scene:2 ノスバック村
本日2回投稿予定の1回目です。
その街道は、人や使役獣、荷車などが踏み固める事によって維持されているだけの道だった。日本の道路のように舗装されている訳ではなく、むき出しの土に石が転がっている。路傍には雑草が生い茂り、野生動物らしい小動物の姿も見受けられた。
「江戸時代にでもタイムスリップしたような感じだな。これで侍でも通ったら完璧に勘違いしそうだ」
三台の馬車を含む隊商と擦れ違った。馬車の御者や用心棒らしい男たちは、金髪、赤毛、銀髪とヨーロッパの白人種族を思わせるような人種だが、瞳の色だけは黒だった。顔つきも鼻が高く彫りの深いものでイギリス人とかフランス人だと言われても納得という感じだ。ただ、体格はそれほど大きくない。平均一七〇センチほどだろうか。
俺は話し掛けようと思ったが、用心棒たちの警戒する目付きや荒々しい口調で交わしている言葉を聞き、話し掛けず道の端に避け通り過ぎるのを見送った。
「ウワーッ……あいつらが話している言葉、一言も分からなかった」
もちろん、異世界である。日本語で話している訳はないと思っていたが、全然知らない言葉で話しているのを聞くと、俺の背中に嫌な汗が流れた。人が住む街に行けば何とかなると思っていたが、言葉の壁があるとは。
もう一つ気付いたのは、ここの連中の文明レベルだ。擦れ違った馬車は少量の鉄と木材だけで作られていた。車輪も木製でゴムの欠片もない。用心棒たちが装備していた鎧などは、今俺が装備しているものと変わりなかった。装備している武器は剣か槍で、鉈を持っている者はいなかった。
「やっぱり、鉈は少数派かな。もしかするとオンリーワン……ちょっと心細いかも」
俺は歩き続け、その村の近くに来るまで、四つの隊商と擦れ違った。道の向こうに村が見えた時、俺はどうやって交渉するか悩んだ。その場に立ち止まったまま考えるのは、さすがに怪しまれると思ったので、街道の脇に聳える楠に似た大木の影に入り根本に座り考えた。
まず、自分の姿をチェックする。背丈は平均に近いが、用心棒たちと比べると厚みがない。要するに筋肉が足りないのだ。だけど用心棒の皆さんは普通の人より筋肉質だろうから問題ないだろう。顔はどうだ。鼻は低いしのっぺりした顔だ。イケメンじゃないがブサメンでもない。服装もちょっとみすぼらしいが大丈夫だ。
武器は鉈だが、ちょっと兇悪な武器だ。街道までの途中でゴブリンと遭遇したが、こいつの一撃で首を飛ばして始末した。
「兇悪な武器を担いだ男が、訳の分からない言葉を喋りながら村に入って来たら……騒ぎになるか」
鉈を手放す気は無かった。だが、騒ぎになるのも困る。俺は鉈を隠してから村に入ろうと決めた。座り込んでいる大木に登り、五メートルほど上にある枝に紐で鉈を括り付けた。
「ちょっと不安だけど、後で回収すればいいか」
俺は村に向かって歩き始めた。村は高さ四メートルほどの石壁で囲まれていた。魔物の出没する世界では、村や町を壁で囲うのは当たり前なんだろう。
朝起きたら、家の前に魔物が立っていたというのでは、安心して生活できない。しかし、あの翼竜なんかには効果が無いと思うんだが、別の防御策があるのだろうか。
村の入口には門番が居た。俺は慎重に声を掛けた。
…………
………
……
一時間後、俺は村の牢屋の中に居た。言葉の通じない俺は、必死に害意のない人間だと訴えたんだが、通じなかった。俺は村人数人に取り囲まれ、牢屋に投げ込まれた。荷物は取り上げられ、血で汚れたシャツとズボンだけは取られずに済んだ。
「クソッ!……神様、ひど過ぎるよ」
牢屋は、村長宅の倉庫だった建物を改造したものだった。木の格子により囲まれていた二畳ほどの広さの牢だった。俺はしょんぼりと座り込む。
「日本に帰りたいよ……白いご飯が食いたい……風呂に入りたいよ」
情けないと思うかもしれないが、この時の俺はホームシックに罹っていた。自力で牢から脱出するのは無理だと悟る。出来るのは待つ事だけだ。
牢の中で眠れぬ夜を過ごした後、牢に一人の女が入って来た。歳は四〇代、赤毛の背の高いおばさんだった。魔法使いが着るような黒いローブを着ていた。整った顔立ちをしている。昔は可愛かっただろうが、今は……。そのおばさんが、殺気を孕んだ視線で俺を睨む。
