scene:115 幻獣召喚
趙悠館へ戻った俺は、敷地の一角に建てられた調薬工房兼研究所に行った。フオル棟梁に頼んで建てて貰った簡単な構造の建物である。二〇畳ほどの調薬工房と十二畳の研究室、それに倉庫を備えた建物で、ここで二人の医師は治療と研究を行っている。
俺は二人の医師に迷宮で採取して来た薬草を渡した。
「オッ、月花桃仁草もあるのか。これで中級治癒系魔法薬の在庫を増やせる」
第十四階層で採取した二種の薬草を渡すとマッチョ宮田が喜んだ。中級治癒系魔法薬は希少な薬草を使うので治療院や薬屋でも在庫が少ない。それに高品質な魔法薬の製造法を確立した宮田たちの作る治癒系魔法薬は治療院からの購入依頼が増え、趙悠館の調薬工房でも在庫がほとんど無くなっていた。
「ジュレウル草は?」
鼻デカ神田が相変わらずの仏頂面で尋ねる。異世界での生活も長くなり慣れてはきたのだが、十分な医療機器や設備のない研究に苦痛も感じていた。
「もちろん、採取してきましたよ」
ジュレウル草を渡すと鼻デカ神田は仏頂面のまま受け取り、礼も言わずに研究室の方に戻っていった。
「済まんね。神田先生はちょっと疲れているようなんだ」
マッチョ宮田が気を使って代わりに謝る。
「ホームシックかもしれないな。一度交代で日本へ帰ってはどうですか?」
「……僕は大丈夫なんだが……神田先生と相談してみるよ」
俺は魔導バッグを抱え、元食堂だった仮設住宅に入った。ここへ来たのは『魔粒子貯蔵金属』を製作する為である。専用の工房が欲しいのだが、優先順位が低いので完成するのは三ヶ月ほど後になるだろう。
魔粒子貯蔵金属はミスリルと魔光石、石墨、そして触媒のサラマンダーの魔晶玉により作る事が出来る。
元食堂の調理場だった場所に小さな炉が設けられていた。坩堝にミスリルを入れ炉で加熱する。炉に風を送る為に鞴を動かす。段々赤く熱を帯びる坩堝の中でミスリルが溶融する。
完全に溶融したミスリルを掻き回しながら石墨の粉を投入する。煙が立ち上りミスリルの中に炭素が染み込み融合した。次が最後の工程である。俺は錬法術の<触媒反応>を駆使しながら坩堝の中に魔光石とサラマンダーの魔晶玉を入れた。
坩堝の中でどろどろと溶けているミスリルが魔光石に含まれる魔粒子を吸収し黄色い光を放つ。その発光現象は五分ほど続き収まった。坩堝の中のミスリルが黒い金属に変わっていた。
「ふう、完成した」
出来上がった魔粒子貯蔵金属は魔粒子を吸収貯蔵し貯蔵限度を越えると魔力に変換する特性がある。その特性を利用して魔力供給装置を製作するつもりだった。
カザイル王国などの魔導先進国が作る魔力供給装置はどういう構造をしているか知らないが、同じ魔光石を動力源としているのなら、原理は同じかもしれない。
カリス親方に協力して貰い魔力供給装置を製作し魔導飛行バギーを完成させた。完成した魔導飛行バギーは高高度を飛行する予定なので、非常用にパラシュートも用意した。
だが、逃翔水の特性なのか高度を高くすると魔力の消耗が激しい事が判った。高度二、三メートルを飛ぶ時が一番燃費が良く、試しに高度二〇〇メートルを飛んだ時は魔力供給装置に装填した魔光石が急速に減少した。
どうも魔導飛行バギーは飛行機の代わりにはなりそうになかった。ホバーバイクのように地上二、三メートルを高速で移動する乗り物として使うのが良さそうである。
そして肝心のスピードだが、魔力供給装置により大量に魔力が供給可能となり、無風状態の時には時速九〇キロまで加速した。但し向かい風の時は三〇キロにも達しない場合もあり、まだまだ改良が必要なようだ。
魔導飛行バギーのテスト飛行は基本自分で行った。安全を確かめた後、乗りたいと言う薫と伊丹さんを乗せ遊覧飛行を行う事になった。場所はテスト飛行に使った勇者の迷宮へ行く途中にある草原である。
荷馬車で運んで来た魔導飛行バギーの上に被せていた幌を取ると、薫が目を見張って声を上げる。
「へえ、これが飛ぶの……屋根付きの細長いバギーにしか見えないけど」
