scene:236 日本政府の対応
東條管理官の予想通り、政府から要望されたJTG上層部は詳細報告を一刻でも早く出せと言ってきた。
俺は薫に確認しながら、魔力通信波送信機の詳細を報告書に書く。それだけで半日が潰れた。
「はあ、やっと終わった」
ノートパソコンの傍から離れ背伸びをする。凝り固まった筋肉が解れると同時に骨が鳴る。
東條管理官に提出。報告書を読んだ東條管理官が眉間にシワを寄せた。
「そんな顔して、どうしたんです?」
「予想していたより、製造に時間が掛かりそうなんで、どうしたものかと考えていたんだ」
「そんな難しく考えなくても、製造した順に各国に配ったらいいんじゃないですか?」
「国際社会、いや外交はそんな簡単なものじゃないんだ。まず、どの国から販売するかが問題になる」
俺もその辺は考えていた。まずはアメリカやロシア、中国などの大国へ渡す事になるだろう。俺の予想を聞いて東條管理官が頷いた。
「最初は大国という優先順は、確定だろう。だが、一台ずつなのか。大国が要求する台数を揃えるのかが問題になる」
広大な領土を持つ大国は、一台だけでは間に合わない。必ず数台必要だと要求してくるだろう。
日本政府も使える高速空巡艇の数だけ欲しいと言い出すはずだと言う。
送信機一台で全国に散らばっている転移門を廻れば、一年くらい掛かりそうだ。日本は帰還計画が成功したので、異世界に居残っている依頼人たちの事を考えなくても良いが、他国は、そんな長期間待たせられない。
俺は送信機の製造方法を売るかとも考えたが、ミュリオン結晶を手に入れられる国がどれほどあるのか疑問に思った。それにミュリオン結晶を加工する道具が手に入れられないだろう。
製造方法を売るという案は捨てた。
「送信機もそうだが、高速空巡艇の数が必要になる。もう少し生産を増やせないのか?」
東條管理官の要望に、俺の脳裏にカリス親方とドルジ親方の顔が浮かんだ。
現在行っている高速空巡艇の増産も、二人の親方に無理を言っているのだ。これ以上は増やせない。
「これ以上は無理です。こちらでキーアイテムとなる浮揚タンクと魔導推進器、魔力供給装置を作るので、機体は各国で作って貰えませんか」
東條管理官が腕組みをして考え。
「そうだな。イギリスやフランスはその方向で研究を進めているらしいから、問題ないだろう」
アメリカも研究は進めているはずだ。あの国は航空機の分野で負ける事に我慢出来ないはずだから。
「因みに、その送信機をいくらで販売するつもりなんだ?」
俺は首を傾げた。値段は考えていなかったのだ。
「希少性を考えて一億くらいかな」
俺と薫しか作れないものだ。相場なんてない。どんな値段を付けるのも自由なのだが、異世界から帰れず困っている人々の事を考えると無茶な値段は付けられない。
それにあまりに高額だと発展途上国が手に入れられなくなる。それを考慮して一億という値段を付けたのだが、東條管理官が安すぎると言う。
「異世界でも希少なミュリオン結晶を加工した部品を使っているんだろ。相手は個人じゃなく国なんだ。もう一桁上げても大丈夫だ」
一台一〇億円として、一〇〇台販売すると一〇〇〇億円、世界各国が購入すれば何台売れるのか分からない。
「また大儲け出来そう。でも、税金でがっぽり持っていかれるだろうな」
「政府に交渉して、無税にして貰えばいい。無税にした分、安くしましたと言えば、日本政府の評価も上がるだろう」
俺は東條管理官の顔を見てニヤリと笑い。
「ふふふ……三河屋、お主も悪よのう」
「誰が三河屋だ!」
東條管理官に頭を叩かれた。
JTGが送信機に関する報告書を政府に提出すると、三田総理と外務大臣が頭を悩ませた。
「生産能力が問題だな。もう少し増やせないのかね」
三田総理が確認すると外務大臣が暗い顔で。
「この装置を設計したマナ研開発に問い合わせた所、ミュリオン結晶と呼ばれる希少な素材とそれを加工する特殊な工具が必要だそうで、生産能力を上げる事は難しいそうです」
「ミュリオン結晶というのは何なのかね?」
「魔粒子とミスリルの粒子が結晶化したもののようです。ミスリル鉱山で産出されるようなのですが、ミスリル鉱山自体が少ないので、産出量も多くありません」
「しかし、ミュリオン結晶ですか。それが産出されるのは迷宮都市近くの鉱山だけではないはず」
外務大臣が汗を拭い。
「はあ、そうだと思いますが、加工する工具が特別製でして……迷宮都市にも一つだけしかないのです」
「特別製とは言え、数を増やせるのではないか」
「無理だそうです」
「何故だね? 特殊とは言え、工具なのだろ」
