scene:68 二人の医師
感想 及び 評価を頂きました。ありがとうございます。
この章は少し長くなりそうです。
もう少しお付き合い下さい。よろしくお願いします。
逃げるように現場を離れ、仕事場のビルに戻った。東條管理官の部屋に入ってソファーに座ると真剣な顔をしたハゲボスが告げた。
「ミコト、今まで黙っていたが、オークが現れた転移門で民間人八人が行方不明となっている」
俺は嫌な予感がし、薫の顔が脳裏に浮かんだ。薫が転移門を調べたいと言っていたのを思い出したからだ。
「その中に、三条薫とその従姉妹が居た」
「嫌な予感的中かよ」
俺が顔色を変えたのを見て、東條管理官が慰めるように言う。
「あの娘はしっかりしている。生き残るだろう」
俺はどうしようもない焦燥感に駆られ、矢継ぎ早に質問する。
「その転移門から異世界の何処に出るか分かりますか?」
「他の連中の経歴は?」
「オークがこっちに来たのなら、奴らが持っていた武器が転移門に置き去りにされている可能性が有りますよね?」
気が付けばソファーから立ち上がり、部屋の中を無意味に歩き回っていた。
「落ち着け、次に転移門が起動するまで何も出来ないんだぞ」
東條管理官から諭され、少し落ち着いた。
「三条家から捜索の依頼が来ている。──当然、引き受けた。お前は異世界に行ったら行方不明者を探す依頼もしろ」
さすが東條管理官だ。手回しがいい。
……アレッ、最後に『依頼もしろ』と言ったよな。まさか。
「予定入っていた病院からの依頼は?」
いつの間にか普段のハゲボスに戻っていた。オークの事件の時に見せた気遣いは微塵も残っていない。
「同時にやれ。今回から宇田川も見習いとして行って貰うから手伝わせるといい」
俺は依頼の内容を思い出していた。今回の依頼には三つの課題が有った。一つ目の課題は魔法薬の製造方法を調査し、その安全性を確認した後、手術に利用出来ないか研究するというものだ。
先発組として二人の医師が異世界に転移する。彼らの仕事は、魔法薬のについての調査だ。魔法薬にも種類が有るので、それらを調査し最終段階で異世界にやって来る患者三名に有効な魔法薬を見つけ出す。
「東條管理官、ミトア語の『知識の宝珠』はいくらで提供するんですか?」
二人の医師には速やかにミトア語を習得して貰い、魔法薬の調査を行って貰わなければならない。よって『知識の宝珠』を提供する事になっている。
「三百万円だ。私は安過ぎると言ったのだが、転移門管理委員会で他の管理官たちが反対しおった。我々の部署だけで利益を独占するのが気に食わんらしい」
『知識の宝珠』に類似する魔導具は幾つか有るらしいが、日本が管理する転移門から手に入るのは迷宮都市クラウザの『知識の宝珠』だけなのだ。
地道に勉強すれば習得可能な知識だが、転移門を利用する大企業や大金持ちなら大金を出しても買うだろう。
もちろん三百万円全部が俺の懐に入る訳ではない。一旦JTGが買い上げて顧客に販売したという体裁を取る為だ。だが、かなり大金が俺に入るのは嬉しい。
「幾つ手元に有るんだ?」
「現在は十二個です。『ミトア語学習ツアー』とか企画は通りませんか」
東條管理官が少し考えてから。
「十二個じゃ少な過ぎる。もう少し数が揃わないと無理だな」
「ミトア語の『知識の宝珠』は、年に三〇個ほど迷宮から持ち出されているそうです。迷宮都市に死蔵されているものは、その一〇倍ほど有ると思うんです」
「数が三〇個以上になって、拠点が完成したら考えてみよう」
……俺の脳裏にキラキラと輝く魔粒子が浮かんだ。あの魔法現象の事をハゲボスに報告するべきだろうか。駄目だ。研究所の檻の中に閉じ込められる自分の姿しか思い浮かばない。当分秘密にしておこう。
それから少し打ち合わせをしてから帰宅した。
翌朝、アパートで目を覚ました俺は、テレビの電源を入れ朝のニュースを見て驚いた。
