scene:188 ウェルデア市の領主
穴の中は暗く、<冷光>の魔法を使って光源を掌に作ると前を照らしながら進み始める。
狭い横穴は左に曲がりながら八メートルほど続く。その最終地点は大きな空間に繋がっていた。その空間は縦三〇メートル、横二〇メートルほどの楕円形をしており、中央には水溜りがある。
ミリエス男爵たちの姿を探したが見付からない。ただ、空間の地面に掘り手たちのツルハシが落ちているのに気付いた。
「ここに来たのは確かなようだけど……何処に行ったんだ?」
この空間は高さが五メートルほどもあり、横穴とは斜面で繋がっていた。その斜面を下りて空間の中を調査する。地面は血と思われる液体で汚れていた。
ここで何かと戦ったようだ。
「ミコトさん、男爵は見付かりましたか?」
フェランが待ちきれなくなって来てしまった。俺は溜息を吐いて返事をする。
「いや、ツルハシと血を見付けたが、男爵たちの姿はない」
駆け寄って来た若いハンターは、地面に零れ落ちている血を見て顔を顰めた。
「周囲を調べてみよう」
調べてみると斜め上へと続いている別の横穴を見付けた。俺とフェランは横穴に入り上へと登る。
「何だか迷宮みたいですね」
フェランの声に頷いた。
「まだ序二段だから、本物の迷宮には潜った事はないんだろ」
「はい……でも、こんな感じじゃないんですか?」
「まあ、似たような階層も有るけど、迷宮全部がこんな感じじゃない」
「へえぇ」
話しながら進み、三〇メートルほど上った頃、一〇畳ほどの部屋に辿り着いた。この部屋の壁はコンクリートのようなもので固められており、明らかに人工的に作られたものだった。
「こんな地下に部屋?」
フェランが首を傾げている。
「昔採掘していた鉱夫たちの休憩所じゃないか」
テーブルと長椅子らしいものの残骸が有ったので、そう答えた。
「休憩所……そんなものが残っていたんだ」
横穴の右側に部屋の出入り口があり、そこから顔を出し安全を確認する。坑道が左右に伸びており、右の少し先にも部屋らしいものがあった。
慎重に近付き部屋を覗いてみる。嫌な光景が目に飛び込んで来た。
男爵たちが七〇センチほどもある大きな芋虫のような魔物の餌食となっていた。何かの幼虫らしい巨大芋虫の数は二〇匹ほどで、男爵たちの腹に顔を埋め咀嚼している。
顔から血の気が引くのが分かった。
「クソッ、護衛は何をやっていたんだ」
困った状況になったのを悟った。依頼内容がサイクロプスの討伐だけだったとしても、依頼人を死亡させたのはハンターギルド的には減点である。
フェランも部屋に中を覗こうとしているのに気付き止めた。
「見ない方がいい」
だが、俺の様子がおかしいのに気付いたフェランは部屋の中を見た。
「ウアッ!」
その結果、思わず大声を上げてしまった。フェランは顔色を青褪めさせ、怒りの表情を浮かべると剣を抜く。
「何をするつもりだ?」
「あいつらに思い知らせてやる」
俺はゆっくりと首を振り。
「止めろ。あいつらの親が近くに居るはずだ」
「間違っている。こんなの許しちゃ駄目だ!」
フェランは部屋に飛び込むと巨大芋虫に剣を突き刺した。芋虫が鋭い顎を擦り合わせるようにして甲高い悲鳴を上げる。
その瞬間、坑道の奥の方から何かが騒ぐ気配を感じた。やはり、近くに親が居たようだ。
巨大昆虫の足が地面を引っ掻く音が聞こえた。それも一匹や二匹ではない。
坑道の奥から姿を現したのは体長一メートルほどの暴食コガネムシだった。メタルグリーンに輝く外殻をキラキラと輝かせながら、五十匹を超える暴食コガネムシの群れが迫って来る。
この数は多過ぎる。
「逃げるぞ」
