scene:145 リンゴパイと勇者の迷宮
天激爆雷を積んだ魔導飛行船が王都と迷宮都市に向かって飛翔している頃。
迷宮都市の趙悠館では、サラティア王女がルキと一緒にアカネの手伝いをしていた。
「ねえねえ、アカネお姉ちゃん。今日はにゃに作るにょ」
ルキが可愛い目をキラキラさせて聞いていた。その隣りには可愛いドレスを着た王女も目を輝かせてアカネを見ている。
「今日はね。メルカパイを作るの」
メルカとはリンゴに似た果物で、メルカパイはリンゴパイの事である。
「まずはパイ生地から作るわよ」
この世界にも小麦は幾つか種類が有り、比較的軟らかい小麦から薄力粉、硬めの小麦から強力粉が作られている。今回のパイ生地は薄力粉と強力粉を同じ比率で混ぜ合わせ、バターを加えてからバターを潰すようにしながら小麦粉と混ぜ合わせる。
これに塩を溶かした冷水を振り掛け適度な硬さにして纏ったら少し寝かせる。
メルカパイは食堂でも出す予定なので、同じ要領で食堂で働くおばさんたちにも手伝って貰いパイ生地を多目に作る。もちろん、ルキと王女も一緒になって『きゃあきゃあ』言いながら楽しそうにパイ生地を作っている。
パイ生地を寝かせている間にメルカの皮を剥いて適当な大きさに角切りにする。角切りにしたメルカとバター、樹液糖を鍋に入れ、竈で熱しメルカが透き通るようなきつね色になってたら取り出して冷ます。
お昼になったのでメルカパイ作りを一旦中断し食堂へ行く。昼は外からも食事に来る客が大勢いるので忙しくなる。
趙悠館の食堂は一応一般客にも開放している。趙悠館を建てた大工たちや知り合いの多くが希望したからだが、食堂を維持するのに外の客も必要だった。それでも広く知られている訳ではない。知る人ぞ知るという感じの食事処である。
食堂には小さな個室が一つ有り、少人数での食事会や特別なお客様の接待にも使えるようになっている。ただ特別なお客様である王妃と王女はみんなと一緒に食べるのがいいと言い、滅多に使わない。
太守館から警備の為に衛兵が来ているし、世話係の侍女が王妃や王女の周りに居るのだが、目立たないようにしろと指示されているらしく、一般客は貴族の泊り客だと思っている。
この日の昼食には、特別料理として贅沢に灼炎竜の肉から作った干し肉で出汁を取ったブイヨンを使ったクリームシチューが出された。
これが絶品で、何故か太守館で働くヒンヴァス政務官とモクノス商務官が注文し絶賛する。
「お二人とも態々ここまで来て昼食ですか?」
オディーヌ王妃が尋ねると恐縮したヒンヴァス政務官が答える。
「王妃様、ここの料理は少し遠くとも来て食べるだけの価値があります。そうではありませんか?」
王妃は苦笑し頷いた。
「そうですね。本当に美味しい料理です」
二人は趙悠館の料理が気に入り、昼食の時間になるとふらりとやって来るらしい。
ルキとサラティア王女も幸せそうにクリームシチューを食べる。
「美味しいです」「ルキも好き」
王女はルキが口の周りを汚すとハンカチで拭いて上げる。王女にとってルキは妹のような存在になっていた。
昼食を終え、食堂のお客さんが一段落した頃、メルカパイ作りを再開する。
寝かせ終わったパイ生地を取り出し打ち粉をしてからめん棒で伸ばし折り紙のように三つ折りにする。九〇度方向を変え同じように伸ばして三つ折りにしたものをもう一度寝かせる。
寝かせ終わったものを均等に分け丸く伸ばしパイ生地を幾つか完成させる。
