沈黙は、すでに刃を抜いている
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国境は、異様なほど静かだった。
風は吹いている。
木々も揺れている。
だが――生き物の気配が薄い。
獣人たちは、
この静けさを「安全」とは呼ばない。
それは、
狩りの直前の沈黙に似ていた。
*
境界線を見下ろす高台に、
ガルドは立っていた。
鎧は着けていない。
剣も、まだ抜いていない。
だが、その背中には、
王としての圧が宿っている。
「……増えています」
隣で、ザイードが低く告げた。
「人間国側の陣地。
兵の数は大きく変わりませんが、
魔術師の比率が上がっています」
ガルドは視線を動かさない。
霧の向こう。
淡く光る幾何学模様。
魔術陣。
攻撃用ではない。
だが、儀礼用でもない。
「探っているな」
「はい」
ザイードの声は冷静だが、
尾の動きがわずかに速い。
「こちらの結界強度、
王の出方、
そして――」
一拍、置いて。
「“あの人間”の存在を」
ガルドの金色の瞳が、
わずかに細くなる。
「……やはり、諦めてはいないか」
一度、失敗しただけだ。
奪えなかっただけだ。
人間国にとって、
リオは「諦める理由」にはならない。
むしろ――
「国を動かす価値があると、
判断された」
その言葉を口にした瞬間、
周囲の空気が重くなる。
*
人間国は、何も言ってこない。
正式な抗議もない。
交渉の使者も来ない。
だが、
準備だけは、確実に進んでいる。
「交渉を省く、か」
ガルドは小さく息を吐く。
「随分と、性急だな」
ザイードは首を横に振った。
「性急ではありません。
合理的です」
「……どういう意味だ」
「交渉は、
拒否される可能性がある」
淡々と続ける。
「ですが、
力の行使なら、
相手の意思を問わず結果を得られる」
ガルドは、鼻で笑った。
「随分と、人間らしい判断だ」
感情ではない。
正義でもない。
利益だけを見ている。
それが、
最も厄介だった。
*
一方、城の地下。
リオは、
石壁に手を当てていた。
微かな振動が、
指先に伝わる。
(……来てる)
地上の魔力の流れ。
意図的に組まれた、
“奪うための構造”。
壊す魔術ではない。
封じる魔術でもない。
――引き寄せる。
歪み視を通して見ると、
それは網のように広がっている。
(……国ごと、包む気だ)
自分一人を取るために、
戦争寸前まで持ち込む。
怖さより先に、
胸の奥が冷えた。
「……それでも」
小さく呟く。
「行かない」
行けば、
争いは終わるかもしれない。
でも――
それは、
この国を売ることだ。
*
夕刻。
ガルドは、
地下へ降りてきた。
扉を開けると、
リオはすぐに顔を上げる。
「……始まりそう、ですね」
先に言われて、
ガルドは少しだけ口角を上げた。
「耳がいいな」
「歪みが、
落ち着かないんです」
嘘ではない。
だが、それだけでもない。
「……僕のせいで」
最後まで言わせず、
ガルドが遮る。
「違う」
低く、強い声。
「お前は、理由じゃない」
一歩、近づく。
「選んだのは、
向こうだ」
リオは、
その言葉を噛みしめる。
*
夜。
国境の霧が、
さらに濃くなる。
人間国の陣地で、
新たな魔術陣が灯る。
まだ、撃たれない。
まだ、踏み込まれない。
だが――
沈黙は、
すでに刃を抜いていた。
ガルドは高台で、
夜の境界を睨む。
(……守る)
国を。
民を。
そして――
地下にいる、
たった一人の人間を。
戦争は、
まだ始まっていない。
だが、
覚悟だけは、
もう終わっていた。
いよいよ戦争です