フェランの首根っこを捕まえると引き摺るように逃げ出した。フェランは暴食コガネムシの群れに気付くと必死で逃げ始める。自分の命を犠牲にしてまで報復するつもりはないようだ。
「先に行け。俺が殿を務める」
フェランを先に逃がすと邪爪鉈を抜く。後ろから暴食コガネムシが飛び掛かって来た。そいつの頭に邪爪鉈の刃を御見舞する。
別の一匹がフェランに飛び掛かった。フェランは剣で斬ろうとしたが、頑丈な外殻で弾き返される。俺はフェランを攻撃している暴食コガネムシの腹を蹴り上げ弾き飛ばす。
次に襲って来た奴の頭をかち割り、別の暴食コガネムシに<風の盾>のシールドバッシュを叩き込む。
休憩所を通り抜け、中央に水溜りのある空間に出た。後ろを見ると暴食コガネムシが津波のように迫っている。……ここで食い止めないと樹海に出ても追い掛けて来そうだな。
フェランが横穴から採掘現場へ向かったのを確かめると横穴の前に立ち塞がり、<缶爆>を使う。暴食コガネムシの群れに向かって缶爆を投げると<遮蔽結界>を張った。
缶爆が爆発し暴食コガネムシが吹き飛んだ。爆風が結界を押し破ろうとするが、結界は耐え切った。だが、空間の天井が衝撃に耐えきれず崩落を始める。
俺は急いで横穴に飛び込み逃げ出した。何とか逃げ切り坑道の外へ出る。
そこではフェランが心配そうな顔で待っていた。
「ごめんなさい。オレがミコトさんの指示を聞かずに攻撃したから」
フェランは反省したようだ。
「ああいう場合でも冷静に判断しろ。そうでないと生き残れないぞ」
「済みません。頭にカーッと血が上っちゃって」
若いのだから仕方ないかと考えた時、自分の考え方が年寄り臭くなっているのに気付いた。俺も若いはずなんだが……。
しばらく待ってから採掘現場まで戻ってみた。
横穴は完全に塞がっている。
「男爵たちが死んだ上に、ミスリル鉱脈まで途切れるなんて……不運だ」
フェランが愚痴っている。それを聞きながら、俺は鉱脈を掘っていた周囲の地層を丹念に調べた。横穴から三メートルほど離れた地層に鈍く光るものが見えた。
試しにツルハシで掘ってみた。ツルハシの先端を地層に食い込ませ、ひたすら掘る。
「そこって鉱脈じゃないですよ」
フェランがミスリル鉱脈じゃないと教えてくれるが、何だか掘るのが楽しくなって掘り続けた。
ちょっとした現実逃避だった。ウェルデア市に戻って、オペロス支部長にミリエス男爵たちが死んだ事を報告するのは気が重いのだ。
三〇分ほど掘った時、ツルハシの先が硬いものにぶつかった。
ゴロリと黒っぽい銀色の結晶が転がり落ちた。
「何だろ?」
「ミスリル鉱石じゃないのは確かです」
フェランが残念な事を断言してくれた。俺は確かめる為に拾い上げる。
「重い……この鉱石は見た覚えがある」
前にアルミニウムについて調べた時、いろんな鉱石の図鑑も調べた。その中に同じような鉱石が載っていた。タングステンを含む鉄重石という鉱物である。
試しに『錬法変現の神紋』の応用魔法<元素抽出>を使ってタングステンだけを抽出してみた。魔法効果によりタングステンが液状化し地面に零れ落ち鈍く銀色に光る金属となった。
「凄いな。そんな魔法も使えるんだ。でも、これって銀じゃないよね」
「何となく似てるけど違う金属だ」
「ハア、銀だったらミスリルほどじゃないけど高く換金出来るのに」
ミリエス男爵は多額の成功報酬を約束していたが、死んでしまっては貰えない。
「それじゃあ、この鉱石を掘ってくれ」
俺はツルハシをフェランに渡した。
「何で……この金属は高く換金出来るの?」
「いや、個人的に欲しいだけ。手伝ってくれたら金貨三枚を出すよ」
