い反撃を受け魔物だったと知る事もある。
三人はなるべく音を立てないように慎重に足を進める。
コルセラがこっちだと指で南の方向を差す。彼女が注目したのは下生えである。樹の下に茂っている下生えはウサギが好む雑草が多く、跳兎も餌場としているのだ。
雑木林に入って三〇分ほどした頃、コルセラが跳兎を見付けた。ヨモギに似た草を食べながら長い耳をピクピクと動かしている。
コルセラのメイン武器はショートソードで、遠距離攻撃用として棒手裏剣を使う。ベルトの小物入れから棒手裏剣を取り出し狙いを定める。
タイミングを図っていたコルセラが棒手裏剣を投擲する。まっすぐに飛翔した棒手裏剣は跳兎の背中を掠って地面に突き刺さる。
「外しちゃった!」
「任せて!」
アカネが走り出していた。右側から回り込んだアカネは左の方へ追い込むように短槍を突き出す。跳兎が左へ跳ぶ。そこにはディンが走り込んでいた。ホーングレイブが振り下ろされる。
狙い通り跳兎を仕留めた三人は、アカネに剥ぎ取りの方法を教えながら跳兎を解体する。
「ほら、ここに魔晶管が有るんだ」
ディンが魔晶管の位置を教える。リアルワールドにいる普通の女性だったら目を背けるような光景だが、SPとして鍛えられたアカネは目を見開き位置を確認する。
剥ぎ取りが終わり、もう少し雑木林の奥へと進む。その先には小山が在り、麓にゴブリンが住処にしそうな洞穴が有る。
ディンがゴブリン狩りをしようと言い出したのである。
「いいだろ、イタミ師匠に教わった技を試してみたいのだ」
「いいけど、四匹以上居たら撤退ですからね」
アカネが血気盛んなディンを抑える為に条件を告げる。……何だか、ディン君と居るとヤンチャな弟を持ったような気分になる。
小山が目前に見え、洞穴の周囲で小人が動き回っているのに気付く。三匹のゴブリンが獲物を探してウロウロしているようだ。
「一匹ずつ相手しましょう。決して油断しないで」
アカネが注意するとコルセラとディンが頷く。アカネは真ん中の棍棒を持つゴブリンと戦う事に決めた。三人同時に駆け出す。
途中でゴブリンたちが気付き、こちらに向かって来る。甲高い喚き声を上げながら走る姿は醜悪で目を背けたくなるが、間合いに入った瞬間、ゴブリンの顔を目掛けて槍を突き出す。
ゴブリンが棍棒で槍を払うが、アカネはそれを予測していた。払われた反動を利用して槍をクルリと回転させ石突でゴブリンの脇腹を叩く。この素早い連続攻撃にはゴブリンも反応出来ない。ゴブリンは地面に転がり悲鳴を上げる。
止めの突きは正確にゴブリンの首を刺し貫いた。人型の魔物だったので、警察官時代に習った杖術が役立ったようだ。
周りを見回すとコルセラとディンも優勢に戦いを進め程なく仕留めた。
「ちょっと洞穴の中を見てみないか?」
ディンが二人に提案する。コルセラも中が気になるようだ。アカネは苦笑しながら同意する。
洞穴は暗く涼しかった。ディンはミコトから習った<冷光>で周りを照らす。入り口から少し歩いた時、外から声が聞こえて来る。
「ファルマゼム・ユギリス・ヒメナジェス……<炎爆雷>」
「呪文? ……何」
コルセラの呟きが終わる前に、凄まじい衝撃音と爆風がアカネたちを襲う。三人は爆風で洞穴の奥へと吹き飛ばされ、洞穴の入り口は衝撃で崩れて埋まる。
洞穴の前には四人の男たち。ミコトと薫を付けていた連中である。
「やり過ぎたか。あいつら死んだかな?」
魔導師カガムは、完全に塞がった洞穴の入口を見て呟く。
「どっちでもいいだろ。餌は揃ったし、標的を釣り出そうぜ」
狐顔の剣士が楽しそうに笑いながら言う。
「ミコトってガキに誰が伝えに行くんだ?」
髭面の斧戦士が魔導師カガムに尋ねる。
「手紙を書くから、ニュムが届けろ」
一番背が低いが足の速い男ニュムが、嫌そうに顔を顰めながらも頷く。
魔導師カガムはミコト一人で、ここに来るように命じる脅迫文を書きニュムに渡した。