案内人の仕事1
プロローグになります
二〇XX年五月十二日、俺たちは転移門閉鎖地域のど真ん中で待機していた。以前はショッピングモールだった場所だが、一年前に政府が買い上げ、自衛隊が一般人の立入りを禁止している。
俺たちは元ハンバーガーショップの前で静かに、その時を待っている。八メートルほど離れた地点で、役人らしい男二人と自衛官三名が、こちらを監視していた。
夜八時を過ぎた頃、異変の兆候が現れた。不意に空気が振動を始める。重低音の振動音が皮膚を震わせ、体の中まで染み込んでくる。振動は激しさを増し、『ビシッ…ビシッ…』と付近の窓ガラスにヒビを入れる。大気が帯電したかのようにすべての体毛が逆立つ。
次の瞬間、意識がブラックアウトした。それはほんの一瞬だったと思う。
次に気付いた時、周りは闇だった。例外は足元の転移門、仄かな光を放ち月明かりほどの光量を与えていた。直径五メートルほどの円の中に十三の同心円が等間隔で描かれ、その隙間に奇妙な模様と文字のようなものが描かれていた。まるでアニメで見た魔法陣だというのが俺の感想だ。
少し湿った空気の流れを感じ、ブルっと身体を震わせた俺は、用心深く周囲を見回す。高さ三メートル、幅六メートルほどある洞窟の中だった。何かの鉱物が含まれている岩肌が転移門の光を反射していた。
俺は異世界の大気を深く吸い込んだ。久しぶりに身体中の細胞が活性化し力が漲る。条件反射で周囲の気配を探る。そして、俺以外の存在に気付いた。今回案内する三人の依頼人が驚いたような顔をして立ち尽くしている。
「気分の悪い方は居ませんか?……暗いので動かないで下さい」
洞窟の入口の方へ行こうとする依頼人を止めた。
「皆さん、ちょっと待って下さい」
そう言葉を掛け、転移門の洞窟の奥にある岩の陰に隠していたランプを取り出し火打ち石で火を灯す。本当は魔法で火を着けられるのだが、俺が魔法を使えるのを依頼人に知られたくない。
ほとんど同時に光を放っていた転移門が暗くなり始める。幾何学模様と奇妙な文字を組み合わせた力宿る魔法陣モドキが完全に見えなくなると、俺はランプの灯りを頼りに隠してあった大きな布袋と革製の背負い袋を探し当てた。
「ちょっと、私たちの服はどうなっているの?」
俺を含めた四人は、下着だけの姿をしていた。俺は慣れていたが、初めての依頼人は戸惑っていた。転移門は人間の身体と下着だけしか転移しない。これを作った奴がどんな奴だか分からないが、きっと根性が曲がった嫌な性格をしていたんだろう。
「この中に服が入っています。普通サイズと大きめサイズしかありませんが、紐で調節して下さい」
この異世界で買った旅行者向けの服が入っている袋を依頼人の前に置いた。中身は麻布に似たもので作られた丈夫そうなズボンとシャツ、それにフード付きマントが入っていた。ズボンは黒、シャツは茶色、マントは灰色に染められており、センスの良いものとは言えなかった。また、靴は何かの植物で編まれたもので外見以上に丈夫なものを用意していた。
俺も背負い袋から自分用の服を取り出し身に着けた。高校一年にしては小柄な方だが、強靭な筋肉と豊富な経験の印である傷跡が、ただの学生でないとアピールしていた。
鬼島実言、俺の名前である。年齢は十六歳、小柄な身体に平凡な顔、周りからは実年齢より歳上に見られる傾向があるようだ。数少ない友人からは『オッさん』というあだ名を頂いている。本当に失礼な奴らだ。
一年前までは普通の中学生だった。だが今は、訳あって異世界の案内人をしている。何の事だと思うかもしれないが、一年前の在る日、世界各地に異世界への転移門が出現した事件を覚えている人も多いだろう。日本でも数十箇所で転移門が出現した。その一つが俺にとって最悪な場所に出現した。そこは地方都市のショッピングモール。
当時中学生最後の時期をバイト三昧で忙しくしていた俺も、その転移門事件に巻き込まれ、異世界へと飛ばされた。気付いてみれば剣と魔法の世界、所謂ロールプレイングゲームのような世界でハンターとして生き抜き、一ヶ月以上掛かってやっと日本に戻った。
だが、待っていたのは日本政府の転移門管理組織JTGだった。JTGが何の略だかは知らない。いや、一度は聞いた事があると思うのだが、英語の苦手な俺は忘れた。……Jはジャパンだと思うのだが。
