二つの袋の話
ある村で若い男と若い女が結婚しました。
小さな村なので、村人総出で祝福します。
「おめでとう、おめでとう
お幸せに、お幸せに
永く永く、永く永く」
村を外れた小高い丘の上にある神殿へ出向き、二人は永遠の愛を誓いました。
「あいしているよ」
「わたしこそ、あいしているわ」
一年が過ぎても二人の周りだけが春のままのようで、二年が過ぎてようやく緑が生い茂り、三年目になって涼やかな風が吹くようになりました。
そして結婚から四年目になると、おやおや…冬天のような厳しい蒼さが二人を分かつように横たわっています。
「こんなもの、結婚はこんなもの
最初の一年、最初の二年
あとは全部、飲み屋のツケを払うようなもの」
四年前に二人を祝福した村人達には、どうやら見慣れた光景のようです。
最近では毎晩のように、冬の嵐が二人の間に渦巻いています。
「よかった、よかった
まだいないもの、子供がいないもの
まだ若いもの、次があるもの」
村人の心配などなんのその、二人の嵐は一向に収まりません。
夫の母が二人に仲直りをさせようと、夫婦の家を訪ねましたが、すぐに家を出てきてしまいました。
「なんて女だ。ひどい女だ。夫のことを馬鹿にするのが生き甲斐の、ひどいアバズレだ」
次に村長が夫婦の家を訪ねました。
「なんて男だ。ひどい男だ。かみさんをアイロン係くらいにしか思っていない、ママっ子だ」
他にも色々な人間が夫婦の家を訪ねましたが、皆が同じようにカンカンに怒って出てしまいました。
「ひどい男、ひどい女
どっちもどっちだ、別れて当然
ああ、夫婦のなんと難しいことか」
ある日、ひとりの詩人が村を訪れました。
詩人は井戸でバケツに水を汲む女に話しかけました。
「いやな臭いのする村だ。どいつもこいつも袋がパンパンに膨れてやがる。
ああ、そこの。ちょいとお姉さん、この村に酒場はありますかね?
もう丸三日、何も食べていないんです。
パンの一切れ、ワインの一口がなければ歌ってもいられません」
「こんな小さな村に酒場なんかありゃしませんよ、詩人さん。
お返しに一曲歌っていただけるのなら、私の家に招待しましょう」
詩人は喜んで女の後をついていきました。
女は詩人にパンと酒をふるまい、詩曲を十分に楽しみました。
「ああ、たった一晩の
ああ、たったひとつの過ち
どうして離れられないのだろう
胸の袋が重いからだ、背なの袋が重いからだ
神殿へ行こう、誰も聞いていない
神殿へ行こう、誰も聞いていない」
しばらくそうした後、女はもう夫が帰ってくる時間であることに気付き、慌てて詩人に家を去るように言いました。
「もう、夫が帰ってくるわ。あなたと二人でいることを見られたら、痛くもない腹を探られる。
もう御免だわ、あんな嵐のような夜なんて。
どうしてあなたなんかを家に入れたのでしょう…ああ、嵐が帰ってくる」
詩人は彼女の夫にも一曲聴かせてやりたかったのですが、夫が帰ってきたら必ず顔を殴られ、竪琴も壊されると脅されると、無理矢理残るわけにはいきません。しぶしぶ家を後にしました。
宿を探して村を歩いていると、詩人は鋤を肩に担いだ一人の男に出会いました。
「やあ、お兄さん。この村に宿はあるかい?
