4. 始まりの音
忙しく一日が過ぎ、私は——瑞樹と二人きりで帰路に就いていた。
(いやいやいやいや、待て待て! どうしてこうなった!?)
*
「それじゃ、また明日ね」
「綾香ばいばーい」「うい、また明日」
詩織は吹奏楽部、三沢はサッカー部に所属していて、私たち三人が同じタイミングで下校することは滅多にない。
別れの挨拶を交わして教室の扉に目を向けると、また瑞樹が取り囲まれていていた。
昼より数が増している気がするのは、他のクラスの人間も混在しているからだろう。
「前は何の部活だったんだ?」だの「どの辺に住んでるの?」だの、呼吸する暇もなく質問を投げかけられていて、段々と瑞樹が可哀想に思えて来るが、彼は笑顔を崩すことなくそれに応じていた。立派だな、と私は率直に感じる。
私が彼の立場なら、怪訝な表情を露骨に出してしまう気がする。
(……どうしよう、声をかけて良いのだろうか)
さながら、出待ちをされたアイドルの神対応を傍観しているようで、そこに自分が「瑞樹またねー」なんて馴れ馴れしく割って入るのは憚られる気がした。
(まあ、明日から毎日会えるわけだし)
そう自分に言い聞かせ、もう片方の入り口から教室を後にしようとしたところを「綾香、一緒に帰らないか?」と呼び止められた。
予想外すぎる声に私は、夜道で背後に気配を感じた際の、ホラー映画の主人公並みの早さで振り返った。
空耳ではなく、瑞樹はしっかりこちらを向いていて、傍に立つ女子たちの隠すことない嫌悪のオーラが、それと共に視界に映る。
きっと、同じ台詞を使って瑞樹を誘いたかったのだろう。すまない、幼馴染の特権ということで許して頂きたい。
できれば呪わないでほしい。藁人形に五寸釘を打たないでほしい。
*
そして今に至る。なう下校中。
……いや、下校中なう。か? まあ、どっちでもいいけれど。
「あのさ……なんで私なの?」
「ん?」
コンニャロ、とぼけた顔しやがって。
「だーかーらー、なんで瑞樹に興味津々な他の子たちを放っといてまで、私と帰ろうとするのよ?」
多少不機嫌な態度になってでも、彼を問いただしたかったのは、二人きりで遡る通学路に、私が少しの気まずさを感じていたから。
ひとえに友達と言っても、電話や手紙で連絡を取っていたわけでもないから、この五年間は完全に空白なのだ。
もう二度と会うことはないかもしれない、と大方の腹を括っていたせいか、なぜか初対面の人と話す時よりも、ぎこちない空気が漂っていて息苦しい。
だと言うのに、その状況を招いた本人はまったく喋って来ないし、仕方ないから先手を取ってそれを打ち破りたくなったのだ。
「どこの馬の骨かも分からない人たちより、旧友優先するでしょ、そりゃ」
「どこの馬の骨かは分かるでしょ」
「綾香は……僕と帰るの嫌?」
そう呟きながら不意に立ち止まった瑞樹を、私は僅かではあるが追い越してしまった。
振り返り、彼の既視感のある憂いた表情を見て、私の中に苦い感覚が溢れて来る。
「そ、そうは言ってない! ただ……」
必死に訂正しかけると、瑞樹が笑い始めて「ごめんごめん、ちょっとからかっただけ」と両手を顔の前で合わせながら謝っている。
途端に私は、自分の杞憂の尚早さが馬鹿馬鹿しく思えて来た。
「瑞樹……変わったよね」
「そうかな?」
だからとぼけるなっつーの。
「昔もっと暗かったでしょ」
「まあ確かに。でも綾香の前では明るかったんじゃない?」
「それはそうだけど……あの頃とは、なんか明るさの種類が違う気がする」
「ふーん……あんま自覚ないな」
でも、と彼は続ける。
「やっぱ綾香と話してるのが楽しいや。気を遣わなくて良いし」
ほら、昔はそんな顔してなかったよ。
違う明るさ——まだ青い無邪気さと、大人になりかけた狡さを織り綯えたような、子供には出せない魅力的な明るさ。
『伊藤のこと、好きなのか?』
(——っ!?)
数時間前の冗談めいた三沢の一言が、急に脳内をよぎり、私は構わず頭を横に振る。
「ど、どうした? 頭でも痛いのか?」
(——はうっ!?)
先刻とは打って変わった不安そうな面持ちで、私の顔を覗き込む瑞樹。
授業中も何度か横顔を見ては「典型的な一軍男子だな」と考えていたが、正面直視はもっとヤバかった。
本当、いい男になっちゃって——いやいやいやいや、違うから!
「……ないから」
「え?」
「わ、私、こっちだから! じゃ! また明日ね!」
まだ交差点まで数十メートルあるというのに、私は何も考えずに駆け出す。
「う、うん……」
明らかな不審行為を目の当たりにして、瑞樹は動揺を隠せていなかったが、すぐに「気をつけろよー! また明日!」と声をかけて来る。
……ないから、ないから! 好き、とか。
絶対ないからぁーーっっっ!
読んで頂き、ありがとうございます!
作者の冨知夜章汰です!
感想や☆☆☆☆☆の評価をもらえると、端末の向こう側で喜びの舞いを踊りますので、お手数ですがよろしくお願いします!