完成したパイ生地にフォークで穴を開け、上に被せる方の生地には包丁で切れ目を入れる。土台になる方の生地の上に冷ましたメルカの角切りを盛り付け、切れ目を入れたパイ生地を被せ周囲を押し潰すようにして結合させる。
ルキと王女は丸く伸ばしたパイ生地にメルカの角切りを盛り付ける手伝いをする。慎重にメルカの角切りを置いていく王女とは反対に、ルキは大雑把に盛り付ける。
料理にも性格の違いが出て面白いとアカネは思った。
後は焼くだけだが、石窯を使う。以前にピザを作った時に好評だったので、フオル棟梁に頼んでちゃんとした石窯を庭の片隅に作って貰った。パンも焼ける石窯である。
石窯に火を入れ十分な温度になるまで熱してから火を取り出し、パイを入れ扉を締め余熱だけで焼く。
完成したメルカパイは甘い香りが漂い美味しそうだ。
昼食を食べてから、そう時間が経っていないが、身体を動かしたのでパイの一切れくらいは食べれそうだ。
パイを小さく切り分け、まずはアカネが味見をする。サクサクしたパイ生地と中の甘いメルカの実が口の中で舌を刺激し幸せな気分にしてくれる。
「美味しい……」
アカネが呟くとルキがメルカパイを手に取り齧り付く。
「うみゃあ~」
その声を聞いて王女がアカネを見る。
「味見していいわよ」
アカネが許可を出すと王女がメルカパイを口に入れる。その途端、最高の笑顔を浮かべる。
アカネは手伝ってくれたおばさんたちにメルカパイを一切れずつ配った。好評だった。
「アカネお姉ちゃん、もっと作っちぇよ」
ルキが物足りないらしくおねだりした。
「駄目よ。これは夕食後のデザートにするから、それまでお預けよ」
「ええーっ、そんにゃー」
国の反対側では戦争をしていると言うのに、迷宮都市は平和だった。
一方、俺は伊丹さんと二人で、朝から勇者の迷宮へ潜っていた。目的は最終階層にいるファイアードレイクである。
この魔物はファイアードレイクと名付けられているが竜ではない。別名『火炎オオトカゲ』とも呼ばれるトカゲの一種で口の脇から突き出た二本の牙から炎を吹き出す魔物である。
何故、ファイアードレイクを狩る必要が有るのかというと、竜閃砲の改良に取り組んでいたのだが、発射時に放出される熱を防ぐのにファイアードレイクの牙が必要になったのだ。
単に熱を防ぐだけなら鉄板で竜閃砲の穂先をチューリップの花のように囲えばいいのだが、それだと重くなり使いづらくなる
耐熱性が高く軽い素材となると限られており、手近で手に入れられるのはファイアードレイクの牙だけだった。因みにファイアードレイクはルーク級上位にランク付けされている。
国が戦争を行っている時に、迷宮探査などしている場合かとも思ったが、竜炎撃一〇〇本を製作し、やるべき事は果たしたと思い返し迷宮に来た。
勇者の迷宮の第十六階層へ直通する階段を下り、そこから第十五階層へ行き魔光石を回収する。竜閃砲は魔光石を大量に消費するので在庫を増やしたかったのだ。
魔光石を採取してから第十六階層へ戻り、前方を見渡す。巨大空間は見渡す限り草原で、スライムがうじゃうじゃとひしめき合っていた。
このスライムの楽園を突破する方法だが、あれだけ悩んだのに自然と解決していた。『竜の洗礼』を受けた俺と伊丹さんにはレベルの低い魔物が近寄らなくなっていたのだ。
スライムの群れに近付くとスライムたちが先を争って逃げていく。