待ち構えていた自衛官に保護された俺は、政府に雇われた研究者に遺伝子レベルまで検査され、解放されたのは一ヶ月後だ。
しかも、完全に解放された訳ではなく、ほとんど無理やり『異世界の案内人』として契約させられ、現在に至る。家庭の事情で金が必要だった俺は、ある意味助かった。だが、本来高校生にやらせるような仕事じゃない。それだけは確かだ。
………………
ちょっと昔を思い出していた俺は、依頼人の事を忘れていた。
「何!……このゴワゴワした服。他になかったの」
依頼人の一人、峰貴子という大学教授は五〇歳くらいのおばさん生物学者だ。今回の依頼は、このおばさん研究者の大学がスポンサーとなっているようだ。……小五月蝿い上司から逆らうなと指示されているから我慢しているが、高慢ちきな生物学者にはうんざりしている。
「この世界の住人が普段着ている服なんです。我慢して下さい」
不満そうに服の批評をしているおばさんが、リーダー役らしい。
今回の依頼は、異世界に棲息する魔物の生態調査だ。峰教授を中心として、獣医の免許を持つ獣医学研究者の村上、警護役の元自衛隊員である菊池の三人が、依頼人であった。
峰教授は鋭い目をした教師風の痩せたおばさんで、研究一筋うん十年という感じだった。獣医の村上は、小太りのおっさんで、峰教授のサポート役という立場らしい。タフガイ菊池は、銃剣術と格闘技の達人だ。鍛えられた身体からは、街のチンピラなら避けて通るようなオーラを発していた。
「おい、案内人の小僧。ここは安全なのか?」
タフガイ菊池が訊ねた。小僧というのにはカチンと来たが、依頼人なので我慢する。怒りを抑えた声で、この洞窟の入り口は木の枝と石で隠してあるので安全だと説明した。俺の上司、転移門管理委員会管理官という役職の東條勇(通称ハゲボス)からは、武器も用意するように指示されていた。
タフガイ菊池は訓練しているようだが、他の二人に武器を持たせるのは賛成できなかった。この付近の魔物はポーン級と呼ばれる弱い魔物しかいないはずだが、それでも魔物である。人より力が強く、鋭い牙や殺傷力のある爪を持っている。戦えば、殺される事もあるのだ。
俺は用意した鉄製の短槍とショートソード、ナイフを、タフガイ菊池、獣医の村上、峰教授にいやいや渡した。ハゲボスの命令には逆らえない。これらの武器を用意する為に銀貨数枚を失った俺は、金になる獲物を狩らなきゃ赤字だと考えていた。
依頼人たちの身支度が整ったので、俺は自分の革鎧と武器を装備する。革鎧はルーク級中位の魔物である軍曹蟻の外殻と革で作られた鎧で、金貨数枚もした。武器はワイバーンの爪を加工し、ちょっと長めの柄に取り付けたオリジナルの武器『竜爪鉈』だった。この武器を特注の鞘に入れ背中に括り付ける。
俺の装備としては、他にも槍とか有るのだが、今回は置いていく。俺の持つ槍は特殊なもので、魔力を使わないと本来の力が発揮出来ないのだ。政府の役人には、魔力は持っているが魔法が使えないと報告してあるので、槍は使えない。
「何だ……お前の武器は?」
タフガイ菊池が、見慣れない武器に疑問を持ったようだ。
「鉈だよ。初めて使った武器が鉈だったんで、ずっと鉈をメイン武器にしてるんだ」
「ふーん、そんなもので魔物を殺せるのか?」
「扱い易いし、それなりの威力もあるんだ。ポーン級の魔物なら問題ないよ」
ワイバーン(飛竜種)はナイト級上位の魔物で、その爪は、ほとんどのポーン級やルーク級の魔物を一撃で断ち割るだけの威力を持つ。安物の剣や槍より威力は上だった。
「ポーン級というのは、魔物のランク付けだったね。どんな魔物なんです?」
獣医の村上が、初めて声を上げた。
「魔物のランクは、ポーン級、ルーク級、ナイト級、ビショップ級、クイーン級、キング級という順番で強くなってるんだ。ポーン級は、下位にスライムや跳兎、中位に長爪狼やゴブリン、上位にオークや双剣鹿なんかが居る。スライムや跳兎なら、ハンターギルドの見習いたちでも倒せるけど、上位以上の魔物は正式なギルド員にならないと無理だと言われている」
