「そろそろ反省しただろう?特別に戻ってきてもいい」という元夫からの手紙を、隣国皇帝の膝の上で破り捨てる
豪奢なシャンデリアが輝くガルディア帝国の皇宮。
その一角にある私室で、私は一通の手紙を広げた。
「ふふふ……」
私は思わず肩を揺らして笑う。
腰を抱いていたアレンが、不思議そうに私の顔を覗き込んできた。
「どうしたんだ? センティア。そんなにその紙切れが面白いのか?」
低く地響きのような心地よい声。
彼は私を自身の膝の上に抱き寄せたまま、覗き込むように琥珀色の瞳を細めている。
「いえ……ただ、あまりに滑稽なものが届きましたので」
安っぽい香水の匂いが染み付いたその紙には、見覚えのある、傲慢な筆致でこう記されていた。
『そろそろ反省しただろう? おまえがいなくなってから、屋敷の管理が少しばかり滞っている。謝罪をすれば特別に戻ってくる許可を出してやると、母も言っている。私たちの子も君の帰りを首を長くして待っているよ。もうすぐ二人目も生まれるんだ。幼子には母親が必要だろう? 不貞腐れていないで早く戻ってきなさい』
読み直して思わず乾いた笑いがもれた。
差出人は私が半年前に捨てた元夫、ロディナ伯爵だ。かつて私を「愛人の子を育てるための道具」としか見ていなかった男だった。
「『特別に戻ってきてもいい』、か。この男は君がどこにいるのかわかっていないようだ」
アレンが私の首筋に顔を埋める。
私はくすぐったさに身をよじった。
「そのようですね。まさかこんな手紙が届くだなんて、思ってもみませんでした」
「そういう割に楽しそうだか」
「ええ」
こんな手紙をもらって楽しくないわけがない。
あの男の末路を知ることができたのだから。
✽✽
私は一年前までカルディア帝国の隣国ーーサルマダ王国のロディナ伯爵夫人だった。
両親が決めた結婚だ。お互い愛はないけれど、家のための結婚。貴族の娘として生まれた以上当たり前のこと。
それでもよき妻となれるように努力した。屋敷の管理だけではない。ロディナ伯爵家が持つ領地の管理もほとんど私の仕事だった。
「妻はもっと素直でかわいらしい女がよかったんだが、おまえの父親がどうしてもと頭を下げたから、しかたなくもらってやったんだ」
それが元夫ーージャック・ロディナの口癖だった。
ジャックとは一度も同じベッドで寝起きをしたことはない。
彼には結婚前から恋人がいたのだ。
それを知ったのは、結婚からひと月が経ったころだった。
一人の女性がジャックと親しそうに部屋から出てきたのを見てしまったのだ。
ブロンドが美しい女性だった。匂い立つような色気にくらくらしそうだ。彼女と目が合って、私は思わず目を逸らす。
彼女は厚みのある唇が弧を描いた。
私はすぐに声をかけることができず、女性が帰ったあと、ジャックに尋ねたのだ。
「ジャック。彼女はどなた?」
私が問うと、ジャックは鼻で笑った。
「おまえには関係ない」
「妻なのですから、知る権利があるのではありませんか?」
「妻の役割も果たしていないくせにか?」
ジャックはつまらなそうに言った。
「それはあなたが……!」
「おまえに色気が足りないんだ。ああ、そうだ。エマに教えてもらうといい」
「エマ……。彼女はエマという方なんですか?」
「ああ」
「エマという女性はジャック……あなたの愛人なの?」
私が問うと、ジャックは頭をグシャグシャとかく。
「ああっ! うるさいなっ! 愛人がいて何が悪い!? そもそもおまえに女としての魅力がないことが問題なのに、なぜそんな責めるような目で見るんだ!?」
ジャックは苛立った様子で吐き捨てると、私から逃げるように自室へと籠もった。
私はただジャックのうしろ姿を見つめるしかなかったのだ。
愛があるわけではない。だから、彼に愛人がいても悲しくはなかった。
それどころか、「やっぱり、そういうことだったのね」と腑に落ちさえしたくらいだ。
だからといって、まったく傷つかなかったわけではない。
人並みに苦しいし、悔しかったのだ。