「ゲッ!」
俺がオークをバックドロップしている映像が目に飛び込んで来た。断っておくが、俺が使った技はプロレスのバックドロップではない。ほとんど同じだが、香月流組討術の『霞落とし』と呼ばれる技だ。もちろん、児童養護施設の香月師範から習ったもので、案内人なってから正式に弟子入りし本来の技を伝授された。
因みに子供たちに教えているのは、本来の威力を制限した劣化バージョンである。
テレビのテロップに俺の事を『マスクマン1号』とあった。何故1号かというと、近寄って来た東條管理官が『マスクマン2号』となっていたからだ。
「テレビ局の連中、ふざけてるのか。何でマスクマンなんだ。……1号とかなんだよ」
俺は頭を抱えてしまった。
こんな時は、オリガに会って癒されるしかない。俺は近くに在る児童養護施設へ向かった。途中のコンビニでお菓子を幾つか買い子供たちへのお土産とする。
児童養護施設の敷地に入ると女の子たちが縄跳びをしている姿が目に入った。
「アッ、ミコト兄だ」
あっという間に小さな女の子に囲まれ、お土産を奪われた。少し話をしてから中に入りオリガを探した。オリガは香月師範と一緒に年少組の部屋の片付けをしていた。
白い杖を突きながら部屋の中を歩き回り、見付けた玩具を収納箱の中に入れていく。目の見えないオリガが迷うことなく部屋の中を歩き回る姿を見ると何故か暖かな気分になる。
「おう、ミコト。来たのか」
俺に気付いた香月師範が声を上げた。相変わらず存在感が凄いオッさんだ。
「香月師範、オリガ、おはよう」
オリガが俺の方へ近付いて来た。俺は中腰になってオリガと向き合った。その時、俺は油断していた。まさか、オリガからあんな威力の有る攻撃を受けるとは思わなかった。
「………………」
「ミコトお兄ちゃん、マスクマン1号になったの」
「ぐはっ!」
俺はHPが半減するような大ダメージを受けた。オリガの横にいる香月師範を見ると、プーッと変な声を漏らし笑っている。師範がオリガに教えたのか。マスクをしていても師範の眼は誤魔化せなかったようだ。
……クソッ、まったく酷い人だ、純真なオリガに余計な事を。
その日は散々香月師範にからかわれ精神的にダメージを受けて帰った。ただ、オリガに会った事でリフレッシュは出来た。
翌日から、今回の依頼人である二人の医師と宇田川さんを混じえて打ち合わせを行う。俺が知る限りの異世界医療についての知識を提供し、細かい予定を立てた。
薫の事はいつも意識していたが、なるべく考えないようにしている。
そして、転移門が起動する日が来た。今回もエヴァソン遺跡に転移する転移門を使う。こちらの転移門の方が迷宮都市に近いからだ。
転移の時間が迫った頃。
俺、宇田川さん、医師の神田と宮田が転移門の出現場所近くで待機していた。神田さんは大学病院の准教授で脳神経外科を専門とする四〇歳代の鼻のデカイひょろりとした男性だった。もう一人の宮田さんは時間が有ればスポーツジムに通い筋肉を鍛えるマッチョな若い医師で消化器外科を専門にしており、薬学についても詳しいそうだ。
「ミコトさん、よろしくお願いします」
宇田川さんの挨拶に俺は「任せとけ」と応える。彼女は案内人になって異世界の食べ物について調査したいと言っていた。趣味が料理であり、美味しいものに目がないようだった。
「神田先生と宮田先生も初めてで緊張しているかもしれないですが、私の指示に従い冷静に行動して下さい」
鼻デカ神田とマッチョ宮田は幾分青褪めた顔色で転移門の出現場所を注視していた。
廃工場の中は自衛隊により片付けられ綺麗になっていた。新しいものとして転移門の出現場所を囲むように壁が出来ていた。俺たちは、その壁の内側で時を待っている。
