1. 九月の転校生
外壁が生成り色になっている校舎に入り、デザインの欠片もない下駄箱に靴を置き、古くさいスノコの感触を足裏に味わわせながら、上靴を履く。
正直言って、登校時にモチベーションが上がることはない。
特に夢もないので、地元の高校に進学した。
というか、中学二年とか三年の段階で将来の夢を確定させて、大学、高校を逆算して選択できるほど、私は要領が良くなかっただけの話だが。
まあ、そのおかげで詩織と出逢えたのだ。ひとまず良しとしよう。
彼女は元々隣町で生活していて、義務教育は当然そちらの学校で済ませていたが、今は最寄り駅まで電車を使い、そこから徒歩で私と同じ高校に通っている。
理由は明白。隣町にある高校は、言葉を悪くすれば不良の巣窟のようなものになっていて、大抵の中学生が『まだマシだから』という、いかにも適当な理由を引っ提げて、こちらへ流れるように受験して来る。
要するに、詩織もその例に沿ったわけだ。
朝だというのに、どこか薄暗い階段を上がる。男子たちの、言葉にならない燥ぎ声が廊下に響いていた。
その声量で喋るなら、せめて周りが聞き取れる日本語を喋ってもらいたい。これではただの騒音ではないか。
一年C組の後方にある扉を横に引いて、私は足早に自分の席へと向かう。
未来で「青春の香り」というやつを追憶したところで、私が帰宅部でいる以上、思い出すのはこの狭っ苦しい空間で吸い込む空気だけなのだろう。
人生においてまったく重要ではない事実に、なぜかいささかの悔恨を覚えてしまう。
案の定クラスメイトたちは、これから高校生活を共にする人物の理想像を、こねくり回していた。
学友、という近代文学で目にするような単語の洒脱さが、彼らからは何一つとして感じられないのが、いつだって不思議だ。
「よっ、森原、竹村」
私たちより数分遅れて教室に入って来た、三沢健二がお決まりの浮ついた挨拶をして来る。
私の一つ前が詩織の、さらにその隣が三沢の席で、私たちは授業前の世間話に勤しみ始める。
詩織は椅子ごとこちらに向けるが、三沢はそれすら億劫なのか、背もたれを胸で抱くようにして、いかにも男子っぽい格好をしながら笑顔を見せている。すべて含めて定例だ。
「確かに、俺も森原に同感かな」
通学路で交わした会話の内容を伝えると、三沢は目を閉じて腕を組み、わざとらしく何度も頷いた。
「嘘っぽいな」「うん、嘘っぽいね」
私と詩織の意見が重なるのを見た三沢は、面食らった、と言わんばかりに片手で顔を覆いながら、噴き出し始める。
「酷いなぁ、嘘じゃないって」
そう反論すると、少し声のトーンを抑えて「俺の場合さ、どうでもいいのよ。所詮他人だから、って思っちゃうわけ。陽キャが来ようと、陰キャが来ようと、自分に必要そうなら関わる。それだけ」意外なことを語って来る。
「じゃあ、私らは? 三沢にとって必要だから喋ってるの?」
詩織が問いかける。
「もちろん。少なくともあっちの人間よりかは、俺の人生にとって必要だよ」
『あっち』と言って彼は、学友もどきたちを親指で示す。
「というか、人と関わる理由がそれ以外にあるなら、逆に教えてほしいよ……まあ、森原の考えとは乖離的かもだけど」
三沢が真剣な表情をしているのは、非常に珍しく——まあ私も詩織も、まだ半年ほどしか付き合いがないんだけど——少し驚いていると、もはや気だるさを感じる声がした。藍田だ。
「みなさん、おはようございます」
前の二人が、揃って身体をそそくさと教壇の方に直す。他の生徒たちも、いつの間にか静かになっている。
「えー……昨日もお伝えしましたが、本日からこのクラスに新たな仲間が加わります」
藍田の口から『新たな仲間』なんて言葉が出るとは思っていなかったので、思わず笑ってしまいそうになる。三沢といい藍田といい、今日は意外な一面を覗かせてくれる日らしい。
「じゃ、入って来て」
私たちが入室したのと反対、前側の扉から、皆が待ち望んだ転校生が入室する。
一瞬、教室の時間が止まったような気がして、私は唾を飲んだ。
結局、口でああ言っていても、心の奥では気にしていたのだと知って、若干の自己嫌悪に陥る——ん?
藍田の横に立ったのは、結構顔立ちの整った男子だった。
「え、まあまあイケメンじゃない?」「ほんとだ」女子たちの盛り上がりが軽く伝わって来る。隠せ隠せ、そういう心の声は。
というか、このイケメン……どこかで見た覚えがあるんだが。
私は必死に記憶を反芻させるが、それはすぐに意味を失くした。
藍田に促されて、彼は黒板に自分の名を記す。
——伊藤瑞樹。
「はじめまして、今日からこの学校で授業を受ける伊藤瑞樹です。よろしくお願いします!」
淀みなく言い切った彼の姿を見て、段々と思い出す、懐かしい記憶。
転校生は、まさかの幼馴染だった。
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作者の冨知夜章汰です!
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