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ブロッサム・プリズン ~全寮制女子校物語~  作者: 新田まるぼ
―五月― 牢獄よ、こんにちは
8/42

<8>

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◆◇◆

「……ええ、どうしても必要なんです。はい、はい。お手数ですけど、よろしくお願いします。それじゃ」

 電話を切って、あたしはにんまりと笑った。

 寮の玄関ホール。三台並んだ公衆電話は、外界との数少ない連絡手段だ。

 ふっふっふっふ。

 ああ、いけないいけない。ついつい声が出ちゃう。

 玄関わきの管理人室から、寮母さんが気味の悪そうな目でこっちを見てるじゃないか。あやしまれちゃまずい。

「きっもちわるいわね。なに笑ってんの」

「あ、塔子ちゃん。お湯かげんどうだった? うふふふふ」

 室内着用のシンプルなワンピースを着た塔子が、気味悪げに身を引いた。ちなみに寮内の公共の場――つまり、自室以外――で着用を許されるのは、制服か室内着と呼ばれる私服だけ。簡単に言えば、パジャマ姿で人前をうろうろすんなっていう規則だ。

 あたしが今、着ているのは毛玉だらけのねずみ色のスウェット。「それは寝間着ではないのですか?」という寮母さんの厳しい追及を「いいえ! れっきとした室内着です! このまま外出したっていいくらいです!」と、胸を張って言い逃れた栄光の逸品だ。ま、実際はパジャマなんだけどね。

「うふふふふ、じゃないわよ。誰に電話してたの? 後見人さん?」

「そうそう。そうなのー。聞いておくれよ、塔子ちゃん。実はさ――」

 上機嫌で続けようとした時、

「月島さぁん!」

 どどどどど、と足音荒く、女の子たちの大集団が駆け寄ってきた。トップを走っているのは郁ちゃんだ。

「ちょっと、あなたたちプリーツを――」

 塔子の鋭い声が飛ぶ。が、今度は女の子たちの勢いは止まらない。ふっとばされてしまった塔子。おお、天使みたいな顔してすごいな、郁ちゃん。あんな怖い声を出す塔子には、あたしだったら逆らわない。

「もう、要お姉さま、水臭いです!」

 え、水臭いってナニが。しかも何気に下の名前呼び。ほんで、またしてもお姉さまですかい。

 頬を上気させた郁ちゃんはあたしの手を取ってぶんぶん上下に振る。

「全然、おっしゃってくださらないんだもの。要お姉さま、月島グループの前会長のお孫さんでいらっしゃるんでしょ?」

 ああ、たしか死んだじいちゃんの会社がそんな名前だったような……。

 視界の隅で、なぜか、塔子がすうっと青ざめた。

「お姉さま、ご存じだったんでしょう? 月島の幸次郎小父様の奥さまの妹さんの旦那様が、私の母の従兄弟なのを。私、さっき電話で父に聞かされてびっくりしましたのよ」

「まあ、現会長の? それじゃ、岩峰さんと月島さんってご縁続きでいらっしゃるの?」

 いやいや。それって親戚って呼ぶにはあんまりにも遠くないか? が、郁ちゃんは得意満面の笑みで、胸を張ってみせた。

「そうです。要お姉さまは、本当に私のお姉さまなんです」

「すごーい! うらやましいわ」

「同じ寮にお姉さまがいるなんて、心強いでしょうね」

「月島さん、私もお姉さまってお呼びしてもよろしいでしょうか?」

 ピーチクパーチク。うわ、またおしゃべりの散弾銃が始まった。

 塔子、ヘルプミー!

