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ブロッサム・プリズン ~全寮制女子校物語~  作者: 新田まるぼ
―五月― 牢獄よ、こんにちは
6/42

<6>

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◆◇◆

「月島さん、部活動は何かやってらしたの?」

「T県にお住まいだったんですってね。あそこには私の叔父が住んでいるの」

「詩に興味はおありかしら。よかったら同好会に遊びにいらして」

 昼休みを告げる鐘が鳴ったとたん、破竹の勢いであたしの席の周りに集まってきた子雀ちゃんたち。答えも待たずに矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。悪気はないのは重々承知だけど、こうもピーチクパーチクやられては目が回りそうだ。

 転校して一週間目の今日、転校生に寄せるお嬢さまがたの好奇心はついに爆発したらしい。

 きっかけは簡単。今日はいつもあたしと一緒の――つか、あたしのお守りの塔子がいないのだ。委員会だかなんだかに出なくてはならないらしい。昼休みまでごくろうなことだ。

 一週間、それとなーく観察して分かったことだけど、我がルームメイトとクラスメイトの間には目に見えない溝がある、っぽい。嫌われてるとか避けられてるかとじゃない。〈恐れ(かしこ)み敬して遠ざける〉というのが一番近い。

 中学二年生の女の子同士なのに、お互い敬語でしゃべってる。

 呼び方もよそよそしく苗字に〈さん〉づけ。

 最初はお嬢さん学校だからかなーなんてのん気に思ってたけど、すぐに間違いだってわかった。

 なんて言うかなー、みんな、塔子に対する時だけ妙に緊張してるんだよね。まるで、公明正大だけどむちゃくちゃ厳格な尼僧院長を前にした見習いシスターみたいな感じ。

 いや、違うな。

 壁を作ってるのはクラスメイトのみんなじゃなくてむしろ――

「月島さん、お昼はどうなさるの?」

 小雀ちゃんその一の問いかけに、あたしははっと我に返った。

「へっ? お昼? ああ、お昼ね」

「ええ、いつも冴木さんとご一緒にどこかでお弁当を召し上がってらっしゃるでしょ? 今日もお弁当?」

「うん。今日もちゃんと用意して――」

 そこまで言ってから、あたしはようやく気づいた。

 ……まずい。非常にまずい。

 ここでちょっと、我が校の変わった昼食システムについて説明しておく必要があるだろう。

 お昼にお弁当がいる場合は、前日の夜九時までに、寮で申請の紙を出しておかなくてはならない。申請しておけば、次の日の朝、食堂にお弁当が用意される仕組みになっている。

 しかし、その申請を忘れると――

「あああああぁあぁ……」

 絶望に打ちひしがれる羽目になる。今のあたしみたいに。

 正直、お弁当の味は寮の餌と五十歩百歩だが、食べないよりは全然ましだ。

 成長期全開のこの時期に、昼食抜きは死ぬほどキツイ。

 果たして、放課後まで餓死せず生き延びれるかどうか――。

 いっそコイツでも食ってやろうか、と意味もなく机を(にら)みつけるあたしの脇で、子雀ちゃんその二がぽんと手を打った。

「まあ、それじゃ今日はカフェテリアにご一緒しましょうよ。月島さんの歓迎会をかねて」

 それがいいわ、そうしましょ、と華やかな声が広がる。

 案内されたカフェテリアは、中等科の校舎の近くだった。学校内にあるとは思えない、おしゃれな外観。広いオープンテラスのパラソルの下では、すでに何組かの生徒たちが食べ始めていた。彼女達のお皿に乗った料理は量こそ小鳥レベルだけど、色合いや匂いは寮の食事より格段に上だ。

