<10>
◆◇◆
――娘よ、私と一曲、踊ってはくれぬか。
――(驚いて)できませんわ、そんなこと。
――……左様であろうな。獣と踊りたい者など、いるはずもない。
――でも、足を踏んでも許してくださるなら喜んで。
――(野獣、微笑んで娘の手を取り、二人で優雅に踊る)
――(野獣の独白)なんと美しい娘! 白百合の花弁のように優なる姿、水晶の笛の音のようなその声。
――(娘の独白)なんてお優しい方! ああ、けれど、金に光る二つのまなこは、どうしてあんなに悲しげなのかしら。
――(野獣の独白)醜い獣が、この美しい娘に愛されたいなど――
――(娘の独白)この方の哀しみを取り除いて差し上げたいなんて――
――(揃って)傲慢な願いは、天がお許しにならないだろう。
風に煽られて、オーディション用の短い台本のページがばらばらとめくれた。
Tシャツの袖から入り込んだ風は、既に秋の気配を色濃く漂わせ、じっとりと汗ばんでいた体を爽やかに撫でる。
見上げた時計の針は、1時15分前。
もう開幕直前だ。
オーディション会場となった若菜寮の中庭、委員会が手配したパイプ椅子はとてもじゃないけど足りなかった。舞台となる前方の広いスペースを除いて、中庭は、人、人、人、人、人の寿司詰め。若菜寮生はもちろん、他寮の生徒の姿も少なくない。
前から二番目の列の右端に腰かけたあたしの隣は一見、空いてるように見えるけど、ちゃんと人が座っている。白眼をむいてあたしの膝に頭を乗っけてるだけだ。
「こんなことして、なんになるんだよぅ……。どうせ脚本なんかあがらないのに……」
はいはい紺ちゃん、ちょっと黙ろうね。
開いた台本を紺ちゃんの顔にぼすっとかぶせて、周りを見回す。
舞台スペースの両端には、簡易の舞台袖のつもりだろう、カーテンが張り巡らされている。立候補者達はその奥で、今か今かとオーディションの開始を待っているはずだ。
そしてやはりと言うべきか、もういい加減にしろよと言うべきか、この会場でも左派と右派、〈桐〉と〈宮様〉はバカみたいに綺麗に別れていた。
珍しく〈桐〉の子と〈宮様〉の子がしゃべってるなって思ってたら、
「そっちの五十嵐さん、結局、セリフ全部覚えられなかったんですって? 客席からカンペ出すなんて大変ねぇ」
「お気づかいありがとう。でも、篠田さんの方が心配よ。あの方がヒロインに立候補するなんて意外すぎて、笑っちゃった。ダンスシーンを〈優雅に〉こなせればいいんだけど」
こんな内容なんだもん。
あー、うっとおしい。
このトゲトゲしたやり取りに比べりゃ、あたしの前に座ってた一年生達のおしゃべりは可愛いもんだった。
「暑いねー」
「ねー。お天気良すぎだよ。お日様ぎらぎらなんだもん」
「なんで会場、中庭なんだろうね。日に焼けちゃう」
「だよねー。食堂でもいいのにねー」
いちいち同意だけどね、お嬢さんがた。
中庭じゃないと、ちょっと困っちゃうんだよ。
そう、このオープンスペースじゃないと、ね。
ふいに膝の上の台本に、丸い影が落ちる。
「野外劇なんて、洒落てるね」
視界の隅に、つやのある焦げ茶のブーツのつま先。赤と黒のラインが入ったベージュのパンツとサスペンダーは、すっかり秋の色合いだ。キャメル色のシャツの肩には、カメラケースのストラップ。
「来てくれたんだ」
「当たり前でしょ。誌面はもう空けてあるからね」
黒岩 瑠衣は、コケティッシュに片目をつぶってみせた。
隣でぎょっとしたような気配がする。
「報道部の……」「ヘルイヤー」なんて囁きが聞こえてないはずないのに、ルイは涼しい顔。
「オーディション出場者は、五十嵐・篠田の二人だけ?」
「実質ね。他に四人が野獣役候補で出るけど、この人たちは――」
「五十嵐と篠田の息がかかってる、と」
よく分かったね、ってちょっと感心したら、ふふんと鼻を鳴らされた。
「私があの人たちの立場なら、そうするもの。どうせなら相手役も自陣営で固めたいに決まってる」
ケースからカメラを取り出し、ルイは意外なほど慎重な手つきで撮影の準備を始めた。大砲みたいなゴツいレンズと細い指のアンバランスさがなんだかおかしい。
「オーディション、全会一致で開催が決まったんだって? 隣の寮まで拍手が聞こえたって話だけど、五十嵐も篠田も寮生達も、よく了承したよね」
念入りにレンズを調整しながらルイが続ける。
「五十嵐・宮様派はともかく、意外なのは篠田・桐派も投票によるオーディションを受け入れたことだよ。数じゃ圧倒的に宮様が上なんだから、分が悪いって思いそうなもんだけど」
「そりゃ、逆じゃないかな?」
「逆?」
ルイのレンズがあたしを捕らえる。おいおい、撮影するならお代を頂戴しちゃうぜ?
