scene:28 鎧豚の森(1)
躯豪術を伝授してから数日が過ぎた。集中的修行で、伊丹は魔力の制御を習得しドリルスピアを使い熟せるようになった。こんな短期間でマスターするなんて、俺はちょっと落ち込んだ。その点、薫はいい。調息は出来るようになり、魔力の制御もある程度は可能となったがマスターしたとまでは言えない。俺の時と同じだ。……それでいいんだ薫、親しみを込めて『カオルン』と呼んでやろう。俺の心の中で(薫=カオルン)が確定した。
朝、朝練を済ませてから、今日の予定を話し合う。
「さて、今日からの予定だが、大剣甲虫の狩りに向かう。往復四日の旅になるので食糧はタップリと用意した」
「いよいよ化け物クワガタか。筋肉痛が治って良かった」
躯豪術の修行に因る筋肉痛が回復し爽やかな朝を迎えた薫が、弾むような声を上げる。
「大剣甲虫が棲息する鎧豚の森は、樹海の第一層だけどオークと鉢合わせする可能性がある場所だから、気を引き締めてくれ」
「オークは強いのか?」
伊丹がドリルスピアの手入れをしながら尋ねる。この人段々武士みたいになってく気がする。
「オークは個体差が激しい種族なんだ。ある意味人間と似ている」
「面白い、手応えのある奴と一戦交えたいものよ」
……今の伊丹さんだとゴブリンじゃ物足りないか。軍人オークとでも出会せば満足してくれるだろうか。
「私、ドラゴンを見てみたい」
薫の発言に眉を顰めながら説教モードに入る。
「駄目、この世界のドラゴンは凶悪なんです。アッと言う間に殺されて食べられてしまいます。ドラゴンに限らず、俺が危険だと判断し撤退の合図を出したら、すぐに逃げて下さい」
「ミコトさんは、ドラゴンを見た事あるの?」
「ドラゴンは無いけど、ワイバーンなら見たよ。無茶苦茶怖くて体が竦んで動けなくなったけど」
「ワイバーンか。プテラノドンみたいな奴なのかな」
薫が中生代白亜紀に生息した翼竜の名前を出したが、違うと否定する。
「ワイバーンは魔物、亜竜だけどドラゴンの一族なんだ。恐竜とは別物だよ」
俺は説明出来なかったが、ワイバーンの出す威圧感や凶暴性は、リアルワールドに存在する生物とは一線を画すると感じる。
準備と点検が終わり宿を出ると一旦ギルドへ向かう。鎧豚の森で達成可能な依頼を受ける為だ。三段目ランクアップには通常依頼一〇件を達成する必要がある。薫と伊丹は簡単な依頼を八件ずつ達成しているので、後二件達成すれば条件をクリア出来る。
ギルドの依頼票ボードに条件に合致する依頼が二件有った。
・鎧豚の森に生えるツレツレ草の採取
・鎧豚の鎧皮採取
俺が『鎧豚の森に生えるツレツレ草の採取』を取り、もう一つに手を伸ばそうとした時、横から奪われた。
「エッ!」
俺より少し歳上の若いハンター四人が、依頼票を手に取り相談していた。
「こいつにしようぜ」
ニキビ面のひょろりとした若いハンターが仲間に提案する。
「薬草採りなんか、ダサくてやってられねえからいいかもな」
俺が手に持っている依頼票をチラリと見てから、一番体格のいいガテン系の奴が返答する。
「鎧豚の森か、食糧や薬はどうする」
魔導師らしいローブを着た青白い顔のハンターが尋ねる。
「ディン、ちょっと来い」
ニキビ面が、誰かを呼ぶ。近づいて来たのは、顔見知りだった。迷宮都市に来た日に知り合った少年だ。
「何、どうした」
「鎧豚の森へ行く。お前も付いて来たいなら、食糧を準備する金を出せよ」
偉そうに命令するニキビ面と違い、ディンの方には気品がある。不良少年の集まりみたいなパーティに一人だけ優等生が居る感じだ。
「どれほど必要?」
ディンが巾着袋から銀貨数枚を出しながら訊く。ニキビ面がディンの手に載っている銀貨をすべて奪う。
「こいつを借りとく。鎧豚で儲けたら分前をやるからな」
