scene:193 クノーバル王国
アマンダは改造型飛行バギーがヴァスケス砦ではなく南に在るルゴス大湿原へ向かっているのに気付いて声を上げた。
「ミコト様たちはクノーバル王国へ行かれるのではないんですか?」
「魔導先進国に向かう前にルゴス大湿原近くに居る大鎧蛙を狩る事にした」
俺が答えるとアマンダが首を傾げる。
「大鎧蛙の素材が必要になったんですか?」
アカネさんが笑い、俺の代わりに答える。
「アマンダは『魔力袋の神紋』を授かってから一ヶ月くらいだと言っていたでしょ」
アカネさんは『魔力袋の神紋』を授かって一ヶ月以内に、濃密な魔粒子を浴びる事がハンターとして成長する為には必要なのだと教えた。
「私の為なんですね。ありがとうございます」
理解したアマンダは嬉しそうに笑って感謝の言葉を口にする。
改造型飛行バギーがルゴス大湿原近くの池に到着すると、俺たちはバギーから降り徒歩で池の周りを回り始めた。俺はアマンダの武器が剣鉈であるのに気付いてニヤッと笑った。
「何を笑っているの?」
アカネさんが俺の笑いに気付いて尋ねた。
「アマンダの武器も鉈だって気付いて、嬉しくなったんだよ。俺以外で鉈を使っているハンターはほとんど居ないから」
「アマンダは昔から剣鉈を使っていたの?」
アカネさんが確認するとアマンダが頷き、二年前から使っていると答える。
「剣鉈の他には、ウサギを狩る飛び道具としてボーラも使ってます」
「へえ、ボーラか珍しい武器を使っているのね」
池の水は植物性のプランクトンが繁殖していて濃い緑色をしていた。少し生臭い臭いが漂ってくる。
アシに似た水草が生い茂り、所々に浮き草のようなものが漂流している。
突然、水音がして巨大な雷魚のような魚が水面から飛び上がり姿を見せた。
「デカイ魚ね。美味しいのかしら」
「どうだろ……こんな環境にいるんじゃ、生臭い気がする」
アマンダは池のあちこちをキョロキョロと見ている。
「アカネ師匠、本当にここに魔物が居るんですか?」
魚が飛び跳ねる以外は静かな池だった。アマンダが疑問に思うのは無理もない。
「ハンターギルドの資料によれば、居るはずなんだけど……どうしましょうか?」
水の中だと<魔力感知>が使えないので魔物が居るかどうか確かめられない。ちょっと手荒な方法になるが、<缶爆>を使って魔物を炙り出そうと考えた。
「耳を塞いでいろ。<缶爆>を池に投げ込むぞ」
俺はビール缶ほどの<缶爆>を魔法で作り、池に投げ込んだ。その<缶爆>は時限信管になっており、池に着水して五秒後に爆発した。
強烈な爆音が響き渡り、緑色をした水が上空に舞い上がる。
その水飛沫が落ちて来る前に、池の中から巨大なカエルが飛び出した。牛に匹敵する大きさのカエルだ。
姿を見せたのは大鎧蛙だった。普通のカエルの皮膚は柔らかいものだが、大鎧蛙の皮膚は鋼鉄の甲冑並みに強靭で、その皮膚で革鎧を作るハンターも多い。
「ウワッ!」
飛び出した大鎧蛙に驚き、アマンダが叫び声を上げた。そして、少し離れた場所に大鎧蛙が着地するのを目にして、顔を青褪めさせる。
「こ、こんな化け物をどうやって倒すの?」
大きさ自体はクレイジーボアより小さいが、大鎧蛙の方が体高が高いので、アマンダにはクレイジーボアより大きく見えたようだ。
「心配無用よ」
アカネさんが『天雷嵐渦の神紋』の応用魔法である<雷槍>を大鎧蛙に放った。第三階梯神紋の<雷槍>はかなりの威力を示し、一撃で大鎧蛙を麻痺させた。
麻痺だけで済んだのは、大鎧蛙の丈夫な皮膚が威力の大部分を弾き返した所為である。これがクレイジーボアなら、今の一撃で心臓が停止していたはずだ。