「うん。このあとに、問責決議案だかなんだかで、委員会の可否投票があるよね? これだって〈投票〉なんだから、篠田・桐派にとっては元々勝ち目の薄い勝負だった」
「それは分かるけど……」
「だから逆に、篠田・桐派はこのオーディションは是が非でも押さえときたいわけさ。勝てる見込みがあるから――見込みがあると思ってるからね」
五十嵐さんは去年の寮劇でさんざんな醜態をさらしてる。
彼女が同じ轍を、この〈公開〉オーディションで、寮生の前で踏まないってどうして言える?
篠田さんはそう考えるはずだ。
桐だ宮様だのシガラミがあるとはいえ、そんな醜態を目の当たりにしちゃ、さすがに寮生の心も揺らぐだろう。
――まあでも、正直、賭けだったんだよね。
「ただでさえ神無祭まで日がないのに、オーディションなんか開催している場合じゃない!」なーんて正論ぶつけられたら、どうしようもなかったもん。
でも、まあ、悪い賭けじゃなかったとは思う。
「それに、もう一つ理由があってね。前に紺ちゃんと話したとき、思いついたんだけど」
「紺ちゃんって、久居戸 紺? あの才人がなにか言ったの?」
うん、まあ、その才人は今、あたしの膝で死んでるわけで、ルイは紺ちゃんのあまりの面変わりっぷりに当の本人だって気づかずにいるわけだけど、それはいいや。
「〈桐〉・〈宮様〉陣営が塔子とエリカを引き込みたいのは、政治家が選挙で芸能人に応援を頼むようなもんなんだって」
だから考えたんだよね。
ほら、ニュースなんかでよく言うでしょ。『今回の地方選挙は次の国政選挙を占う上で重大な意味を持ち――』とかなんとか。
これに当てはめるならオーディションは地方選挙、製作委員会を決める投票は国政選挙。引いちゃいけない前哨戦だって、誰でも分かる。
そうルイに説明しようと口を開いた時、オープンスペース――舞台の中央に委員長が進み出た。
マイクを手にした委員長は、開催に協力した寮生に謝意を伝えたあと、
「それでは、これより今年度若菜寮劇主役オーディションを開催します!」
高らかに宣言した。
拍手に包まれて登場したトップバッターは〈野獣〉候補の一人。その後ろには、〈娘〉役の子が続いている。ちなみに、この相手役の子はオーディション自体に参加しているわけじゃなくて、あくまで演技する上での補佐役だ。
二人とも本番じゃないとは思えない凝った衣装を身につけ、なかなか様になっている。
が、台本が半ばまで進んだ時――
「『娘よ、私と一曲、踊っては』……ひゃっ!」
セリフが途中で途切れたのは、まぶしいフラッシュのせいだ。
〈野獣〉役の子は一瞬、素に戻ったように光源を探し、そして見つけた。
まぶたのない巨大な目が、自分をとらえるのを。
「……ひどいわね」
ファインダーから顔を上げたルイが容赦のない感想を漏らしたのは、まばらな拍手と共に一組目が舞台袖に引っ込んだあとだった。
あたしの隣の子達が、ヒソヒソ囁き交わす。
「途中から、ガチガチだったね」
「あれだけ写真とられてたんだもん。緊張するよ」
「でも、きっと本番はこんなもんじゃないよね」
まことにごもっとも。
二組目にそなえてカメラのレンズを調整していたルイが、手元から目を離さずに言った。
「そろそろネタばらししてくれてもいいんじゃない?」
「なにが?」
紺ちゃんの顔から台本を取り上げて、パラパラめくる。
「ルイが取材したいだろうなーって思ったから教えてあげただけじゃん。若菜で寮劇オーディションやるよって」
「それは普通に感謝するけど。私のためだけ――ってわけじゃないよね?」
まあ、ね。
どう答えたもんかと耳なんぞほじっていたら、客席の後方からざわめきがあがった。