ガテン系のハンターがニヤリと笑って、仲間を促し外へ出る。
「ディン、こいつを受付に出しといてくれ。俺たちは準備をしてくるからここで待ってろ」
ニキビ面が依頼票をディンに押し付けた。
一人残されたディンは、自分を見詰めている少年に気付いた。
「アレッ……何処かで?」
俺は苦笑した。
「ミコトだ。忘れたのか」
「アッ、すまぬ。忘れておった」
ディンが素直に謝った。
「学生だって言ってたけど、ハンターになったのか?」
「おお、漸くハンターに成れたぞ。先ほどの仲間たちに頼んで保証人になってもろうたのだ」
ディンが笑顔で応える。
あの連中が、親切心で保証人を引き受けるとは思えない。
「保証人を頼んだ時に、お金を渡したのか?」
「うむ、金貨五枚を渡したら快く引き受けてくれた」
こいつ間違いなく世間知らずのボンボンだ。……良い奴なんだが。
「ディン、ハンターになるのを反対してた爺さんはどうした?」
「祖父は王都に行っておる。一月程は帰らん」
「そうか……」
俺たちは受付に行き、依頼票を提出する。
「『鎧豚の鎧皮採取』をお受けになるのは『黄金の戦人』様でよろしいですね」
受付嬢が厳しい顔をしている。
「はい」
「『黄金の戦人』にはギルドから警告が出ています。次に一般人や他のハンターと揉め事を起こせば懲罰も考えると支部長が仰られました。他のメンバーにも伝えておいて下さい」
ディンの顔から血の気が引いている。
「ディン、あの連中とは別れた方がいいんじゃないか」
「そうだな、今回の依頼が終わったら、考えるとしよう」
おっとりしていると言うか。危機感が全くない。心配だが、こちらも大仕事を抱えているので他人の世話を焼く余裕はない。俺はディンと別れ、待合所で待っている薫と伊丹の下に戻る。
「よう、何とか言えよ。こんなむさいオッさん何かと別れて、俺たちのパーティに入りなよ」
いつの間にか、薫の周りに三人のアホな不良ハンターが群がっていた。確かに薫は美少女なので目立つ存在なんだが、普段なら伊丹の存在があんな奴らを遠ざけていた。薫が不快そうに顔を顰めている。まだ、簡単なミトア語くらいしか理解できない薫は、状況が半分ほどしか掴めていない。
伊丹は何をしているのか、伊丹の傍にも一人のハンターが居た。
「オジ様、凄いわ。この分厚い胸板、オーガのようにたくましい腕。ちょっと触ってもいいかしら、いいわよね。……もう~~~たまらない。……抱いて!」
金髪のロングヘアーに、濃い目の化粧を施した顔、女性の魔導師好んで着ている赤のローブ、一見女性魔導師に見えるが、声は男だった。……アッ、よく見ると髭を剃った跡が有る。
「よ、寄るな。拙者にそんな趣味はない」
珍しく伊丹が慌てている。言葉遣いも可笑しい。……伊丹さん、益々武士化が進んでる。自分の事を拙者とか言ってるし。伊丹さんは日本語で叫んでいるので、相手は理解していないだろう。
取り敢えず、伊丹さんは放っておいて薫を救出しよう。
「カオルン、お待たせ」
俺は不良ハンターたちを押し退け、薫の前に立つ。当然、アホたちが騒ぎ出す。薫はホッとした顔をする。
「何だお前、こいつの連れか」
赤毛にはアホが多いのだろうか。三人共長い赤毛を後ろで三つ編みにしている。
「カオルンは、俺の仲間だ。変な誘いは無用に願いたい」
ハンターギルドの方に居る若者は、三段目になっていない連中が多い。三段目になれば実入りの多い迷宮ギルドへ移るからだ。
この連中も序二段ランクのハンターらしい。
「偉そうに言ってんじゃねえよ。俺らは『紅同盟』の者だぞ」
幾つかのパーティが集まりクランという集団を作る事がある。『紅同盟』もクランの一つでリーダー格のパーティがオーガの群れを倒した事で一躍有名になった。
「ほう、お前たちもオーガを倒したのか?」