タフガイ菊池が興味を持ったようで、ハンターギルドのランクについて訊いてきた。ハンターギルドというのは、ファンタジー小説によく出て来る冒険者ギルドと似たような組織で、ハンターたちの互助会的な組織が発展したものだ。
「お前もハンターなんだろ。何ランクなんだ?……まさか、見習いじゃないだろうな」
「失礼な!……これでも三段目ランクのハンターです」
俺は荷物の中から、クレジットカードのようなハンターギルド登録証を出して見せた。表には名前と所属、ランクが書かれ、裏には、ギルドで測定した技量評価内容が記載されていた。
【ハンターギルド登録証】
ミコト・キジマ ハンターギルド・クラウザ支部所属
採取・討伐要員 ランク:三段目
<基本評価>筋力:32 持久力:26 魔力:41 俊敏性:34
<武技>鉈術:3 槍術:2
<魔法>魔力袋:4 魔力変現:3 魔導眼:4 流体統御:3
<特記事項>特に無し
もちろん、ハンターの常識として、表側しか見せない。裏の情報は、必要な時しか見せないのがハンターの仕来りだ。
峰教授が俺の登録証をチラッと見て。
「ちょっと、バルメイトの言語で書かれたものを見せられても読めないわよ」
しまった。依頼人はこちらの言葉を話せないし読めないんだった。俺の失敗したという顔を見て、タフガイ菊池が偉そうに命令口調で言う。
「そいつに三段目とか書いてあるのか……具体的に説明しろ」
俺はハンターギルドのランクについて説明した。ギルドのランクは、相撲に似た競技の順位付けが元になっており、日本語に訳した段階で相撲の番付として翻訳されたのだ。
・序ノロ…ハンター見習い、正式なギルド員ではない
・序二段…条件をクリアし、ギルド員になった者がこのランクとなる
・三段目…傭兵ギルドの一般兵士ほどの実力を持つハンター(討伐対象は、ポーン級まで)
・幕下……中堅ハンター、四割のハンターがこのランク(討伐対象は、ルーク級中位まで)
・十両……ベテランや有望株が多いランク(討伐対象は、ルーク級上位まで)
・前頭……武術流派のエースや有名パーティのリーダー(討伐対象は、ナイト級中位まで)
・小結……地方都市のギルド支部で最強クラス(討伐対象は、ナイト級上位まで)
・関脇……王都の武闘大会で優勝するほどの実力者(討伐対象は、ビショップ級下位まで)
・大関……英雄と呼ばれるほどの実積を上げた達人(討伐対象は、ビショップ級中位まで)
・横綱……国に一人、又は二人ほどしかいない最高位のハンター。
【討伐対象……ソロで倒せる魔物の目安】
「下から三番目かよ。偉そうに言うから、もっと強いのかと思ったぜ」
ムッとした。俺が三段目になる為にどれほど苦労したかも知らないで勝手なことを言うなと怒鳴りそうになったが、この世界の厳しさを知らない奴の言葉など本気にするなと自分に言い聞かせる。
この異世界は典型的な剣と魔法のファンタジー世界だが、小説みたいにチート能力が貰える訳でもなく。地道に努力する事でしか実力を上げる手段はない。
「俺は案内人で護衛役じゃない。二人を守るのは、あんたの役目だろ」
タフガイ菊池が鼻で笑った。
「ふん、そんな事は分かっている。お前まで護衛しなきゃならないかどうか知りたかっただけだ」
「俺の身は自分で守る。だいたい実戦の経験から言えば、俺の方が上です。あなたは学者さん二人の安全だけに気を配って下さい」
タフガイ菊池が馬鹿にするようにニヤニヤ笑っている。
「チンケな化け物を一匹二匹殺したからって、そんな強くなるものじゃないだろ。ゲームじゃないんだから」
『ゲームじゃない』タフガイ菊池はそう言ったが、この異世界はゲームに似ていた。魔物を殺すと経験値が入ると言う訳ではないが、魔物の細胞内に溜め込まれていた魔粒子が放出され、それを吸収し強くなれるのだ。もちろん、誰でもが魔粒子を吸収できる訳ではない。それが可能なのは、この世界の神々の加護を手に入れた者だけだ。
魔粒子については、よく分からない。この世界の一般人には、魔力を秘めた粒子だというあやふやな認識が常識として定着している。
「ぐずぐずしないで、すぐに出発しなさい!」
峰教授は気合充分な声を上げた。
「ちょっと待って下さい。夜明けまで一時間ほど有りますから、注意事項を確認させて下さい」
