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ブロッサム・プリズン ~全寮制女子校物語~  作者: 新田まるぼ
―五月― 牢獄よ、こんにちは
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<4>

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◆◇◆

 塔子の台詞どおり、あたしは相当、食い意地が張っていると自分でも思う。

 おいしい食事こそが人を幸せにすると信じている。これは、忙しい母ちゃんの力になりたくて、幼稚園の頃から炊事を引き受けていたせいかもしれない。うまいうまいと笑顔で食べる母ちゃんを見るのが大好きだった。手に職を持てば食いっぱぐれる心配もないだろうし、将来は調理師さんになりたいとさえ思っている。

 ご飯っていうのは、感謝とともに頂く物だ。料理してくれた人に、農家の人に、漁師さんに、牛や豚や鶏に敬意をはらうべきだ。

 だから、普段のあたしなら何があってもこんな台詞を吐かない。

「――なにこれ。残飯?」

 呟きは、広い食堂に思いのほか大きく響き渡った。食堂の長いテーブルに並んだ寮生たちが一斉にこちらを見る。

 隣に座った塔子が、テーブルの下で思いっきり足を()みつけてくれた。

「イッ――っ!」

「あらあら。月島さん、どうかなさった?」

「な……なんでもありません、冴木サン」

 こちらを見つめる切れ長の目が、「黙って食え」と語っている。

 あたしの正面に置かれたお皿の上に盛られているのは、白くてぶよぶよしたカタマリと、それが緑色になっただけの別のカタマリ。干からびたこげ茶色のピカタが申し訳程度に添えられている。

 このカタマリは――たぶんだけど、マッシュポテトだろう。緑色なのは、ほうれん草を練り込んであるからだ。なんだか嫌な色の汁がしみだしていて、ピカタをべちゃべちゃ濡らしているが、おそらく、きっと、八割がた、マッシュポテトに違いない。

 ま、まあ、アレだ。食べもせず見た目だけで文句を言うのは公平じゃないよね。

 スプーンを手に取り、一口食べてみる。

「うっ」

 周りを見渡してみる。誰もが、なんてことのない顔で食事をしている。吐き出してる奴なんて一人もいない。

 あれ?

 ひょっとしてあたしのお皿のだけ変なのか? ああ、それじゃコックさんに知らせないとね。あたしのお皿のマッシュポテト、腐ってますよって――。

「ちなみに」

 立ち上がりかけた所で、塔子が釘を刺した。

「本校は清貧、博愛、貞潔をむねとします。清貧の中には粗食も含まれているのは当然ご存知ですよね、月島さん」

「……ハイ、冴木サン」

 初めて出来た友達に恐ろしい目でにらまれては、黙るしかないじゃないか。

 うう、それにしてもなんつー味だ。一口ごとに、舌の上に絶望が広がる。マッシュポテト本来のクリーミーさや優しい食感は皆無。牛乳を拭いたぞうきんを食ったらこんな味がするに違いない。ジャガイモと牛と農家の人に謝ってほしい。

 ふと目を上げると、長テーブルを挟んで向かいに座った子がスプーンも持たずにじっと自分の皿を見下ろしていた。まだ幼さの残る丸い頬。きっと、この春入学したばかりの一年生だろう。ラファエロの天使みたいな巻き毛をショートカットにした、なかなかかわいい子だ。大きな目には悲しみと困惑が広がっている。

 顔を上げたその子と目があった。

 きみの気持ちは痛いくらいわかるよ。みなまで言うな。

 ほんの一か月前までご家庭でおいしい料理を楽しんでた身に、この暴挙はキッツイよな。

 ――と、いう思いを込めてうなずいておいた。




「あああああっ! もう我慢できん!」

 堪忍袋の緒が切れたのは、十時を少し回った時だ。

「何度目よ。その台詞。言っとくけどあの食事はこれから卒業するまで続くんですからね。慣れないとだめよ」

 勉強机に向かっている塔子はこちらを見もせず言った。

「慣れるか、あんなまずいもん!」

「その割には完食してたみたいだったけど」

「そりゃするよ。ご飯は粗末にできないからね。だけど、あれっぽっちで腹が膨れるわけないじゃん」

「栄養もカロリーもちゃんと計算されてるわ。死にゃしないわよ、食いしん坊」

 塔子の嫌味も、今のあたしの耳には入らない。

「そもそも、満腹度イコール満足度じゃないんだからね! おいしくないご飯なんてただのエサ! あたしは〈ご飯〉が食べたいんだよ。餌じゃなくて! ……と、いうわけで行ってきます」