「材料に非常に希少な魔物の素材を使っているそうなのです」
「希少というと、ドラゴン級に希少なのかね」
「そのようです」
三田総理は溜息を吐いた。
「この情報は、各国政府に通達したのだね。各国の反応はどうです?」
「どの国も送信機を欲しがっています。特に発展途上国は大きな収入源の一つが減ったので、転移門の再稼動に掛ける期待は大きいようです」
日本政府からの情報が各国に広まるに連れ、国民の間から残留依頼人を助けろという声が大きくなった。そして、日本から転移門の危険性が報告されており、それに対して対応したのが日本とイギリスだけだとネット上で広まると、政府に対して怒りの声を上げる国民が増えた。
そんな中、日本に対して送信機を販売してくれという要望が集まり始める。日本政府としても要望に応えて販売したいが、生産数に限りがある。
問題は販売の優先順位だ。R再生薬の時のようにオークションに掛ければ天井知らずの価格となるのは予想出来る。だが、マナ研開発は一台一〇億円で販売すると決めたようだ。
人命に関わる事なので、マナ研開発は製造だけを担当し、販売は日本政府に任せると言う。日本政府は国益を考え優先順位などを決めていくつもりのようだ。
日本政府が優先順位を決め各国に連絡した。その順位や台数を知り不満を漏らす国が現れる。
一番に中国が外交チャンネルを通じて抗議した。もっと早くもっと多くの送信機が必要だと言うのだ。中国ばかりではなく様々な国が自国を優先してくれと頼んだ。
日本政府は当然の事だと受け止めた。各国が自国民の帰還を第一と考え、日本政府に働き掛けて来るのは予想済みだったからだ。
だが、それらの抗議の中で、度が過ぎていると思われる国があった。猛烈な抗議をした後、脅すような言葉を日本政府に告げたのだ。
日本政府はその脅しを本気にしなかった。だからと言って、何の対応もしなかった訳ではない。重要人物の警備を厳重にするように指示を出した。
一ヶ月後、俺は久しぶりに日本に戻った。
ここ一ヶ月は送信機の製作をずっと続けており、久しぶりに休養を取ろうと日本に戻ったのだ。
二日ほどテレビを見たり音楽を聞いたりしてのんびり過ごし、三日目に買い物に出掛けた。自宅を出るとすぐに背広を着た二人の男が近寄って来た。
「政府の指示で護衛につく事になりました、沢村です」
「同じく後藤です」
俺は噂に聞くSPだと気付いた。
「俺の護衛だって、具体的にどんな危険が迫って来ていると言うんです?」
沢村はポーカーフェイスで。
「我々は護衛しろと言われただけなので、詳しい事情は分からないのです。ただ君が重要人物である事は、教えて貰っている」
俺は溜息を吐いた。このタイミングでの護衛という事は、送信機絡みなのだろう。
仕方ないので、二人の男を連れてぶらぶらと商店街まで歩いた。黒翼衛星装置の公開稼働試験には、ちゃんとした格好で来るようにと薫から言われ背広を仕立てようと思ったのだ。
仕立て服専門の店に入る。ジーンズに着古したジャンパーという普段着のままだった俺は、どうも場違いな店に入ってしまったと感じた。
「いらっしゃいませ」
品の良さそうな店の主人が、俺の背後に居る二人の男を見て浮かべた笑顔を凍りつかせる。
「背広を仕立てたいんですが……」
「あ、ありがとうございます。どのような服が必要なのでしょう?」
俺は会社の公開試験で着用する服だと説明した。
「政府の偉い人も来るんで、ちゃんとした服を用意しろって言われたんだ」
俺の言葉に、主人は背後の二人に視線を走らせる。
「それですと……」
主人が背広について説明してくれたが、俺はよく判らなかった。そこで任せる事にした。
「では、どのような生地で作るかだけ、選んで貰えますか?」
主人が色々な生地のサンプルを見せてくれた。
俺は光沢と手触りで決めた。
「この生地はイタリア製の最高級品になりますが、よろしいですか?」
高いという事なのだろう。俺は値段を聞いて意外に安いと感じた。だが、最近の取引が一億単位だから、そう思っただけで決して安いものではない。
「構わない」
それを聞くと主人は採寸したいと言い、俺に上着を脱がせた。
採寸していた主人が。
「素晴らしい体格をされていますね。何かスポーツをされているのですか?」
「スポーツはしていないが、武術を学んでいる」
「なるほど」
採寸が終わり、主人が提案するデザインとシルエットを聞いて、選択し注文を終えた。最後にクレジットカードで支払いを済ませると店を出た。
近くのファーストフード店でハンバーガーを買って昼食を始める。
「一緒に食べればいいのに」