「ご、ごめんなさい」
俺は何故か謝っていた。凄い視線だったんだもん。しょうがないよ。
おばさんは牢に入ると、俺が座っている所まで来て、俺の頭に手を当てた。
【聞こえますか。異国の人】
俺は驚いた。
「あ、あんた、日本語喋れるの?」
【これは念話です。あなたの心に直接話し掛けています】
「テレパシーみたいなものか……あなたは誰なの?」
【私は村長のご子息に魔法学を教えているカステアと申します】
「俺は、日本から来たキジマです。牢から出して下さい」
【日本?……それはどこに在るのです?】
「遠い島国だよ」
【ふむ……聞いた事のない国です。余程遠い、海の彼方に在る国なのですね】
「それより、ここは何処なんだ?」
【ここは、ノスバック村です。知らなかったのですか?】
「知らない。何も知らないんだ。なのに牢に入れられて。出してくれよ」
【駄目です。門番が不審者だと言っています】
「違う。俺は犯罪を犯した事なんか無いし、犯すつもりもない」
【では、帝王猿の毛皮はどうしたんですか?】
俺は正直に森で起きた出来事を話した。但し、ワイバーンの爪については隠した。
【分かりました。あなたは幸運な方のようです】
「この状況の何処が幸運なんだよ」
【私はミトア語をあなたに教えられます。どうしますか?】
ミトア語というのは、大陸中央部で共通語として使われている言語だ。俺は喜んだ。言葉の壁が無くなれば、苦労が大幅に減る。
「お願いします」
【しかし、無料でとはいきません】
「エエッ!……金取るの。俺の荷物に巾着が入っていただろ。それが全財産だ」
【銀貨三枚と銅貨が少しでしたね。……足りません】
「どうしろと言うんだ」
【銀貨三枚と帝王猿の毛皮、それに帝王猿の牙で作ったナイフを貰いたい】
俺は正直、罠に填められたと思った。だが、別の選択肢は無かった。
「牢から出してくれるんだろうな」
【もちろんです。犯罪者でないと分かったのですから】
俺は牢から出された。村長宅に連れて行かれ、客室で待たされた。カステアが金属製の台に填められた水晶球のようなものを持って来た。水晶の直径は六センチほどか。念話で動かないで立っていろと命じられた。
カステアは、その水晶球を俺の額に当てるとブッブッと呟き始めた。何かの呪文らしいが、俺には分からない。
……ん…イギッ、激痛が走る。脳を鷲掴みされたかのような痛みだ。逃げようとしたが身体が動かない。あまりの激痛に気絶も出来なかった。どれほどの時間、その激痛に耐えていたか覚えていない。気付いたら終わっていた。俺の頭の中にミトア語の知識が存在した。それだけじゃない、古代魔導帝国エリュシスの公用語であるエトワ語、オークが使うジゴル語の知識などが自分のものとなっていた。
「分かるか、キジマ。返事をしろ」
「イタかった。シヌかとオモた」
俺はミトア語で応えていた。俺の頭には完全なミトア語の知識が在るのだが、口の筋肉や喉はその言語に慣れていないので、辿々《たどたど》しい口調になる。
「知識の宝珠は、ちゃんと機能したようですね」
……魔法だよ……ファンタジーだ……この世界は凄い。俺は興奮した。その興奮も五分と続かなかった。ハゲの村長が出て来て、屋敷から追い出されたんだ。背負い袋と革鎧は返して貰ったが、帝王猿の毛皮とクナイ、巾着の中の銀貨三枚は無かった。お日様は中天に登り、昼を少し過ぎている。
「残っているのは、銅貨一四枚、小粒九枚か」
カステアに確認したら、この国の貨幣制度は次のようになっていた。単位は『ビレ』だが、一四九ビレという代わりに銅貨十四枚と小粒九枚と言う習慣になっており、『ビレ』を使うのは行政府の役人ぐらいらしい。
小粒……銅製の四角い小硬貨、日本円で一〇円相当
銅貨……銅製の穴開き丸硬貨、日本円で一〇〇円相当、銅貨一枚=小粒一〇枚
方銀……銀製の四角い小硬貨、日本円で二千円相当、方銀一枚=銅貨二〇枚
銀貨……銀製の丸硬貨、日本円で一万円相当、銀貨一枚=方銀五枚
