6. 距離感
翌朝、瑞樹はすっかり教室に溶け込んでいて、昨日のような騒々しさを伴った時間拘束は受けていない。
「お、綾香おはよう」
私が隣に立つなり、すかさず声をかけて来た。
「おは……っあ……!」
それに応じようとして、彼の顔を見たのがいけなかった。
昨日の失態が、私の脳裏に蘇る。
「どうしたの? 変な声出して」
同じタイミングで席に着いた詩織が、こちらを振り返って訊ねる。
「な、なんでもないよ! あはは……」
「ほんとにぃ?」
僅かに眉を上げて食い下がる彼女は、明らかに違和感を覚えているらしい。
「私たちの間で、秘密はなしだからね?」
その言葉と共に私を指差してから、黒板の方は身体の向きを返した。
別に秘密って言うほど、大げさなものではないのだけれど。変な勘違いをされてしまった気がする。
まあ、リスのように愛らしく頬を膨らませていたから、本気で怒ったりしているわけではないだろう。
「……ねえ、瑞樹」
周りに届かないように留意した声量で、私は呼びかける。
「ん?」
「昨日ごめんね、急に走り出しちゃって」
「あー、あれね。大丈夫、どっちにしてもあの交差点でお別れだったから」
それに、と瑞樹は続ける。
「これからは毎日一緒に帰れるんだから、それくらい気にしないよ」
そうか、気にしていないなら良かっ——ん?
「今、なんて?」
「え? 『それくらい気にしないよ』……」
「そうじゃなくて! 気にしない、のちょっと前」
何かしれっと爆弾発言を受けた感が半端ないのだが。
いや、きっと何かの勘違いだな。そういうのを自意識過剰と言うのだぞ、私。
「ああ、『これからは毎日一緒に帰れるんだから』ってところ?」
……どうやら勘違いではなかったらしい。
「なんで一緒に帰るって決まってるのよ」
そんな約束を交わした覚えはないのだが、飄々と数秒前の発言を蘇らせる瑞樹を見ていると、変なことを言っているのは私の方なのかもしれないと錯覚する。
「……嫌?」
待て、この流れは昨日と同じだ。
私が昨日の帰り道を回想するより早く、瑞樹は露骨に寂しげな表情を浮かべている。
ほんのわずかな上目遣い。それが余計に、見慣れた絵文字のようなあざとさを演出する。
「あんた、いつからに〈ぴえん〉のモノマネするようになったのよ……」
「ぴえん?」
なんのこと? そう言わんばかりに問い返された。
整った容貌も相まって、わりと様になっているのが地味に腹立たしい。
そう思われているとも知らず、彼は再び「嫌か?」と言って来る。
表情筋の固定が器用だな、おい。
「だーかーらー、嫌とかじゃないって」
「だめよぉ、伊藤くんはぁ、ワタシと帰るのぉ」
私たちのやりとりの間に、声の調子が絶妙に外れたオネエ言葉が挟まったかと思うと、瑞樹の頭上に三沢がひょっこり顔を出した——変顔で。
「なんで変顔してるのよ」
「変顔じゃねぇよ! ぴえんだわ!」
「いや、梅干し食べてるおっさんにしか見えない」
詩織のツッコミで、私は妙な既視感に合点がいく。要するにクオリティが低いわけだ。
「とりあえず、お前らあんまり公共の場でイチャイチャすんな! 羨ま……じゃなくて、やかましいから」
「別に僕たちはイチャイチャしてないけど」
「あー失礼、痴話喧嘩の間違いでしたか」
「それも違う!」
鼻息荒く、私と瑞樹は同時に反論した。
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作者の冨知夜章汰です!
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不定期更新が続くかと思いますが、気長に待って頂けますと嬉しい限りです。
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