「あれ……」

 周りを見渡し、塔子の姿が消えているのに気づいた。

「要お姉さま、よろしかったらこれから私たちの部屋にいらっしゃいません? 色々お話したいです」

「うん……。いや、ちょっと、ごめん。また今度ね」

 うきうき飛び跳ねそうな勢いの郁ちゃんを押しのけた。

 塔子の妙に青ざめていた頬の色が脳裏をちらついた。




「ちょっと、急にいなくなったからびっくりしたよ。気分でも悪くなっ――うわっ! 暗! 塔子、電気くらいつけなよ!」

 真っ暗な部屋で、塔子はベッドに腰かけていた。声を張り上げたあたしを見ようともしない。黒い瞳に、橙の常夜灯の光がちらちらと炎のように映り込んでいる。

 壁に手を伸ばして電灯のスイッチを入れた。

「要……、あんた岩峰郁と親戚なんだって?」

「ああ、うん。みたいだね」

 塔子の向かいにぺたんと座る。うつむいたままの塔子は顔を上げようともしない。

「月島グループ……。旧財閥の流れを汲む、日本でも有数の資産家の孫娘、ね。すっかりだまされてたわ」

「はあ? だまされたって、なにが? 誰に?」

「あんたによ! 決まってるでしょ!」

 足の裏をぼりぼりかいていたあたしは、びっくりして顔を上げた。だます、なんてずいぶん剣呑(けんのん)な言葉だ。

「あんた〈宮様〉側じゃない。それもかなりのハイクラスの」

「あー、うん。まあ、表面上はそうかもしんないけど実際は――」

「ふざけないでよ!」

 塔子は勢いよく顔を上げた。髪が滝のように白い顔を覆っている。黒髪の間から覗く切れ長の目に、薄い涙の膜が張っていた。

「あんた、お金持ちじゃない! なにが庶民よ! カフェテリアのランチ? あんたなら好きなだけ食べられるじゃない!」

「いや、ちが――」

 まくしたてる塔子は口をはさむ隙を与えない。

「……してたんでしょ?」

「え?」

「馬鹿にしてたんでしょ、あたしのこと。そうやってへらへら笑ってる顔の奥で、貧乏人が嫉妬してやがるって笑ってたんでしょ。あたしをだまして、おもしろかった? 滑稽(こっけい)だったわよね?」

「待ってよ塔子。あたしは――」

「気安く呼ばないで」

 硬い声。

「もう、必要な時以外あたしに話しかけないで。ただのルームメイトなんだから、特別仲良くする必要なんてないでしょ」

 吐き捨てるように言って、塔子は自分のベッドにもぐりこんでしまった。

 それからはもうどんな言葉をかけても、塔子は返事をくれなかった。




 翌朝は、寝坊した。

 塔子が起こしてくれなかったからだ。慌てて食堂に向かうと、朝食はもう始まっていた。塔子の隣の自分の席に腰を下ろす。ちらりと盗み見た横顔は、相変わらず整っていた。氷でできたお面みたいに。

 朝食はいつも通りの味だった。あたしはディスポーザーになった気持ちで、ただただ栄養を押し込む。あたしが食べ終わる前に、塔子はさっさと席を立ってしまった。朝食は、ほとんど残していた。

 それからの三日間はなんて言うか――良く言っても最悪だった。

 誤解を解こうとするあたし。無視する塔子。

 謝るあたし。無視する塔子。

 いい加減にしろと怒るあたし。無視する――

 不毛ないたちごっこ。

 ええ。そりゃあたしだって最初のうちは落ち込んださ。

 塔子は嫌味っぽいし、自分の頭の良さを鼻にかけてる高飛車さんだ。怒りん坊だし、口癖は「ばーか」だし。はっきり言えばやな奴だ。でも彼女はどこまでも真っ直ぐで、正しい。正しくあろうとしている。全ての欠点を帳消しにしてしまえるくらい、高潔だ。

 第一、友達なのだ。

 そんな彼女を怒らせ、悲しませてしまった。

 悪いことをした、最初に正直に話しておけばよかったんだ、ってすごく後悔した。

 だけどさー……。

 だんだん、腹が立ってきたんだよね。

 こいつ、いつまでもぶちぶちぐずぐす、タチの悪い亡霊みたいに根に持ちやがって。女性に使う言葉じゃないし、良くない言い回しってのもわかってる。だが、あえて言おう。

「ケツの穴の小せえ野郎だな!」だ。

 さて、そんなあたしの怒りは、宅急便の段ボールを受け取った時にはピークに達していた。有能なる弁護士さんは、あたしが依頼した物を一つも間違えずに入れてくれてる。送ってくれって頼んだ時、受話器の向こうで困惑した気配をばりばり発してたけど、さすがエリート仕事が早い。金バッチは伊達(だて)じゃないね。

 目を閉じて段ボールに頬ずりしながら、あたしの頭に天啓(てんけい)がひらめいた。

 (まぶた)の裏によぎったのは、塔子の横顔、彼女の夕食の皿、無慈悲につつきまわされただけの日々の(かて)

 ようし、塔子よ。我が友よ。

 あたしを怒らせたことを死ぬほど後悔するがいい――。

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