方金……金製の四角い小硬貨、日本円で四万円相当、方金一枚=銀貨四枚
金貨……金製の丸硬貨、日本円で二〇万円相当、金貨一枚=方金五枚
銅貨が二枚も有れば飯が食えるらしいので、食い物屋を探した。宿兼食堂があった。村の建物は木製の柱や桁に土壁、窓は鎧窓で屋根は板に黒いタイルが貼られていた。
「あのタイルは何だろ?……瓦?じゃないよな」
疑問は持つたが、それに答えてくれるような人物は居ないので、兎に角、宿兼食堂に入る。
「いらっしゃいませ、お食事ですかのぉ、お泊りですかのぉ」
愛想のいいお婆さんが声を掛けて来た。
「トまりは、イくら?」
「おやおや、お客さん外国の方じゃろか、一泊銅貨五枚だよ」
俺は銅貨五枚を渡し鍵を貰って、食事は出来るか訊いた。
「もちろんじゃ。どんぞ、空いている席に座って」
食堂には、大きなテーブルが三脚有り、その右端に座った。
メニューは壁に板を打ち付けてあった。俺のミトア語の知識は問題なく読み書きできるようだ。
「おススメてえ食を」
「へえ、銅貨二枚だよ」
俺は銅貨を渡した。前払らしい。
ちょっと待って出て来た料理は、塩を振っただけの焼き肉と野菜スープ、固そうなパン一切れだった。腹が減っていた俺は、パンに齧り付いた。硬い、しょうがないのでスープに付け、ふやかしたものを食べる。肉は馴染みのある味だ。跳兎の肉らしい。
残さず食べ、二階の部屋に向かった。藁の上に布を敷いたベッドと毛布、小さなテーブルと椅子。俺はベッドに倒れこんだ。
起きると夜になっていた。月明かりが窓から差し込み部屋の中が微かに見える。下の方が騒がしい……食堂で酒を飲み騒いでいるようだ。何日も風呂に入っていない俺は何だか気持ち悪い。一階に降り、あの婆さんに風呂はないかと訊いた。
「この村で風呂が有るのは、村長の所だけじゃ。他は行水さ、裏にある井戸の側に水浴び場がある」
俺は手拭いと下着を持って裏に回った。薄暗い裏庭はロープを使って汲み上げる井戸が有った。桶に水を汲み、板で仕切られた水浴び場で身体を洗う。石鹸など無いから、丁寧に擦って汚れを落とす。ステテコのような下着に着替え、服を着る。……着替えの服が欲しい。
四つのランプが周りを照らす食堂に戻った俺は、夕食を注文する。一番安いのを頼んだ。出て来たものは昼とあまり変わらなかったが、肉の種類が違った。肉は獣臭く、俺の舌には合わない。言っておくが、俺は美食家じゃないし好き嫌いもない。だが、この肉だけは嫌だ。後で聞いたら、長爪狼の肉だった。狼肉は敬遠した方が良いと知る。
食堂で酔っぱらいに絡まれたが収穫も有った。俺が外国人だと知ると、この国、マウセリア王国について教えてくれたのだ。マウセリア王国はバルメイト大陸中央五大国の一国で、王都は村の東にあるエクサバル、十万人の人口を誇る大きな街らしい。バルメイト大陸の南側にある国で、南はデヨン大南洋と呼ばれる大海、北は最大の軍事国家パルサ帝国、西は『稀竜種の樹海』、東にはデヨン同盟諸国と呼ばれる小国家群が有るらしい。
産業としては、小麦を中心とした農業が盛んだが、輸出品の代表は魔物から取れる素材や魔晶管、魔晶玉である。魔物は『稀竜種の樹海』から無限に湧いてくるので、それを狩るハンターを育成保護する政策を進めている。
俺が通った道はココス街道と呼ばれ、南西の始点モントハル港湾市から、中間点のウェルデア市、街道の終点となる迷宮都市クラウザの三都市を結ぶ街道らしい。この村は、ウェルデア市の手前にある村で、宿場町としてはウェルデア市に近過ぎる為、これ以上の発展は難しい。
オオッ……この世界には迷宮も有るのか。血が騒ぐぜ……言って置くけど騒ぐだけ、行こうとは思わない。だって危険がいっぱいそうなんだもん。
また、重要な情報が聞けた。この国にはハンターギルドというのが在るらしい。傭兵ギルドというのも在るので、冒険者ギルド的な役割をこの二つで分け合っているそうだ。
ハンターギルドでは、薬草の採取や魔物の討伐とかが有り、腕に自信が有るなら稼げると聞いた。村にハンターギルドの支部は有るかと訊くと『有る』と答えてくれた。
但し、ギルドに入るには身分証か、保証人が必要らしい。