大鎧蛙は眼だけは動くらしく、焦ったようにギョロギョロと動かしている。
アカネさんは大鎧蛙に駆け寄ると邪爪グレイブの斬撃を巨大カエルの頭に叩き込んだ。バジリスクの爪が巨大な頭に喰い込み脳を破壊する。
バタリと倒れた大鎧蛙の死骸から、濃密な魔粒子は放出され始める。
「アマンダ、こっちへ」
アカネさんはアマンダを呼び寄せ、濃密な魔粒子を吸収させる。初めて濃密な魔粒子を吸収するアマンダは顔を赤くさせながら、濃密な魔粒子が身体中の筋肉細胞を刺激するのに耐える。
魔粒子の放出が終わった後も、アマンダは大鎧蛙の死骸を見詰めボーッとしていた。
「どうしたんだ?」
俺が心配して尋ねると。
「大鎧蛙って、帝王猿やトロールと同じナイト級下位の魔物ですよね」
「そうだけど、それが何?」
「ナイト級下位ですよ。凄く強い魔物なんですよ」
アカネさんが強いはずの魔物をあっさり倒したので、衝撃を受けたようだ。
「話している途中悪いんだけど、あれはどうするの?」
アカネさんが大鎧蛙を指差した。
俺は皮と魔晶管を剥ぎ取り、残った肉からロース部分を切り取った。それを見たアカネさんが眉をひそめ。
「大鎧蛙の肉は固くて美味しくないと聞いたわよ」
「毒がないなら試してみようよ」
食べてみたら美味しいかもしれない。俺は期待して焚き火を起こし薄く切ったカエル肉を炙って塩を振ってから食べてみた。
かなり力を入れないと噛み切れないほど固く、肉からは何とも言えない独特の味がして、それが口の中に広がる。食えないほど不味いとは言えないが、もう一度食べたいとは思えない味だ。
「どんな味なの?」
アカネさんとアマンダも興味が有るようで、味を知りたがった。
「複雑な味だ」
「それじゃ分からないわよ」
俺は無言でカエル肉を切り分け炙って二人に渡した。
その肉を食べた二人は何とも言えない顔をする。
「やっぱりギルドの情報は正確だというのが判ったわ」
俺は肩を竦めた後、カエル肉を池に放り投げた。
取り敢えず目的は達成したので、旅を再開した。今度こそヴァスケス砦へ向けて出発し、その日の夕方に到着した。
俺は改造型飛行バギーをヴァスケス砦の格納庫に預けた。
モルガート王子に空巡艇の操縦法を教えている時、クノーバル王国を訪ねる事を伝えると、最新式の機能が搭載されている改造型飛行バギーに乗って魔導先進国のクノーバル王国を訪れるのは、危険だと言われた。
魔導先進国では改造型飛行バギーの価値を見抜き、何とか手に入れようとする者が必ず出て来るそうだ。
俺はなるほどと納得した。モルガート王子はヴァスケス砦の格納庫を使えるように手配してくれた。
因みに魔導飛行船レースに出る空巡艇は大丈夫なのかとモルガート王子に尋ねると、警護の兵士を付けるから大丈夫だと教えられた。
ミズール大真国へ行った時は、街をほとんど素通りしていたので危険な目には遭わなかったが、次からは気を付けなければならないと思った。
俺とアカネさん、アマンダの三人は小型の馬車に乗って国境線に向かった。この馬車と馬はヴァスケス砦で借りたものだ。これもモルガート王子が手配したらしい。
「これだけの心配りが出来る人物なのに、何故オラツェル王子が関係すると見境がなくなるんだろう」
「毒殺されかけた事が影響しているんじゃないの」
俺とアカネさんが話していると御者台に居るアマンダがもうすぐ国境だと教えてくれた。
クノーバル王国との国境線には関所みたいなものが有り、国境門と呼ばれている。
この国境門を通過する時には身元を証明するものと入国税が必要となる。身分証はハンターギルドの登録証を見せ、俺が入国税を纏めて払った。
