act.1
「ぎえっ」
俺は不測の事態に悲鳴を上げた。身体がぶるりと震え、その拍子にお盆に載せたコーヒーの表面に大きくさざなみ立つ。
それは鳥のさえずりが聞こえてくる爽やかな朝のことである。大きな窓からは早朝の透明な光が差し込み、純白のテーブルクロスが掛けられたフランス製の大きなダイニングテーブルの上には豪華な朝食が並ぶ。
席についていた良太郎くんが振り返り、「わぁ和希さん、面白い声!」と楽しそうに微笑んだ。
だが別に場を和ませたかったわけではない。俺は食事の給仕の最中で、コーヒーをテーブルの上まで運びたかっただけなのだ。それなのになぜ俺は今、自分よりも一回り以上大きな男に、後ろからがっちりと抱き込まれているのだろう。
朝食を終え新聞を読んでいた旦那様が、紙面の隙間からこちらを覗き呆れた声を漏らした。
「お前はまったく飽きずに……辞めないか」
「そうですよ、総一郎。可哀想に、木島さんが固まっているではありませんか。辞めてさしあげなさい」
旦那様ばかりでなく、奥様も涼やかな声で嗜める。しかし咎められた本人は俺の耳元でふふっと笑った。
「すみません、父さん、母さん。和希があまりにも可愛らしかったので、つい」
その言葉に一気に羞恥といら立ちが込み上げてきて、俺はぐっと奥歯をかみしめた。
――なぜ、とうに成人した立派な男である俺が、四つも年下の男に可愛いなどと揶揄われなければいけないのだ!
だが俺の心の叫びが口から出て行くことはない。ひくひくと痙攣する頬をなんとか笑顔の形に引き上げて、俺は後ろの人物に話しかけた。
「お、おはようございます、総一郎さま。コーヒーが溢れてしまいますので、離していただけませんか?」
どれだけ苛立とうと、決して丁寧な口調も崩すことはできないのだ。
なんたって俺は、この家のしがない雇われ人なのだから。