act.4
洗面台の鏡の中から、能面みたいな自分の顔が見返してくる。
俺の顔が冴えないのは別に今に始まったことじゃないが、鏡の中の自分はとても酷い顔色だった。
……今日は本当にさんざんな一日だったな。
俺は本日やらかしたいくつものミスを思いだしながら、苦い気持ちを噛みしめた。
皿を何枚も割り、お遣いで頼まれた買い物を間違い、クリーニングを取り忘れ、そのうえ頼まれた大事な書類を失くしかけた。執事の黒沢さんには「気が抜けている」と何度も叱られた。奥様や良太郎くんにまで「大丈夫? 何かあったの?」と聞かれてしまった。使用人としてあってはならない失態だ。
こんなことでは駄目だ、しっかり仕事をこなさなければ。
そう思っても、気が付くと手が止まってしまっている。ここまで気持ちが乱れているのは、今日の図書館での出来事が原因だった。
あの花屋の男とは数度会っただけだったし、特別な態度を取ったような覚えもなかった。それなのにあの男は、和希が自分に気があると思い込んでいた。あのときに込み上げた恐怖は言葉に出来ない。そしてあの掌の感触。思い出しただけでぞっと怖気が走る。
――やっぱり俺は……。
そう思うと気持ちはどんどん沈んでいく。
西園寺家という恵まれた職場環境で働き、総一郎さまや西園寺家の皆に自分の存在を受け入れてもらい、自分は変わることができたと思っていた。だがそれは勘違いだったのだ。置き捨ててきたと思っていた過去が、背中に張り付いて離れない。
俺は自分の顔から視線を逸らし、鏡掃除用のワイパーで鏡の表面を拭き上げた。蛇口と洗面台のまわりを磨き、最後にゴミ箱の中身をまとめて終了だ。
腕時計を見ると夜の八時になるところだった。もう調理場の片づけは済んだ頃だろうから、この二階の洗面所の掃除が終わったら業務は終わる。
「ちょっといいだろうか」
洗面室を出たところで総一郎さまに声を掛けられた。俺が掃除を終えるのをここで待ちかまえていたのだろう。
ちょっといいだろうかと言われて、否とは言えなかった。俺がちいさく頷くと総一郎さまはほっとしたような顔をして、「良かったら俺の部屋で話そう」と言って廊下を歩き出した。