クノーバル王国の国土面積は小さいが、魔導先進国の一つなので国土開発が進んでいる。マウセリア王国の場合は、魔物の住処の中に人間が暮らす町がポツポツ在るという感じだが、クノーバル王国の半分ほどが魔物が存在しない土地となっており、広大な耕作地が存在する。
とは言え、国境付近の風景はマウセリア王国と大して変わらなかった。だが、首都の在る東南へ道を進むと万里の長城のような防壁が見えて来る。
この防壁の内側が魔物が居ない場所だった。
防壁の門を潜り内部に入った途端、行き交う人々の数が多くなった。
「この国は牧畜が盛んなようね」
牧場が幾つか在るのを見て、アカネさんが呟く。
育てている牧畜は牛や羊が多いようだ。魔物の心配をしなくて良いからなのか牧畜たちものんびりと草を食んでいる。
「こんな場所だとハンターの数は少ないのかしら」
「JTGの資料にあったけど、この国には三つの迷宮が在って、ハンターはその迷宮の近くに住んでいるらしい」
「案内人の山崎さんもそうなの?」
アカネさんの質問に俺は頷き。
「山崎さんは『悪意の迷宮』近くに在るトラウガス市を活動拠点にしているそうだ」
トラウガス市は国境から馬車で二日ほどの距離にある街で、迷宮都市に匹敵する広さと人口がある。
俺たちは途中の小さな町で一泊した後、次の日にトラウガス市へ到着した。
ハンターギルドへ行き、山崎さんの活動拠点が何処か教えて貰う。そこは『魔導練館』と呼ばれる施設で、魔法を研究する者が集う場所らしい。
魔導練館に辿り着き、大声で人を呼んだ。間もなくしてアマンダと同年代の金髪少年が出て来た。
「俺はミコトという者だが、仙崎さんは居ますか?」
「仙崎先輩なら、迷宮に行っています。明後日には戻ると思います」
持って来た仙崎の装備は弟弟子らしい少年に預けた。
俺たちは魔導練館で少し休憩し宿をどうしようか相談した。魔導練館は研修センターのような施設だった。宿泊施設と教室、研究室のような部屋があり、魔法の訓練場のような場所もある。
俺たちがロビーで寛いでいると三〇代後半の男性が近付いて来た。黒髪黒目で彫りの浅い顔、日本人である。
「ミコト君だね。案内人の山崎だ」
山崎さんは身長一七〇センチほどの鍛え上げられた身体の持ち主で、一角の人物らしい風格が有った。
「はじめまして、ミコトです」
俺はアカネさんとアマンダも紹介した。
「仙崎が世話になったようだね。感謝するよ」
「いえ、仕事ですから」
「仙崎は伸び悩んでいたので、環境を変えれば解決するかと思ったのだが、思っていた以上に成長したので喜んでいるよ。……ただ鍛えてくれた伊丹氏の名前を出すと、怯えたというはちょっと違うな。顔を強張らせるんだが、そんなに怖い人なのかね?」
俺は伊丹さんに短期間で鍛え上げるように頼んだのだが、その期間が短すぎて苦労したと聞いている。
「怖い人ではないんですが、短期間に鍛える為に少し無理したようです」
「そうだったのか……だけど、三回ほど五年前に死んだお祖母さんが、お花畑でおいでおいでしている光景を見たとか言っていたよ」
俺の背中に嫌な汗が吹き出した。……どんな鍛え方をしたんだ、伊丹さん。
山崎さんは有名な案内人にしては意外に腰の低い人だった。
「そう言えば、仙崎さんから聞いたんだけど、古代魔導帝国時代の古書を解読し、神紋について新たな発見をしたとか」
山崎さんは顔を顰め。
「あいつ、そんな事まで話したのか」
「秘密にしていたんですか?」
「いや、秘密という訳ではないんだが、研究途中で発表する段階にはないんだ」
「良ければ、その古書を見せて欲しいんですけど……駄目ですか?」
山崎さんが苦笑した。その笑いを見て、言葉を付け足す。