私はその日から、ジャックに歩み寄ることを諦めた。
ただ自分の役割をこなすこと。それだけだ。
両親が決めた結婚だから、愛人程度の理由では離婚は許してもらえないだろう。
私にバレたことで開き直ったジャックは、ほとんどの時間をエマに捧げていった。
そして、私や屋敷や領地の管理に夢中になっていった。
私は領地の商売が上手くいき、領地管理の楽しさを覚えていく。
実家ではできなかったことができる楽しみはある。
ジャックのことは同じ屋敷に暮らす居候だと思うようにした。
しかし、その生活も長くは続かなかった。
結婚から一年が過ぎたある日のこと。
大きなお腹を抱えたエマが、ジャックを伴って屋敷に現れたのだ。
ジャックはニヤけた顔で言った。
「喜べ。ロディナ伯爵家に子どもができたぞ」
その言葉に私は目を見開いた。
エマは大きなお腹を撫でて、勝ち誇った顔で私を見る。
「……離婚ということでしょうか?」
私は冷静に質問した。やっと解放される。そんな気持ちだ。
このころにはジャックへの気持ちなど、一欠片もなかった。
愛人が正妻になり、追い出される。
離婚事由としては明確で、両親への説明もつきやすい。
しかし、ジャックは頭を横に振る。
「何を言ってるんだ? 子どもが産めないおまえのためにエマが産んでくれるっていうんじゃないか」
「……意味がわからないわ」
「相変わらず馬鹿だな。おまえの子として育てろと言っているんだ」
彼の言葉に私は眉根を寄せる。
「センティア様、まだ意味がわからないんですか? この子はあなたにあげるって言ってるんです。嬉しいでしょう?」
エマは口角を上げた。
私の眉間の皺はさらに深くなる。
子どもをあげる?
「自分の子をそんな簡単に人にあげるなんて……」
「私はジャックと一緒にいられればそれだけでいいんです。でも、ジャックが子どもは必要だって言うからぁ……」
エマが甘い声でジャックを見上げた。
ジャックは鼻の下を伸ばしてエマを見下ろす。
私は小さくため息をついた。
「そういうわけだから、エマが暮らす場所を準備するように。ああ、私の隣の部屋がいいな」
ジャックがエマの肩を抱きながら言う。
ジャックの隣の部屋――それは、屋敷の女主人である伯爵夫人のための部屋だ。
私は離縁状を役所に出してそのままロディナ伯爵家を出て行ったのだ。
***
実家には帰れない。
両親はロディナ伯爵家との繋がりを自分から断った私を許さないだろう。
両親へ申し訳ない気持ちはあったが、そもそも私の結婚でどうにか家を存続させているほうが悪いのだ。
私は人知れず、辺境の地へと引っ越した。
辺境の地とは言うがカルディア帝国の国境近くで、行商人が多く行き交う豊かな街だ。
私はそこで細々と商売をして暮らした。
ただのセンティアに戻った気分は最高だ。
(あいつが酔った時に離縁状に判を押させておいて正解だったわね)
私は仕事帰り、軽い足取りの中考える。
普通であれば、ジャックとの離縁は難航しただろう。
しかし、何度かジャックは酔っ払って私をなじってきたことがあった。
『いいのか? 離婚しても。そんなことをすれば、おまえの両親はどうするだろうか?』
そう言って私を脅す。
何度目かのとき、私は気づいたのだ。
そうだ。離縁状を書かせよう。
私は必死にジャックに縋りついた。
『離婚は困るわ。お願い……!』
『これは離縁状だ。これを持っていったら、おまえは……』
ジャックはすがる私を見下ろして嬉しそうに笑うと、離縁状に判を押して見せたのだ。
いざというときのために、私はそれをこっそりと隠し持っていた。
そして、自身の判も押し、役所に提出してたのだった。
その離縁状に不備はない。本人の筆跡だから、覆されることもないだろう。
あの日、私は自由の身になったのだ。
私は馬車を乗り継いで辺境の地へと渡り、ただのセンティアとして働いている。
小さなアパルトマンに戻ると、入り口に人影があった。――男だ。しかし、私はその男を知らない。
目が合って、私は踵を返す。
しかし、私が逃げるよりも早く、男が私の腕を掴む。
