前触れ
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前線の空気は、重く沈んでいた。
叫び声は少ない。
派手な魔術も、ほとんどない。
それが逆に――
人間側が本気だという証だった。
「左翼、圧を上げてきます」
伝令の声は短い。
「術式は使っていません。歩兵主体です」
ガルドは、前を見たまま頷いた。
「構うな」
剣を握り直す。
「押し返せ。崩すのは向こうだ」
獣人たちは迷わず前に出る。
王が、退かない。
それだけで、士気は保たれる。
人間の兵は、無言で迫ってきた。
鎧は軽く、
動きに一切の無駄がない。
(……隠密部隊を、前線に混ぜている)
正面は囮。
その発想に、
胸の奥が嫌にざわついた。
――城。
思考が、そこへ引っ張られる。
(……考えるな)
歯を食いしばる。
今ここで王が迷えば、
前線は一瞬で崩れる。
「王!」
右から、敵が踏み込む。
ガルドは、踏み出した。
剣が閃く。
一撃。
人間兵の動きが止まり、
そのまま崩れ落ちる。
二人目。
三人目。
血が、地に吸われていく。
(遅い)
城からの報告が、来ない。
「前進!」
叫ぶ。
「今だ、押し切れ!」
獣人軍が、吼える。
地鳴りのような音。
人間側の陣が、わずかに歪む。
だが――
崩れない。
(……粘るな)
退く気配が、ない。
まるで、
時間を稼いでいるようだった。
「王」
側近が、低く言う。
「敵の布陣が、妙です」
「こちらを見ていません」
ガルドの金の瞳が、細くなる。
「……城だな」
即座に理解する。
奪う気だ。
正面からは、来ない。
「だが」
ガルドは、言い切った。
「俺は動かん」
側近が、一瞬言葉を詰まらせる。
「しかし――」
「ここを空ければ」
ガルドは、剣を振るいながら続ける。
「国が死ぬ」
一歩も退かない。
獣の本能が、吠えている。
――行け
――守れ
――番だ
だが、王はそれを噛み殺す。
「影がいる」
低く、確信に満ちた声。
「城は、任せてある」
それが、信頼であり、
覚悟だった。
人間側が、ついに後退を始める。
完全撤退ではない。
陣を引きながら、
こちらの出方を窺っている。
「深追いするな」
ガルドが命じる。
「ここで決める必要はない」
敵は、まだ手を隠している。
全面戦争には、
踏み切っていない。
ガルドは、剣先を下ろさない。
血の滴る刃を、
地面に向けたまま。
(……無事でいろ)
胸の奥で、
それだけを、強く思う。
――もし、影が折れていたら。
――もし、城が抜かれていたら。
考えない。
考えないが――
覚悟は、もう決めている。
そのとき、
遠くで、合図の狼煙が上がった。
城からではない。
敵陣から。
ガルドは、目を細める。
「……次の段階だな」
人間国は、退かない。
獣人国も、折れない。
そして――
王は、前線に立ち続ける。
すべてを背負ったまま。
何か起こるようです