草原に下ろした魔導飛行バギーに歩み寄った薫は、間近でじっくりと観察し顔を綻ばせる。
「乗ってくれ」
俺は操縦席に座って、薫と伊丹さんに乗るように促した。二人が乗りシートベルトを締めるのを確認しポケットから起動キーを取り出す。カリス親方と相談し盗難防止の為に起動するのに専用の起動キーが必要なように改造した。起動キーを使って魔導飛行バギーを起動させる。
足元にある高度調整レバーをちょっとだけ引き地上から二メートルの高さまで浮き上がらせた。
「浮いた。本当に浮いた」
薫はワクワクし始めていた。だが、俺が推進レバーを入れ前進を始めるとガッカリする。ゴォーと唸るような低い噴出音が響き、歩くような速さで魔導飛行バギーが進み始める。
「こんな速度で使い物になるの?」
薫が疑問を口にする。この加速力を知ると誰もが疑問に思うらしい。しかし、魔導飛行バギーは順調に速度を増して行き時速九〇キロに達する。
俺は右旋回や左旋回をして旋回性能を確かめる。方向舵だけでは旋回に時間が掛るので方向転換用スラスターも使う。スラスターを使うと旋回半径が三割ほどになるが、魔導飛行バギーも遠心力で振り回される。
この頃になると薫はジェットコースターにでも乗っているかのように大声を上げ始めた。
「うわあ、きゃあー♪」
薫が満足するまで飛行を楽しんだ後、スピードを落とす。その時、伊丹さんが。
「ミコト殿、温かい今の季節は良うござるが、冬になれば凍えるほど風が冷たくなる。それに雨の時はどうする?」
魔導飛行バギーは風除け用の障壁も無い吹きっ曝しの状態である。俺も防風ガラスのようなものが必要だと思っていた。防風ガラスと考えたのは操縦するのに十分な視界を確保したかったからだ。
「何か対策を探してみます」
当座は革製の防風コートとフェイスガード付きゴーグルで対応すればいいだろう。カリス親方に頼むと三日後には用意出来ると引き受けてくれた。
俺と薫は王都までの飛行ルートを検討し、街道沿いに飛ぶ事にした。直線ルートや海上ルートも検討したのだが、魔導飛行バギーの故障や不測の事態に陥った場合を考え安全なルートを選んだ。
すべての準備が整った四日後、俺とオリガ、薫の三人が魔導飛行バギーに乗って迷宮都市を旅立った。ただ迷宮都市を出る時、西門の門番に止められた。俺たちが乗っている魔導飛行バギーに驚いたらしい。
早朝、門番のバンドグが門の前に立っていると妙な音が聞こえて来た。振り返ってみると三人の若い男女が奇妙な乗り物に乗って近付いて来た。魔導飛行バギーは町中でスピードを出すと危険なので、ほんの少しだけ浮遊し歩くような速度で移動していた。
「止まれ」
普通、都市から外に出る者が止められる事はない。だが、俺たちが乗っている魔導飛行バギーが余りにも異様に見えたようだ。俺は魔導飛行バギーを停止させる。
「お前らが乗っている物は何だ?」
門番は太守であるシュマルディンの部下だが、教育係である俺の顔を知らないようだった。ビヤ樽のような腹をした門番が威嚇するように肩を聳やかして俺たちに近寄って来た。
「これは浮遊馬車の一種だ」
「な、浮遊馬車だと……おま……いえ、あなたは?」
浮遊馬車に乗っている者が只者でないと知っているのだ。
「シュマルディン王子の教育係をしているミコトだ」
その瞬間、門番の態度が変わった。絡まれると厄介だと思い、王子の名前を出したのだが効き目は抜群だった。ちょっと引き攣った笑いを浮かべた門番に見送られ、俺たちは門を出た。
「ミコトお兄ちゃん、今日はどこに行くの?」
後ろの席に座っているオリガが尋ねた。
「この国の首都だよ。そこに行けばオリガに凄い事が起こるんだ」
「……凄い事…ん…何だろ?」
「着いたら教えるよ。楽しみにしてろ」
「うん」
街道に出た魔導飛行バギーを時速五〇キロほどになるまで加速させる。街道沿いの樹々が結構な速さで後ろに飛んで行き、強い風が俺たちの身体を撫でる。暑い日が続いているので、その風も心地良かった。
ココス街道は多くの旅人や商隊が行き来している。その日、奇妙な乗り物に乗った男女が凄い速さで移動する姿が目撃された。最初は魔物ではないかと警戒され、次に乗り物だと判ると物凄く驚いたようだ。