「こういう光景を見ると複雑な気分になるな」
俺が呟くと伊丹さんが頷く。
「そうでござるな……我らが魔物から恐れられる存在になるとは思いもしませんでしたから」
戦闘態勢の俺と伊丹さんは威圧感の有る気配を纏っているようだとアカネさんに指摘された。自分自身では意識していないのだが、どこかの漫画に出て来るような覇気を放っているようだ。
俺たちは草原をゆっくりと進み、奥にある階段を見付けて第十七階層へ下りた。この階層は荒野に幾つかの巨大な蟻塚が存在するエリアだった。
お馴染みの巨大な蟻が荒野を這い回っていた。それも体格から判断すると軍曹蟻のようだ。
俺は背負っているリュックの側面に付けられている物入れから邪爪鉈を取り出し油断なく先に進む。魔物も軍曹蟻ほどになると逃げようとはしない。
蟻の反応から連携しているようには見えず個別に動いている。俺たちに気付き近付いて来る軍曹蟻に邪爪鉈を叩き込む。躯豪術を駆使して魔力を流し込んだ邪爪鉈の刃は軍曹蟻の頭をかち割る。
俺と伊丹さんは荒野を走り始めた。軍曹蟻を倒しても放置し剥ぎ取りはしない。
伊丹さんも豪竜刀で豪快に軍曹蟻を真っ二つにしながら荒野を駆け抜ける。
俺たちは右に左に立ち位置を交代しながら赤光に輝く刃を振るい、巨大蟻を蹴散らしながら荒野の最奥に到着した。そこには下へ続く階段が有り、その前に一際大きな巨大蟻が居た。
「こいつは将校蟻か。初めてだ」
「拙者も初めてでござる。手強いのでござろうか?」
俺は判らないと首を振る。
戦ってみると将校蟻が単純に軍曹蟻を大きくしただけの蟻ではないと気付いた。動きが速く戦闘技術も巧みだった。但しバジリスクや灼炎竜を倒した二人を相手するには力不足だった。
邪爪鉈が前足の関節を刎ね飛ばし、豪竜刀が背中を切り裂くと動きが緩慢になり、将校蟻は止めを刺された。
「中々手強い敵でござった」
そう言いながらも、伊丹さんは息も切らしておらず、余裕が有りそうだ。
この将校蟻だけは解体し魔晶管と魔晶玉、それに外殻を剥ぎ取った。将校蟻の外殻は鎧や防具の素材として人気が有るのだ。
俺たちは階段を下り第十八階層に到着する。この階層は樹々に囲まれた森林エリアだった。
出て来た魔物は剣山猫・大白猿・金剛蜘蛛の三種である。この中で厄介だったのは剣山猫だった。兎に角素早い動きをする魔物で、アニメの中の忍者のように樹々の間を飛び回って長く鋭い牙で首を切り裂こうと襲って来る。
しかも集団で狩りをするらしく、二匹、三匹で襲って来る。俺は五芒星躯豪術、伊丹さんは鎮星躯豪術を駆使し反応速度を高め迎撃する。
瞬きを忘れるほど集中し剣山猫の動きを見ようとするが、目の動きが追い付かないほどのスピードで立体機動する剣山猫は攻撃する隙きを見せなかった。
剣山猫の牙が凄まじい速さで襲い掛かる。致命傷になる箇所は何とか避けたが、バジリスクの革鎧を切り裂かれた。とは言え、バジリスクの革鎧は頑丈なので、剣山猫の牙が貫通する事は無かった。
俺は更に集中力を増し頭にも魔力を送り込む。魔力により処理能力を増した脳は、視覚情報の解析速度を倍増させる。
途端に剣山猫が遅くなる……いや、剣山猫の動きが遅くなった訳ではなく、遅くなったように感じるだけだ。そして、自分の身体の反応速度も遅くなったように感じる。
こういう現象は何度も体験しているが、これほど際立った状態は初めてである。