座っていた大勢が何事かと振り向き、ルイはとっさに――記者の本能ってすげえ――そちらにカメラを向ける。
「うそ……」
ファインダーを覗き込んだままのルイの言葉にかぶさって、隣の子達が悲鳴を飲み込む。
「な、なんであの方達が……!」
今まで半信半疑だったけど、スターのオーラってのは現実に存在するもんなんだね。そこだけぱーっとスポットライトが当たったみたいになってた。
こっくり深い蘇芳と涼しげな白藍の日傘が2本。その下には片や艶やかに、片や静かに微笑む白い顔。
「紅蘭、白菊……!?」
予想外の、そして大物過ぎる観覧者に、中庭に大波のような動揺と興奮が満ちた。
さすがに自分から話しかける勇気のある子はいないみたいだ。みんな、遠巻きにしている。そらそうか。だって、紅子さんと菊乃さんの周りだけ、空間が違うもん。バラとか百合とか咲き乱れちゃってるもん。
が、そんな状況には慣れっこなんだろう、オネーサマたちはあくまで優雅に、どこまでも自然にたたずんでおいでだ。
ルイが、彼女にしては珍しいほどに声音をふるわせて言う。
「なんで高等科が、しかも紅蘭白菊が出てくるのよ……。たかが中等科の一イベントよ、これ」
「さあね。ヒマだったんじゃないの?」
でも、オネーサマがたの気まぐれは、二組目の演者にとっては気の毒なことだった。
だって、観客のほとんどが舞台に集中してなったんだ。チラチラと後ろを盗み見ては、ヒソヒソ囁き、なんだか顔まで赤くしている。ま、笑えないのは、舞台に立つ当の候補者も同じ状態だったってこと。
「うーん、この組もあんま良くなかったね。セリフ8つもすっ飛ばしたのに気づいた? ――ってルイ、いつまで後ろ撮ってんのさ」
「だって、こんな機会めったにないし」
興奮気味にカメラのSDカードを交換するルイ。どんだけ撮ったんだよ。
まあ、冷静で切れモノのこの敏腕記者にしてこんな有様なんだ。一般生徒の心情や、推して知るべし。
さて、三組目が登壇する直前だ。
華やかな上級生二人の登場による浮ついた熱に包まれていた会場の気温が、一気に、下がった。つき落とされた。そりゃもう、氷点下まで。
「――ずいぶん騒がしいわね」
「まあまあ。お祭りなんだもの。それに、今回は私たちは部外者なんだから」
ざ、ざ、ざ、と、細かな砂利を踏みしめる小さな小さな音も、凍り付いた会場にはよく響いた。
若菜寮生に骨まで叩き込まれた習性により、その場にいた全員の背筋が伸びる。ものすごい勢いで。
「あ、あの、寮長、それに副寮長も、なぜここに……」
突如襲撃――もとい、来場した結城さんと今野さんに話しかけた彼女は、勇者と呼んでいいだろう。だが、相手が悪すぎる。
「来てはいけなかったのかしら?」
跳ね上がる鬼切の眉。固まる勇者。二人の間に割って入るのはもちろん仏だ。
「気にしないでね、ただの見学だから」
「で、では、どうぞ前のお席へ。今、椅子をお持ちしま――」
「結構。ここの方がよく見えるわ」
「二年生がどんな寮劇を見せてくれるか、私たちも楽しみにしてるのよ」
鬼切の絶対零度の眼光よりも、仏の寮長の慈愛に満ちた笑みの方が、寮生に与えた影響は大きかった。さっきまでの浮ついた空気が瞬時に削ぎ落とされ、全員、食らいつくような勢いで舞台に注目する。
〈圧〉としか言いようのないプレッシャー。
背を向けている観客の子達にだって、じっとりイヤな汗をかかせるソレを、真正面から受けた三組目はたまったもんじゃなかっただろう。
土台、篠田・五十嵐に引っ張り出されたような子達だからね。まともに受けて立てって方が酷でしょう。
最後は涙声に――演技じゃなく――なりながら演技を終えた三組目は、背を小さく丸めて舞台を去った。




