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偽物のリベラルないしは偽物の自由主義と本物のリベラルないしは本物の自由主義について

 昨今自由主義及びリベラルはだいぶ歪められた意味でつかわれていると私は考えている。そのこと私なりに考察しようと思う。

 この世界には偽物の自由主義および偽物のリベラルと、本物の自由主義および本物のリベラルがいる。

 自由主義及びリベラルという言葉を最初に使っていたのはジョンロックに代表される古典的自由主義者だった。彼らは個人の自由と権利を最優先にして、国家の役割を限定しようとした。この立場は私が主張している、国家は個人の自由と権利を機械的に守るべきであるという考えと親和性のあるものだ。

 ところがロールズが現れ、この自由主義及びリベラルの言葉は別の意味でつかわれるようになった。彼らは個人の自由と権利を重視するばかりではなく、社会的公正や弱者救済を重視して国家による再分配や規制を認めた。ただし、ロールズはまだ個人の自己所有権の中にある個人の精神の自由を重視していて、まだこの段階では自由主義及びリベラルという言葉はそこまで歪められてはいなかったのだ。

 しかしこのロールズの思想もまた歪められ、同時に自由主義およびリベラルの言葉も歪められた。社会的公正や弱者救済を個人の自由と権利、特に個人の自己所有権及びその中にある精神の自由よりも重視する人がロールズの思想を体現していて、故にそういった人こそ自由主義でありリベラルであるとみなされるようになったのだ。ここにきて個人の自由と権利を最優先にして、国家の役割を限定しようとした当初の自由主義者やリベラルは、完全に異端とされたのだ。

 私は個人の自己所有権及びそこに含まれる精神の自由を最重要視し、国家はそこに関与してはならないとする思想のうち、国家の役割を人の自由と権利を守ることとし、かつ国家を法で(憲法含む)縛ることに同意し、かつ世界精神や歴史的必然性およびその同類を重視しない人たちのことを今後はロック型の自由主義者略してロック型と呼ぶことにする。ロック型にはジョンロックやノージック、ヴォルテール、そしておそらくロールズやカントも含まれる。この思想は名誉革命を引き起こす原動力となった。

 また今後は個人の自己所有権及びそこに含まれる精神の自由を最重要視し、国家はそこに関与してはならないとする思想を持つ人のうち、力あるものの統治を叫び、国家を法で(憲法含む)縛ることに同意しないあるいは興味のない人たちのことをニーチェ型の自由主義者略してニーチェ型と呼ぶことにする。ニーチェ型にはニーチェやマックスシュティルナーが含まれる。

 また国家を法で(憲法含む)縛ることに同意する人たちのうち自己所有権の中に含まれる精神の自由より共通善や一般意思、社会的公正、宗教ないしは文化を重視する人たちのことを今後はルソー型の自由主義者略してルソー型と呼ぶことにする。ルソー型にはルソーやドゥウォーキンなどが含まれる。この思想はフランス革命を引き起こす原動力となった。

 では国家を法で(憲法含む)縛ることに同意する人たちのうち自己所有権の中に含まれる精神の自由より共通善や一般意思、あるいは社会的公正を重視する人たちの正体は何なのだろうか。私はその正体は進歩主義だと思っている。つまり、彼らは共通善や一般意思、あるいは社会的公正に基づく社会の進歩を求めていて、そのためならば個人の精神の自由を侵すことも厭わない人なので、私は彼らを進歩主義と呼ぶ方がより実情に合っていると考えるのだ。故彼らのことを私は進歩主義者と呼ぶ。

 進歩主義者と宗教的保守主義者は似ている。両者とも主観的なものだが社会に共有されている道徳を重視し、宗教や文化や共通善や一般意思や社会的公正といった社会の道徳を個人の自由よりも上位に置く。故に進歩主義と宗教的保守主義は似た者同士なのだ。私から言わせてみれば、宗教的保守主義者は死んだ神の屍を崇め他人にその神を崇めるよう強制し、進歩主義者は死んだ神から新たな神を創造して崇め他人にその神を崇めるよう強制しているのだ。両者に何の違いがあるのか。だから私は両者をルソー型とひとまとめにしたのだ。ロック型やニーチェ型は神を崇めることを他人に強制したりはしない。

 私はロック型やニーチェ型と進歩主義者の違いは人を差別する自由を認めるか否か、あるいはヘイトスピーチ規制法を認めるか否かだと考えている。すなわちロック型とニーチェ型は人を差別する自由を認めヘイトスピーチ規制法を認めず、進歩主義者は人を差別する自由を認めずヘイトスピーチ規制法を認めるということだ。

 あと自由主義にはもう一つ種類がある。それは歴史的必然性や世界精神を重視する立場から自由主義を擁護する立場だ。つまり彼らは歴史的必然性や世界精神を重視するという理由で国家を法で(憲法含む)縛ることに同意しかつ個人の自己所有権及びそこに含まれる精神の自由を重視するのだ。こういった立場をとる人間のことを私はヘーゲル型の自由主義者略してヘーゲル型と呼ぶことにする。ヘーゲル型にはヘーゲルやフランシスフクヤマが含まれる。

 私はヘーゲル型やルソー型およびニーチェ型はいずれも偽の自由主義であり、ロック型こそが真の自由主義だと考えている。あなたが自由主義者であれば問いたいことがある。あなたはロック型、ルソー型、ニーチェ型、ヘーゲル型のいずれに属すのだろうか?私はロック型の自由主義者だ。

 ここでは自由主義を四つに分け、その四つの自由主義のうち真の自由主義といえるのはロック型だけであり他は偽の自由主義であることを示した。あと私は進歩主義者にはリベラルや自由主義者ではなく進歩主義者を名乗ってもらいたいと考えている。

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― 新着の感想 ―
甘い。偽物のリベラルないしは偽物の自由主義を進歩主義と呼ぶには御幣がある。それは見せかけの理由であり真の目的は「権力者は本気で信望するつもりもないリベラルや自由主義を権威とでっちあげ大衆に強制し、それ…
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