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◆◇◆
「ああ。たまーにいるわね」
「ええ。本当にたまーにだけど」
第三音楽室でランチボックスを広げて、うなずき合うオネーサマお二人。
広い教室の中に、あたしとお二方以外の人影はない。つまり、昼休みとはいえ、たった三人でこの教室を占拠していることになる。そんな無茶をこともなげに実現させる校内権力者にして合唱部部長の御蘭生紅子さんは、今、あたしがこさえた茄子の味噌炒めをぱくついている。
園芸部長・白石菊乃さんとの後ろ暗い取引によって、折に触れ献上することになったお弁当。大体、週一くらいのペースで行われる貢物の儀式の中に紅子さんは女王の笑みを浮かべて乱入してきた。
「菊乃から聞いてるわよぅ。私もお仲間に入れてね、要ちゃん」
ばらされたくなかったら、と妖艶な瞳が語っていた。
「マジっすか、オネーサマ。下級生を脅しますか」
「ちなみに、うちの実家は製菓業」
「のった」
こうしてあたしの取引先は一つ増えたわけ。
にしても――。いつもながらこのお二方が並ぶとすっさまじい光景になる。バックに花が散ってないのが不思議なぐらいの異空間。
豪華に波打つ黒髪と艶麗なお顔立ち、女王の気風の紅子さん。
柔らかな薄茶のストレートヘアで、ふれなばおちん風情の菊乃さん。
まさに春の盛りに咲き誇る真紅の蘭と、晩秋の風に揺れる儚げな白菊。
タイプは違えど好一対の美形二人。
……なんか、アレだ。塩おにぎりと茄子味噌炒めなんて食べさせてるのは申しわけない感じだ。
「たまーにいますか。筧エリカみたいなのが。この学校にも」
今日のランチの話題の中心は、例の転校生。
「そうそう。たまーにいるの、そういう方が。菊乃、覚えてて? 〈伝説のヤナギダさん〉」
紅子さんの問いかけに、ああ、あの方ね、とうなずく菊乃さん。桜色の唇の端に味噌。ああもう、なんかほんと、すいません。
「私たちが中等科だったころに柳田さんて方がいらしたの」
事情を知らないあたしの為に、紅子さんが説明してくれた。
「筧さんみたいに髪がカラフルだったわけじゃないけど、すごく派手な方だったわ。先生や寮長に逆らったり、下級生に絡んだり。なんて言ったらいいかしらね、常に、反発する先を探してるような方だった。彼女、問題を起こして、六年生の後期だっていうのに退学になってしまわれたわ」
「退学ぅ?」
ずいぶん穏やかじゃない単語が飛び出した。
うなずいて、紅子さんは真剣な顔をした。
「素行面で問題の多い方だったのよ。届を出さずに寮を抜け出して、遊んでらしたりとか」
「はっ? そ、それだけ?」
おいおい。
十八歳のいいトシの女がこっそり出かけたくらいで退学?
もう少しで卒業って大事な時期に?
そりゃあんまりにも狭量じゃないの?
あたしの不可解顔に、紅子さんは少し苦笑した。
「もちろん、寮破りなんて私だって経験あるわ。好きなアーティストのコンサートに行ったり、OGの方のおうちで夜通しおしゃべりしたり。先生方や寮長さんだって、知っててお目こぼししてくださってる部分もあると思う。でも彼女はそれだけじゃなくて……」
言いよどんだ親友の言葉を引き取る形で、菊乃さんが続けた。
「――他の寮生の持ち物を盗んで、外で売り払っていたらしいの」
「せ、窃盗って! 正真正銘の犯罪じゃないですか! なんでそんなこと……」
秀麗な形の眉を寄せて、紅子さんは扇のようなまつげを伏せた。
「単純に、遊ぶお金が欲しいのもあったんでしょうけど……」
「嫌がらせよ」
きっぱり菊乃さんが言い切った。
「被害にあわれたのは、彼女を厳しく注意した当時の寮役員や、正面から苦言を呈したルームメイトの方よ。盗まれた品だって、ただ高価なだけの物じゃなかったわ。例えばおばあさまの形見の真珠のネックレスや、進学のお祝いに贈られた万年筆。ようするに、その方たちがすごく大切にしていたものばかり」
背筋がぞわりと粟立った。
胸がむかつくくらい純度の高い悪意。
生唾をのんだあたしに、菊乃さんはさらに意外な言葉を放った。
