scene:124 余談 王子と王女
ミコトたちが王都を去った頃。
王都に残ったディンは離宮でゆったりとした時間を過ごしていた。ディンはミコトたちと一緒に戻りたかったのだが、母親と妹に引き止められ一〇日ほど滞在する事になったのだ。
朝、離宮で目を覚ましたサラティア王女は、豪華な天蓋付きの寝台から身を起こし大きく背伸びをした。
ドアをノックする音が聞こえ返事をすると、侍女のモルアが入って来た。その手には洗顔用の水が入った容器が有った。モルアが持って来た水で顔を洗い、寝癖の付いた髪を梳かして貰う。
「ディン兄様は?」
サラティア王女がモルアに尋ねると。
「昨日の夜は遅くまで勉強されていたらしく、今朝はまだ寝て居られます」
急いで身支度をするとディンの部屋に向かった。ドアをそっと開けるとディンの寝ている姿が目に入った。足音を忍ばせ近寄ったサラティア王女は、寝ているディンの頬を指でつついた。
「ううっ」
ディンが呻き声を上げるとサラティア王女がクスクスと笑い声を上げる。その声でディンは目を覚ました。
「……サラティアか。もう少し寝かせてくれよ」
「ダメです。もう朝ですよ。ディン兄様」
ディンは仕方ないというように起き上がった。
サラティア王女に少し遅れてディンが食堂に入った。
「おはようございます」
サラティア王女が挨拶をし「ここ、ここ」とディンに自分の隣に座るように言う。ディンが隣の席に座ると目をキラキラさせながら迷宮都市の話をせがんだ。
「エッ、迷宮都市には猫人族の方がたくさんいらっしゃるのですか」
「まあね。王都では珍しいけど辺境は猫人族が多いよ」
人族と敵対していない亜人族は、猫人族、虎人族、鳥人族などが存在するが、都市に住んでいるのは猫人族だけである。虎人族、鳥人族は樹海や山の中に隠れ住んでいる。
「知り合いの猫人族の中にルキという小さな子供が居るんだけど、とっても可愛んだ」
サラティア王女は熱心にルキの話を聞いた。
「ルキはサラティアより小さいけど、ハンターなんだよ。魔法や槍が使えて迷宮にも行ったことがあるんだ」
王女は兄の言葉遣いが変わったのに気付いた。下品と言う事ではないが、教育係から教えられた言葉遣いより頼もしい感じになっている。
「凄いですわ。私も魔法を習いたいです。ディン兄様のお師匠様にお願いしてくれませんか」
これにはディンも驚いた。妹がミコトに魔法を習いたいと言うのだ。確かにミコトに習えば、早く魔法の技量は上がるだろう。だが、迷宮都市に住んでいるミコトには無理だ。
そう言うと王女の表情が曇った。
「マルケス学院に入れば、ちゃんと教えてくれるよ」
王女は眉を顰め、ディンを非難するように言う。
「でも、お兄様は学院の生徒が習っている魔法は駄目だと仰ったじゃありませんか」
ポルメオスたちが野外演習の時に鹿に向かって放った魔法を思い出した。実戦経験の少ないポルメオスたちは身体に溜め込んでいる魔粒子の量が少なく、威力の低い攻撃魔法しか使えなかった。
それはマルケス学院の教師たちがヘボだからではない。安全を重視し座学中心に知識を学ばせる学院と実践を重視する辺境とでは単純に教育方針が違うのだ。
「経験が足りないから、魔法本来の威力を引き出せないだけだ」
「でしたら、学院で学ぶとして何年で歩兵蟻を倒せるようになりますか?」
ディンは目を泳がせる。学院を卒業する頃になっても、ポルメオスが歩兵蟻を倒せるようになるとは思えなかった。とは言え、王女が歩兵蟻を倒せるようになる必要は全然ない。
「歩兵蟻を倒せるようになるより、王族として学ぶべきものが別に有るだろ」
迷宮都市で、太守館を抜け出しミコトの趙悠館に入り浸り武術や魔法の修行をしているディンが言っても説得力がほとんどなかった。
「ディン兄様だけずるいです」
そんな会話をしていると母親のオディーヌ王妃が現れ朝食となった。朝食はディンの希望で野菜サラダと玉子サンドである。ゆで玉子を微塵切りにしマヨネーズ・塩・香辛料・蜂蜜・水を加えたものを掻き混ぜ、ふんわりしたパンに挟んだ簡単なものである。
但しマヨネーズは王都になかった新しい調味料で、作り方は趙悠館のアカネさんに教わり、厨房の料理人に教えたものだ。アカネさんからマヨネーズについては広めて良いと許可を貰っている。