「保証人か……無理だな」
俺は諦めた。知り合い一人いない俺には、身分証も保証人も無理だった。がっかりする俺に、話し掛けて来る者が居た。
「あたしが保証人になってあげましょうか」
後ろを振り向くと、カステアがいた。黒いローブは夜の暗闇に紛れ、存在感が薄い。
「ナゼ?」
「昼間のお詫びよ。事情に疎いのに付け込んで、あなたから帝王猿の毛皮と牙のナイフを取り上げたわ。あれの価値は、金貨十数枚はしたのに」
「でも、チシキのホウジュは高価なんじゃ」
「ピンからキリまで有るのよ。ミトア語の知識の宝珠はハズレ、希少だけど金貨一枚ほどしかしないわ」
やっぱり、騙されていたんだ。……悔しいです。でも正式な取引だから、取り返すのは無理。
「村長に頼まれ、片棒を担いだけど。後味が悪いのよ」
諸悪の根源は村長か。
翌朝、ハンターギルド前でカステアと待ち合わせた。三〇分ほど待つとカステアが来た。ギルドの建物は平均的なコンビニほどの大きさで、カウンターに二人の職員がいた。残念ながら、おっさん二人だ。
「この子の新規登録をお願い」
カステアが用件を告げる。保証人の問題が解決しているので、手続きはすぐに済んだ。
「ハンターギルドの説明をする。ギルドにはランクというものが有る。登録したばかりのお前は、序ノロだ。序ノロ>序二段>三段目>幕下>十両>前頭>小結>関脇>大関>横綱という具合にランクアップする」
ゲッ……何だこれ、相撲の番付かよ。知識の宝珠から得たミトア語の知識と俺の脳細胞に溜め込まれていた知識が融合した時、不完全な翻訳が成立してしまったらしい。原因は俺の知識に有る。確かに相撲中継はよく見る方だと思うが、これは無いと思う。まだ、アルファベットの方がマシだ。
「さて、序ノロランクは見習いだ。正式なギルド員とは違う。見習いから卒業するには、三つの事をなさなきゃならん。一つはポーン級中位の魔物を倒す事。もう一つは、金だ。見習いになる時は無料だが、正式なギルド員になる時は、銀貨三枚が必要だ。最後は、大地の下級神バウル様の神紋を授かる事」
俺は戸惑った。
「シンモン?」
「魔導寺院に在る神紋の間で大地の下級神バウル様の加護を受けるのさ。見習いは一年位で卒業するもんだ。お前も頑張れよ」
オッさんは依頼の受け方や剥ぎ取りについても教えてくれた。部屋の隅に有るボードに依頼票が貼ってあり、それから選んで受付に渡せばいいらしい。但し、赤い依頼票は、常駐依頼と言って受付は不要らしい。
俺は赤い依頼票をチェックした。ポポン草という薬草採取に、ゴブリンの討伐、跳兎の肉が序ノロランクが受けられる常駐依頼だった。オークの討伐とかも常駐依頼だが、ランク制限があった。
オークションについても説明してくれた。高価な素材を入手した時は、オークションハウスに出品し換金するのだそうだ。地球のオークションと同じ制度らしい。大きな街にしかオークションハウスはないが、そこでは金貨が飛び交っているらしい。
「因みに、帝王猿の毛皮はオークションに出すと、村長が言っていたわ」
……許すまじ村長『コノウラミハラサデオクベキカ』とその時は恨んだ。だが、俺は執念深い性格ではない。その後いろいろ有ったので忘れてしまう。
「基本、剥ぎ取った素材は、ここの買取受付に持って来な。適性な価格で買い取るから。……おっとそうだ。いい忘れていたが、討伐報償という制度が有る。町や村に近い場所に出没する魔物を倒すと報奨金が出る。例えば、長爪狼だ。こいつを倒し右耳を持ってくると報奨金が支払われる」
俺は見習いの登録証を受け取った。名刺大の木の板に氏名、ランク、所属支部が書いてあり、ハンターギルドの紋章が焼き印されている。
「そいつは見習いの身分証になる。失くすな。それと村には魔導寺院が無いから、正式なギルド員に成りたかったら大きな町へ行け」
俺は礼を言ってギルド支部を後にした。
「これからどうするの?」
カステアが尋ねた。
「ウェルデア市へイく」
「それがいいわ。村長の目が光っているここより、大きな町の方が暮らし易いはずよ」
2014/11/1 誤字修正
2015/3/5 誤字・脱字修正