いつものように転移門による異常現象が発生し、その中に俺たちは侵入した。その時、俺の魔導眼が発動し転移門の奥で輝く特殊な神紋が見えた。俺が今まで転移門だと思っていた光は神紋が力を発揮した時に漏れ出る魔力の残滓に過ぎなかったようだ。
◆◆◇――◆◆◇――◆◆◇
「ウウッ」
鼻が痛い、気を失って倒れた拍子に鼻を地面に打ち付けたようだ。周りを見回すと真っ暗で何も見えない。今回の転移では気付くまでに時間が掛かったようだ。転移門の光が完全に消えていた。
「フォトノス・ジェネサス……<冷光>」
呪文の詠唱を切っ掛けに俺の左手が輝きだした。光りに照らされ、周りで気を失っている宇田川さんたちの姿が目に入った。
俺は荷物の隠し場所まで行き荷物を取り出した。まず、照明魔道具を取り出し明りを点けた。俺が『E転移室』と名付けたエヴァソン遺跡の部屋は、かなり広々とした空間なので、照明魔道具一つでは隅々まで照らせないが、ちょっと動き回るには十分なものだった。
隠してあった服を着る。まだ外に出る気はないので、バジリスク革鎧などの装備は着けない。邪爪鉈だけは背中に背負った。邪爪鉈用の鞘は前と同じで背中に背負えるようになっていた。
邪爪鉈の柄も特別製で、竜爪鉈と同じ魔力伝導率の高い加工材をミスリル合金で補強したものを使っていた。
「ミコトさん、無事に転移出来たんですか?」
宇田川さんが目を覚まし尋ねた。俺は頷き、迷宮都市で購入した麻の服と編上げサンダルを渡した。服は厚手のズボンとシャツで丈夫だが、着心地はいまいちの品物だ。
医師の二人も目を覚ましたので服と履物を渡した。服を着た医師二人が照明魔導具の近くに来て座る。
「今、何時頃なんです?」
マッチョ宮田が時間を尋ねてきたが、この世界で時計と言えば日時計か、水時計しかないので正確な時間は分からない。たぶん、もう少しで夜が明けると応えた。
「おいおい、そんな時代遅れの世界で医療技術なんか調べる価値が有るのか。手っ取り早く魔法薬とかを購入して患者に飲ませればいいじゃないか」
鼻デカ神田は、異世界に飛ばされた事が不満のようだ。
「どんな副作用が有るか解らない薬を患者に使えますか。十分な調査が必要なのはご存知じゃないですか」
マッチョ宮田が猛烈な勢いで抗議を始めた。
「チッ、魔法薬の調査はする。だが、他の医療方法を研究する必要があるのか。魔法などという妖しい手段で患者が治療出来ると本気で思っているのか」
鼻デカ神田は、医師としての自分に相当なプライドを持っているようだ。二十年間医師として磨き上げてきた医療技術と知識が魔法に取って代わられるのが耐えられないのだ。
この依頼の病院側担当者は、先発二人に魔法を肯定する医師と否定する医師を選んだ。魔法という現象を客観的に調査するには、それがベストだと思ったからだ。
だが、神田准教授の心の奥に秘められた強烈なプライドまでは知らなかったようで、後に准教授には困らされる事になる。
「それを調査するのが我々の仕事じゃないですか」
鼻デカ神田のこめかみがピクピクと痙攣している。若い宮田に諭され、ご機嫌斜めになったようだ。
「ふん、そんな事は承知している。……それより、ここには体を休める場所もないのか?」
……オッ、とばっちりがこっちに来た。
「すいません、ここは最近使えるようになったばかりの転移門なので、整備がなされていないんです。ですが、迷宮都市には近いので、今日中には研究拠点となる場所に到着します」
マッチョ宮田が頷き、具体的な場所を訊いて来た。
「迷宮都市の東側にある土地に、仮設住宅を用意しています。近くに教会の治療院もあるので調査には都合がいいでしょう」
「ホテルとか用意出来なかったのか」
鼻デカ神田が口を挟む。
「宿屋に寝泊まりして貰うのも考えたんですが、宿屋の設備も中世ヨーロッパレベルです。風呂やシャワーもないので、仮設住宅の方が快適かもしれません」
「クッ、仮設住宅には風呂が有るのか」