「あらっ、今日はいつもと違うのね」
オディーヌ王妃がチラリと給仕をしているモルアに視線を向けた。
「ディン殿下のご希望で用意致しました」
食卓の上には玉子サンドを載せた皿と野菜を盛り付けた器、それにハーブティーが並んでいた。王族の食卓にしては質素なものだ。昨日までは、食べ切れないほどのパンや料理が並んでいたのだが、毎朝残すのでディンが止めさせたのだ。
「どうせ、朝は余り食べないでしょ」
息子の言葉にオディーヌ王妃は肩を竦め食事を始めた。ディンが玉子サンドを美味しそうに食べているのを見て、サラティア王女が尋ねた。
「これも迷宮都市の料理なの?」
「ミコトの趙悠館で出している料理だよ。食べてみてよ」
この時、趙悠館と言う名称がサラティア王女の頭の中に刻み込まれた。
王女が玉子サンドを手に取り口に入れる。モキュモキュと食べ笑顔を浮かべた。
「凄く美味しいです」
王妃も口にして満足そうに微笑む。
「あらっ、本当に美味しい。陛下にも食べて頂きたいわ」
普段は余り朝食を食べない王妃も玉子サンドが気に入った様で人並みに食べた。
その日、カザイル王国の国王が暗殺されたと言う情報が王宮に届いた。その時から王国首脳陣の眠れない日々が始まった。
軍部は情報収集を始め、外務局はカザイル王国で始まった後継者争いを一刻でも早く終わらせようと動き出す。
そして、ミスカル公国がマウセリア王国に『虫の迷宮』の独占使用権を要求した時、貴族たちは戦争が始まると覚悟した。
王都より西に領地を持つ貴族は王都で暮らす親族を自分の領地に戻し始め、東側に領地を持つ貴族は迷宮都市や港湾都市モントハルへ避難を開始する。
貴族たちが過剰とも思える反応を示すのは、過去に魔導先進国の一国クノーバル王国と戦争となった時、もう少しで王都が陥落する寸前となるまで追い込まれたからだ。
その時は悪天候が続きクノーバル王国からの補給が途絶えた上に、マウセリア王国の貴族が兵を引き連れ参戦した事で辛くも敗北を免れたが、王都の一部は焼失し数千人の死者が出た。
貴族たちは、その戦いで王都に住んでいた先祖を失ったのを覚えている者も多いのだ。
その影響はマルケス学院にも及び、生徒の半数が休学し王都から去り、サラティア王女が楽しみにしていた入学式が延期となった。
予定が狂い暇になったサラティア王女は、なおさらディンと一緒に行動するようになった。
国王ウラガル二世が王族の疎開を決めた時、オディーヌ王妃は迷宮都市に疎開しようと決めた。仲の良い兄妹を引き離したくなかったのだ。
オディーヌ王妃が国王に迷宮都市へ疎開すると報告すると、ウラガル二世の傍に居たクモリス財務卿が。
「オディーヌ様、野蛮な迷宮都市へなどサラティア王女の教育には良くないのでは有りませんか。港湾都市モントハルへ行かれた方が……あそこなら劇場やコンサートホールなどの文化的施設も揃っておりますから」
「そうね。芝居や音楽を聞けないのは残念だけど、サラがどうしても迷宮都市に行きたいと言うのよ」
「そうですか。退屈なされたら、モントハルへお越し下さい。オラツェル殿下が歓迎されるでしょう」
オディーヌ王妃は御免だと思った。オラツェル王子は母親以外の王妃を敵だと思っているからだ。
ディンは迷宮都市の太守である為、緊急時に招集される王族のリストから外されていた。第一王子や第二王子は招集され、国家戦略を話し合う会議に出席すると言うのに、自分は迷宮都市に戻らなければならない。
自分は兄たちに比べ期待されていないと感じたディンは一時落ち込んだ。しかし、前向きに考える事にした。迷宮都市に居ても国の為に出来る事は有るはずだ。
戻って祖父ダルバルと相談しようと思った。
この頃、サラティア王女が迷宮都市の趙悠館に行ってみたい、最終的には趙悠館で生活したいと言い出した。ディンが趙悠館に泊まりこんで修行した時の話をしたので、自分も修行したいと思ったようだ。
数日経って疎開の日、一緒に行く貴族たちが集まり護衛に守られ王都を出発した。
王家の用意した馬車は浮遊馬車ではなく普通の馬車だった。王家で所有する浮遊馬車はサミディア正妃とその親族が全て持ち去ってしまったのだ。