「も、もちろんだ。俺たちもオーガと戦ったんだ」
雰囲気から下っ端だと思っていた連中が、オーガを倒すほどの実力者だとは意外だった。
「それにしてはランクが低くないか。序二段なんだろ」
「じ、実力は有るんだ。それをギルドの奴らが認めないだけだ」
アホたちの顔色が悪い。明らかに嘘を言っている。
「ギルドに強さを認めさせるなんて簡単だろ。強い魔物を倒せばいいんだから……それにオーガを倒したんだろ。三段目にランクアップするには十分なはずだ」
「オーガたちとの戦いの時は乱戦だったから、誰がどのオーガを倒したかはっきりしないんだ」
アホたちの武器を見ると、鉄製のロングソード、斧、槍だった。そんな武器ではオーガを仕留められない。攻撃が当たったかもしれないが、浅い傷を負わせるのが精々だろう。ギルドの職員が認めない理由も納得だ。
「丁度いい、俺たちはこれから大剣甲虫を狩りに行くんだが、お前たちも来るか。大剣甲虫を倒せばギルドも認めてくれると思うぞ」
周りが静かになった。俺たちが騒いでいるのを周りも聞いていたらしい。静かになった次の瞬間、ざわめきが広がる。
「大剣甲虫だって……ルーク級下位の魔物だ」
「だけど、あいつの防御力はルーク級上位に匹敵すると聞いたぞ」
「あんな小僧たちに狩れるのか」
「もしかして高ランクのハンターなのか」
アホたちの顔が青褪めている。ちょっかいを出す相手を間違ったと思い始めたのだ。
「吹かすんじゃねえよ。大剣甲虫狩りなんて嘘だろ」
俺が言い返そうとした時、横からアホたちを止める声がした。
「そうでも無さそうだぞ。お前たち」
鍛え上げられた身体、太い腕、戦争蟻の外殻を使った鎧、使い込まれた感じの剣、どれもがベテランハンターに相応しい。顔は普通だが、短く刈り込まれた金髪や、太い眉毛は精悍な野生児という感じだ。
「モリスさん、どうしてハンターギルドに」
アホたちの知り合いらしい。
「オーガの生き残りの件でちょっとな……それより、そいつに絡むのは止めとけ。そいつの鎧は槍トカゲの特異体から剥ぎ取った革製だ。かなりの実力者だぞ」
青くなったアホたちは、こそこそ逃げようとする。
「ちょっと待て、こいつも持っていけ」
俺は伊丹さんに言い寄るニューハーフの人を押し付けた。
「イヤ~~、何すんのよ。ちょっと待って。オジ様ぁ~~」
「済まない、後輩たちが迷惑を掛けたな」
「ちょっとウザかっただけだから問題ない」
「お嬢さんも済まなかったな」
薫にも謝っているのは理解出来た。
「みょんだい無いです」
薫のミトア語は辿々しいものだった。それを聞いた俺は、ある魔道具を用意した方がいいと思い始めた。
モリスは、思った通り十両ランクのハンターだった。普段は迷宮に潜っている。今回は指名依頼でオーク集団の調査をしていたようだ。
「ミコトは、迷宮には潜らないのか?」
「今回の狩りの後、潜る予定だ」
「そうか、勇者の迷宮に潜るなら、質の良い魔晶玉を持っていた方がいいぞ」
「何故だ?」
「勇者の迷宮には、『宝珠の間』というのが現れる。何階層に現れるのかは分からない。その部屋には祭壇が有り、そこに魔晶玉を捧げると魔物が現れる。そいつを倒して得られるのが、『知識の宝珠』だ」
「『宝珠の間』か、モリスさんは入った事が……」
「残念だが、無い。『宝珠の間』に出会すハンターは、三〇人に一人だと言われているほどだからな」
……俺が使った『知識の宝珠』は、『宝珠の間』で得られれたもののようだ。
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私、三条薫が異世界に行こうと思ったのは、クラスメイトの一言が切っ掛けだった。平凡な中学校に通う私は、幾分平凡ではなかった。年商二十二億円のIT企業のオーナーであり、業界では謎の天才ハッカー(コンピュータ技術に詳しい知識を持つ者の事、犯罪とは無関係)と呼ばれる。