「取り敢えずシャワーは用意させました。風呂はこれからだけど、数日中には入れるようになります」
伊丹さんにシャワー室を用意するように頼んであった。シャワーと言っても給湯器が有る訳ではないので、お湯を沸かしてシャワー室の屋根に設置したタンクに入れ、そのお湯をシャワーとして利用するだけの簡易的なものだ。お湯の温度管理は人力で行うので人件費が必要だが必要経費だと思っている。
仮設住宅について説明している間に朝が来た。俺はバジリスク革鎧などを装備し、保存食などが入っている背負い袋を背負うと強い意志を込めて声を掛ける。
「明るくなったようです。迷宮都市に行きましょう」
宇田川さん、鼻デカ神田とマッチョ宮田が立ち上がった。三人には刃渡り三〇センチの山刀を渡した。藪を払う為と護身用だ。
「こんなものを渡すからには、外には危険な獣が居るのか?」
鼻デカ神田が不安な様子を見せた。俺は心配ないと宥めた。
「私の指示に従えば、必ず迷宮都市に行けます。さあ、出発です」
通路を出て階段状地形の二段目、二階テラス区に出た。そこから常世の森に入った所で魔物と遭遇する。
「こ、こいつはなんなの?」
宇田川さんの悲鳴に似た問い掛けが聞こえた。
俺たちが遭遇したのは、通常の狼より三倍ほどの大きな体格を持つ青斑狼だった。この狼は全体的には灰色の毛で覆われているが、背骨に沿って青い毛が生えているのが特徴である。性格は獰猛で『森の殺し屋』と呼ばれている。
「ヒッ……ば、化け物だ」
青斑狼が発する殺気に鼻デカ神田が腰を抜かしたようで、その場に座り込んだ。俺は背中の背負い袋を放り出し邪爪鉈を構える。
「俺が倒しますから、後ろに下がって!」
俺は<魔力感知>で魔物が近付いているのは気付いていた。ただ、感知した感触から大鬼レベルの魔物だと判っていたので避けなかった。
ここで案内人として実力を示しておけば、これから先の仕事がやりやすくなると計算したのだ。
青斑狼が俺の首筋目掛けて飛び掛って来た。青斑狼の爪が俺の体に触れる直前、横にステップして躱す。構えていた邪爪鉈を青斑狼の後ろ足に叩き込んだ。
青斑狼の右後ろ脚に骨が覗くほどの深い傷が生じた。着地した青斑狼はよろけるが、闘志を失ってはいなかった。すぐさま血が凍るような雄叫びを上げた。
「ウルォオオオオオーーーーーーーゥ」
後ろに居る宇田川さんたちは、雄叫びに精神を侵食され凍りついたように動けなくなった。例外は、俺一人だけ。青斑狼が足を引き摺りながらも鼻デカ神田を狙って駆け出した。
俺は躯豪術を駆使して青斑狼の前方に回り込む。その時、青斑狼は跳躍していた。大きな牙が並んでいる顎門が俺目掛けて落下してくる。邪爪鉈を青斑狼の頭へ送り込む。同時に、青斑狼の爪がバジリスク革鎧を引き裂こうとする。だが、堅牢なバジリスクの革は、その爪を弾き返した。一方、邪爪鉈は青斑狼の横顔に食い込み深い傷を着けた。
青斑狼の顔から血が吹き出し、その体は地面に叩き付けられ転がった。
「さすがバジリスクだ。青斑狼の爪程度じゃ歯がたたないらしい」
ちょっとヒヤリとした。青斑狼が依頼人を狙ったので、慌てて間に飛び込んだ結果、相打ちのような格好になってしまった。
……バジリスク革鎧を作ってて良かったぁ。
青斑狼は死んではいなかった。大量の血を流しながらも立ち上がり逃げようとした。俺は追撃し青斑狼の首を刎ねた。
後ろを見ると鼻デカ神田を筆頭に三人が呆然としてこちらを見ていた。俺はもう大丈夫だと声を掛けてから、青斑狼の剥ぎ取りを始めた。
腹を割いて魔晶管を取り出す。嬉しい事に小さな魔晶玉が入っていた。次に皮を剥ぎ取る。青斑狼の皮は防具として使われるので高く売れると聞いていた。
「なんて世界だ」
鼻デカ神田が呟いた。この瞬間、本当に自分が異世界に来たんだと実感したのだろう。
2016/6/3 誤字修正
2017/7/2 誤字修正