「こう言ってはなんですけど、寮のお食事はおいしくありませんから。カフェテリアはすごく込み合いますの」

 やっぱり、お嬢さまたちもそう思ってたのか。

「これってタダ――じゃないよね?」

 冗談に受け取ったのか、子雀ちゃんたちはころころと笑った。

「ええ、残念ながら」

「あのー。ちなみにだけど、おいくらくらい……?」

 返ってきたのは「さあ?」というなんとも頼りにならない答え。

 当然か。深窓のご令嬢は日々の糧のお値段など気にされないんだろう。

 しかたなくギャルソン姿の店員さんにたずねるととんでもない金額を提示された。

 具体的には、焼き肉食べ放題とほぼ同額。

「あ、あのー。せっかく誘ってもらって悪いんだけど、あたし、やっぱやめとくわ」

「え? どうして?」

「いや、だってさあ……」

 困って頭をかくあたしを取り巻いたうちの一人、子雀ちゃんその三が、はっとしたように両手を口に当てた。

「あっ……。そうか、そうね。月島さん、〈桐〉だものね」

 子雀ちゃんその三の言葉に、残りの子たちもわずかに目を見開いた。

 そして目と目を見合わせたかと思うと、あたしの真ん前で円陣を組んで、なにやらぼそぼそ内緒話を始めた。

 おいおい、なんだ、この状況。

「月島さん」

 ややあって、こちらを振り向いた子雀ちゃんたち。

 全員の顔に、慈母のような笑みが浮かんでいる。

「月島さんの昼食代は私たちがお支払いします」

「へっ?」

「月島さんはなにもお気になさらなくていいの。当然のことですから」

「はっ?」

「なにもおっしゃらないで。私たち、お役に立ちたいだけなの」

「んっ?」

 最後には、ぎゅっと両手を握りしめられてしまった。

 子雀ちゃんたちのうるうるした目はマザー・テレサっつーかナイチンゲールっつーか……。とにかく、慈悲と寛容と献身とが溢れかえって渦巻いて炸裂していた。

 あたしがちょっとしたクリスチャンのおじいさんなら「おありがとーごぜーますだマリアさまー」って床に頭をこすりつけてたかもしれないくらいのその微笑み。

 だが、あたしはクリスチャンでもおじいさんでもないので。

 さすがにちょっと引いてしまった。

 なので、

「ごめん、やっぱやめとく! また今度ね!」

 ダッシュで逃げ出した。

 せっかく誘ってくれたのに申しわけない。

 お申し出にも感謝をしよう。

 だけど、あたしの中の本能がわめき散らすのだ。

「あのボリュームであの値段はありえねー!」って。

 呆然とするお嬢さまがたを取り残し、やみくもに走ってたどり着いたのは校舎裏手の温室だった。三つ並んだ大きな温室の左端に、あたしの目は釘づけになった。透明なガラスの中で瑞々しい葉を茂らせているのは、レタスとキャベツ。それにラディッシュの葉。誘惑するように濃い緑を覗かせている。ごくり、と喉が鳴った。

「レタスやキャベツなら、生でも行けるよね……」

「馬鹿なこと考えてんじゃないの」

 ぎゃっと叫んで飛び上がってしまった。そんなあたしをニヤニヤ笑って眺めているのは親愛なるルームメイト。

「まさか、転校早々、盗みを働くとは思ってなかったわ」

「まだ盗んでませーん。未遂ですぅー」

 口をとがらせるあたしに、塔子はランチバッグを差し出した。

「はい、お弁当。あんた、昨日お風呂あがってすぐ寝ちゃって、申請忘れてたでしょ。だから、この塔子さまがあんたの分も頼んどいてあげたわよ」

「……塔子さま! あなたさまが天使に見えます!」

 メイドイン寮のお弁当は、やっぱりひっどい味だった。パンはボソボソ、オムレツはぐにゅぐにゅ、ポテトサラダに至っては口では言い表せない風味をかもしだしていた。

 けど、昼食抜きよりはずっとまし。

「たかが昼飯になんなのあの値段! 誰が払うかっつーの!」

「口に物を含んだまましゃべらないの。行儀悪いわね」

 温室のそばのベンチに並んで腰かけて、あたしは塔子に怒りをぶちまけた。

「この食料事情は大問題だよ。タダでまずいご飯か、高くてちょっぴりのランチだよ。庶民が求めてるのは安くておいしいメシだっつの。他の人はどうやって飢えをしのいでんの?」