その頃、世界中で異世界の事が話題になっていた。アメリカのオハイオ州で行方不明になった青年が、突然戻って来た。戻って来ただけなら話題にもならないが、彼は異世界で捕獲したと言うコボルトと一緒だった。
このニュースはネット上で話題になり、コボルトの映像は世界中に配信された。事実を確認したアメリカ政府は、異世界について隠蔽しようとしたが、次々と異世界からの帰還者が現れ、政府は公式に異世界の存在を認めた。
日本でも騒がれた。そして、異世界にある迷宮について噂が流れた。
クラスメイトがその噂を教えてくれた。
「迷宮に隠されていた宝箱に、誰でも魔法が使えるようになる秘宝が入っていたらしいの」
それを聞いた私は、胸が震えました。小さい頃、魔法使いの絵本を読んで貰って以来、魔法使いに憧れるようになっていたのです。もちろん、魔法少女もののアニメはすべて見ました。
一〇歳の頃、パソコンに嵌ったのもコンピュータの達人をウィザードと呼ぶと聞いたから。確かにウィザード級のハッカーとなったけど、求めていた魔法使いではありませんでした。
私は本物の魔法使いが居る異世界の情報を集め、異世界へ行く準備を始めた。
そして、今異世界のハンターギルドに居る。案内人のミコトさんが依頼を探している間、待合所で休んでいると、軽薄そうな若いハンターが近づいて来た。
何か話し掛けてくるが理解出来ない。それにジロジロとこちらを見る視線が気持ち悪い。困って伊丹さんに助けを求めようとしたが、彼もある意味危険に迫られていた。
あまりにしつこく話し掛けて来るので、だんだん怖くなる。そんな時、ミコトさんが助けてくれた。私の前に立ちふさがり守ってくれたのは嬉しかった。ちょっと気になったのは、私をカオルンと呼んでいる事だ。小学生の頃、友人にカオルンと呼ばれていたのだが、彼は何故知っているのだろう。
ミコトさんが若いハンターたちを追っ払ってくれた。正直ホッとした。モリスと言うベテランハンターと知り合い、情報交換をしていたようだが、ミコトさんは何か驚いていた。
ギルドを後にし迷宮都市の西門から外へ出た。驚くほど身体が軽い。背負い袋には四日分の食糧と着替え、小物などが入っており重いはずなのだが。ミコトさんの話に拠ると『魔力袋の神紋』の效果により筋肉の一部が魔導細胞というものに変異し、それが高効率の筋肉細胞である為だという。
登録証を発行した時に計測した筋力は4、一般人より少し強化された程度だと言っていたが、少し心配になった。腹筋が割れてきたらどうしよう。
迷宮都市から鎧豚の森へ行く道中、何回か魔物の襲撃を受けた。ゴブリンや長爪狼などだ。ココス街道から樹海へ入り一〇キロほど進んだ所で、日が傾き始める。
樹海の中の野営は初めてだ。ミコトさんが野営に適した空き地を見付けたので、そこに荷物を置き薪拾いに行く。ミコトさんと一緒に乾いた枯れ枝を集めるのが、何故か楽しい。
集めた薪にミコトさんが魔法で火を着けた。魔法は不思議です。しょぼい魔法でも心が踊る。
それにしても驚くほど周りが暗い。様々な光源に囲まれて生活している日本人には、馴染みのない闇が有ります。この闇が魔法を生み出すのかもしれません。
翌朝、顎が痛くなるほど硬いパンを食べ、鎧豚の森へ向け出発する。今までとは比べ物にならない頻度で魔物と遭遇する。馴染みのゴブリンはもちろん、大小様々な魔昆虫や鉄頭鼠、鎌爪鼬、陰狼などの獣系魔物が私たちを襲うが、躯豪術を使えるようになった私たちの敵ではなかった。
その時、ミコトさんが急に立ち止まり視線を後ろに向けた。
「後を付けられている。俺たち以外のハンターだ」
2015/3/5 誤字・脱字修正