「君がセンティア?」
突然声をかけられ、私は眉根を寄せた。
「な、なんのようですか? お金ならありませんよ?」
私が緊張気味に言うと、男はクツクツと笑った。
「金は必要ない。ほしいのは君だ」
それがアレンと私の出会いだった。
***
後日、私はアレンとカフェで待ち合わせをした。
暗がりで見たときはただの大柄な男だと思ったけれど、明るい場所で見ると印象がガラリと変わる。
黒の艶のある髪と、琥珀色の瞳。威厳をまとう端正な面差しは、冷静さと気高い美しさを宿す。
全身から高貴さが漂っていた。
麻の布を被っているが、彼の高貴さは隠せていない。
カフェの客が興味深げに彼へ視線を送っている。
私は彼と会う約束をしたことを後悔した。しかし、家が知られている以上、逃げてもしかたない。
私は多くの視線を受けながら彼の前に空いている席に腰かけるしかなかった。
「お待たせいたしました」
「ああ、待ちわびた」
約束の時間ぴったりだというのに、この言いよう。私は苦笑を浮かべる。
しかし、気を取り直して質問をすることにした。
「先日は驚きました」
「悪かったな。ああでもしないと君と話す機会を得られないと思ったんだ」
口では「悪かった」と言いながら、彼は一切悪びれていない。
高貴な身分であることが伺える。
「用件はなんでしょうか?」
「うちにこないか?」
唐突な誘いに私は目を丸くした。
「うち、とは?」
「私のそばで働かないか?という意味だ」
「……あなたのそばで?」
私は眉根を寄せる。
高貴であることはわかる。しかし、それ以外のことはわからない。そんな男のもとへ来いと言っているのだ。
ここで「ぜひ、行きます」という人間がいるだろうか。
この男の美しい容姿につい頷いてしまう人はいるかもしれない。
「君がここに来てから、この街はさらに豊かになった」
「私は何も」
「君がアドバイザーをしていることは、わかっているんだ」
「ただ少し助言をしているだけですよ」
「その助言とやらで、どれほど潤ったか知らないわけではないだろう?」
私は肩を竦める。
この辺境の地に来たとき、私はほとんど無一文だった。
貴族の令嬢として産まれ、貴族の夫人として嫁いだ。
私は平民の女性のような仕事をしたことがない。だから、簡単に仕事を手に入れられなかったのだ。
その代わり、私には屋敷や領地の管理の経験があった。
その経験を生かし、まずは経理として。そして、信頼を得、街の一員として認められてからは経営の助言をするようになった。
「私は君がほしい」
しかし、私は頭を横に振った。
「私はここの生活が気に入っておりますので」
貴族の暮らしと同等とは言いにくい。けれど、私は生活するのにじゅうぶんなお金を稼げていた。
一人で生きていく分には困っていない。
「それに、私は物ではありません」
「わかっている。だから、今日から口説こうと思う。好いた男のもとなら着いて行きたいだろう?」
アレンの形のいい唇が弧を描く。
アレンはズイッと私に顔を近づけると、私の耳元で囁いた。
甘さと男らしさが混ざった彼の香りが、ふわりと薫る。
「今日はそれを知ってもらおうと思ってな」
彼はそれだけ言うと、カフェを出て行った。
私はただ彼の背を目で追うことしかできなかったのだ。
***
それからアレンは、私の前にことあるごとに現れた。
「センティア、このあと暇ならデートをしよう」
「その気はありません」
「私はこの街のことは知らない。だから、案内してほしい」
そう言って、なかば無理やり私を引っ張り出すのだ。
しかし、彼のエスコートは完璧で、彼とのデートは楽しくもあった。
「どうだ? 私のもとに来たくなったか?」
「ぜんぜん」
「つれない女だ。だが、そんなところも気に入った」
アレンは楽しそうに笑う。
毎日のように彼は私のもとに顔を出し、デートに誘う。
アレンとあるレストランに行ったときのことだ。
ここは私が開業を手伝ったレストランだった。
「どうしてそんなにここが好きなんだ?」