俺の傍で目を光らせている二人に声を掛けた。二人は話し合って一緒に食べる事にしたようだ。三人で食事をしていると、沢村のスマホに連絡が来た。
スマホを耳に当てた沢村の顔色が変わる。
「どうかしの?」
沢村は少し躊躇ってから。
「外務大臣のお嬢さんが誘拐されそうになったそうです」
通学途中のお嬢さんが、黒いバンに連れ込まれそうになったが、彼女の機転で誘拐は阻止されたという。
「勇敢で賢いお嬢さんなんだ。SPはついていなかったの?」
「閣僚の家族でも、SPをつけるほどの予算はないんです」
閣僚の家族についていない護衛が、俺の傍に居るという事実を噛み締め、偉くなったもんだと思う。
食事を済ませ、ぶらぶらと商店街を歩いていると見られているような気配を感じ、路地の奥に向かう。そこでは高校生らしい男女がコンビニで買った飲み物を手に話をしていた。
俺はこの路地に入った事を後悔した。普段、この路地は人気のない場所だったのだ。ここに来て気配の正体を確かめるつもりだった俺は、邪魔な奴らだと高校生たちに視線を向けた。
外国人らしい三人の人物が近寄り、その中の一人が俺に声を掛けた。銀色の瞳を持つ渋い紳士だ。
「ミスター・ミコトですね?」
流暢な日本語だった。SPの二人が警戒し、俺の前に出ようとした。俺はそれを抑えて。
「そうだ」
「エゴール・パトルシェフです。ロシア政府の使者として来ました」
「用件は何です?」
予想はついているが、確かめた。
「例の送信機です。我々の政府は日本の割当てに不満を持っています。もう少し増やして欲しいのです」
俺は厳しい表情をして。
「ロシアだけを特別扱いする事は出来ない」
エゴールが溜息を吐いた。
「ですが、あなたなら何とか出来るのはないですか。我々には潤沢な資金力があります。きっと後悔させません」
俺はちょっと困ったという顔をした。それを見た沢村が口を挟む。
「彼を困らせているようです。そこまでにして下さい」
エゴールが冷ややかな目で沢村を見る。
「SP風情が出しゃばるな」
権力を扱い慣れた者しか出せない迫力があった。沢村が一瞬怯んだ。
だが、怯んだ事を恥じた沢村が、俺とエゴールの間に身体を入れ。
「お引取り下さい。日本政府は彼と直接交渉する事を了承していません」
エゴールが見下すような視線を沢村に向け。
「ふん、送信機は一企業であるマナ研開発が開発したものだと聞いている。その販売を誰と交渉しようが、自由なはず。違うのかね」
「マナ研開発は、販売を日本政府に委託したのだ。交渉するなら日本政府としてくれ」
言い争いが続き、何かの拍子に沢村の手がエゴールの胸を押した。
その途端、今まで黙ってエゴールの背後に立っていた護衛役らしい二人の男が、形相を変えて沢村たちと対峙した。二人は一九〇センチ近い身長とガッシリと逞しい体格をしている。
「済まない。今のは間違いだ。ミスター・エゴールに危害を加えるつもりはなかった」
沢村が弁明したが、護衛の二人は日本語を理解していないようだ。
「おいおい、喧嘩だぜ」
近くで屯していた高校生たちが、面白そうに近付いて来て騒ぎ始めた。
「五月蝿いぞ。何処かに行け!」
後藤が高校生たちに警告の声を上げた。
「何だよ、偉そうに」
高校生たちが近寄ろうとした時、ロシア人の護衛たちが本気の殺気を放った。人を殺した経験がある者の殺気だ。
近寄ろうとしていた高校生たちが、尋常でない何かを放っている男たちに顔を青褪めさせ足を止めた。
「や、やばいよ」
高校生たちは転びそうになりながら逃げ出した。
沢村と後藤は俺を抱えるようにして後ろに飛んだ。相手が暴力のプロだと危険を察知したのだ
「暴力はいけません。護衛の二人が敏感に反応してしまったではありませんか」
エゴールが声を上げた。
俺は男に抱きかかえられる趣味はない。沢村たちの手から抜け出した。
「同感です。暴力はいけません」
俺が同意すると、エゴールがニヤリと笑い。
「そう、暴力は反対ですか……でも、この話を断られますと……どうなりますかね」
エゴールの目に危険な光が灯る。俺が暴力に弱いと判断したのか。穏やかだった顔が怖いものに変わっている。
俺は舐められたら付け込まれると判断した。
抑えていた気配を解き放ち、ドラゴンと相対した時と同じ気迫を放射。その気迫は覇気となって周囲を威圧する。俺の側に居た沢村と後藤は、反射的に飛び離れた。
そして、俺を脅そうとした三人のロシア人を蹂躙する。三人の顔に驚きと恐怖が張り付いた。俺の身体が何倍にも膨れ上がったような幻想を抱いたはずだ。
「日本人を舐めるなよ」
俺が一度言ってみたかったセリフだった。