「え? 行くってどこに――」

 塔子がノートから顔を引っぺがす頃には、あたしは既にビニール袋片手に玄関の鍵を開けようとしていた。

「ふっふっふ。こんなこともあろうかと準備はしておいたのだよ。食堂の電気ポットの位置は確認済みだ、明智くん」

 ビニール袋をがさがさ振って見せる。中には〈特盛ゲキ旨ラーメン とんこつ味〉。

「やめなさいよ。九時以降、自分の部屋から出るのは規則違反よ。誰かに見つかったら――」

「幸運を祈っててくれたまえ!」

 ドアを閉める瞬間、「初日から、やらかさないでよね……」という呆れかえった声が聞こえた。




 真っ暗な食堂は静まり返っている。電気ポットのオレンジの光を確認し、あたしはほくそ笑んだ。これでやっとまともな食事にありつける。

 即席ラーメンがまともかって?

 あったり前だ。あの残飯に比べれば!

 音をたてないように注意しながらかやくと粉末スープの袋を破り、(めん)の上にぶちまける。お湯を注ぐとあたりに幸せなとんこつの匂いが(ただよ)った。笑み崩れながら割り箸で(ふた)をする。あとは来た道を戻るだけ。

 ところが、このちょっとした冒険は無事には終わらなかった。

 二階から三階へ階段を上がろうとした時だ。

 どこからか、かすか猫の鳴き声が聞こえた。階段のすぐわきの、洗濯室からだ。しばらく耳を澄ましてから気づいた。

 違う。これ、猫の声じゃない。

 人の――女の子の泣き声だ。

 おいおいおいおいおいおいおい!

 女のすすり泣きなんて、怪談としちゃベタすぎる!

 なんて思ったのは一瞬だけ。ひょっとしたら、誰か急に体調を崩して苦しんでいるのかもしれない、という常識的な可能性に思い至ったからだ。

 あたしは手に持ったラーメンと洗濯室のドアを交互に見てから、意を決して歩を進めた。

 しょうがない。病人がいるかもしれないのだ。確認すらしないのは人として許されないだろう。万が一規則やぶりを見つかっても、まさかラーメンごときで退学にはならない――と、思う。

 恐る恐るドアを開けた。洗濯機の前にしゃがみこんで、薄暗い蛍光灯の灯りに照らされていたのは――

「あれ、ラファエロちゃんじゃん」

 夕食の時涙目になっていた、天使の巻き毛の女の子だ。真っ赤になった大きな目で、びっくりしたようにこちらを見上げている。

「なに、どしたの? 具合でも悪い?」

「も、申しわけありません!」

 ラファエロちゃんはじかれるように立ち上がった。

 あたしに規則違反をとがめられると思ったのだろう。怒られるのを待つように、ぎゅっと目を閉じた。目尻から新しい涙が一つ、ころりと落ちた。

「え? 何が? あたし、転校したてだからナニモワカリマセンヨー」

 空っとぼけておいた。夜に一人ぼっちで泣いている女の子をいじめる趣味はない。

「それより、なんで泣いてんの? 具合が悪いなら寮母さんに言った方がいいよ」

「あの、いいえ、だ、大丈夫です。ありがとうございます」

「いやいや。大丈夫じゃないでしょ。大丈夫だったらフツー泣かないよ。同室の子とケンカでもした?」

「違うんです。その――本当に、なんでもありません」

 ううん、と首をひねっていると、ラファエロちゃんが(にぎ)りしめている物が目に入った。ソファに腰かけた上品そうなご婦人が映った写真。足元にはゴールデンレトリバー。ご婦人の膝には、目の前の少女が甘えるように抱きついていた。