ただ中には最後まで魔物だと勘違いした者も居たようで、街道沿いに空飛ぶ巨大な魔物が出現したと噂がたった。ハンターギルドに謎の魔物の調査依頼が出されたのも事実である。
魔導飛行バギーは低空を飛行するので夜間の飛行は難しい。バギーに照明具を付けたとしても障害物を避けられるか不安があるからだ。そうなると一日の飛行時間は制限される。無理をしない範囲だと八時間程度になるだろう。
王都までは馬車で一〇日以上掛かると聞いている。正確な距離は判らないが、この魔導飛行バギーだと二日で王都に到着出来るはずだ。一日目は無風に近かったのでウェルディア市を通過し王都へ続くオウテス街道に入り旅程の七割程を消化した。夜は街道沿いのモケフル村に一泊する。翌日、向かい風が吹いたので速度が半分に落ちた。とは言え馬車よりは速く、その日の内に港町クリュックから海を渡って王都エクサバルに到着した。
魔導飛行バギーは王都で注目を浴びるものと覚悟していた。確かに注目されたが、俺たちが予想していたほどでは無かった。何故かは後に判明した。
ここ数年、王都に居る貴族の間で浮遊馬車が流行り、貴族の多くが浮遊馬車を魔導先進国から輸入したらしいのだ。流行はそれで終わらず、輸入した浮遊馬車を色々と改造する貴族が出て来たらしい。
ある貴族は馬車を帆船の形に改造し街中を乗り回し、また別の貴族はヒュドラのような魔物そっくりに改造し王都の住民を驚かした。中には馬が牽かなくとも動くよう改造した浮遊馬車も有った。
その推進装置は連続して火炎爆発を起こす魔道具で、バンバンと煩い音を発しながら街中を走り、住民を酷く驚かせた。
それらの浮遊馬車に較べると魔導飛行バギーは小型で目立たないものだった。まあ、それらに比べればと言う話で、街中を進むとどうしても注目が集まるのは仕方なかった。
王都の中心近くの『陽だまり亭』と言う宿に宿泊した。この宿の近くに魔導寺院とハンターギルドが存在したのも宿を選んだ理由の一つだが、一番の理由は魔導飛行バギーを駐車するちゃんとした施設が有ったからだ。
馬車を停める車庫のような施設が有り、そこは個別に施錠する事が可能だった。
その日は宿で夕食を食べると早目に寝た。翌朝早くに起きた俺たちは、宿で朝食を済ませてから魔導寺院へ向かった。
オリガの手を俺と薫が繋ぎ三人で魔導寺院の方へ歩く。オリガは機嫌が良く、何故か演歌の大御所が歌った木こりの歌をハミングしながら歩いている。
「魔導寺院へ行って、また適性を試すの?」
オリガがハミングを止め質問した。俺は「そうだ」と返事をし説明を始める。
「オリガに授かって貰いたい神紋が有るんだよ」
「神紋と言うのは魔法の事でしょ。もしかして魔法が使えるようになるの?」
オリガが嬉しそうに言う。前に『魔力袋の神紋』を授かった時にも魔法が使えるようになると言われたが、期待していた魔法とは違い、魔力を感じられるようになっただけなので、少しガッカリした。
「そうだよ。それも特別な魔法なんだ」
魔導寺院に到着した俺たちは神紋の扉が並ぶ通路に行き、ある神紋の扉の前に止まった。俺が選んだ神紋は『幻獣召喚の神紋』だった。この神紋を秘めた『知識の宝珠』を迷宮都市で手に入れた時、俺は嬉しさの余り飛び上がった。
これこそ俺が探していたものだったからだ。オリガの目を何とかしようと決意してから様々な方法を探し求め、その中で成功しそうな方法の一つが『幻獣召喚の神紋』だった。
この神紋の基本魔法は<土精召喚>と<感覚接続>である。<土精召喚>については期待はずれだったが、<感覚接続>は他の生物や魔物と精神を繋げ、六感の一部を共有出来るらしいのだ。
元々の使い方は<土精召喚>で土偶みたいな幻獣を召喚し、<感覚接続>で六感の一部を同調した後、偵察などに使役すると言うものだ。
ただ土精と呼ばれる幻獣は体長一〇センチほどの土偶ような幻獣である。大きな目が付いているのに視力は弱く、その代わりに魔力感知に長けている。
