第1話 煉とミサと次郎
この世界であたしは生きていけるのかな…。
トクン…トクン…トクン…トクン…トクン…。
あたしは心臓の鼓動で目が覚めた。
「…んんっ。あっちゃ〜寝ちゃったみたい」
頭をかきながら辺りを見渡すと、そこは職場である研究所の一室だった。
「おはよう、ミサ」
声のした方を見ると、コーヒーメーカーが置かれた棚の前で作りたてと思われるコーヒーをマグカップに注いでいる少年がいた。あたしに挨拶をしたこの少年は研究室で生まれた。名前は煉。
煉はあたしが作った人造人間。見た目こそ12、3歳の普通の男の子だけど、生まれてから半年たらずで急速に成長し、今だにそのスピードが衰えることはない。
「おはよう、レン。あたし…」
寝癖でぼさぼさの髪を整えているあたしにコーヒーを差し出す煉。
「ミサは疲れてるんだね。昨日俺のデータ整理してる最中に寝ちゃうぐらいだからさ、少し休んだら?」
差し出されたコーヒーを一口飲むと少し頭がすっきりした。
「あっ…そっか。あたし昨日データ整理してたんだっけ」
「そろそろ次郎さんが来るからヨダレぐらい拭きなよ?俺検査あるから…もう行かなきゃ。また後でね、ミサ」
屈託のない笑顔で煉はあたしに手を振る。それから、研究室のドアのない出入口から走って出ていった。
煉がいなくなるとあたしは机の上に散乱した書類をフォルダーに入れ、とりあえずヨダレの跡があると思われる箇所をハンカチで拭った。
「ミサ、そろそろ交替の時間だ。」
煉が出ていった出入口の方で男の声がした。
「相変わらず足音一つたてないのね?」
「君を驚かせたくてね。」
あたしはちらりと男を見た。男は白衣のポケットに手を突っ込み、近くに置いてあったパイプ椅子に腰掛けた。男の顔にはところどころ深く刻まれたシワがあり、髪には白髪が混じっていた。そのせいかまだ30代前半にもかかわらず彼はずっと年老いて見えた。
「最近は全然驚いてもらえなくなったがね。」
男は苦笑しながらポケットからネームプレートを取出し、白衣の胸ポケットにつけた。ネームプレートには『マンティコアプロジェクト班長 芽義次郎』と書かれている。
「煉はいつまで成長し続けるの?」
「後半年。もうそろそろ兆候が出るだろう。」
次郎が言う兆候とは煉が人造人間であることの決定的な身体的特徴のことだ。過去の実験によれば髪や瞳の色が人間とは異なる色を帯び始める。それから先は資料がない。研究所の中でもこのことは触れてはいけないことらしい。
「煉はこれからどうなるの?」
あたしは煉を造った。でも煉が何に利用されるかを知らない。
「それは君が知る必要のないことだ。君は研究を成功させることだけを考えればいい。」
マンティコアプロジェクトの一員でありながらプロジェクトの目的が明かされないのはあたしはとても不服だった。
「わかりました。では後のことはよろしくお願いします。」
机の下から大きめのバッグを取出し、資料やら筆記用具やらをそれに突っ込んであたしは研究室を後にした。