「そうね……。ここが初めて私自身のことを認めてくれたからかしら?」
両親も、元夫も、私自身のことなんて見ていなかった。
両親は私を道具としか見ていない。
ただ、ロディナ伯爵家へ嫁ぐことを願った。
両親の愛はすべて、跡継ぎである弟へと向かっていたのだ。
私はその弟の地位を確固たるものにするための道具でしかなかった。
どんなに勉強ができても、褒めてもらった記憶はない。
そして、それはロディナ伯爵家も同じだ。
私がどんなに屋敷や領地の管理で成果を上げても、誰もそれを見ることはなかった。
それどころか、私を「石女」と呼び、罵るのだ。
「ここの人たちは優しく私を迎え入れてくれましたから」
「つらい過去を歩んで来たんだな」
アレンは私の頭に大きな手をポンッと置いた。
慰めのつもりだろうか。なんと不器用なことだろう。
私は肩を揺らして笑った。
***
アレンとの距離が近づきつつあったころのこと。
私が仕事を終え、アパルトマンへの道を歩いていたときだ。
(今日の仕事も最高だった。明日が楽しみだわ)
明日から、祭りが始まる。この祭りには王都中、そして、隣の帝国からも多くの客人が来るのだ。すでに宿はほぼ満室だった。
祭りのために、最近はずっと走り回っていたのだから、その成果が楽しみだ。
(最近はアレンの誘いも断っていたし、明日は祭りに誘おうかしら?)
祭りが始まってしまえば、私の仕事はない。
だから、ちょうどいい。
すると、アパルトマンの前に人影が見えた。――アレンだろう。待っていたのだ。
私は浮かれた気持ちで駆けた。しかし、その人影がはっきりと見えたところで、足を止める。
「お、お父様……」
「センティア、探したんだぞ!?」
父は足早に私のもとに来ると、私の腕を掴んだ。
「どれほどの人間に迷惑をかけたと思っている!?」
「知らないわ。私は法に則って離婚した。ジャックには子どももいるんだから、困らないでしょう?」
困っているのは父なのだろう。
ロディナ伯爵家との繋がりがなくなった。
しかし、それは私にはもう関係のないことだ。
「帰るぞ!」
「いやよ。私は帰らない。もう、私のことは忘れてください。娘なんていなかったと思って」
「おまえを育てるのにいくらかかったと思っているんだ!?」
父の怒鳴り声に、私の身体は強ばった。
幼い頃、この声が降ってくるとき、必ず体罰が与えられたせいだ。
けれど、今の私は弱いだけの子どもではない。
私は父を睨む。
「お金なら……」
「金ならくれてやる」
私が言うよりも早く、頭上からじゃらじゃらとお金が降ってきた。――アレンだ。
「悪いな。今の手持ちはこれだけだ。あと、いくら必要かはそこの男に言え。きっちり用意してやる」
アレンはそばに控えている男を指して言った。
「なんなんだ!? おまえは!?」
父が声を荒げる。しかし、アレンはつまらなそうなものを見る目で父を見た。
「彼女を口説いている途中なんだ。邪魔しないでくれ」
アレンはそれだけ言うと、私を抱き上げる。
父がアレンにつかみかかろうとした瞬間、影から多くの兵が剣を構えて現れた。
父の身体が一瞬で小さくなった。これだけ大勢の兵に剣を向けられれば、誰だってそうなるだろう。
アレンは気にせず、私を抱き上げたまま歩を進めた。
「アレン、どういうこと?」
「なんだ? 父のもとに帰りたいのか?」
「それは絶対にあり得ないけど」
「ロディナ伯爵家と君の実家が君のことを連れ戻そうとしている」
アレンの言葉に私は眉根を寄せた。なぜ、アレンがロディナ伯爵家の名を知っているのか。
私は彼に身の上話をしたことはない。
そして、それ以上にジャックが私を連れ戻そうとしていることに身震いした。
「どうだ? 私のもとに来ないか?」
私はアレンを見上げる。
この街は気に入っていた。私を受け入れてくれた街だ。
しかし、ここに住んでいることがバレた以上、安心して暮らすことはできない。
両親もロディナ伯爵家も、腐っても貴族だ。
この街に居続ければ、迷惑をかけることになるかもしれない。