第三王妃は怒り国王に訴えたらしいが、ディンの母親であるオディーヌは苦笑いしただけだった。
サラティア王女にとって初めての長旅だ。最初はウキウキと嬉しそうだったが、単調な旅と馬車の振動に辟易したようで途中からぐったりとしてしまった。
天気に恵まれ予定より一日早く迷宮都市に到着した。まずは太守館に向かう。
サラティア王女による迷宮都市の第一印象は刺々しい街だった。街を囲む防壁はいかなる者も拒絶するように高く厚い、それに要所要所に見張り用の塔が有りバリスタらしい武器が空を睨んでいた。
街の中に入っても剣や槍を持つ者が多く、彼らの表情は険しかった。
太守館に到着した一行はダルバルに出迎えられた。
「オディーヌ、サラ、久し振りだな」
ダルバルがサラティア王女に会うなり抱き上げ身体を高く持ち上げてから抱きしめる。
「サラ、何故なんだ。趙悠館でなく太守館に泊まればいいだろ?」
サラティア王女が首を振り。
「お祖父様、ダメです。ディン兄様みたいに修行します」
オディーヌ王妃が溜息を吐いた。
翌日、ディンとサラティア王女は趙悠館へ出向いた。空には雲一つない晴天で、小鳥が鳴いている。まるで自分を歓迎している様だとサラティア王女は思った。
ディンの後ろを息を弾ませながら歩く。サラティア王女の服装は薄手の可愛いズボンと白いシャツだ。ディンに趙悠館に行くなら、一目で王女と判るような服は駄目だと言われ、侍女に用意させたのだ。
もちろん、護衛の衛兵が数人付き従っているが、ディンと王女にとっては慣れたもの、気にせず歩いて行く。
途中、街角に人が集まっているのに気付いた。
猫人族と人族の子供たちがハンターらしい男たち四人に囲まれ怯えていた。
「おい、ガキ共。大人に向かって生意気な口を利くんじゃねえよ」
頬に傷のあるハンターが脅すような口調で言う。
「道を通してくれるように頼んだだけじゃにゃいか」
猫人族の子供が言い返す。荷物を運んでいた子供たちが道に並んで立ち塞がり話をしていた四人に通してくれるように頼んだのを気に入らず、子供たちを取り囲んだようだ。
ディンが顔を顰めハンターたちを止めようと動き出した時、一人の猫人族の少年が出て来た。
「うちの子供たちに、にゃにしている」
背中に剣を背負っただけの軽装の若いハンターである。頬傷の男は若いハンターを睨み凄んだ。
「おめえがこいつらの頭か、剣なんか背負ってハンターなのか」
「そうだけど……子供たちを返してくれ」
男たちは値踏みするように若いハンターのマポスを見た。ハンターになったばかりに見えるが、背負っている剣は高価なものだと判る。
この場合、高価な剣を買えるほどマポスが優秀なハンターか、樹海や迷宮で偶々手に入れたかである。
男たちは後者だと思ったようだ。
「その剣を俺らにプレゼントしてくれるなら、ガキ共を返してやるぜ」
不良ハンターたちは、ハンターギルドでも見掛けない顔なので、どうやら『虫の迷宮』から逸早く流れて来た者たちらしい。
野次馬たちの間から子供たちを危惧する声と不良ハンターたちを非難する声が上がった。不良ハンターたちが周りの野次馬を睨み。
「五月蝿えぞ、てめえら。関係ない奴はどっか行きやがれ」
野次馬を追い散らすように怒鳴り声を上げた。
野次馬が少し遠ざかったので、男たちが得物に手を掛けマポスを威嚇する。マポスも背中の剣の柄を握る。その剣はカリス親方とミコトが共同で作った烈風剣であった。但しサーベルバードの尺骨は使っておらず、ミスリル合金製の海軍刀に源紋を写しただけの廉価版である。
廉価版とは言え、マポスの一ヶ月分の収入をつぎ込んでいる。プレゼントなど出来ない。
それに大人しく従う理由は無くなっていた。
いつ現れたのか、男たちの背後にリカヤ・ネリ・ミリア・ルキの四人が立っていた。
マポスは背中に回した手で男たちを牽制しながら口を開く。
「馬鹿にゃ事を言ってにゃいで早く消えろ。そうでにゃいと痛い目を見るぞ」
マポスの言葉に四人の男たちは激怒した。
「俺たちがベテランハンターだと判っていて、そんな口を利いているのか」
ベテランハンターと自分では言っているが、彼らの装備はそれほどいいものではない。迷宮の低層階を抜けられずせこい稼ぎを狙って毎日を繰り返しているのだろう。