「やります」
フェランは一生懸命にツルハシを振るい始めた。
俺は掘り出された鉄重石からタングステンを抽出し一つに纏めていく。タングステンが二〇キロほど集まった時点で採掘を止め、帰り支度をする。
ウェルデア市に戻った二人は、暗い顔でオペロス支部長の前に現れ、ミリエス男爵たちが死んだ事を伝えた。
「まさか……本当なのか?」
オペロス支部長が驚きの表情を浮かべ、次に目が笑った。
「あの男爵が死にやがったか」
男爵の死を全然悲しんでいないようだ。街を寂れさせた張本人であるミリエス男爵の死は、オペロス支部長にとって好都合だった。掘り手一〇人と護衛五人の死は痛ましい事だが、ウェルデア市の為には……。
「支部長、十数人が死んだんですよ」
俺が注意する。
「判っている。だがな、このままじゃ街が潰れそうだったんだ」
「でも、男爵が死んだら、男爵の息子とかが継ぐんじゃないんですか?」
「いや、こういう場合は、国王陛下が次の領主を決める事になる」
領地が元々ミリエス男爵のものだったならば、親戚一同が集まり跡継ぎを決める所である。だが、ウェルデア市は国王陛下がミリエス男爵に領地を預けたばかりだった。
陛下の信頼を裏切った形になった事で、ウェルデア市は国王の手に戻されるだろうとオペロス支部長が言った。
オペロス支部長がニヤニヤと笑い。
「どうだ、ミコトが領主にならないか。陛下に希望すれば叶えられるかもしれんぞ」
「絶対に嫌です。そんな面倒な者にはなりません」
オペロス支部長は俺が貴族だと知っていたようだ。迷宮都市のアルフォス支部長あたりから聞いたのだろう。だが、男爵には伝えなかった。
男爵の人柄を知った今なら判る。伝えていれば、ミリエス男爵は俺を雇う事を嫌がったはずだ。儲けを独り占めしたい男爵が別の貴族を仲間に入れようとは思わないはずだからだ。
この事態を知った国王は、シュマルディン王子の叔父ジェイラス・ゴゼバルを領主に任命した。
ジェイラスはオディーヌ第二王妃の弟で、ダルバル爺さんの三男になる。
思い掛けず、第三王子派が辺境の都市二つを手に入れた形になり、オラツェル王子の後ろ盾であるクモリス財務卿が珍しく怒鳴り声を上げたという。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
日本の奥多摩にある異世界生物研究所は、異世界で捕獲され日本に連れて来られた十数種類の魔物を飼育していた。その中でたまたま転移門の発動に巻き込まれ日本に転移したウサギがケージの中でジッと研究員の動きを見詰めていた。
このウサギをミコトが目にすれば、初めて異世界からリアルワールドに戻った時、自分より先に転移門に入った出目兎だと気付いただろう。
出目兎の前には作業台が有り、そこには拘束具で動かないように固定された大きなネズミが二匹居た。
研究員の宮本はアルミ製の容器に入った溶液を注射器に吸い込み、ネズミ型魔物である鉄頭鼠に注射した。
「栗栖教授、活性化魔粒子溶液なんか魔物に与えていいんですか?」
黒縁のメガネを掛けた宮本が上司である教授に尋ねた。
「今更何を言っている。魔粒子が魔物に与える影響を知る為の実験だ。構わんから次のネズミにも注射しろ」
ひょろりと痩せ神経質そうな栗栖教授は実験を続けろと指示した。
「販売元の注意書きに生物への投与は危険性が確認されていないので止めろと書いて有りましたよ」
「ふん、その危険性を研究しているのが、我々ではないか」
「でも、これを注射し始めてから、鉄頭鼠が凄い早さで成長を始めています。異常ですよ」
活性化魔粒子溶液を鉄頭鼠に与え始めて一〇日目、鉄頭鼠の体重は倍にまで増えていた。
