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2.<ハーン>

 またしても、伝令の遺体が発見されたと報告があった。

 川沿いに進軍し、国境の丘まで来た。常であれば物資の届かぬ道理はない。

 戦況は泥仕合だ。小競り合いをくり返し、互いに何かを待ちわびている。

 サウラの兵が待つのは勝機だろう。対してこちらは国からの物資だ。

 雲泥の差だ。自嘲が漏れる。


「賊は見つかったか」

「――申し訳ありません」

 定時報告に訪れた兵士が、身をすくめてうずくまった。

 顔が赤い。発熱しているのかもしれなかった。


「引き続き捜索に当たれ。仕留めなければ足をすくわれる」

「はっ。必ず」

 意を決した様子で駆け出す兵士を目で追う。少なくとも、彼らには達成できまい。


 ハーンは物見の丘を下り、兵士の合間をぬって詰め所へ戻った。

 明らかに、横たわる兵士の数が増えている。

 日中でも凍えが来るほど冷えるというのに、赤らむ顔で熱にうなされる。

 行軍は、チフスの蔓延に見舞われていた。


 予想はできた。

 誰しも栄養状態は良いとは言えず、衛生にまで手が回らない。

 皆の肌に点在する紅斑は、シラミによるものか、チフスによる発疹の初期症状なのか判別もつかない有様だ。


 ハーンも今のところは免れているものの、普段と異なり衣服を熱湯で洗浄できない現状では、将来の保証もない。

「そもそも将来などありはしないか」

 詰め所に置かれた簡易椅子に腰かけ、目を閉じた。

 手をこまねいて、足止めをくらったまま既に三日だ。


 サウラは人口は少ないものの、肥沃な土壌を持ち、稲作を主流とした作物の生産高も高い。

 とはいえ部族間の協調性には欠ける部分もあり、通常であるならばいくら落ちぶれているとはいえ、こうまで一方的な戦況にはなかなかなるものではない。


 だが、サウラの背後には東の大国、駕国がある。

 二の皇子も駕国を見据え、アスミーリャの皇統を断つ決意をしたはずだ。

 ハーンもそこは否定しない。どのみち我々は、幾度も興っては没することをくりかえした末にここにいるのだ。


 好きにすれば良いと思う。出来る限りのことを為せば良いと思う。

 過去に囚われて身動きのとれない己とは異なり、未来を見据える彼こそが、おそらく国の希望となる。

「何日保つか」

 死神は既に己を捕らえているはずだ。病に倒れた兵士と共に、アスミーリャの最期を我々が飾ることになるのだろう。


 それは二の皇子の筋書き通りかもしれないが、ハーンの望むところでもある。二人はそろって、同じところを目指している。

 ――胸騒ぎがする。時は近いのだろう。






 ハーンはその夜、夢を見た。

 夜間の冷気に凍えながら、それが夢だとわきまえていた。夜ごとに見る夢と同じ夢だ。かつての己の、決別の日の夢だった。


 幼子だった己が泣いている。同年の少女が、きつく唇を噛みしめて、小さな背中をなでさする。

 それはまだ、母が存命していた頃の、ハーンとハナの姿であった。


「かならずまた会えるよ。シーリーン」

 自身も涙をこぼしながら、ハナがつぶやいた。

 生を受けてから、ずっと寄り添う友だった。


 間もなく宮殿からの使者が来る。シーリーンと呼ばれた少年は、ハーンとなるのだ。

「ぼく、……行きたくないっ」

 叶わぬ望みだと知っていた。

「こわい。こわいよ、ハナ」


 互いにしがみつき、震える二人の元へ、母のサミラがやってきた。

「シーリーン。おお、かわいそうに……」

 サミラは膝をつき、シーリーンの頭を抱えた。

 サミラはシャーの妾だった。庶子として捨て置かれたはずのシーリーンが、ハーンとして宮殿に赴かねばならないのは、過日、シャーの正妃に子どもが授かる見込みは薄いと診断が下ったためだ。