もう、丸三日も野原の上で寝ているんだ。
うるさい星を見ずに、盗人のような風に叩かれずに済むならどこでもいいんだがね」
「こんな小さな村に宿なんかありゃしないよ、詩人さん。
一曲歌ってくれるのなら、一晩泊まらせてやるがね」
夫を出迎えた嫁は詩人も一緒だったので大層驚きました。
でも、彼を勝手に家に上がらせたことを言えば夫に殴られるので黙っていました。
「今夜はとっても善い夜だ。
一晩に二度も施しを受けた。お詫びにふたつの袋の話をしてあげよう」
詩人は竪琴を弾き、歌いだしました。
「神様は善い贈り物をくれた
人が生まれてくる時に、背なとお腹に二つの袋を下げさせた
背なのには自分の咎を、お腹のには他人の咎をたっぷりと詰め込んだ
パンを焦がしてしまう程度の咎でさえ、袋はパンパンになっても飲み込んじまう
袋の中身が見えなけりゃ、どうってことないと神様は思った
でも人間様は賢いんだ、どんなに深い谷も覗き込んじまう
ああ、全く覚えのない
ああ、数え切れない過ち
どうして離れられないのだろう
胸の袋が重いからだ、背なの袋が重いからだ
神殿へ行こう、誰も聞いていない
神殿へ行こう、誰も聞いていない」
詩人が歌い終えると、夫婦はいつになく上機嫌に彼を誉めました。
その日は嵐は起こりませんでしたが、次の日の朝、詩人は別れ際にこんなことを言い残しました。
「昨日はパンとワインをありがとう、おかみさん。
昨夜は寝床と天井をありがとう、旦那さん」
夫婦は互いに顔を見合わせました。
もちろん、嫁の隠していたことはばれてしまって、朝から夫に散々に殴られました。
「ああ、もうダメだ。おれたちはもうダメだ。
のっぴきならないところまで来ちまった。
飛び降りるように堕ちて行くくらいなら、
いっそ離れ離れになってしまおう」
夫は両親に、嫁は友人達に、自分たちがもう終わることを言ってまわりました。
「ああ、ついにこの時が
冬の終わりに春は来ない
もう誰のせいでもない」
たった四年とはいえ、一緒に暮らした同士です。
いざ離れるとなっても、中々に決心がつきません。
村の人々は一緒に怒ってくれますが、背中を押してはくれません。
思い切って離れようとすると、彼らは一様に「よくないことだ」と顔をしかめます。
そんなある日、嫁は姦しく騒ぐ子供たちを目にしました。
彼らは歌を歌っています。
「ああ、数え切れない過ち
どうして離れられないのだろう
胸の袋が重いからだ、背なの袋が重いからだ
神殿へ行こう、誰も聞いていない
神殿へ行こう、誰も聞いていない」
いつか、詩人が歌っていた歌です。
「そうだ。神殿へ行こう。神様にわたしたちの仲を割いてもらおう」
嫁は夫を説得して、夜に神殿へと出かけました。
丘を越えたあたりで、嫁は自分のお腹がずっしり重いことに気付きました。
よく見ると、大きな袋が胸からお腹にかけてぶら下がっています。
中からはいやな臭いがして、鼻が捻じ曲がりそうです。
「ああ、なんて酷い臭いなの。これが詩人の言う咎に違いないわ。
知恵の欠けたマザコン男の咎が一杯つまっているのだわ」
夫もまた、自分の腹に下げた袋に気付きました。
「ああ、何て重くて不愉快なんだ。これが詩人の言う咎に違いない。
汚らわしい浮気女の咎で一杯になってるんだ」
神殿に着きました。
すると、一人の神官が二人を出迎えました。
「こんな夜更けにお二人さん、一体何の用事ですか?」
「わたしたちは、互いに離れ離れになるために、ここに来たのです」
夫婦が声をそろえて答えると、神官はこう言って二人を中へ誘いました。
「この中には結婚の神様がいらっしゃいます。
彼女に何故、自分たちが離れ離れになるのかをきちんと話しなさい。
ただし、一度に喋ることが出来るのは一人だけです。
これを破れば、神様に雷を落とされても知りません」
祭壇に入った夫婦は、神様の姿を探しました。しかし中を見渡しても誰もいません。
いくら待っても誰も来ないので、二人は祭壇の中央にある神様の像に語りかけることにしました。
「神様、聞いてください、結婚の神様…」
最初に、嫁が結婚の神様に語りかけました。
自分がいかに理不尽な仕打ちを受けて来たか、嫁は爆発するように神様に話します。
彼女が嘘を言っていると思っても、神様に雷を落とされたくないので夫は黙っています。
夫は額に青筋を立てながら嫁の話を聞いていました。
しばらくそうしていると、薄明かりの中で、嫁が背なに大きな袋を負っているのが見えました。
「ああ、詩人の言ったとおりだ。
あれにはこの女の咎がたっぷり詰まっているに違いない。
俺の腹をこんなに重くした女の咎だ。きっと今にも潰れそうなくらいに重いに違いない」
夫はそう言うと、嫁に気付かれないように立ち上がり、袋の中をのぞき見ました。
嫁の話が終わると、次は夫の話す番です。
夫は自分の不満を、夜中の川辺よりも聴き上手な神様にぶつけました。
全てを話し終えた後、疲れのせいか、二人ともしばらく黙ったままでした。
そのうちに嫁が口を開きます。
「ねぇ、あんた。背中の袋は重いのかい?」
夫は、嫁にも自分の背中の袋が見えていることを知り、驚きました。
「ああ、重い。お前の袋は軽そうだ」
「ああ、そうなのかい。あんたの袋も軽そうだよ」
「そうか、おれのも軽いのか」
「背中の袋には何が入ってるんだろうねぇ?」
「何も入ってやしないさ。袋だけが馬鹿に重いんだ」
やがて、柱の隙間から朝日が漏れてきました。
すると、日の光を嫌がるように、袋はすぅっと消えてなくなりました。
どこからともなく、歌が聞こえます。
「背なの袋はズタ袋、重いが首は後ろにゃ回らぬ
腹の袋はゴミ袋、顔を突っ込む人の多さよ」
夫の唇が「ぷっ」と弾けました。
嫁は夫につられるように笑い出しました。
おしまい