「だが、種の成長限界を超えた訳ではない。普通のマウスはどうだ?」
「変化ありません。魔物特有の効果だと思われます」
「やはり魔物の体細胞に秘密が有るのか?」
「そうなんじゃないですか。魔導細胞に構造が似ていると言われていますから、魔導細胞を持つ人間に活性化魔粒子溶液を投与すると似たような効果が現れるかもしれません」
「そうか……人間にか」
そう呟くように言うと栗栖教授が暗い影を帯びた笑いを浮かべた。それを見た宮本はゾッとする。
「きょ、教授。活性化魔粒子溶液を人間に投与する事は出来ませんよ」
「判っておる。人体実験などするか」
教授の答えを聞いて、宮本はホッとしたが、別の懸念を口にする。
「ところで、一回の投与量が多過ぎませんか?」
栗栖教授は不機嫌な顔になり宮本の顔を睨む。
「アメリカや中国も同じような実験をしているに違いない。結果を一日でも早く出さねば、海外の奴らに先を越されてしまう」
結果を早く出す為に、一回の投与量を多くしているらしい。
宮本と栗栖教授が鉄頭鼠の体重や体長を測定し、ノートパソコンにデータを打ち込む。
その時、研究室の電話が鳴り、宮本が出た。
「教授、文部科学省から御客様がいらしたようです」
「よし、すぐに行くぞ」
「でも、片付けが……」
そう言いながら活性化魔粒子溶液の入ったアルミ容器を金庫に仕舞った。
「戻って来てから、すれば良い」
二人が慌ただしく研究室から出て行った。
研究室に誰も居なくなったのを確認した出目兎は、ケージの扉に掛けられているダイヤル式南京錠を器用そうな指でいじり始めた。
カチャカチャと音がし、しばらくしてカチャツとロックが外れる音が響いた。
出目兎は扉を開け外に出ると大きな目でキョロキョロと周りを見回し、金庫に近付いた。
人間たちが暗証番号を押すのを見て記憶していた出目兎は、ボタンを押しロックを解除すると金庫を開けた。そして、中からアルミ容器を取り出す。
器用に蓋を開けると中の溶液を飲んだ。
「ブモッ」
不味かったらしく吐き出した。
出目兎は作業台に飛び乗り、拘束具で縛られている鉄頭鼠を見てニヤリと笑った。置いてあった注射器を取りたっぷりと活性化魔粒子溶液を吸い込むと鉄頭鼠に注射した。
痛かったらしい鉄頭鼠が暴れるのを見て、出目兎は奇妙な笑い声を上げる。
その後も活性化魔粒子溶液が無くなるまで、鉄頭鼠に注射を続けた。
鉄頭鼠が暴れる力が強くなったのか、拘束具がミシッと嫌な音をさせる。次の瞬間ブチッと拘束具が切れ鉄頭鼠が自由になった。
それを見たもう一匹の鉄頭鼠も暴れ拘束具を引き千切る。
拙いと感じた出目兎はドアの方へ逃げた。ドアノブをぶら下がるようにして捻るとドアが開き外へ出る。
その後を二匹の鉄頭鼠が追い掛ける。
出目兎はエレベーターの方へ逃げた。丁度エレベーターのドアが開き研究員の一人が降りて来る。入れ違いに出目兎と二匹の鉄頭鼠が駆け込みドアが閉まった。
エレベーターの中では出目兎と鉄頭鼠の追いかけっこが続けられていた。エレベーターが一階に到着するとドアが開き、出目兎が飛び出す。それを追って鉄頭鼠も飛び出し研究所のロビーが戦いの場となった。
この騒ぎを目にした研究所の職員が警備室に連絡し助けを求めた。
大勢の警備員が集まり、出目兎と鉄頭鼠を捕獲しようとしたが上手くいかなかった。鉄頭鼠の一匹が鉄のように硬い頭を窓ガラスに打ち付け壊すと外に飛び出した。
「一匹外に逃げたぞ」
「ウワッ、もう一匹もガラスを割って逃げた」
出目兎も鉄頭鼠が壊した窓から飛び出した。
23017/12/7 誤字修正