すぐに召喚可能なのが何の攻撃力も無い幻獣なので『幻獣召喚の神紋』の人気はあまり無い。古代魔導帝国が栄えていた時代には、強力な幻獣を召喚する応用魔法が存在し戦争にも使われたと伝えられる。だが、古代魔導帝国が滅ぶと同時に、それらのほとんどは失われ遺失魔法となってしまった。
魔導師ギルドに残っているのは、人魂のような火霊を召喚する<火霊召喚>と金色のトンボを召喚する<トンボ召喚>だけである。
俺は遺失魔法の手掛かりが魔導迷宮に隠されているのではと予想している。あの迷宮は古代魔導帝国の軍事施設が迷宮化したものだと聞いているからだ。
でも、一つだけ納得出来ない事が有る。基本魔法の魔獣召喚が、何故小さな土偶かと言う点だ。
「ちょっとしたお試し版だからじゃない。この神紋を考えた神様は日本贔屓だったのよ」
薫がいい加減な意見を述べる。それを聞いたオリガが。
「土偶ってお人形さんでしょ。あたしもお人形は好きだよ」
取り敢えず、オリガに神紋の扉を試して貰う事にした。オリガが小さな手で扉を触れると神の名前が記されたプレートが反応し光った。俺は思わず大きな声を上げる。
「ヤッター、反応したよ」
「本当……魔法を使えるようになるの?」
俺たちは喜んだ。試しに俺と薫も試してみると反応した。宿に戻った俺は魔導バッグから知識の宝珠を取り出した。『幻獣召喚の神紋』を秘める知識の宝珠である。オリガが知識の宝珠を使っても安全だと判ったので、その宝珠を使わせた。
知識の宝珠から溢れ出た光がオリガの身体に吸収された。神紋を取得したオリガは精神的に疲れたようで、二時間ほど休ませた。
オリガが回復したので魔法を使わせてみようと思う。
「どうしたらいいの?」
「頭の中に魔法を使うスイッチみたいなものが出来てるはずなんだ。探してみて」
「うん」オリガが返事をし眉間にシワを寄せる。その様子も可愛らしい。
「むむむ……」
オリガが可愛い声を上げた。オリガの前に黄色い光が生まれ、その中から小さな土偶が生まれた。一〇センチほどの土偶はオリガの周りを歩き回る。
「オリガちゃん、もう一つの<感覚接続>も使って視覚を繋げてみて」
薫がオリガに指示を出す。オリガは精神を集中し。
「アッ」
小さな口から驚きの声が上がった。オリガの脳の中に初めて光が生まれ、土偶が見ている光景と同じものがオリガにも見えたのだ。
「すご~い、見えたよ」
オリガは飛び跳ねて喜んだが、詳しく確認してみると土偶の視力は弱くぼんやりとしか見えていない事が判明した。<火霊召喚>も<トンボ召喚>もオリガの目の代わりをするには不適当だった。
火霊は元々眼が無いし、トンボの眼は複眼である。
「新しい幻獣を作るしか無いか」
『幻獣召喚の神紋』は召喚と名付けられているが、実際は魔粒子と魔力を使って幻獣を創造している。応用魔法により様々な幻獣を生み出せるのは、神意文字を使って幻獣のフォルムや特徴を記述しているからである。
神意文字を理解している俺たちなら、新しい幻獣を創り出すのは可能だった。
「どんな幻獣にするの?」
薫が尋ねる。俺は目がいい幻獣を考え出そうとするが、脳裏に浮かんだのはあるアニメのキャラクターだった。
「駄目だ。変な奴が頭に浮かんで離れない」
薫が首を傾げ質問する。
「変な奴って……何?」
俺は溜息を吐き苦笑しながら。
「いや、本当に変なものだから……忘れてくれ」
「笑わないから、話してよ」
薫がしつこくせがむので正直に話した。
脳裏に浮かんだのは、某妖怪アニメで主人公のオヤジとして出て来る目玉の妖怪だった。
変なちゃんちゃんこを着たオリガが下駄を履いて山道を歩いていると、目玉の妖怪がオリガの髪の中から現れオリガに向かって指示を出す。
『オリ太郎、砂掛けババアを呼ぶのじゃ』と叫んでいる姿を想像したのだ。
「……………………」
「何か感想はないの?」俺が話を促すと。
薫は白い目を俺に向け。
「ミコトは考えなくていいよ。新しい幻獣は私が何とかする」
薫から戦力外通告をされ、俺の心はちょっと傷付いた。