それに、私の気持ちはアレンに傾いていた。
この男の素性はわからない。
どこかの貴族だろうか。横暴な態度からして、大切に育てられたのだろう。
しかし、それでも彼に惹かれている。
「連れて行って」
私の短い返事に、アレンが口角を上げる。
祭りの賑わいの中、私は辺境の街を出た。
私を受け入れてくれた街の人々に、挨拶をする時間もわずかにあった。
事情を話すと悲しんでくれたけれど、「嫁に出したと思うことにする」と笑顔で送り出してくれたのだ。
連れて行かれた先が、ガルディア帝国の皇宮だとは想像もしていなかったけれど。
「アレン、あなた、皇族なの……?」
「ああ。実はな。ここなら誰も追ってこれないだろう?」
アレンは得意げに言う。
頭がクラクラした。
そして、アレンが「陛下」と呼ばれた瞬間、私の目眩はさらにひどくなったのだ。
***
センティアが去ったロディナ伯爵家は散々だった。
ジャックは書類を握りつぶしながら、執事に怒鳴る。
「領地の収入が先月の半分!? どういうことだ!?」
「私は旦那様の指示に従ったまでで……」
「なぜそれで半分になるんだ!?」
丸めた書類を執事にぶつける。
センティアがいなくなって半年、領地の収入は激減していた。
領地で働いていた人間の半分は、領地を去ったという。
彼らは揃って「奥様がいらっしゃらないのなら」と言っていたと後から聞いた。
「あいつ……。何をしたんだ……!」
記憶にない離縁状が出され、センティアとは一方的に離婚が決まっていた。
異議申し立てをしたが、筆跡などが本人のものだと証明され、その書類を破棄することはできなかったのだ。
独身のままでは、産まれてくる子どもをロディナ伯爵家の子とすることができない。
ジャックはしかたなくエマを妻とした。
エマは平民の出だ。
かわいくて色気があり、甘え上手なところが気に入っている。
しかし、貴族のことはまったくわからず、妻にするのは難しかった。
センティアの実家を脅し、センティアを探させているが、なかなか見つからないらしい。
「奥様を連れ戻してください。そうすれば、ロディナ伯爵家も元に戻るかと思われます」
執事が床に頭をつきながら言った。
彼曰く、屋敷や領地のことはすべてセンティアが管理していたのだという。
結婚後、領地収入は以前の五倍になっていたそうだ。
しかし、センティアが去ってからたった半年でその収入は結婚前の半分にも満たない。
「早くセンティアを探せっ!」
毎日ロディナ伯爵家には怒鳴り声が響いていた。
***
その後、ロディナ伯爵家は借金が膨れ上がっているらしい。
私はアレンが見せてくれた調査書を見ながら肩を竦める。
父に聞いて、私の居場所を知ったジャックが手紙を送ってきたようだ。
私は現在、アレンの片腕として働いている。
働くのは楽しい。何より、領地経営や、街の経営ではできなかったことができる。
そこには政治などが絡んできて、面倒なことも多い。
しかし、それも私にとってはやりがいの一つだ。
アレンは私をうしろから抱きしめながら言った。
「なあ、センティア。そろそろ私の子を産む気になったか?」
彼は私の首筋に鼻をこすりつけた。
相変わらず回りくどい問いかけだと思う。
アレンの言葉を翻訳するなら「わが妃になれ」と言っているのだろう。
アレンは二十五歳だが、まだ独身だった。昔から、妃は一人、愛人は持たないことに決めているらしい。
しかし、妃になるということは、今の仕事を手放すということではないか。
最初は「隣国から来た小娘」だった私も、少しずつ、受けいれられてきている。
もう少し、私はこの仕事に集中したいと思った。
「そうですね……。もう少し考えさせてください」
私はそう答え、彼の頬に口づける。
彼の眉根が寄った。
そんな彼の表情も悪くないと思う。
私が彼の素直な求婚を受けて、妃としての仕事に忙しくなるのは、もう少し先の話だ。
FIN
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