「だから桜冠みたいな場所に来たのかもね」
不可解な言葉に首をかしげると、紅子さんが苦く笑って答えをくれた。
「この学校って全寮制でしょう? それに特待生でもない限り親がお金を積めば入れるし」
紅子さんのサバサバした口調は、自身は〈親のお金しか価値がない人間〉ではないと知っている自信からくる素っ気なさだ。余談だけど、紅子さんは卒業後、海外の音大に進学が決まっているらしい。学園祭に招かれた教授だかなんだかが、紅子さんのソプラノにほれ込んだそうだ。
「だから、たまーに、家族内で持て余した娘を入学させる親もいるのよ。厄介払いみたいな感じで」
「厄介……」
たしかに厄介だわなあ、人様の物に手をつける娘なんぞ。
あたしのおうむ返しをどうとったのか、菊乃さんがちょっと慌てて親友の脇腹をこづいた。
「紅子ったら」
「え、なに……? あっ、いやだ! ごめんなさい、あなたのルームメイトが厄介者って言ってるんじゃないの。 そういう例もあったっていうだけ!」
いやー、大丈夫ですって。わかってますって。
と、答えようとしたあたしの笑顔は、瞬間、凍りついた。
脳裏に浮かんだのは、寮の二階の扉のドアノブをがちゃがちゃ言わせるエリカの姿だ。
あの時の、彼女の鬼気迫る横顔。
声をかけた時、一瞬ぎくりと固まった体。
彼女がこじ開けようとしていた部屋の持ち主は、確か、寮長の結城さ――
……いかんいかんいかんいかんっ!
大慌てで頭を振って、恐ろしい想像を振り飛ばす。
何を考えてんだ、あたしは!
いくらエリカの態度が悪いからって、あまりにひどい邪推だ。
〈人を見ても泥棒と思うな。できるかぎり〉って母ちゃんも言ってたじゃないか!
「か、要ちゃん? どうかした?」
「なっ、なんでもないです! ええ、なーんでもっ!」
言いつくろうあたしを、オネーサマがたは呆気にとられた表情で見つめている。
あたしは少し強引に話題を変えることにした。
「ところで、お味の方はどうですか。味噌、辛すぎじゃないですか?」
たずねると、お二方はそろって首を横に振り、
「絶品!」
と満面の笑みを浮かべた。
思わず、こちらの頬も緩んでしまう。
ううん、料理を作る人間ってのは、大なり小なり、この顔を見るためにやってるとこあるよね。次はもっと笑わせてやろうって気になる。……寮の調理師さんはそんな気さらさらなさそうだけど。
「でもですねー、これ、ひき肉があるともっとボリュームが出ておいしくなるですよねー」
ぶうと頬を膨らませた途端、オネーサマお二人が顔を見合わせて噴き出した。
「出たわね。要ちゃんの〈ガアルト〉」
「え? ガアルト、ってなんですか?」
「いつも自分の料理を食べるたびに口癖みたいに言ってるじゃない。〈ひき肉があると〉、〈豚バラがあると〉、〈ラードがあると〉。気づいてなかったの?」
全然気づいてなかった。
「いや、でもほんとなんですよ。大体、寮のご飯ってタンパク質が足りないと思いません? あたしみたいな成長期の若者は毎食ギットギトの肉料理でもいいくらいなのに!」
「私たちおばあちゃんは精進料理で十分。ああ、おいしい!」
大輪の薔薇のような笑みを浮かべて、紅子さんはタッパーの隅に残っていた味噌をおにぎりで拭い取って口に放り込んだ。
まあ、喜んでもらえるならなによりだ。
「時にオネーサマがた、ご相談があります」
「なにかしら、要サン」
「……背中が痛いっす」
「あら、ご病気?」
「まさか」
げんなりした目で、あたしは背後の音楽室入り口のドアを見やった。
擦りガラスの向こうには、隠しきれない人影がたくさん。この綺羅の姉君たちに憧れる下級生たちに間違いはない。ガラス越しでも、嫉妬てんこ盛りの焼けつくような視線を感じる。
「そうねえ、さすがに可哀そうになってきたわ。彼女たちも招いて差し上げましょうか」
「イヤ」
提案したのは気高い紅蘭で、即座にはねつけたのは優しげな白菊。
「私の分の味噌炒め、減っちゃう」
見目は柔らかな菊乃オネーサマは、なかなかナイスな性格をしておいでだ。