 幼子はすぐに死ぬ。手元におく子どもは多い方が良い。


 子守唄を奏でるような慈愛に満ちた声音で、サミラは語った。

「あなたは強い子ね、シーリーン。とても優しい子。ハーンとなったあなたに導かれる民はしあわせでしょう。国のために尽くしなさい。国の存続を第一に考えなさい」

 それは呪いの言葉であった。

「そしてあなたは、いずれシャーハーン・シャーとして立つのです。国を、民を、けして見捨てず、命運を共にするのですよ」


「ははうえ……」

 震える声で、シーリーンはだだをこね、首を振った。

「いやです、ははうえ。ぼく、ハナと離れるのはいやだ」

「まあ」

 サミラは優しく、二人の頭を交互になでた。


「シーリーンはハナが大好きなのね。そうね、きっと会えるわ、いつか……」

「そんなのうそです!」

 いっそう激しく、シーリーンは泣き出した。

「宮殿に入ったものは、二度と出てこられないんだ。入るのも出るのも、決めるのはシャーで、……ぼくはもう、ハナには会えない」


 悲しみにのまれるシーリーンの手を、ハナが握った。

「やくそくするよ、シーリーン。ハナが会いにいくよ。シーリーンがさみしくないように、いっしょにいるから」

「……会えないんだよ、ハナ」

 ハナはゆったりとかぶりを振った。


「会えるようにがんばるんだよ。ハナ、いっぱい勉強して、立派になって、宮中に行ってもいいですって言われるように努力するよ」

「ハナ」

「ほんと。ね、やくそくしよう」

「やくそく……」


「そう。やくそく。ハナはシーリーンに会いに行く。だから、シーリーンはそれまで元気でいるんだよ」

 つながれた手のひらは温かかった。

「わかった」

 シーリーンはようやく涙を引っ込めて、真摯な眼差しでハナを見つめた。

 幼い友の姿を、記憶に焼き付けようとした。


「――ああ。迎えが来たわね」

 サミラが嘆息混じりにつぶやいた。

 扉が開いた。仰々しい外套をまとった使者が、護衛を従えて現れた。

 場に似つかわしくない武張った空気の一団だった。


「お迎えにあがりました。ハーン」

 使者はシーリーンの前で膝をついた。その視線に射すくめられて、シーリーンは肩を震わせた。

「参りましょう」

 恐怖にがんじがらめになったシーリーンの手を、使者は取った。


 これより先、己をシーリーンと名で呼ぶ者は現れないのだと、ふいに悟った。

 ハナの身体が引きはがされる。

 シーリーンは歩き出した。叫ぶハナを残し、厚い扉が閉ざされた――。






 目覚めは唐突だった。

 いつもの悪夢だ。腹が煮えた。

 過去は束縛の、幼馴染みの少女は弱さの象徴だ。


「結局、反故にしてしまったな」

 ハナはわずか七年で約束を果たした。けれど、彼女は誤った。

 幼い頃の約束など、守る必要はなかったのだ。互いに立場を違えたのだと悟ってからの再会など、残酷なものでしかない。


 誰よりも幸福を願ったはずの友は、今や憎悪の対象と化した。

 しかし今日を限りに、もう二度と顔を見ることもないだろう。

 ハーンは起き出すと水を一口飲み、外に出た。

 護衛の兵士が慌てた様子で礼をとる。


「地の手と足を呼べ」

 申しつけて、空を見上げる。

 夜明けを感じさせる空気に反し、空はまだ暗い。

 明けの明星が瞬く。おそらくこれが、見納めになる。

 詰め所に戻って、腰かけた。為すべきことは、さほど多くは残っていない。

 さして待つこともなく、空気が揺れた。


「マジッドとハナです。これに」

 マジッドは有能だ。本人は粗野な印象を与えるのに、身のこなしは優雅ですらある。ようやく動ける程度に傷の癒えたハナも、一歩遅れて膝をつく。


「伝令が相次いで狙われたのを知っているな」

「はい」

「夜明けと共にまた一人放つ。後を追って、下手人は始末しろ」