俺は邪爪鉈を剣山猫の頭に叩き込む。あれほど梃子摺っていたのに、あっさりと決まり剣山猫の息の根が止まった。
伊丹さんの方も片付いたようだ。
大白猿や金剛蜘蛛にも遭遇したが問題なく倒した。剣山猫のスピードにも慣れた頃、下へ行く階段が見付かった。
第十九階層は砂漠エリアである。この階層には魔導バッグの素材となる爆裂砂蛇が住み着いていた。
しかも第十一階層の爆裂砂蛇より二倍も大きいとギルドの資料に有った。
巨大な爆裂砂蛇は巨大な胃袋を持っていると思われる。伊丹さんと相談し狩る事にした。
巨大蛇を探しながら砂漠を横断していると砂漠大鼠に出会すが、大鼠は逃げるので放置する。暫く歩いて金剛蠍と遭遇する。
襲って来た金剛蠍は伊丹さんが抜刀術で頭を切り裂いて仕留めた。
中々巨大蛇が見付からない間に砂漠のど真ん中まで到達し、そこで爆裂砂蛇と遭遇した。体長十六メートルの巨大な蛇である。
「これは<缶爆>じゃ十分なダメージを与えられないな」
「<魔粒子凝集砲>を使うのでござるか。それだと爆裂砂蛇の胃袋を吹き飛ばす可能性が有るのでは……」
「そこは手加減しますよ」
俺はベルトポーチからマナ杖を取り出した。このベルトポーチは魔導バッグと同じ爆裂砂蛇の胃袋から出来ていて横十五センチ・縦二十センチのポーチなのに中型リュック並の収容量が有った。
俺はこの魔導ポーチに予備の武器と治癒系魔法薬を入れている。
魔導ポーチに使われている爆裂砂蛇の胃袋は小さな爆裂砂蛇から剥ぎ取ったもので十数個も所有していたので魔導ポーチと魔導水筒、魔導巾着袋に加工し俺、伊丹さん、アカネさん、薫に渡してある。
大きな収容量が有る魔導バッグを持つより、こういう魔導ポーチを数多く持つ方が旅には便利かもしれないと思った。
話を戻す。
爆裂砂蛇は砂の上にトグロを巻き鎌首を持ち上げ、真っ赤な舌をチロチロと出し入れしている。
伊丹さんに襲い掛かられた時の対応をお願いしてから、マナ杖を握り呪文を唱え始める。
竜の洗礼を受けてから無詠唱で応用魔法が発動出来るようになったが、<魔粒子凝集砲>だけは威力を調節するのに詠唱が必要だった。
「ジレセリアス・ゴザラレム・イジェクテムジン───―」
大気がマナ杖の先端に向かって集まり始め、強い風が起こる。
「───―・マナ・キメクリジェス……<魔粒子凝集砲>」
俺は一回だけ『マナ』と唱えマナ杖のボタンを押し魔粒子を大気の塊の中に流し込む。
バレーボール大の青く輝く球が爆裂砂蛇の頭を目掛けて飛んだ。
魔粒子凝集弾は、爆裂砂蛇の頭近くの地面に命中し凄い爆発を引き起こした。砂煙が高く舞い上がり爆裂砂蛇も爆風で吹き飛ばされる。
灼炎竜に使った魔粒子凝集弾に比べれば二割の威力もないものだったが、爆裂砂蛇には十分だったようで気を失ったようだ。
伊丹さんが近付き<鎮静>の応用魔法で麻痺させる。
その後、腹を切り裂いて胃袋を取り出した後、息の根を止めた。胃袋を洗浄し綺麗にする作業は大変だったけれど六畳の部屋ほどのサイズが有る胃袋が回収出来たので満足した。
それから暫く歩いた。喉が渇くと外側が歩兵蟻の外殻で出来ている魔導水筒から水を飲む。見掛けは小型の水筒なのだが七リットルも水が入る優れものである。
水の残量を気にせずに飲めるので、ありがたい。
その日の夕方、砂漠を横断し遂に第二〇階層へ下りる階段に辿り着いた。
2016/10/19 誤字修正
2017/11/15 誤字修正