教授はキッと視線を向けて、不服そうに口を開いた。
「またなの、向こうでも散々聞いたわ」
「だったら、暗闇なのに森の中を行動する危険は十分理解しているはずですよね」
洞窟の外は森である。迷宮都市クラウザの西に広がる『稀竜種の樹海』、その南端に近い場所だ。洞窟は、クラウザから南西へ伸びるココス街道の途中から、三キロほど森へ入った『古跡山』の麓に在った。
……あ、言っとくけど『古跡山』と言うのは、俺が勝手に付けた名前だ。多分正式な名前などない山だと思う。
「あなたに用意させた食料は、三日分しかないのよ。目的の魔物を捕獲するには時間がないわ」
彼女たちの目的は、魔物の捕獲らしいのだが、どんな魔物を狙っているのか、知らされていない。今までに捕獲されていない魔獣を狙っていると聞いているが、格上の魔獣は無理だと分かっているのだろうか。
「狙っている魔物は、何ですか?」
俺の素朴な疑問に答えてくれたのは、獣医村上だった。
「この近くで捕獲できる魔法を使う魔獣だ。出来れば、バジリスクとか、サラマンダーとかがいいな」
唖然とした。こいつ馬鹿かというのが正直な感想だった。バジリスクは石化の邪眼を持つビショップ級の魔物だし、サラマンダーは別名『火蜥蜴』とも呼ばれる炎を操るルーク級の魔物だった。
「無理です。俺が何とか出来るのはポーン級までだと言ったでしょ。だいたいバジリスクは全長七メートルの化け物ですよ。どうやって運ぶんですか」
「そんなにデカイのか……サラマンダーはどうなんだ?」
「近くにサラマンダーは居ません。居てもルーク級の魔物に勝てるはずがない」
チッとおばさん教授が舌打ちをした。気分悪いおばさんだ。
「文句ばかりね。だったら、あんたのお勧めは何?」
俺は少し考えて応えた。
「そうですね……ゴブリンはどうですか。中には魔法を使うゴブリンメイジという奴も居ますよ」
魔物の一種で小鬼族のゴブリンは、繁殖力が旺盛で食料さえ有れば瞬く間に、その数を増加させる。人間の女性を攫って子供を産ませるという俗説が有るが、ゴブリンの雄雌比は半々で雌が不足している訳でもないし、種族特有の美的感覚は人間に近いものでもない。ゴブリンは人間の美女を見ると美しいと感じるより美味しそうだと感じるらしい。
また、他の魔物を殺し魔粒子を吸収したゴブリンは上位種へと進化する。ゴブリンからゴブリンメイジやホブゴブリンへに進化する訳だが、どのような進化を遂げるのかは、どんな魔物の魔粒子を吸収するかで異なると聞く。
「ゴブリンはダメ。T大の宗像教授が捕獲して研究してるじゃない。私はね、まだ、捕獲されていない珍しい魔物を研究したいのよ」
地球ではゴブリンメイジも十分珍しいはずなにと思いながら、魔物について検討した。そして、以前に別の目的が有って狩りをした魔物を思い出した。
「雷蜂はどうですか。針の先から雷撃を飛ばすハチです」
「ダメだ、魔獣だと言っただろ。虫は教授の専門外だ」
教授の専門は、獣や爬虫類までのようだった。俺には一つ心当たりが有ったが、そいつの棲息地に問題が有った。そいつは沼に住んでおり、その沼はゴブリン村の近くに在るのだ。時間がなくなってきたので、仕方なく提案した。
一時間後、夜明けと同時に洞窟を出て森を西へと俺達は進んでいた。雨季前のこの季節は、人間にとっても魔物にとっても一番過ごしやすい季節だった。若葉が生い茂り、清々しい風が木々の間を吹き抜けてゆく。
俺たちは原生林の中にある道を進んでいた。森の中には幾筋もの道が存在していた。但し、それは人間が造ったものではない。戦争蟻の軍隊が通った跡だった。体長二メートル、硬い外殻と強靭な顎を持つ歩兵蟻が数百匹単位で移動して出来上がった道だった。幅一メートルほどの道だが雑草生い茂る中を進むより楽だ。先頭は俺、教授、獣医村上、タフガイ菊池の順で歩く。
因みに食料と水などの嵩張る荷物は、俺が担いでいる。重さ三〇キロある大型背負い袋は地味に辛い。
先頭を行く俺は、周囲に気を配りながら依頼人たちの疲労度も注意していた。前方の藪に気配がした。
「気を付けろ、何か居る!」
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2015/3/5 誤字・脱字修正