「タダとは言いません。適切な金額なら支払います」
山崎さんが首を振った。
「いや、金では駄目だ。私の知らない魔法の情報となら考えよう」
山崎さんは幾つかの神紋を上げ、それらの応用魔法の情報なら欲しいと言った。
たぶん山崎自身と弟子たちが持つ神紋を上げたのだろう。但し第三階梯神紋が入っていないので、自分が持つ第三階梯神紋は除外しているようだ。切り札として秘密にしているのだ。
山崎さんが上げた神紋の中に『流体統御の神紋』が有った。
「『流体統御の神紋』の応用魔法はどうです?」
「いいだろう」
山崎さんが即答した様子から、彼自身が『流体統御の神紋』を所有しているのかもと思った。
「もしかして『流体統御の神紋』を」
「バレたか」
「実は俺も『流体統御の神紋』を持っているんですよ」
「おいおい、そんなに簡単に教えていいのか?」
「『流体統御の神紋』の応用魔法を教えると言った時点で、俺が所有していると予想が着いたんじゃないですか」
「まあな」
俺は『流体統御の神紋』の応用魔法<飲水製造><水刃><旋風鞭>を教える事にした。
どんな魔法か山崎さんに伝えると、目を輝かせ魔導練館に泊まるよう勧めてくれた。
その夜は魔導練館に泊まり、次の日から応用魔法の伝授を始めた。応用魔法の付加神紋術式を教えると、約束通り古代魔導帝国時代の古書を渡され読み始める。
その古書はエトワ語で書かれており、知識の宝珠によりエトワ語を習得している俺には簡単に読めた。中身は古代魔導帝国時代末期の神紋について書かれた研究書で、珍しい神紋について記述されている。
その中で興味を引いたのは、『悪意の迷宮』の第一〇階層に珍しい第三階梯神紋が隠されていると記述されていた箇所だ。
具体的にどんな神紋なのかは記述されていないが、『悪意の迷宮』にしか存在しない神紋らしい。
夕食を終えた後、魔導練館のロビーでアカネさんとアマンダを含めた三人でクノーバル王国の印象を話している時、アカネさんが古代魔導帝国時代の古書について尋ねた。
「神紋に関する研究書なんだけど、この大陸の各地に存在した珍しい神紋を纏めたものらしいんだ」
「へえ、クノーバル王国には何かないの?」
アカネさんに『悪意の迷宮』の神紋の件を教えると。
「へえ、興味深いですね」
「どんな神紋か確かめたいんだけど、いいかな」
「『悪意の迷宮』に潜るの?」
「ちょっと行って、神紋を確かめて来る」
その時、背後で気配が生まれた。
「話は聞かせて貰ったよ。……私も一緒に行こう」
唐突に現れた山崎さんに驚いた。寛いでいたので隙は有ったのだが、それでも気配に気付かなかったのは、意図的に気配を絶ち聞き耳を立てていたのだろう。
「盗み聞きとは良くない趣味ですね」
俺が非難すると。
「済まん、クノーバル王国について話しているのが聞こえて興味を持ったのだ」
神紋の情報は、元々山崎所有の古書から仕入れたものだ。解読が進めば、山崎さんも手に入れたであろう情報なので、知られたからといって問題はなかった。
翌朝、迷宮へ行く準備をしていると、山崎さんが現れた。コカトリスの革製らしい鎧と神紋杖を持ち、腰には脇差しくらいの剣を吊るしていた。
「迷宮に行くのは、君だけなのかね?」
「アカネさんとアマンダは、買い物に行くそうです」
アマンダは迷宮に挑戦するには力不足なので、アカネさんと一緒に留守番である。アカネさんはクノーバル王国の産物を調べると言っていたので、アマンダを荷物持ちにして歩き回るつもりのようだ。
「二人だと前衛が不足だな。誰か呼んで来ようか?」
「いえ、第一〇階層までしか行きませんから、二人で十分ですよ」
俺と山崎さんは『悪意の迷宮』へ向かった。