「承知いたしました。どちらが参りましょう」

 マジッドが訊いた。


「二人そろって事に当たれ」

「――かしこまりました」

 マジッドのおもてがわずかにこわばる。疑問を抱いているのだろう。この程度、一人でこなせぬ奴ではない。


 下がれと手首を返して示す。ハーンも席を立ち、立ち去るマジッドに耳打ちをした。

「……最後の任務と心得よ。戻る必要はない」

 視線がからまり、マジッドは顎を引いた。

 戸口の幕をくぐるハナを見た。線が細い。ずいぶん変わったと思っていたが、意外と彼女はあの頃のままなのかもしれないと、一瞬思った。






 太陽が中天にさしかかる頃、動きがあった。

「サウラ兵が進軍を開始しました」

 早駆けが報告に来た。


 戦装束で身を固めたハーンは、待機する兵を見回した。

 今朝方は、ハーンの視線を受けても身を起こせない者が多数いた。

 重症の者は連れて行けない。ここに集ったのはわずか半数程度だ。

「予定通りに陣を固めろ。討って出る」

「はっ」


 川が近く、見晴らしが良いことだけが取り柄の平坦な荒れ野だ。

 北側の斜面の先には山があるが、そこを除けば、人里も耕地もほど遠い。

 此度のような戦場で勝敗を決めるのは、兵士の数だ。体力のある方が勝つ。それが道理だ。


 野を挟んで相対したサウラ軍は、こちらより二回りほど規模の大きい軍勢だった。

 勝とうとさえしなければ、戦えぬほどの格差ではない。――病がなければ。


「象がおります」

 最前列に、戦象が五頭配置されていた。

「射手が乗っているな」

 象の背に、強弓をたずさえた兵士の姿が確認できる。


 ハーンは声を張り上げた。

「臆するな。単に図体が勝っているに過ぎん! 先に象を片づける。回り込んで足を狙え!」

 わあっと、鬨の声が上がる。

「アスミーリャ!」

「アスミーリャ――!」

 兵士の間から、口々に国を讃える声が上がった。


 アスミーリャの紋をかかげ、文字通りの死地に挑む。

 右手を掲げる。

 数百の対の目が、すがるようにハーンを貫く。

 心はしんと冷えたままだった。だが確かに、ここが己の居場所であった。


「進軍開始! 全てをかけて剣をふるえ!」

 兵士の叫びに、大気が震えた。一斉に大地が轟く。

 誰しも他に、行き場はないのだ。


「ついに、か」

 戦場を余すところなく見渡して、唇を引き結んだ。

「――足掻くぞ」


 戦況は悪くなかった。それは序盤のうちだけだった。

 犠牲を払いながらも象を倒し、射手を落とした。

 高さのある場所から射られる悪条件を廃することができただけでも、目に見えて負荷が軽減する。

 生き延びることだけを念頭に置くならば乗り切ることができるかもしれないと、頭をよぎった者もいるだろう。


「まずいな」

 ハーンは察した。

 脱落する兵が増えていた。足元に転がるアスミーリャの兵士の顔には、紅斑が散っている。無理を押していられるのも、限度が来る。


 サウラ側にも変化が見られた。

 じわじわと陣が変形し、中央が槍型のように厚みを増した。

 もっとも、場は混沌としていて、満足に形取られたものではないが、それでもこちらの兵は疲弊している。一部が押されると、崩れる可能性が高い。


「第四隊は右手に回れ。川に向かって進むのだ。狙いを集中させるな」

 指示は出したが、その場しのぎだ。

 軍勢が少ないぶん、小回りがきいたのが唯一の利点といえた。


 しかし交代がきかず、余力のない状態では集中が切れるのも早い。

 展開を見据え、流動的に兵を回すが、一刻もすると終着が見えてきた。

「これ以上は保たんな。引くぞ」

 腕を回して命じ、退却の鐘を鳴らす。


 追ってくるのはわかっていた。その狙いが己の身であるのも熟知していた。