「あたしは母に頼んで、参観日や保護者会の時に、おかしなんかを持ち込んでもらうようにしてる。実家から宅急便で送ってもらってる子もいるけど、送料だって馬鹿にならないしね」

「保護者の持ち込みか。あたしには使えないなあ」

「え? なんで?」

 あ、そっか。塔子には言ってなかったっけ。出会って一週間だけど、もう親友みたいな気持ちでいたから、全部話したようなつもりになってた。

「うち、父ちゃんも母ちゃんもいないのよ。一応、コウケンニン?みたいな人はいるんだけど」

 だけど、あの弁護士さんはまさか参観日には来てくれないだろうし。

 塔子は心もち青ざめて、指先で自分の唇を抑えた。

「ごめんなさい。あたし、知らなくて……」

「気にしない気にしない。第一、父ちゃんの顔はほとんど覚えてないんだ。あたしが生まれてすぐ死んじゃったし」

「……うちもそうなの」

 半分、空になったランチボックスを見つめて、塔子がぽつりと言った。

「うちの父もね、あたしが小さい時に亡くなったの。母子家庭ってやつ。しかも、あたしの下に弟が三人もいてね。だから猛勉強して、この学校に特待生で合格した時は嬉しかったなあ。あたし一人分は、母に楽をさせてあげられるから。その……経済的にも」

「ふうん。偉いじゃん、塔子」

 サンドイッチの最後の欠片を口に放り込む。奥歯の方で、がりっと嫌な音がした。うへえ、絶対、卵のカラだよ、これ。

 涙目になっていると、塔子が意外なほど真剣な顔でこちらを見つめてきた。

「なに、どしたの?」

「……ほんとにそう思う?」

「なにが?」

「だから、あたしが偉いって」

「う、うん。思うけど……」

 何の気なしに口にした言葉だったから、塔子の様子にちょっとどぎまぎしてしまう。

 ふっと、塔子は苦い笑みを浮かべて視線を逸らした。

「偉くなんてない。むしろやな奴よ、あたし」

「は? それは知ってるけど? ――いって!」

 すぱーん、と頭を張られてしまった。

 ほら、こういうとこがやな奴だっつーの。

 塔子の怒りっぽさ、おカタさ、説教臭さ、高飛車さはこの一週間で思い知らされた。

 お風呂上りに暑くってパンツいっちょうで寝っ転がっていた時の、彼女のお説教たるやアンタ、そらもうすごかった。

 まあ、たいていの場合彼女が正しいから逆らえないんだけども。

「バカ! ちゃかすんじゃないの! ……あたしが言いたいのは、あたしがルサンチマンを貯め込んでるタイプの嫉妬深い人間だってこと」

 るさんちまん?

 なんだそりゃ、新しいお菓子かなんか?

 疑問符を浮かべるあたしに構わず、軽くため息をついてから塔子は続けた。

「入学したての頃ね、あたしも、クラスメイトにカフェテリアに誘われたの。あんたが今日誘われたのと一緒の」

「あー、まいっちゃうよね。あたしがやめようとしたら、みんな、おごってくれるって言うんだもん」

「あんたもやられたの!」

 びっくりするような速度で、今まで横顔を見せていた塔子がこちらを振り向いた。

「う、うん……?」

 〈やられた〉ってどういうこと?

