ホットケーキは、二人で食べるものだと思っていた
ホットケーキは、最初に卵を入れるんじゃない。
牛乳を先。
そう言って、篠宮紗季はボウルを引き寄せた。
「順番があるの。だいたいのことには」
僕は、適当に相槌を打った。
正直、味が変わるとは思えなかったからだ。
今は一人で、フライパンの前に立っている。
火は弱め。
焦がすと、怒られる。
……怒られる相手は、もういない。
混ぜすぎないように、箸を止める。
分量は覚えていない。
でも、手の動きだけは残っている。
それが、少し腹立たしい。
フライパンに生地を落とす。
ぽとり、と音がした。
静かな台所で、その音だけが浮く。
「まだ」
声がした気がして、手が止まる。
「待って」
もちろん、幻聴だ。
それでも、僕は勝手に待つ。
表面に、小さな泡が出てくる。
これが合図だった。
フライ返しを差し込む。
ひっくり返す、この瞬間が怖い。
失敗すると、全部が台無しになる気がして。
えい、と返す。
少し、焼きすぎた。
「大丈夫」
紗季なら、そう言っただろう。
「どうせ、二人で食べるんだから」
二人で。
その言葉だけが、台所に残っている。
皿に乗せたホットケーキは、一枚だけだ。
ナイフを入れるか迷って、やめた。
そのまま、かじる。
少し、甘すぎる。
砂糖を入れすぎたのかもしれない。
でも、文句を言う相手はいない。
だから僕は、黙って全部食べた。
ホットケーキは、
二人で食べるものだと思っていた。
一人で食べると、
こんなにも、静かだ。
フライパンを洗いながら、
次は、もう焼かないだろうな、と考える。
その考えだけは、
なぜか、失敗しなかった。