 退却は遅々として進まない。

 敵を牽制するための矢も、精度を欠いた。


「型を崩すな、徐々に下がれ!」

 言うのは易し、行うのは難し、だ。

 やはり中央が崩れた。

 体力の温存された一団でもあれば違ったろうに、少ない手札ではここが落としどころだ。


「散れ!」

 声をあげ、自軍がなしくずしに敗走に転ずるのを見た。

「ハーン、撤退を」

 側近がこぞって声をかける。だが、ハーンは落ち着いた声音で告げた。

「駐屯地まで下がり、降伏するが良い。敗北を認めれば、それ以上の追求はない。やつらが求めているのは落着であって、虐殺ではないからな」


「しかし、ハーンは……!」

 言いつのろうとする彼らを、手のひらで押しとどめた。

「やつらの狙いはこの首だ。覚悟はできてる。――とはいえ、そう易々とくれてやるつもりはないがな」

 己を囲む、気色ばんだ顔を眺めた。


「兵士どもをまとめてやれ。行くが良い」

「ハーンはいかがなされる」

「ふむ、黙って討ち取られるのも癪に障る。北方の山に向かうことにしよう。おそらく、相当の追っ手がかかるだろう。そなたらにとっては、逃げやすくなるのではないか」


 国を見捨てず、手の及ぶかぎりながらえさせること。

 それが母の望みであり、自身を縛る楔でもあった。

「お供致します」

 かしこまる者たちに首を振る。

「必要ない」


 馬首を返す。大勢を前にしてはいるが、足は残されている。

 後ろ傷をとられる趣味はない。時は迫っていた。

「あとはどうとでも、良いようにしろ」

 そう言い残し、腹を蹴る。馬がいななき、駆けだした。


 ハーンは目をすがめた。

「……ついてくるなと申しつけたはずだ」

 きっかり十騎、共に駆ける者がいた。

「いえ。参ります」

 鼻で笑った。

「酔狂なことだ。殉死など、愚か者のする選択だぞ」


 殉ずる価値がこの国にあるとは思わない。ましてや己にはあるはずもない。

 が、他人の決断に口を挟む余地もまたないのだった。

 サウラ軍のどよめきと、土埃に追われ、ハーンは前だけを見た。

「好きにしろ。せいぜい運と才覚を頼みにして生き延びてみせるんだな」


 終わりは目前だが、終わってしまったわけではない。

 無様ではあるが、自身の命のあるうちは、国は滅びぬ。

 意味を成さない、ほんのわずかな合間の延命のために、ハーンは駆けた。

 ハーンとして国をながらえさせること。それが自身の存在理由であった。






 ――夕刻まで生き延びるなど、予想だにしなかった。

 追っ手が無能なのか、策があってのことか。

 それでも、空の赤く染まる頃には、一人になった。


 ハーンは足を止めて、木にもたれた。目立った傷こそないものの、馬を失い、どこに進む当てもない。

「ここまでか」

 ひっきりなしに、ここそこで追っ手の気配を感じる。


 せめて切り結んで終わりとしなければ、母にも部下にも、見せる顔がない。

「長かったな」

 どこかほっとしている己がいる。

 最後に唯一残った剣を握りしめていられるだけの体力を回復しようと、そのまま息を整えた。


「――む」

 鼻が異変を察知した。

 細く煙が上がっている。

「まさか」

 火を放ったか。ハーンは息をのんだ。

 喉の奥で笑う。


「正気の沙汰とも思えぬ。獲物一匹のために、山を燃やすか」

 不吉な物音が上がりだした。様子をうかがう。

 火の回りが早かった。いくら乾燥する時期だとはいえ、着火しただけで自然に起こり得ることではない。

「何か撒いたな」


 まさか焼死しようとは思わなかった。

 身体を起こして歩き出す。抜け出す手段を探るべきだ。

「なあ。随分と華美な墓標じゃないか」

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