不良ハンターはそれぞれの得物を抜き、マポスに襲い掛かろうとする。だが、その後ろにはリカヤたちが戦いの準備を終え待っていた。
リカヤたちはミコトから習ったヤクザキックを放つ。リカヤ・ネリ・ミリアの三人は背中に強烈な蹴りを決め男たちをうつ伏せに倒す。但しルキだけは躯豪術を使い強化した脚力で背中にドロップキックを放った。
その後、不良ハンターたちはリカヤたちにより袋叩きとなり、警邏兵に引き渡された。ディンと王女と言う証人が居たので、何の問題もなく男たちは連行されていった。
「猫さんたちは強いのですね?」
サラティア王女が感想を言う。ディンは即座に否定した。
「猫人族が強い訳ではないよ。彼らもミコトと伊丹師匠に鍛えられているんで強いんだよ」
「そうなんだ。お師匠様に会えるのが楽しみになりました」
王女はミコトたちに弟子入りする気になっていた。
ディンと王女はマポスたちと話しながら趙悠館に向かった。
「あそこが趙悠館だ」
ディンが指差した先には珍しい構造の建物があった。白い外壁が美しく他の建物より窓が大きかった。
サラティア王女はディンが修行した場所だと聞いていたので、もっと殺風景な場所だと予想していた。案に相違して趙悠館はよく手入れされた庭を持つ洒落た宿泊施設だった。
ディンと王女が門から入ろうとした時、マポスが声を掛ける。
「オイラは音楽の勉強が有るんで先に行くよ」
マポスがタタッと駆け出し姿が見えなくなった。リカヤたちもそれぞれ用が有るらしく去り、ルキだけが残った。
ディンと王女が完成した趙悠館を眺めていると後ろから声を掛けられた。
「あらっ、ディン君じゃない。やっと戻って来たの」
声を掛けたのは、買い物から戻ったアカネだった。アカネはニコニコと機嫌がいい。
「何かいい事が有ったんですか?」
ディンが問うとアカネが買い物カゴに入っている野菜を見せた。紫色をした果物のような野菜カプトンだった。
「カプトンがどうかしたんですか?」
アカネはトマトを探していて、やっと似た野菜を見付けたのだ。色は紫だが味や食感はトマトそのものだった。
ディンは妹をアカネに紹介した。サラティア王女はアカネにカプトンをどうするのかと尋ねた。
「これでケチャップと言うソースを作るの。ケチャップが有ると美味しい料理が作れるのよ」
それを聞いたサラティア王女が目を輝かせた。その目に気付いたアカネは。
「今から作りましょうか?」
「はい、お願いします」「ルキも食べちゃい」
横で聞いていたルキも目を輝かせていた。
趙悠館の厨房に入ったアカネは、カプトンを火で炙って皮を向き、輪切りにして種を取り出した後微塵切りにして裏漉しする。後は味見しながら塩や樹液糖、香辛料を混ぜ煮詰める。
ケチャップの完成である。リアルワールドと同じ素材や調味料が揃わないので微妙に味は違うが概ねケチャップである。
アカネはケチャップが完成するとピザ生地を作り始めた。材料は小麦粉(強力粉)・塩・樹液糖・植物油である。生地を麺棒で伸ばしケチャップ・チーズ・燻製肉・茸などをトッピングしフライパンに乗せて焼いた。
フライパンの上でピザが温まり始めるとチーズが溶け出し周りにいい香りを漂わせ始める。その香りに酔ったように、ルキが身体を震わせ変な踊りを舞う。
アカネがピザを八つに切り分け皿に乗せてディンに渡した。
「食堂のテーブルで食べてね」
ディンと王女、ルキは小走りに食堂へ移動しテーブルの上にピザを置いた。そして食べようとして首を傾げた。
「アカネさん、これはどうやって食べるんです?」
ディンが尋ねるとアカネが近寄り、ピザを一切れ手に取り齧り付く。それを見たディンたちは一斉にピザを手に取って食べ始める。
ルキなどは口の周りをチーズやケチャップで汚しながら夢中で食べていた。
「凄く美味しいです」「初めての味だね」「アカネはシャイコーでしゅ」
その後、ピザの香りに惹きつけられ、リカヤたちも集まって来た。アカネは作ったばかりのケチャップがなくなるまでピザを焼く事になってしまった。
2016/5/26 修正
2016/5/27 誤字修正 ご指摘に感謝。
2016/6/16 誤字修正