「で、どうしたの?」

 塔子が睨みつけるに近い強さであたしを見つめる。

 なんだか、今日の塔子チャン、少し変。

「どうしたって、そりゃ断ったよ。あんな値段、さすがにおごってもらうのは悪いし」

「そ、それだけ……?」

「そうだけど?」

 ファーストフードの百円バーガーなら喜んでおごってもらうけどさあー。

 塔子は脱力したみたいにふっと微笑んだ。

「……あたしは断れなかった」

 ふうん。その選択肢もアリだと思うよ。あたしだって、心が揺らがなかったと言えば嘘になるし。

 だが、塔子は意外な言葉を続けた。

「お金を出してもらって食べてる間中ね、みじめで仕方なかった。みんな、ずうっとニコニコ笑ってるの。すごく優しく。まるで、貧しい哀れな子にほどこしてやってる、みたいな表情で。あんなに悔しかったことってない」

「ちょっと、塔子――」

 言葉を挟もうとしたあたしの唇の前に、白い手がかざされた。

「ストップ。クラスの子たちに悪気がないことくらいわかってる。でも、あたしが惨めで悔しかったのも事実なの」

 わかるでしょ、と念を押すみたいに言ってから、塔子は手を降ろした。

「それだけじゃないの。例えば、購買で売ってる参考書や専門書。あたしは欲しくて欲しくて、散々迷うわけよ。でも〈宮様〉たちはなぁんにも考えずに、すっと手に取っちゃうのよね。あげくに〈この本は役に立たないわ。全然成績が上がらないもの〉ってゴミ箱に放るの。たまんないわよ」

 あたしならなんも考えずに「いらないならちょーだい」って言っちゃうけど。

 きっと、塔子にはできなかったんだろう。

 清潔でプライドの高い彼女には。

「ねえ、要。あたしが前にした〈主義〉の話、覚えてる?」

「うん。あんたのお嬢さま言葉の話でしょ?」

「あれはね、あたしのささやかな戦いなの」

 すごく大事な、塔子にとっては打ち明けるのに勇気のいる話をしている。そんな気がして、あたしは黙って塔子のきれいな横顔を見ていた。

「こんな、なんにも努力も苦労もしてない人たちに絶対負けるもんかって思った。全ての面で圧倒的に勝ってやる、って思った。あたしは頭がいいし努力家だ。その上で、あの人たちの目指す完璧な淑女になってやれば、もう完っ全にこっちの勝ちじゃないかって。そう思ったの」

 そこで塔子はふっと肩の力を抜いて、あたしに向かって微笑んでみせた。

「ね。ヒガミっぽくてやな人間よね。あんたもこんなルームメイト、いやになったんじゃない?」

 笑っているのに、泣いてるみたいな顔だった。

 そして、正面を向くと、聞き取れないような――聞こえてしまうのを恐れるような小さな小さな声で、

「――別に、嫌いになってもいいわよ」

 と、独り言のように呟いた。

 ふいに、隣に座っているのが十四歳の塔子ではないような気が、した。

 もっと幼い、華奢な足をベンチからぶら下げている女の子。

 一年と少しの間、一人きりで、真っ直ぐに前を見据えて、細い背を伸ばし続けてきた子。

「うーん」

 胸の前で腕を組んで、空をあおいだ。雲一つない五月晴れの空には、とんびが円を描いている。まるで、この学園に閉じ込められたあたしたちを嘲笑(あざわら)うみたいに。

「……なにをバネにがんばるか、は人の自由だと思うよ。別にヒガミでもなんでもいいんじゃない? 塔子、まじめすぎるんだよ。でも、あたしは、あんたのそういう所、好きだよ。すっごい真っ当に正面からぶつかろうとしてる奴、嫌いじゃない」

 塔子の細い肩が震えた。彼女がうつむく気配を感じた。

 あたしはつとめて空ばかりを見上げ続けた。たぶんだけど、塔子は今、顔を見られたくないような気がしたから。

「要、その言い方って……なんだか、あたしがばか正直だけが取りえの不器用な奴みたいに聞こえるんだけど」

 冗談めかす口調だったので、鼻声なのには気づかないふりをした。

「あれ? そう言ってるんだけど?」

「……ばーか」

 お決まりの台詞とともに、塔子の小さなこぶしが、ぽすん、とあたしの二の腕をぶった。

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