「それ、お母さん?」

 たずねると、ラファエロちゃんは慌てて写真を体の後ろに隠してしまった。

 ふうん、なるほど。わかりやすいホームシックだ。

 そりゃそうだよなあ。ついこないだまで小学生だったんだもんなあ。家族と引き離されて、こんな牢屋みたいな場所に閉じ込められたんじゃ、ストレスもたまるわなあ。ご飯もまずいし。

 あたしがご飯のことを考えたから――というわけでもないだろうけど、ぐううううぅ、と腹が鳴った。

 あたしのじゃない。

 音の源は、ラファエロちゃんだ。

 彼女の顔がリトマス試験紙みたいに、ぎゅうううん、と真っ赤になる。

 そういえば、この子、夕食の餌――もとい、粗食にほとんど手をつけてなかったっけ。

 これはいけない。

 まずいご飯が万引きだとするなら、空腹は殺人に匹敵(ひってき)する。それくらい罪深い。

 お腹がへってると、ろくなことにならない。嫌なことばかり考えてしまって、気分は落ち込む一方だ。逆に幸せな食事で腹一杯だと、少々の悩みなら「ま、いっか」で済ませられる。

「OK、わかった」

 あたしは強くうなずいた。

「とんこつ味好き? ラファエロちゃん」



 ラファエロちゃんのお名前は、鷲峰(わしみね)(いく)というそうだ。

 驚くべきことに、郁ちゃんは即席ラーメンをご存じなかった。ためしに、

「あのさー、百円ショップって知ってる?」

 と聞くと首を横に振られてしまった。

 深窓の令嬢って半端じゃない。なんつーか、世界が違うね。

 一膳の割り箸を二膳にする技――ようするに真ん中からぶち折るだけなんだけど――にも、えらく感心された。

 それでもはふはふ食べてたから、98円の即席ラーメンはご令嬢のお口にも合ったのだろう。一つのラーメンを代わる代わる食べ、汁まで仲良く半分こした後、郁ちゃんはあたしに深々と頭を下げた。

「本当にお世話になりました。こんなにおいしい物を頂いたのは生まれて初めてです。このご親切は一生忘れません」

 一生とはずいぶん大げさだ。それに、生まれて初めて、はやめてやれ。あんたんちの専属コックが泣くから。多分。

「まぁまぁ、気にしないで。あ、でもお礼代わりって言ったらアレだけど、一つだけいいかな?」

 郁ちゃんは真剣そのものの表情でうなずいた。

「なんでもおっしゃってください」

「それじゃあさー。ご飯を残さないって約束してくれない?」

 えっ、と郁ちゃんは気の抜けたような顔をした。構わず続ける。

「確かにここの食事はひどい。信じらんないくらいまずい。でも、あたしのルームメイトの話じゃ栄養なんかはちゃんとしてるんだって。だから、絶対食べた方がいいよ。小っちゃい子が腹ペコでぶっ倒れるなんて、見てらんないからね」




 郁ちゃんとの思いがけない食事会のせいで、部屋に帰るのがずいぶん遅くなってしまった。塔子はとうに眠ったようで、二段ベッドの上段のふくらみは、規則正しく上下している。

 あたしも自分の寝床にもぐり目を閉じた。

 今日はなかなかいいことをした。可哀そうな女の子の胃袋を救ったのだ。

 満足感に浸りつつ、眠りに入った。そのまま朝までぐっすり――

 と、なるはずだったんだけど。

 いきなり、叩き起こされた。寝ぼけまなこを開けると、鬼のような形相(ぎょうそう)の塔子があたしを見下ろしていた。

「うるさああいっ!」

「え? ご、ごめん。あたし、いびきでもかいてた?」

「違うわよっ! は・ら・の・お・と! ぐうぐうぐうぐう、やかましいのよ! 寝らんないじゃない!」

 くそう。やっぱりラーメン半分じゃ足りなかった。

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